第3話 光化学スモッグと野良犬。

 陽炎が揺れている。ナイロン製の黄色い帽子は、通気性が無く、頭が蒸れる。

塩素臭い髪は、ドライヤーどころか、乾かしても無い。そこへきて、夏休みにも関わらず、黄色い帽子を被っているので始末が悪い。


家までの距離を考えたら頭がクラクラしてきた。

足元をみれば、アスファルトに焼かれてウインナーみたいになっているミミズを、蟻が運んでいく。


 「ばあちゃん、もう帰ってきてるかな。」  小石を蹴り損なって、ドブに落としてしまった。

 「あーあ。一機失ったよ。」


終業式まで、空き地だった所に今朝から重機が来ていた。

黄色いボディはとても格好が良い。カメラでも持っているなら写真に収めたい。

まだ、甲子園も始まっていないのに、暑さに嫌気がさす。


家に着いたが、案の定ばあちゃんは居ない。冷蔵庫から麦茶を出して飲む。

テレビを付けても、芸能ニュースなんて興味がない。真っ当な小学生は炎天下でも外で遊ぶものだ。


自転車に乗って駄菓子屋に向かった。

通称“やまちゃん“あそこに行けば、誰かしらいるだろう。


左にカーブしている畦道は今まで、何人も児童を病院送りにしてきた。車に接触した日、ばあちゃんに引きずられ、おっさんに謝りに行った。


「この、馬鹿垂れが。済まん事しました。」


げんこつを、貰った。

ああでもしないと、おっさんに殴られてたぞ。それよりは、良かろうに。ばあちゃんは、笑ってた。


覚えたての手放し運転をして、飛行機の真似をした。

飛行機雲と平行線を引いてペダルを漕ぐ。


やまちゃんに着いたが、珍しく誰も居ない。


「こんちゃー。」


奥の座敷に、座布団とお尻が一体化した妖怪が鎮座している。どうみても眠っているのだが、菓子をくすねる阿呆には、情状酌量の予知はない。


「いらっしゃい。」


民家の土間に棚があって、まばらに菓子が置いてある。店と呼ぶには到底及ばない。うまい棒とゼリー

癇癪玉かんしゃくだまとヨーグルを手に取る。


「やまばあ、えびせん、ちょうだい。」


やまばあは、引き出しから、えびせんを出した。衛生管理の概念など皆無だ。


「あいよ。坊、雪ちゃんは家におらんの?」


「ばあちゃんなら、婦人会の集まりだよ。」


「お昼食うたの?」


「まだ。でも、腹へったから菓子食おう思てな。」


「お昼、食うてないなら、おにぎりやろう。飯、食わんと菓子食わせた言うてな、雪ちゃんにお説教されるわ。」


「二人とも、裏行って手洗って、店の前のベンチで待っとき。今おにぎり、こしらえてくるから。」


やまばあは、よっこらせっと、立ち上がり襖を開けると、お勝手に行った。何が二人なんだと、玄関に向くと、女の子が立っていた。


白いワンピースを着て麦わら帽子を被っている。ちゃぶ台にフランス料理か。明らかに糞田舎には似つかわしくない美少女が、こちらを向いて微笑んでいる。


「こんにちは。」


「ボ、ボンジュール。」


「ふふふ。なにそれ。面白いね。流行ってるの?

わかった。ひょうきん族でしょ?」


夏の暑さのせいだろうな。顔が熱い。


「裏行って手、洗ってこいよ。」


質問に答える余裕がない。キョロキョロしながら歩く彼女の後ろを付いていく。いったい誰なんだろう。


手を洗い、ベンチに戻るとお盆におにぎりと麦茶が置いてあった。

美味しそう!彼女がはしゃいで玄関に頭を覗かせる。


「ありがとうごいます。いただきます~。」


二人で並んで、おにぎりを食べた。


「なぁ、家、このへんなの?」


「夏休みが始まってすぐに、引っ越してきたんだよ。ほら、あそこ。」


指差す先には、学校と山が見える。山の麓には警察官舎がある。


「お父さんが、警察官なんだ。東京に住んでたんだけど、この地域の事件に関わる事になってね。だから、新学期は同じ学校だよ。」


「私は、こはる。5年生。あなたは、ぼう君?何年生?」


学校の奴等に女みたいな名前だ。と言われてから名前で呼ばれるのが嫌いだ。

名付け親も嫌いだ。理由は違うけど。

ばあちゃんの友達は皆、優しいから好きだ。

坊と呼ばれるのも好きだ。


「ぼうでいいよ。5年生。」


サイレンが鳴っている。先生も帰れと言ってたな。光化学スモッグか。

太陽は、みるみる高度を上げ容赦無く脳天を攻撃してくる。

北風と太陽は真夏に戦えば間違いなく太陽が勝つ。


「ねぇ、私んちの裏山ってさ、何かおかしくない?

夜中に変な音が聞こえるの。」


きっと、それは野犬だ。東京者には分からないだろうけど、山には野犬が住み着くものだ。


じいちゃんもよく言っている。

山の神さんは、皆に平等だ。ええことも、悪いことも全部見とるし、聞いとる。それは、人間に限った事じゃのうて、向こう側に住んどる者も、みんな平等だ。


「ふーん。音ね。オバケじゃないの?山の中には小屋もあるし。あと、墓とか防空壕もあるからな。そりゃオバケだよ。御愁傷様。」


わざとらしく手をブラブラさせて、道化になった。

こはるは、ケタケタ笑った。

カーブミラーが反射して笑顔がキラキラ輝いた。


「そうだ、日が暮れたらさ、肝試し行こうよ。お父さん、今日は遅くまで帰ってこないって言ってたから。」


「えっ、二人で行くのか?」


「怖いの?」


「馬鹿かぁ。怖い分けないじゃん。」


じゃあ、決まりね。と。



今思えば、格好をつけなければ良かった。


夜になるまで、時間が有り余っていた。自転車の後ろに、こはるを乗せて市内をぐるぐる周回した。


それにしても子供の姿が見えない。軟弱なやつらめ。スモッグなんぞにビビりやがって。女の子を荷台に乗せた勇姿を見て、ひれ伏す姿が目に浮かぶ。


集会所の前を通ったら、円陣を組んでる集団がいる。その愚直な信者の視線はイエス様に。

俺は気付かれないようにそっと通りすぎようとした。

油断大敵。一人の信者が叫びを上げた。


「雪ちゃん、雪ちゃん、見てよほら、坊よ。坊ちゃん。むすめっこさ乗せて。ありゃまぁ。雪ちゃん。」


ばあちゃんが、ひょっこり顔を出した。

しまった。イエス様に見つかった。

じゃあ、私帰るでな。ほいじゃね。

信者に手を振りニコニコして歩いてくる。


「こんにちは。あんた見ない子だね。坊のお友達かいな。えらい賢そうな子やね。」


「初めまして。こはるです。最近越してきました。よろしくお願いします。」


三人で家に帰った。ばあちゃんは一瞬にして、こはるの個人情報を聞き出していた。


こはるは偉いのう。お父ちゃんと二人なんか。家の事も出来るなんて、立派やのう。

この坊はなぁ、お父ちゃんもお母ちゃんも、おるんやけど

ワシと、じいさんと三人でおるんよ。まあ、何も無い家やけど、ゆっくりしてきやさい。


玄関を開けると、運動靴があった。じいちゃんは雪駄だからな。大家さんか、自治会長さんでも来てるんかな。

誰かおるんかー。ばあちゃんが声をかけた。

居間から痩せた男が顔をだす。


「よお、母さん。邪魔しとるで。」


ばあちゃんの顔が曇った。二人を庇うように手を広げる。スーツを着ているが、長い髪のせいで薄気味悪いこの男。

じいちゃんの言い方だと、「頭の良い馬鹿。」

次郎あんちゃんだ。


─こんな田舎から、東京の大学に行くなんて行く末    は、総理大臣だか、学者先生にでもなるんやろ。雪ちゃんに似て秀才やね。。

ばあちゃんの自慢の息子。

じいちゃんの自慢の息子。

おとうちゃんのかわいい弟。

だった人。


ヘルメット被って、火炎瓶もって挙げ句、人を殺した「頭の良い馬鹿」。

革命だか、開放だか知らんが家族に迷惑かけて、世間に迷惑かけた「頭の良い馬鹿」。


「....いね。.....はよ、いね。」


「なんだよ、ずいぶん嫌われたもんだな。俺も。遠路遥々、帰って来たのに、いなくなれってか。」


よたよたと、次郎あんちゃんはこちらに来る。その表情からは何も読み取れない。

ばあちゃんは、俺たちを壁際に押さえ付け鋭い眼光で睨み付けている。


「またくるわ。」


黒い外国車に乗り込み、次郎あんちゃんは走り去った。


「こはる、堪忍な。気悪くせんといてな。よし、ライスカレー作ろ。手伝ってくれるか?雪路ばあちゃん特製品やで。お父ちゃんの分も作ったる。」


「ばあちゃん、ゆきじって名前なの?可愛いね。教えて特製ゆきじライスカレー。」


二人の賑やかな笑い声。カレーの良い匂い。穏やかな時間だ。


─連続幼女誘拐事件の続報です。八雲市内に住む女児が、同市、せせらぎ川の河川敷で遺体となって発見されて一ヶ月が過ぎました。昨日、警視庁は特殊科学捜索隊を発足しました。なお、八雲市には他にも行方不明の女児が居ます。事件との関係があるものと見て捜査をしています。


「あっ、今お父さん映ってた。」


ライスカレーを運んできた、こはるがテレビを指差した。


そういえば、市内で誘拐がおきていた。八雲市といっても、南部の児童が被害にあっていたので、北部の地区に住んでいる俺はあまり関心が無かった。


「カレー食うたら、こはるを送ってやんな。なんや物騒やからな。鍋、持っててな。お父ちゃんにも頑張ってもらわな。」


ばあちゃんと、こはるは、すっかり意気投合していた。じゃあ、そろそろ帰るね。ご馳走さまでした。


「毎日、おいでな。ばあちゃん、あんたが気に入った。なんなら、うちの子になったらええ。」



自転車のカゴに鍋、荷台に、こはる。

暗闇の畦道に二人で吸い込まれていく。


警察官舎までは、たいした距離ではない。学校脇の用水路を渡ればもうすぐだ。


(キャー......キャー.....キャー.....キャー.)


思わず、自転車を止めてしまった。なんだ、猿かな?

山には猿もいるが、滅多に里には来ない。


蛍光灯の街灯が、チラチラしていて余計に怖い。

山の方を見ると、野球グラウンドの便所が少し扉を開けている。


「さっきの音って、あの扉だろ?」


「そうかもね。ところでさ、行くんでしょ?肝試し。」


....嘘だろ。この雰囲気は駄目でしょ。怖くないのか?


「い、行くよ。怖いならやめても良いけど......」


こはるは、ずんずん進んで行ってた。俺は走って追い越した。山を舐めるな。強がってはみたが、我ながら挙動不審だった。


この山は、標高は500メータ程で、頂上には水道局の建物がある。高さの割には面積があって、森には動物やカブトムシなどが生息している。


「ぼう、あれ何かな?小さい子じゃない?」


こはるが見つめる先は、道から森の奥に向けられてる。俺もじっと見た、確かに闇夜に小さな人影があ

る。


向こうもこちらを認識したのか、不意に踵を返すと、ガサガサ音をたてて、森の奥に走っていった。


「あれ、おかしくないか?」


只でさえ、山に幼児がいるなんて事はない。ましてや闇夜に森に入るなんて、危険すぎる。


自転車のフレームに針金で巻き付けた懐中電灯を外した。後ろから照らして、ついてこい。こはるに懐中電灯を持たせ、勢いよく茂みに飛び込んだ。


昼間は何回も入っていたので、大体の場所は分かっていた。草を掻き分け、枝を潜り、進んでいく。


あの子が、地元の子なら、向かった先はきっと、トタン小屋だ。


土建屋が放棄した小屋に、子供たちが色々なガラクタを集めては、基地として使っていた。皮張りのソファーを拾ってきた時は、お祭り騒ぎだった。


やっぱりその子は、小屋の前に立っていた。赤いジャンパースカートを着ている。

こちらに背を向けて立っているので、顔は分からないが多分、5歳位だろう。


「どうしたの?大丈夫?迷っちゃったなら、おねえちゃんと、一緒に帰ろう?」


こはるの問いかけに、反応したのかその子が、

ピョンと、小さくジャンプした。。


─ピョン......ピョン....ピョン..ピョン.ピョンピョン


ジャンプの感覚が狭くなり、どんどん早くなってる。

あんなに激しく動いているのに、体が全然ぶれていない。

ジュースを手に持って、激しく降っているように固まったまま上下に動いてる。


こはるの顔が強ばって、泣きそうな、なんとも言えない表情をしている。


「なに....あの子.....」


握り潰されそうな心臓を鼓舞して俺は、女の子に近づいた。

目の前でジャンプをしている。風圧は感じるんだが、足音が全くしない。激しく動いているのに、まったく呼吸の音もない。静寂だった。


バタン!!


突如、小屋のドアが開いた。女の子が中に吸い込まれた。

俺は思わず手を繋いでしまった。まるで、おっさんのようなゴツゴツした手だった。


手を握られたまま思い切り床に叩きつけられた。

何度も、何度も、何度も、叩きつけられた。

俺は、空気人形のようにブンブン振り回されていた。

頭を持たれ、床に叩きつけられたとき、うっすら運動靴が見えた。


「かわいいねぇ、かわいいねぇ、あははははは。」


全身が痛い。俺は床に転がっていた。


みんなで運んできたソファーに、こはるが手を縛られて張り付けになっている。

時々、チカチカ光っているのはカメラのフラッシュだろう。なんとか首を動かすと太ったおっさんが夢中でシャッターを切っている。


「おじょうちゃん、かわいいね。お兄さんの事も好きになるよ。きっと、絶対だよ。大丈夫だよ。おとなしくしてればいいよ。」


こはるは、何も言わなかった。

叫びも泣きもしなかった。

ただ、口をぎゅっと閉じて硬直していた。


「お兄ちゃん、頑張って。。」


微かに、女の子の声が聞こえた。


おっさんは、気が付いていないが天井から細い腕が垂れ下がっている。おっさんがベルトを緩めて、こはるに近づいたとき、天井の腕がおっさんの首を絞めた。


宙吊りになったおっさんの所まで、俺は転がった。

ポケットから、癇癪玉かんしゃくだまを取り出しておっさんのパンツに流し込んだ。


─パーン..........


転がっていた板で、俺は思い切りおっさんの股間を叩き潰した。

煙と肉の焦げる臭いが鼻をついた。


天井の腕は、いつの間にか居なくなっていた。

こはるが俺にしがみついて泣いている。


ボロボロの俺達は、なんとか山道の所まで出てきた。


「こはるー!!!!!」


ばあちゃんが、大声で叫んで走ってきた。涙でぐちゃぐちゃになった。


「坊、おまえ、次こはる泣かせたら、許さんで。」


「わかってら。」



その後、警察が着て俺はパトカーに産まれて初めて乗った。

救急車におっさんが乗せられて行くのをパトカーの中から見てた。


「こはるを守ってくれてありがとう。」


俺は、この日、自分の人生を決めてしまった。

髭ずらの親父さん、そして、横で眠ってる最愛の人。


─速報です。連続幼女誘拐事件の犯人が逮捕されました。所持していたカメラを現像したところ、二名の女児が確認されました。犯人の供述により八雲市北部、岩沢町の松江山にある小屋を捜索したところ、女児の遺体が天井から発見されました。河川敷の女児殺害も認めているそうです。─



あの日以来、次郎あんちゃんは暫く来なかった。


じいちゃんの事も話したいけど、それはまた別のお話


















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怪談日和 (楓トリュフ 短編集) 楓トリュフ @truffle000

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