銀色の魔法使い(黒のシャンタル外伝)<完結>
小椋夏己
1 草の波
小さいが激しい息が、草いきれの中を進む。
背の高い草丈ほどの大きさの人影。
濃い茶の髪が、走ると揺れに合わせて草の上からちらちらと見える。
そんな小さな影がざわざわと草を揺らし、どこかへと急ぐ。
(誰か、誰か、お願い、助けて……)
はぁはぁと息を切らしながら必死に走る。
どこへ走ればいいのかは走っている本人にも分からない。
だが、走らなければならない。
走らなければ「大事なもの」を失ってしまう。
その思いだけで走り続けていた。
季節は夏。
今朝まで雨が降っていたせいで、陽が
小さな影が立ち止まり、息を整えながら後ろを振り向いた。
考えなしに走ってきたが、あまりに遠くへ行くと戻る道が分からなくなる。
視線が見ているのは走ってきた方向、その先に一本の木が生えているのが見える。
その木の根元に「大事なもの」が眠っている。
その「大事なもの」のためにこの小さな影は走り続けてきたのだ。
「誰か、誰か、いませんかあ!」
消え入りそうな声は少女のものであった。
少女の名前はアナベル、愛称をベルという。
今年10歳になる。
木の根元に置いてきた「大事なもの」は彼女の兄だ。
「兄貴、おれ、誰か探してくる! そこでじっとしててくれよな!」
そう声をかけたが、彼女の兄はもう意識がなく、答えることがなかった。
「絶対絶対誰か探してくるからな! 待っててくれよな!」
そう言い捨てるようにしてその場から走り出した。
誰とも分からぬ「
その影はふと足を止めた。
「どうした?」
同行者が振り返って聞く。
「うん、いや、なんだかね、声が聞こえた気がして」
「こんな町外れの野っ原でか? 風の音じゃねえの?」
「いや、確かに聞こえた」
まだ若い声。
聞きようによっては男にも女にも思える、そんな声だ。
尋ねたのはまだ若い男の低い声だった。
「俺には聞こえなかったがな」
「そう?」
「ああ、気のせいだろ、行くぞ」
「うん……」
そうは答えたものの、なぜだか気にかかり、来た方向よりややずれた角度をじっと見つめる。
「いや、気のせいじゃないみたい」
「うん?」
そう言うと、見た方向に振り返り、まっすぐそっちへ進んでいく。
「しゃあねえなあ」
同行者も仕方なさそうにそう言うと、大人しく後ろから付いていく。
ざわざわと湿った草をかき分けて進む。
足元、草が踏みつけられ、折れ、あちこちに「色々なもの」が転がっている。
ここは一昨日まで戦場であった。
「戦場稼ぎ」たちによって金目の物、金目でなくてもなんとかなりそうな物、そんな物は昨日までにかき集められてしまっている。
今あるのは血の痕、人であったもののかけら、それに集まった獣の残したもの、それに集まる虫たちなど。まあ口にするのも悲惨なものがほとんどである。
「わざわざ好き好んでこんなとこ戻るこたあないだろうに」
同行者がめんどくさそうにそう言う。
残されたものに特に感慨を抱くことはない。
戦場とは、戦の後の場所というものはそんなもの、すっかり慣れてしまっている。
戦いで踏みつけられ、戦場稼ぎたちがうろうろと踏んでまわり、すっかり地面にひれ伏していた草たちは、昨夜の雨で元気を取り戻しつつある。かなりの部分が元通りに立ち上がり、悲惨な状況を多い隠しつつある。
その背丈を取り戻している草の向こう、何かがこちらへ進んでくるのが見える。
濃い茶色をしたふわふわわした何かが、ちらちらと草の上から見え隠れしている。
「なんだありゃ」
じっと見ていると、突然止まってそのまま真下にストンと落ちたようだ。
そしてそのまま見えなくなった。
「見てくるね」
白っぽい影の持ち主がそう言うと、草をかき分けて消えたもののところへと向かう。
「まったく、物好きなこったぜ」
同行者もそう言いつつ、同じように草を漕いで後を付いていく。
ベルは疲れて土の上に膝をついてしまっていた。
昨日は一夜、寝ずに兄の看病をした。
看病といってもできることは少ない。
傷を洗い、当てる布を取り替えるぐらい、額に乗せた水に浸した布を取り替えるぐらい、そのぐらいしかできない。
一昨日の夜、戦が終わったその夜、ケガを負ったために動けなくなった兄と共に、戦があった場所から少し離れた木の根元で休むことにした。
「大丈夫だ、血さえ止まればすぐに動ける。少し休ませてくれ」
そう言った時はまだ兄は笑っていた。
きっとすごく痛かったのに、つらかったのに、自分を励ますために笑っていてくれたのだ。
ベルにもそれは分かっていた。
きっと兄はすぐ元気になる。そう思って一生懸命看病をした。だが兄はどんどんと衰弱し、昨夜一晩、熱と痛みで苦しんで、今朝はとうとう意識を失ってしまった。
休まず看病した疲れ、大事なものを失うかも知れない恐れ、その2つがベルから歩く体力も気力も奪ってしまい、とうとう動けなくなってしまった。
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拙作「黒のシャンタル」シリーズの外伝です。
「第一部 過去への旅(完結)」のさらに三年前、ベルとアランがトーヤとシャンタルと出会って仲間になるまでの話になります。
本編への導入部、「エピソード0」としてお読みいただけるとうれしいです。
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