第3章 万能王女と四角関係

第1話 王女と友人

 ――ハイドランジア王国民の至宝、エヴァンシュカ・リア……トゥ、トゥル…………? フォン・ハイドランジアことエヴァ王女は、本日もご機嫌が麗しいようです。


 現在はドレッサーの前に座り、侍女のアメリにブラシで髪を梳かされて朝のご支度中。

 大きな窓から差し込む朝日を反射する金髪の、なんと眩しいこと。真っ白すぎる肌も陽の光を反射するどころか、まるで王女自身が発光しているようですね。今日も目に痛い美しさです。

 ……褒めてますよ?


 エヴァ王女は鏡越しにわたくしを見て、海のような碧眼を細められました。


「――ねえハイド、ジョーは何をしているのかしら。わたくしの庭園でお茶をしたら、きっと楽しいと思うのだけれど……」


 王女がジョーと出会ってから、まだ1週間も経っておりません。

 しかしお2人は、あれから急速に仲を深めておられるように見えます。


 特殊な言葉遣いと態度で礼儀の「れ」の字も知らなかったジョーですが、どうも彼は根本的に優秀な人物だったようです。

 エヴァ王女がマナーについて軽く講義なさっただけで、乾いたスポンジが水を吸うように次から次へと知識を吸収してしまいました。


 しかもジョーは講義について嫌がるどころか、まるで新しい遊びか何かを教わる無邪気な子供のように楽しんでいるご様子でして……。

 王女とお話も合うようで、「生まれついての王女」と「孤児院上がりの貴族の養子」なんて全く違う生まれにも関わらず、不思議と価値観が近いらしく――本当に不思議なものです。


 数日前など、お2人で熱心に何の話をしているのかと聞き耳を立ててみれば、やれ国民の保険制度がどうだの税がどうだのと、色気もクソもない談義に花を咲かせておられましたよ。


 他にも、例えば王女が『とある国が津波の被害に遭い畑に塩害をこうむった場合、どうすべきか』なんて家庭教師のような問いを投げ掛ければ――ジョーは「土壌がダメそうなら、とりあえず石灰と真水を撒いて土を混ぜっ返すしかないんじゃねーッスか? 確か塩って石灰に吸着しやすいんで!」なんて、淀みなく答えておられました。


 ――実際、つい最近ハイドランジア国のとある領地で津波が起きて、塩害を被った地域があるんです。

 畑が海に浸かり、作物は枯れて……しかも被害は作物そのものだけでなく、畑の土壌までメチャクチャにされてしまいました。

 農業で生計を立てていた者は食い扶持ぶちと仕事を失い、国に税金を納めることも儘なりません。


 王族としては、何かしらの救済策を打ち立てたいところです。やはり働く民あっての王国ですからね。


 エヴァ王女がそれとなく救済策についてジョーに問いかければ、次から次へと提案してくださいました。


 今まで育てていたものを一旦ガラリと変えて、塩害に強いハーブ類やアイスプラントを生産してみる。

 品種改良が必要になるが、海水を利用した塩トマト、塩たまねぎ、塩キャベツなどの栽培を目指す。――もちろん品種の研究費用は、「食の発展のため」という名目で国が負担ないし補助金を出す。

 国から一時金を支給する、または納税期限に猶予をつける、金の有り余った貴族に寄付をつのる……などなど。


 エヴァ王女の手元にあった紙は、上から下までびっしりとジョーの提案で埋まっていました。


 ……ところでわたくし、塩害で農地が使い物にならなくなってしまうメカニズムについて、漠然と「作物が水と一緒に塩を吸収してしまい、味が塩っ辛くなって食べられたものではなくなるから」と思っておりました。

 しかしジョー曰くそれは間違いで、『土壌中の塩分濃度が上がると浸透圧に差が生じるんスよ! そうなると植物の根は土壌から水分を吸収しにくくなるんで、そもそも枯れて育たないッス』らしいです。


 ……わたくし正直ちんぷんかんぷんでしたが、エヴァ王女から意見を求められた際にはしたり顔で「ええ、彼の仰る通りですよ」と答えておきました。

 賢い者同士の話し合いに、わたくしを巻き込まないで頂きたいですね……今後は話しかけられないように離れておきましょう。


 そうしてジョーの後押しを得たエヴァ王女は大きく頷いて、早速陛下に進言せねばと息巻いておりました。

 王女は、彼と話すのが楽しくて仕方がないようですね。自身が今までに得た知識の正否を問えるし、未知の知見を披露されれば唸っております。

 この国に、エヴァ王女のお話について行けるような猛者はいらっしゃらないと思っていましたが……どうも、わたくしの勘違いだったようですね。


 ――ジョーは本当に変わった殿方です。

 世情に疎いから俗世にも勉学にも興味がないのかと思えば、彼の有する知識量はとても孤児院出身のものとは思えません。


 何と言えば良いのか……おかしな言い方ですが、「ただこの世界の事象に興味が湧かないだけで、知識だけは兼ね備えている」と言ったところでしょうか。

 貴族同士の付き合いだとか暗黙の了解だとか国の王女の顔だとか、そういった事には一切興味をもたないのに……本当に不思議ですね。


 ――ああ、そうそう。

 ちなみにわたくしも王女から要請を受けて、女性のエスコートの仕方や歩く時の姿勢など、ジョーに紳士としての在り方を教示するよう仰せつかりました。


 ただ、正直言ってわたくしのは「なんちゃって紳士」ですし、どちらかと言えば創作の「絵本の騎士」を演じているものですから――大仰おおぎょうといいますか、どうしても芝居じみた仕草が多いです。

 こんなものを「基本だ」と言って教わるジョーが可哀相な気もしますが、しかしまあ、エヴァ王女が好む仕草は「コレ」ですからね。

 身に着けておいても無駄にはならないでしょう。


「王女様、たまにはジョー以外のお客様ともお話なさってはいかがですか? 一応、他の皆様も王女様のご友人候補ですよ」

「え? でも……そもそもわたくしのお友達を探すための集まりなのでしょう? もう1人2人見付かったのだから、無理に他を探す必要はないのではなくて?」


 エヴァ王女の仰る事は、ごもっともです。

 友人を探すための集まりならば、王女は既に目的を達していると言えるでしょう。


 ――しかし、王女には伝えていませんが本来の目的は全くの別物。彼女をつけ狙う犯人の特定と、黒幕探しでございます。


 ジョーとお話するのが本当に楽しそうですから、出来る事ならばこのまま平和に遊んでいてもらいたいところです。

 ですがそれでは、いつまで経っても王女の元から脅威が去りません。

 犯人を炙り出すためにも、出来る限り多くの貴族子息女と交流して頂きたい所なのですが……王女はジョーがいたくお気に入りらしく、彼ほど興味をそそられる相手が他にいらっしゃらないようなのです。


 ちなみに、ジョーの養父については初日に彼の部屋を探す際に調べが付きました。


 ヴェリタス子爵……ハイドランジア城がある王都の、そのすぐ隣に領地をもつ貴族ですね。

 つまりジョーのフルネームは『ジョー・フォン・ヴェリタス』――ではなく。


 実は「ジョー」というのは愛称で、本名はわたくしたちには聞き取りづらい上に発音も難しいとの事です。

 初日にこっそりと、本当のお名前を教えて頂いたのですが――まあ、まだエヴァ王女が聞かされていない事ですからね。

 わたくしが先に知っていた、なんて言えばこれでもかと不貞腐れるでしょうから、もうしばらく黙っておきます。


 ジョーも「俺の事はただのジョーで良いッスよ」と言って聞きませんしね。


「王女様、あまりジョー……ヴェリタス子爵令息ばかり優遇してしまうと、他の皆様の面目が丸潰れでございます。皆様の嫉妬が彼に向かうかも知れません、男性であるという事も含めて」

「――はあ、全く……顔を立てるだとか面子がどうだとか……本っ当に貴族ってツレーですわね」


 ジョーの特殊な言葉遣いを真似された王女に、わたくしは思わず眉をひそめてしまいました。


「――エヴァンシュカ王女。いくら何でもその言葉遣いは、真似して良いものではありません」

「分かっています、冗談ですわよ……ハイドは狭量だわ」

「ええ。「絵本の騎士」は優しいだけではなく、時に姫を厳しく叱るものですからね」

「………………アデルお姉さまが誕生日に贈ってくださった、スノウアシスタント先生の新作では――「黒騎士」は訳アリ王女がどんなおバカな事をしても、溺愛してくださいますのよ。包容力の塊ですわ……!」

「それは包容力があるのではなく、ただの無責任男でしょう。そのような男は単なるモンスター女製造機ですよ、とんでもないワガママ非常識女を作り出して野に放つのですから」


 わたくしの個人的な感想を受け、王女は頬を膨らませて「黒騎士は王女を野に放ちませんわよ! 責任をもってご自分で愛でますの!!」と声を荒らげます。

 そうしてお小言を右から左へ聞き流しておりますと、やがて王女が「分かりましたわ」と言って振り返り、鏡越しではなく直接わたくしの顔を見やります。


「――では、ヒロインナノヨ伯爵令嬢とお話する事にいたしますわ」

「あぁ~……ここで、ヒロインナノヨ伯爵令嬢を選びますか……」

「なっ、ど、どうして残念そうな声を上げますの!? ハイドあなた、伯爵令嬢がお気に入りなのではなくって!?」


 確かに、彼女がわたくしの興味を引いて離さないのは事実です。

 事実なのですが……ヒロインナノヨ伯爵令嬢は犯人でも、黒幕でもございません。


 個人的にお話する分には楽しめますが、わたくしの「職務」を全うするという意味では、どこまでもホワイトな伯爵令嬢とこれ以上接点をもっても仕方がありません。

 エヴァ王女にはもっと他の、腹黒そうな令嬢とか下卑た笑みを浮かべる令息とか、そういう「いかにも」な相手と接点をもっていただきたいのですが――。


 ……まあ、こればかりは焦っても仕方がないでしょう。

 せっかく王女が気を回してくれた事ですし――今日のところは、ヒロインナノヨ伯爵令嬢と王女の愉快なやりとりを眺めて、癒される事にいたします。

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