2 黒と銀


(兄貴、兄貴……)


 ベルは膝をついたままうなだれ、心の中でひたすらそう繰り返していた。

 

 ベルにはもう一人兄がいた。

 だが今はもういない。

 今失いつつある兄と一緒だ、戦の中で命を落としてしまった。

 その前には両親をやはり戦のために失っている。


 平和に過ごしていた一家5人、いきなり戦に巻き込まれ、子どもたちを守ろうと隠した両親は、その目の前で殺され、家には火をかけられた。

 

 「大事なもの」はあっという間になくなってしまう。

 幼いベルの心に焼きつけられた思いである。


 また失うのだろうか。

 そして自分は一人ぼっちになってしまうのだろうか。


 ぼんやりとそう考えるでもなく考えながら、土に膝をついてじっと止まっていた。


 がさり


 視線の少し先でそんな物音がした。


 だがベルは、その音がなんだろうと思う気力さえなかった。


 何もできず土に落とした視線の先に、何か白っぽい布のようなものが見えた。


 だがベルは、その布がなんだろうと思う気力さえなかった。


  ふわり


 布のようなものが近づき、ベルの鼻先でそうやって揺れた。


「助けて!!」


 ほとんど条件反射のようにベルは目の前の布をつかんだ!


「お願い、助けて!」


 顔を上げる。

 

 目の前にはマントをかぶった人がいた。

 逆光で、しかもフードを目深までかぶっているので顔は全く見えない。


「兄貴が、兄貴が死にそうなんです、お願いです、助けて……」


 必死でマントの裾を掴んで泣きながらそう言っていた。


「なんだあ、小汚えガキだな」


 マントの人の後ろから若い男がそう言った。


 ベルはビクリと身を縮め、それだけが命綱ででもあるかのように、マントの端を固く、固く握りしめる。握った手がブルブルと震えている。


 ベルは男性が怖い。

 両親を失った後、兄二人と生活をしていたのは戦場だ。

 戦場で戦の後、そこに落ちているものを拾って生活をする「戦場稼ぎ」をするしか生きる術がなかったのだ。

 

 金になりそうな武具やその他色々なもの、大部分は戦勝者が根こそぎ持っていってしまう。

 残ったカスにも多少は金に代えられるものがあり、ベルたちと同じような行き場のない「戦場稼ぎ」の子どもたちが争うようにそれを拾う。

 生き残るための争いがあり、負けた者から生きてはいけなくなる。

 

 そんな戦場で出会う人間すべてがベルは怖かった。その中でも特に大人の男が。


 そんな、ベルが恐れる大人の男が続けてこう言った。


「なあ、そんなのほっといて行くぜ」


 行ってくれ、とっとと行ってくれ。

 ベルは心の中でホッとしてそう思った。


 だが……


「助けて! 兄貴が、ケガして死にそうなんです。助けてください!」


 この白いマントの人、この人は助けてくれる。

 行かないで! 助けて!


「お願い!」


 必死でそう訴えた。

 マントを掴むその手を放すまい、そう決めていた。


「おいーきりがねえぜ、そんなん相手にしてたらよ」


 男の声がそう言うが、マントの人は何も言わない。


「お願いです! 助けて!」


 ベルはただひたすらそう繰り返す。


「助けて! 大事な兄貴なんです! お願い! 助けて!」


 必死で繰り返す。


「おい、行くぜ」


 男の声が無情にそう言って白いマントの人を呼ぶ。


「お願い……」


 ベルはそれしか言えなかった。

 白いマントの人は何も言わない。


 ベルはマントの裾をこれでもかと必死で握りしめ、マントの人に訴える。


「ほっとけないよ」

 

 やがて、マントの中から静かにきれいな声がそう言った。


「おいー」


 後ろから男が呆れたような声でそう言うが、


「しゃあねえなあ……」


 今度はそう言ってからざわざわと草をかきわけ、白いマントの人を追い越してベルの前まできた。


「おい」


 声をかけられてベルがビクッとなる。


「その兄貴ってのはどこなんだよ」


 腰を屈めて覗き込むように言ったのは、黒い短い髪の男だった。

 目つきがよくない、歪めた口元もなんとなく危険な印象を与える。

 血の臭いがするような男だとベルは思った。


「おい、どこだって聞いてんだよ!」

「あ、あっち、あの木のところ……」


 思わずベルが答える。


「しゃあねえなあ」


 男がそう言って木の方へと進む。


「おい、何やってんだよ、とっとと案内しろ」

「は、はい」


 ベルはふらふらと立ち上がり、よたよたと覚束ない足取りで、置いてきた「大事なもの」がある方向へと進む。


「なんだあ、よれよれじゃねえかよ。とっとと歩けよ」


 男がベルの尻を軽く蹴っ飛ばす。

 ベルはキッと振り返り、きつい目で男を振り返って睨んだ。


「お、まだ元気あんじゃねえか、そんじゃとっとと行けよ」


 そう言って楽しそうにもう一度蹴っ飛ばす。


「蹴るなよおっさん!」


 思わずそう言い返す。


「だーれがおっさんだ」


 もう一度蹴っ飛ばされる。


「いいからとっとと連れてけ、クソガキ」


 さらに蹴っ飛ばされる。


「かわいそうじゃない、蹴らないでよ」


 マントの声が男にそう言ってから、


「お兄さんのところに急ごう、ね」


 そう言ってベルを覗き込んだ。


 その顔を見て、ベルは何もかも忘れてあんぐりと口を開けてしまった。


 その人は美しかった。


 銀色の、まっすぐな絹のような髪が美しい褐色の肌を滑るように流れ、深い深い緑色の瞳がやさしくベルを見つめていた。


 まるで人ではないような、精霊のような……


「銀色の魔法使い……」


 ベルの口から思わずそんな言葉がこぼれた。

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