移ろいゆく色の世界に住む君に

黒井真(くろいまこと)

移ろいゆく色の世界に住む君に

 大学の学生食堂の構造は無慈悲だ。食堂内でのたわいないやりとりの声をよく響かせる。


「あれ? 今日のトマト、ちょっとゆぶみ色がかっていますね?」

 学生が、定食のトレイを受け取りながら、調理スタッフの女性に無邪気に声をかける。声をかけられた女性は、困ったような顔をする。そうして、声をかけた学生は、横にいた友人に小突かれる。

「ああ、すいません」学生はひと言言い捨てて、なんでもないような顔で定食を持って席に着き、さらに他の友人たちと合流し、楽しいランチの時を過ごす。


 今日も彼らは、彼らの眼に見えるものについて語る。私たちには同じものが見えていないという事実は、彼らの眼には見えていない。

 グループの一人の声が、私の耳に届く。

「社会なんてもともと分断していたのよ。人が集まれば、より価値観の合う人同士で集団を形成する。分断されるのは当然なんだわ。それを前提としなくちゃ」

 私は荷物を持って食堂を出た。最悪な気分だった。漏れ聞こえてきた話の内容だけでも十分に不愉快だったが、さらに最悪なのはあのグループの中に彼女がいたことだ。


 私が通うのは、学力試験さえパスすれば誰でも進学できる公立大学だ。昔は公立の大学でも「学費」を支払わなければならず、一部のお金持ちしか大学へ進学することはできなかったそうだけれども、今は違う。格差社会から生まれる分断を止めようと、政府が最低賃金の引上げ、教育の無償化、生活保護が必要だけれども申請手続きが出来ない人への支援などの各種施策を行ってきたからだ。


 しかし、3/4世紀前に一般化した宇宙旅行は、一度は無くす方向に動き始めた経済的格差と分断を、再び推し進めた。宇宙旅行ができる富裕層と、できない貧困層とに。

 宇宙旅行の際に浴びる宇宙放射線が、客たちの遺伝子に突然変異をもたらしたからだ。その影響は主に眼に現れて、宇宙旅行に行った人々の子供や孫たちの色の見え方に変化をもたらした。


 もちろん全員ではない。そもそも、宇宙旅行が本格化する前に宇宙に行った宇宙飛行士達の子孫には、それらの変化は起こらなかった。おそらくは宇宙旅行に加えて何か別の因子――食べ物や環境といったもの――による複合的な要因があるのだろうと言われているけど、その原因はまだ解明されていない。


 また、その変化がなぜ「眼」に起きたのかという点については、人間の眼が他の生物に比べて進化の度合いが低く、未だ進化の途中であるという説が今のところ有力だ。つまり、宇宙旅行によって浴びた放射線と、ほかの要因が、本来の進化を加速させている、ということらしい。


 自然科学は残酷だ。政治主導でなんとかゆっくりと軌道修正してきた社会の分断を、あっという間に推し進めてしまったのだから。絶対的な、物理的な力で。


 しかしそれよりも残酷なのは、一部の人々がそれを好ましい変化として受け入れたという事実だ。つまり、宇宙旅行に何度も行くことができる生粋の富裕層を、その他の人々から区分するために重要な目印になると考えたのだ。


 そうして、人類は再び分断の時代を迎えた。

 私だって、あちらの世界に入りたかった。彼らのように、彼らだけにわかる言葉――例えば、彼らだけに見える真夏日の緑色――ゆぶみ色と彼らは言っている――とか、秋の朝方の空の色――シュウソ色――とか、彼らが暑苦しいとか美しいなどと言っている色を、自分の眼で見てみたいと思っていたのだ。


 そう思うようになったきっかけは、彼女だ。

 あの日、「それ、綺麗な色ね」と声をかけられた。

「そのアイシャドウ、とっても素敵なスヒマ色ね! どこのブランドの?」

 自分自身、いい色だなと思って買ったアイシャドウを褒められて、私は舞い上がってしまったのだ。自分の色の選択を認められたことが嬉しかった。この眼でも大丈夫と言われた気がしたのだ。私は彼女ともっと話して見たかった。ただ、共通の話題で、普通に話したかった。


 だから私は、あえて自分から<見えていない>ことを話さなかった。別に隠していたわけではない。

 けれども先ほどのような会話を聞くと、私たちは身体の機能によって決定的に分断されているということを痛感させられる。

 人間は持って生まれたもの、生まれたときから物心つくまでにそこにあったものを、前提条件であり、是であり、正しいものだと考える。所有物、思想、自身の肉体、社会システム……etc。その前提条件を覆すのは難しいし、大変なのはわかる。けれども、だからこそ異なる価値観を持つ人と対話することが必要なんじゃないか――そう言いたかったけれども、私はそれを口に出して言うことができない。

 もしも、私があちら側の人間なら、言えただろう。けれども、こちら側にいる私がそれを言えば、それはみじめな敗者の遠吠えになってしまう。だから私は、黙って彼らの言葉を聞いているしかない。


 同じものを見ているはずなのに、見えているものが違うという残酷な現実を、気にもしない世界――。

 壁があることすら忘れられてしまったら、壁の外に取り残された私たちはどうしたらいいのだろう?


 午後の講義までは少し時間があったが、私は誰の話も声も聞きたくなかった。逃げ込むように図書館を目指す。が、逆向きの人の流れにぶつかり、行く手を阻まれた。

 ――何?

 なんだか、一斉に、というよりも次々に人が図書館の入り口から吐き出されてくる。出て来た学生たちの口から「日蝕」の言葉が聞こえた。

 そうか! そう言えば朝からテレビやネットニュースで言っていた。丁度これから始まるらしい。


 私の足は自然と、人の流れに付いて行った。色は共有できないけれども、明度の変化なら違う眼を持つ彼らとも経験を共有できる――そんな考えが、私を戸外へと連れ出したのだ。


 キャンパス内の芝生や駐車場に、学生たちが集まってくる。その中にまぎれて空を仰いでいると、背後から声がした。

「これ、使って」

 彼女だった。スヒマ色のアイシャドウを褒めてくれた彼女。その手には日食観測用の簡易サングラスを二つ持っていて、一つを私に差し出している。

 一瞬、及び腰になったが、彼女は気にしない風で、辺りを見ながら「色が変わっていくわねぇ」と続けた。


 そうだ、彼らの色の見え方が私たちと違うのは、彼らの眼の紫外線認識能力に起因すると聞いたことがある。ということは、紫外線量、つまりは太陽光線の量によって色が変わって見えるのだ。

 私は、改めて彼女と自分の違い感じた。そうして、そのことに何の配慮もなく言及する彼女を腹立たしく思った。


「私は、色は変わっていかないと思う。明るさは変わるけど」

「ああ……あなたは……そうだったのね」

 無言の時間。太陽が徐々に削られ、辺りは暗く、かげってゆく。彼女がぽつりと言った。


「ごめんなさい、私、あなたなら解ってもらえると思ったの」

「何を?」

 何を解るというのだろう、私たちの間には、どうしようもなく越えられない壁があるというのに。

「私たちの眼は、時間の経過とともに色が変わってしまう世界を見ている。それって、時間を超えた共通の認識を持てないってこと」

「時間を超えた共通の認識……?」

「そもそも私たちの眼がこうなってしまう前から、他者の眼に見えているものと自分が認識しているものが同じだという証明はできていなかった。

 例えば、色の名前だって、鉱物、花や果実などの植物、生き物などから名付けされた。言葉で共有できるのは、この色はあの鳥の色に近いとか、この鉱石の色に似ているという部分までで、<絶対的な色の認識>というものは共有できない。だからこそ、花や鳥から名前をつけて、同じ<印象>を共有していた。

 けれども、その基準となるものも日の傾き具合や天気なんかで簡単に変わってしまうなら、いつ、どの瞬間に、どんな天気の時に見た鉱石の色なのか、どんな条件下で見た花の色なのか……細かく決めていかないと、共通のものになり得ない。でも、それって不可能でしょ?」

「……」


 私は辺りを見回した。それはそうだ。紫外線や太陽光の量で色が変わる世界は、目まぐるしく変わる。変わり過ぎて、どの瞬間の色を言っているのかわからなくなるだろう。


「必死になって新しい色の名前を作っていたって、どこかで『これは本当に共通の認識なんだろうか』って不安に思っている。

 私たちのような眼を持つ人たちの中に排他的なことを言う人が多いのは、きっとそのせいもある。誰かを敵にすることで、相手が自分が同じ側にいるって安心感を得ているんだと思う。

 私たちの世界は、他人との認識の共有が難しくて、つながりが脆い。儚い共通認識と、不確かな関係の世界」

「……」


 そんなこと考えてもみなかった。先ほど学食で叫びたてていた女学生を思い出す。彼女は、いや彼らはみな、私が想像もしていなかった不安定感の中で生きていたのだ。


「どうして、私がそれを解ると思ったの?」

「うーん……解って欲しいと思った、と言った方が正しいかも。あなた、色の選び方とか、色彩センスに、拘りがあるように見えたから……あなたとなら、印象を共有したいなって思ったの。だから、あの日、思い切って声をかけた」


 拘りではない。意地だ。私自身の世界を、私の眼に見える世界を、せめて美しい色で整えたかったのだ。みじめさから抜け出すために。

 でも彼女はそれを、美しいと感じてくれた。違う色を見ているはずなのに――。


 暫く考えて、日食も佳境になった時、私は彼女にこう提案した。

「ねぇ、あの空の色に一緒に名前を付けようよ。私とあなただけの、二人だけの名前」


 同じ色を認識することはできなくても、この瞬間の経験は記憶として共有できる。その記憶と、一緒に付けた色の名前は、きっと私のこの想いをこの先もずっと留めおいてくれるだろう。


 ――多分私は、あなたの眼に映る色も好きだよ。見えないけど、でも、きっと。

(了)

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