57・受諾

 授与式が終わると、集まった騎士は全員謁見の間からそそくさと出て行った。

 通常なら王太子の側を離れる事のないベリタスとセーラムまでがすでに姿を消している。おそらく気を利かせて出口で待っているのだろう。

 カイルラーンと二人で取り残されたアレックスは、人がいなくなってようやく背後を振り返った。

 見上げれば、不機嫌そうに眉を上げてこちらを見つめる王太子の顔がある。覗き込んだその瞳に、己の顔が映りこんでいる。

「もう、良いのか? 傷は痛まないのか」

「まだ少し違和感はございますが……ほとんど痛みはなくなりました」

 アレックスの言葉に、安心したような表情を浮かべた。

 大きな手が顔に伸びてきて、その人差し指の第二関節が頬を撫でる。

「本当にお前は無茶ばかりする……あまり心配させるな」

「申し訳ございません」

 そう言ったアレックスの頬を、開いたその手が包み込む。

 ほんの少しだけ首を傾けるようにして預ければ、武人特有の厚く硬くなった掌を介して、暖かさが伝わってくる。

「それに、授与式が終わったらもう一度俺から求婚しようと思っていたのに、台無しだろうが」

 明らかな不満顔でそう言ったカイルラーンに苦笑する。

「わたくしは殿下の騎士でございますので……騎士の一番の褒美と言えば、古来より姫と相場が決まっておりますでしょう?」

「俺は姫になった覚えなどないのだがな……むしろ、お前の方が俺の姫だろう」

「残念ながらわたくしは女の身でございますゆえ。殿下は正真正銘の王子様ですから、物語サーガの英雄の役は譲って差し上げます」

 得意気な表情をして恩着せがましく言ったその言葉を混ぜ返す事もできるが、今それをしても意味がない。それに、結局はそれすらも愛しく感じてしまう自分は重症なのだろう。

 頬から手を離し、カイルラーンは片膝を折って跪いた。そして、アレックスの手を己のそれで取る。

「愛しの我が姫、どうか私と結婚してください」

 ふわり、と美しいかんばせがほころぶ。

「はい、わたくしで良ければ喜んで」

 了承の言葉を受けて、カイルラーンはアレックスの手の甲にくちづけた。

 

 

 覗き見のようで居心地が悪いが、職務上目を離す事はできないのだから仕方がない。

 誰が好き好んで惚れた女が求婚される様など見たいものか。

 玉座に近い位置にいる二人とは距離があるからはっきりと会話の内容までは聞き取れないが、アレックスのあの顔を見ていれば結果は分かる。

 もちろん、王に向かって自ら王太子妃の席を褒美によこせと言ったのだから、あの麗しい想い人の返答などその時点で決まっている。

 泣き腫らして執務室に出勤してきた時点で、王太子との勝負に負けた事は直感で分かっていた。尤も、あの主相手には最初から勝負にすらなっていなかったのだろうが。

 分かってはいたが、こうしてそれを目の当たりにしてしまうと、徒労感から深いため息が漏れそうになる。

 それをぐっとこらえて、主の求婚が終わるのを待つ。

 おそらく今自分は死んだように濁った瞳をしているだろう。

「今日の帰りは私に付き合いなさい」

 自分と同じく反対側に立って主を待つベリタスが小声でそう言った。

「ここのところずっと忙しかったですし、早く帰った方が良いんじゃないですか?」

 ご家族が待っていますよ、と遠まわしに伝える。

「忙しかった分やっと息抜きができるんです。明日は公休ですし、多少帰宅時間が遅くなっても問題ありません。遅くなりましたが約束通りエールをおごってあげます」

 先輩なりに気遣ってくれているのだろうから、ありがたく誘いを受けておくべきだろう。

「燻製肉もお願いします」

 この男の事だから、エール一杯どころか支払いの全てを自分がするつもりで誘って来たのはわかっているが、減らず口を叩いてしまうのは後輩の性だろうか。

「肉程度で失恋の傷が癒えるなら、今日は奮発してあげましょう。私は優しい先輩なので」

 案の定傷口に塩を塗りこむ勢いの反撃が来たが、悪い気はしなかった。

 しばらくは引きずるだろうが、ぐうの音も出ない程の負けを味わってしまえば、いっそ清々しい程にあきらめもつくと言うものだ。

「優しい先輩は傷口をえぐりません」

 そう言って、男二人は苦笑いを浮かべた。



 王家の直轄領であるハシャトリムの人気のない深い森の奥に、建国以前のアレシュテナ聖教国時代より、罪を犯した王族が眠る墓地があった。

 うっすらと雪の被る苔むした石畳が円形に敷かれたその最奥に、数基の墓石が並んでいる。

 現世で罪を犯した者であっても、死を以てそれは赦される。それでも、愚王と呼ばれたカフや、正史に不名誉な名を残した者たちは、その罪の重さから通常の墓地に埋葬する事はできなかった。

 革命に失敗したアルフレッドの亡骸もまた、真っ黒な霊柩馬車ハースでこの地へと運ばれて来た。

 その後ろに、王家の紋の入った箱馬車ランドー二台と、アレトニア公爵家の紋の入った箱馬車が連なる。その周囲を、馬に乗った近衛が固めている。

 アルフレッドは反逆者ではあったが、神の世界へと召された今は王族の末席に連なる者だ。罪人ゆえ通常の葬儀のように参列者はいないが、親族が旅立ちを見送ってやるのが習いである。

 馬車は石畳の上でゆっくりと停止し、ハヴェンの星の入った紫色の布で覆われた柩が御者二人がかりで下ろされる。

 真新しい墓石の前には、既に柩一台分の穴が口を開けていた。

 それぞれの馬車から降りてきたのは、王と王妃、王太子と第二王子、それにシャルシエルとアレトニア聖教法王サミュエルである。それぞれの警護役である近衛は馬を降り、事前の打ち合わせ通り持ち場に立った。彼らの上着の襟元には、黒いリボンが付けられている。

 黒い喪服に身を包んだ王族のなか、法王サミュエルの祭服の白さが際立つ。首から掛かったストラは、ハヴェンの星の色である紫だった。

 アレトニア聖教において死を表す黒は存在しない。ヴァルキュリアが分離された五百年前の様式である黒い喪服は慣習として残ったが、サミュエルは法王ゆえに黒を身につける事はない。

 葬送で読み上げる経典は、天に召された魂が浄化され、再び生まれ来る事を願って朗されるものだ。

 穴の中に降ろされた柩の上に、シャルシエルの手で真新しいアレトニア聖教の経典が置かれる。現世で背負った深い業肉体を脱ぎ捨て、経典に記された教えを唱えながら神の座所への旅路を歩むのだと言われている。

 サミュエルは柩に向かって一礼をし、左手を胸元に、右手を柩の上に掲げて経典の一節を読み上げた。


 神は述べられた 

 人は生まれながらに罪を抱き 

 生きる事で罪を償い 

 肉体を手放すことで その贖罪を終える

 御前に還る事で魂はやすらぎ 喜びを知る

 ひと時の眠りは歓喜である

 苦痛から放たれた肉体は揺籃ゆりかごである と 


「アルフレッド・ハヴェン・ドゥ・アレトニアにひと時の休息を」

 サミュエルの言葉に、列席者全員が「ひと時の休息を」と続けた。

 柩を下ろした御者の手で、柩の上に土が被せられる。 

 その光景を黙って見守っていたヴェールの下のシャルシエルの頬に、一筋の涙がこぼれ落ちて行った。

 葬儀が終わってそれぞれが馬車に乗り込むタイミングで、カイルラーンはシャルシエルを引き止める。

「そなたに話しがある。帰りの道中で話したい」

「承知いたしました」

 サミュエルを公爵家の馬車に乗せ、サルーンとディーンに同じ馬車に乗るように伝える。

 カイルラーンは母とシャルシエルの三人で同乗する事となった。婚約者以外の未婚の女性と二人で同乗する事はできないからだ。

 馬車が動き出し、車輪が落ち着いて回り始めたのを待って、カイルラーンは口を開いた。

「爵位の取り消しをした以上、すでに母御も亡くなっているそなたが頼る事ができる者はいるのか? 母御か姉君の親族に養女として迎え入れられる事はできそうか?」

 アルフレッドが普通の亡くなり方をしていればそれもできただろうが、逆賊になってしまった以上それは難しいだろう。

「いえ……今は家人の整理をしていてまだそこまでの事は……。ですが、わたくしはどちらも頼るつもりはございません。父のしでかした事は大きゅうございますから。わたくしは家財等を処分して市井に下りようかと思っております。しばらくは手持ちで繋ぎながら、住み込みのガヴァネス家庭教師の職でも探すつもりです」

 そう言って、シャルシエルは口元まで覆うヴェールの下で諦めたように笑った。

「その事なのだがな……もしそなたさえ良ければ、俺の子の教育係をするつもりはないか? 先だって、ようやくアレックスとの婚約が成立してな。生家で教育されているとはいえ、アレックス自身は王家と臣下の複雑な繋がりは未だ不慣れゆえ、近くに相談できる相手がいれば心強かろう。その点そなたなら長年王族として中央に近い場所にいたし、同い年で女だからあれの側に置いて問題ない」

「アレックス様は女性になられたのでしたわね……。わたくしにはありがたいお話ですが、大丈夫なのですか? アレックス様の側に逆賊の娘など置いては、それが原因であの方が攻撃されかねない」

 シャルシエルの言葉に、並んで座った王太子と王妃が同時に笑みを浮かべた。

 親子ゆえ色合いも似ているが、何よりもその表情がそっくりだった。

「あれがその程度の事で病むような女ではない事はそなたも知っているだろう? 不当にあれを攻撃してみろ、今度は王太子妃の権を余す事なく使ってやり返すに決まっている」

 王太子のその言葉に、隣に座ったリカチェが楽しげに笑っている。

「そういえば、負けず嫌いでございましたわね」

 シャルシエルのその言葉に、リカチェはたまらず吹き出した。ホホホと笑ってから、先を繋げる。

「アヴィは良い性格をしているから……そなたあのじゃじゃ馬の手綱を握れるのかえ? カイルラーン」

 傍らの母の言葉に、カイルラーンは真顔になった。

「とりあえず、鞍を置けるようになるまで一年、と言ったところかと」

 女性ふたりは王太子の言葉に首を傾げたが、その言葉を当面の間は無理だという意味に受け取った。

「それでは、わたくしもじゃじゃ馬慣らしにご協力いたしましょう」

「頼む」

 王太子はそう短く返して、諦めたようにため息を一つ吐きだした。

 今更アレックス以外の伴侶は考えられないが、知れば知るほど苛烈な性分をしているから心配は尽きなかった。

「惚れた弱み、というものでございますわね、殿下」

 仏頂面になるカイルラーンを横目に、女性二人の楽しげな笑い声が馬車の中にこだました。



 アレックスがカイルラーンからの求婚を受け入れた事によって、速やかに後宮は解体される事となった。

 元々二年という期限付きで雇われていた下女は給与を満額支払われて解雇される事になった。行儀見習いで侍女として城に上がっていた者たちも、そのほとんどが同じように解雇されて生家へと帰る事になったが、女官長ナタリーとサラだけが、解雇の通達を受ける事なく城に留まっていた。

 二人揃って王太子執務室に呼び出され、王太子から雇用についての提案を受ける。

「ナタリー夫人、もしあなたさえ良かったら、保育士ナニーとして働く気はないか?」

「保育士、でございますか」

「子が産まれてからになるから、それまでは一度子爵家に帰ってもらうことになるが、為人の分からぬ者を側に置きたくないのでな。あなたは自分の子を育てた経験もあるし、妃の性格もわかっているだろう? 返事は急がぬゆえ、考えてみてはくれぬか」

「元々二年という期限付きでございましたし、一度夫に相談させて下さい」

「ああ、それで構わぬ」

 ナタリーとの話が終わると、王太子の視線はサラに移動する。

「サラ、そなたもこのまま城に残って内宮で働く気はないか? 戦の喪が開けてからの結婚となるが、もしそなたさえ良かったら、アレックスの侍女として召し上げたい。そなた自身の婚姻については充分に考慮する」

 今はまだ恋仲の相手いいひともいないし、父親も何も言ってこないが、誰かとの結婚話が持ち上がれば、それに関しては待遇について考慮してくれるという事だ。

 それならばもちろん返事は決まっている。

「喜んでお受け致します」

 サラは満面の笑みでそう返した。



 通常であれば年末に開かれる王家主催の夜会は、戦後すぐということを考慮して開催は見合わされる事となった。

 だが、福音の御子と呼ばれるアレックスと王太子の婚約成立は、国内に慶事として一斉に広まった。立場上王家が主催できないのなら、と宰相であるクロウェル侯爵家が主要な朝臣を招いての夜会を開催すると手を上げ、その会場でお披露目という運びになった。

 アレックスは王城からローゼンタール家に迎えに来た有蓋馬車キャリッジに乗って、王太子と向かい合ってクロウェル公爵邸へと向かっている。

 マダムカミナから贈られた夜会用のドレスを着込み、王家から貸し出されたベニトアイトの宝飾類と白うさぎのショールを身につけて馬車に揺られている。

 王家主催の夜会より規模は小さくなるとは言え、主要な朝臣が揃うのであれば、もしかしたらまた三人娘に会えるかもしれない、と楽しみで口元が緩む。

 後宮を去る時に挨拶をしたきり、忙しさにかまけて手紙すら出していなかった。

「随分楽しそうだな」

「ええ、久しぶりに友人に会えるかもしれないので」

「ああ、春の茶会で話したあの令嬢達か」

「はい」

 カイルラーンは着飾って化粧をしたアレックスの顔をまじまじと見つめる。

 視線が合って、アレックスはその視線の意味が分からず首を傾げる。

「どうかなさいましたか?」

「そういえば、お前が化粧をした顔を見るのはこれが二度目だと思ってな。いつもの近衛姿も良いが、この姿もよく似合っている」

 肩の傷の痛みはほとんどなかったが、王太子に無理をするなと言われて年内は療養し、官庁が動き始める一月の一週を待ってアレックスは仕事に復帰していた。

「あ……ありがとう存じます」

 仕事をしている時の口数は少ないくせに、こうして政務から離れると、とたんに饒舌になる婚約者に未だに慣れない。

 顔を見続ける事ができなくて、景色などほとんど闇に沈んでいる車窓に顔を向けてしまう。こころなしか、鼓動も早くなっている気がする。

 不意打ちのようにカイルラーンの白い手袋の両手が伸びて、ぐっと腰を掴まれる。驚いている間に、そのままクルリと回転させられて、隣の席に下ろされてしまった。

「殿下?」

 何事が起こったのか分からず、背を外側に倒すようにカイルラーンの腕に預けたまま、この状態を引き起こした男の憮然とした顔を覗き込んだ。

「顔をそらすな……やっと誰にはばかる事なくお前と一緒にいられるようになったと言うのに」

 そう言って口元に手をやり、気まずそうにあらぬ方向へ視線を流したカイルラーンに思わず吹き出す。

「ぷっ……ふふふ。わたくしだって恥じらいくらい持っているのでございますよ? 慣れるまでご寛恕くださいませ」

「俺を聖人君子か何かと勘違いしているのではなかろうな……これでも随分待った自覚はあるのだぞ。不用意にかわいい事ばかり言っていると、俺の我慢の糸が切れても文句は言わせぬからな」

 腰を支えていた腕が背中に上がって、そのまま力を込めて引き寄せられる。

 動けないようにガッチリとホールドされて、気がつけばカイルラーンの端正な顔が目の前にある。

 金色の瞳の中に映り込む自分の顔を拾って、そっと瞼を閉じた。唇に重なったそれは、なによりも優しく柔らかかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る