下 (2)

 ヨーコさん?嘘、嘘でしょ……??


 膝が、身体の重さを支えきれず、ガックリと折れ曲がる。

 この世界に飛ばされて、最初に助けてくれたヨーコさん。馴れないこの世界での生活を、いろいろ教えてくれたヨーコさん。水道水問題に取り組むとき、現地の人々の協力をとりつけてくれたヨーコさん。選挙に出るときにも、背中を押して力を貸してくれた……。

 思い出が、涙と共に溢れ出す。

 声を抑えることなんて、できなかった。


「……めです。申し訳ありませんが、こちらのカバーを着けて頂いて」

 告別式会場に来ると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「…あ、ミナモト先生」

「あ、アラタ教授?どうしてここに」

 忘れもしない、あの風貌。

 あのムロアラタ教授がなぜこんなところに。

「いえ、私も、彼女にお世話になっていましたから」

「ヨーコさんに?」

「ええ。結局新型発電所の何が不安か、地元住民の声一つ一つが知りたくて。それを集めるのに協力して貰ってたんです」

「……まだそんなことを」

「まあ、地元住民の視点という大事な物が欠けてたなと、貴方を見て気づいたので。でもすぐ、こんなことになってしまって……。とても残念で仕方ありません」

「……のせいです」

「え?」

「私の……のせいなんです」

 ――お母さん、また私、守れなかった。

 あの悲劇は繰り返さないと誓ったはずなのに。大切な人を失いたくないと心に決めたはずなのに。

「いや、貴方のせいという訳では」

「私が、ちゃんと対応策をとってこなかったからです。もう私は辞めるしか」

「馬鹿なことを言いなさるな。今ここでトップが逃げ出してどうするんです」

「……じゃあ、どうしたらいいんですか?」

 ヨーコさんを失った悲しみか、自分の無力さへの失望か、その声は情けないほど涙ぐんでいた。


「もう少し、科学を信じてみてはいかがですか」

 そう言って、告別式の後、彼の事務所へ連れて行ってくれることになった。

 ――もう覚悟は、決まっている。

「あっ、教授、お帰りなさい。えぇっとその人は……もしかして」

「お客様だ。至急、みんなを集めてくれ」

「はい、分かりました」

 学生と思われる青年は、ムロ教授に言われるとどこかへと駆けていった。

「ここが最近私が出入りしている研究所です」

「何の研究を…?」

「ワクチンです。止められても、気になったらやめられないのが研究者でして。彼らの取りまとめをしています」

 ああ、やっぱり。彼らはちゃんと対策へ向けて動いていたんだ。

 それに比べて私は――。

「あの」

「はい?」

「以前、あんなことを言って、失礼を承知なんですが、力を、貸して頂けませんか」

「……それは、皆さんにお願いしてみて頂けませんか?」


「研究員のみんな、忙しいときに集まってもらって済まない。ただ、重要な来客があって。こちら、内閣総理大臣のミナモト先生だ」

「皆さん、はじめ…まして。内閣総理大臣の水素みなもとスイです。今日はお願いがあって――」

 スゥと小さく深く息を吸う。

 いや、違う。順序はこうじゃない。

 息を吐くと、言葉を続けた。

「いえまず、皆さん、今までワクチンの研究を抑圧していて、ごめんなさい。そして正しい科学に向き合って来なくて、ごめんなさい」

 深く、頭を下げた。

「……そして、誠に勝手ですが、お願いがあるのです。この伝染病収束のため、皆様のお力を、貸しては頂けないでしょうか?」

 大勢の研究者が集まった部屋が、しんと静まりかえった。

「……今まで散々予算絞っておいて」

「はい」

「俺たちの言うこと否定しておいて」

「はい」

「今更協力しろっていうのかよ!お前が無能なせいで、もう何人も死んでるんだぞ!!」

「……はい。そのためなら、何でも…しますから」

「先生はいいんですか!?これで」

「チボ君、気持ちはわかる。でもね、そこで君が怒ったって、亡くなった方々は帰ってこないんだよ。それとも、君が拒絶し続けて死者数を増やすかい?」

「ぐっ……」

「科学者の仕事は、誤りを指摘し真実へ近づいていくことだ。ミナモト先生は誤りを認めた。次は我々が成果を発表する番ではないのかね」

「……先生がそれでいいのなら、私たちはいいです」

「済まないね、チボ君。……ミナモト先生、そういう訳だ、説教は後、素早い自体の収拾に向け、協力させてもらう」

「……皆さん、ご協力ありがとうございます!」

「ただ、まだ研究が終わってるわけでもない。今から作り始めるとしてもワクチンが出来るまで時間はかかるぞ」

「そういえば……」

 元居た世界では、新型ウイルスに対しても速やかに対応していなかったか。

「なんだ?」

「あ、RNAをそのまま打ち込めないかと……」

「RNAを、か。ふむ……面白いアイデアだ。それなら開発期間が短縮できるかもしれん。でもそのためには……あっ、そうか」

「ムロ教授?」

「ミナモト先生、さっき何でもするっておっしゃいましたよね?」

「え?えぇ、まあ」

「でしたら、先生。貴方の血を下さい」

「へ?」

「あれだけ患者に寄り添っていたミナモト先生です。血液を採取することで、原因ウイルスや抗原に関する情報が得られると思って」

「…ああ、なるほど」

「罹患した方々に寄り添う、それはそれで、大事な仕事ですよ」

 そう、ムロ教授は柔らかに微笑む。

 そうしてワクチン開発は、急ピッチで進められた。


 ワクチンが完成した。

 その報が入ってくるや、政府内は歓喜の声に包まれた。

 そんな中、私は急遽記者会見を設定する。

「国民の皆様、お待たせしました。昨年から広まっているこの感染症のワクチンが、ついに完成しました」

 研究者たちは、きちんとワクチンを完成させてくれた。

 私がやれること、やるべきことは、これだ。

「皆様、この新規ワクチンに対して、副作用の心配など持たれているかと思います。でも、ご心配いりません。その証拠に、今この放送中に、私はこれを注射いたします」

 キュッと腕を捲る。

 白衣の看護師が、注射器を携えて隣に立った。

「それでは打ちます。チクッとしますよ…」

 左腕に、刺激が走る。

「はい、大丈夫です」

「では薬液を入れていきますよ……はい、終わりです。お疲れさまでした」

「このように、こちらのワクチンは人体に打っても安全です。皆さんで集団免疫をつけて、この感染症に勝利しましょう!!」



「ミナモト先生、素晴らしい演説でしたよ」

「いえいえ、ムロ教授。研究者の皆様のお力があってこそです。それに、接種はまだ始まったばかり、私たちの戦いはこれからです」

「そうですね……。でもね、ミナモト先生には感謝してるんですよ。……私たち研究者は、どうしても国民に訴えかける能力が疎かになりがちだから。国民に寄り添って考えられる、ミナモト先生は貴重な人材です」

「ありがとうございます。私も。きちんと科学を突き詰めてくれる皆さんがいて、本当に助かりました」

 ――お母さん、科学はやっぱり偉大だったよ。きちんと扱えれば、大きな助けとなる。

 遠回りして、不必要な犠牲を出してしまった。この責任はいつか取らなくちゃならない。

 けれどなんとか、事態収拾への一歩を、踏み出せた気がする。


 願わくは私の元居た世界も、似非科学等に振り回されずに、正しく科学を取り扱えていますように。そして上手く科学を活用して、問題を解決できていますように。

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みなもとスイ と 異世界科学 ずまずみ @eastern_ink

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