56・希求

 国王ディーンが側妃の居室で発見された報は瞬く間に城内に広まった。

 サルーンが母から盗んで隠し持っていた旧後宮の鍵が証拠品として王に提出されたが、エリーゼがアルフレッドと共謀してアレックスの毒殺を企んだ事は結局伏せられる事となった。旧後宮の鍵だけでは証拠能力としては弱いからだ。

 王はアレックスへの毒殺未遂の罪を伏せる事と交換条件で、サルーンが引き起こした今回の騒動の責をエリーゼが被るように求めた。息子の外聞を守る事が出来るなら、とエリーゼは王の提案を甘んじて受け入れた。

 こうして王の失踪騒動の表向きの真相は、戦後の混乱に乗じて、王太子から第二王子へ後継指定を移行するように迫った側妃の乱心として片付けられる事となった。

 側妃エリーゼは長い髪を短く断ち、アレトニア聖教に帰依して教門に入る事となった。エリーゼの持つ政治的な権限は全て剥奪され、表舞台からは身を引く事となる。これによってサルーンは政治的な後ろ盾を失い、実質王位継承権を失う事となった。

 教門に入ると言っても第二王子の母である事には変わりなく、貴人が教会で生活出来る訳ではないから、エリーゼはこの先を側妃の塔の中で慎ましやかに暮らして行くことになる。

 今までは同じ塔内で生活していたサルーンの居室は内宮へと移され、正式な侍従と近衛が付けられる事となったが、これはあくまでも監視係としてである。

 スゥオン師団の指揮権の全てはカシウスに移され、サルーンはただの第二王子となった。

 そして、その失踪事件の解決は、アレックスの働きがあったからこそだと王の口から語られる事となった。

 それによって、戦場では王太子の盾となって命を救い、城内では知略を巡らせて王を発見せしめたと内外に広まる結果となった。

 騒動から三日後、アレックスは当初の予定から大幅に遅れて後宮を去る事になった。

 既に荷の搬出は終わっている。レグルスも一緒に連れて出る必要があるため、アレックスの装いは男装に近いものだった。

 長い間過ごした部屋のなか、アレックスはサラと向き合っている。

 サラは瞳を薄く潤ませながら笑った。

「わたし、さよならは申し上げません、アレックス様」

「ええ。きっとまた会えると信じています。サラ、次に会う時まであなたが健やかであること祈っています」

「はい、アレックス様もお元気で」

 サラはそう言って、深々と頭を下げて主を見送った。アレックスには見せまいとこらえていた涙が、サラの瞳からこぼれ落ちて行く。

 振り返らず、アレックスは部屋を出た。

 後宮から近衛の厩へ向かって歩いていると、様々な思い出が去来する。

 男性社会で働く事の厳しさを知り、もがき苦しんで進んできたからこそ、組織の中に受け入れられて自分の居場所を得られた喜びはひとしおだった。全ての思い出が、なにものにも代え難い。

 後宮から内宮の廊下を渡りきった所を受け持っている立ち番の二人の兵が、通り過ぎて行くアレックスを認め、揃って騎士の礼を取った。

 それに薄く笑って、アレックスは会釈する。騎士の席は剥奪され、すでにアレックスは二人に返す礼がない。

 少しだけ残念な気持ちを抱えながら歩いていくが、進むたび出会う兵が、先の二人の兵同様騎士の礼を取るのを、アレックスは面映ゆい気持ちで瞳に映して行く。

 それはまるで、城を出てゆく自分への花道のようだった。

 

 

 肩の傷の抜糸をし、動いても傷口が開かなくなるのを待って、アレックスはレグルスに乗ってモアレの別邸へと戻った。握力は以前のようにとは行かないが、手綱を握るのに問題はなかった。

 モアレを出て早二年近く、その間一度も帰る事ができないでいた。別邸の玄関ホールに足を踏み入れると、家に帰って来たという実感が湧いてくる。

 出迎えにきたオータスに荷物を手渡しながら口を開く。

「お母様は起きていらっしゃるの?」

「はい。今日は大旦那様も先にいらしています」

 車溜りに本邸の馬車が停まっていたから伯父だと思っていたが、祖父が来ているとは珍しい。反面、それはそうか、と思い直す。

 戦後処理真っ只中の城内において、官庁で要職にある伯父が休みを取れる状態にないのは明らかだった。

 母の部屋の扉を叩くと、耳に懐かしい声が「どうぞ」と返ってくる。

 部屋に入ると、寝台に半身を起こしている母の姿が見えた。体調が良さそうなのを見とって、アレックスは思わず笑みをこぼす。

「おかえりなさい、アレックス」

「ただいま戻りました、お母様。おじいさま、お久しゅうございます」

 寝台の脇の椅子に腰を下ろした祖父は、アレックスに和やかな笑顔を向けた。

「お帰りアレックス。大活躍だったそうだね」

「大活躍なのはおじいさまの方ではございませんか」

 寝台に向かって歩きながらそう返す。

「そうかな? ははは」

 好々爺然として穏やかに笑ってはぐらかすフリッツに苦笑する。

 その祖父の座る側とは反対側に立つと、母は腕を大きく広げた。

「わたくしの自慢の娘を確認させてちょうだい」

 アレックスははにかむように笑って、母の寝台に座って腕の中に身を寄せた。

「良い表情になったわね、アレックス。愛しい方を見つけたのね?」

 抱き込まれた腕の中から母を見上げて、小さく「はい」と頷く。

「ね、言ったでしょう? 何も心配はいらないって。その方の手を絶対に離してはダメよ?」

 いたずらっ子のような表情を浮かべて念を押す母に、笑顔で大きく頷いた。

「もちろん」

 母との長い抱擁を済ませて身を起こすと、フリッツがこちらへおいで、と手招きをする。

 寝台の足元を回り込み、再び祖父に向かい合う形で寝具の上に腰を下ろした。

 フリッツはアレックスの両手に手を伸ばし、それで包み込んで口を開いた。

「よく、頑張ったね、アレックス。お前にとって女神の福音は決して良いものばかりではなかったろうね……いや、むしろ呪いのようですらあったかもしれない。けれどお前は私たちシノン家に掛かった呪いを解く姫であったと思うんだ」

 アレックスは祖父の言葉に怪訝な表情を浮かべてオウム返しに問う。

「シノン家に掛かった呪い……ですか?」

「我が家に生まれて来る女の子は、どうしてだか体が弱くてね。我が家の系譜を遡って見ても頑健な者は居ない。女の子は皆早世するか、多少長く生きても出産はおろか結婚すらできなかった。系譜を繋げて行くのは男子だとは言え、我が家に誕生する女の子が不憫でね。私はマリィが産まれた時、喜ぶのと同時にシノン家に運命づけられた呪いのようだ、と感じた。マリィがお前の父と結婚して身篭り、教会で福音を授かった時、もしかしたらお前は我が家の呪いを解く子なのかもしれない、と思った。運良く母子共に無事で出産を終え、初めてマリィがお前を目にしたとき、どう見ても女児にしか見えなかったそうだよ。福音によって男女が定まっていないと分かってはいても、マリィは不安だったんだ。もしも自分と同じように体の弱い子だったらと。福音が真実確かな物ならば、お前は二十歳まで生きられるのは確実なのだろうから、あまり考えないようにと言い含めても、母親とはそういうものだから仕方がないのだろうね。だからお前に男の子の名前をつけたんだ」

「そのせいであなたの運命を歪めたのかもしれない、という考えはずっと心の中にあったの。だからあなたは男の子のように生きる事になったのかもしれないって」

「お母様……」

 沈んだように寂しげに笑う母に、アレックスは否定するように無言で首を振った。

 そんな事は結果でしかない。騎士の道を選んだのは、自分自身の意志だ。

「領地に産業を定着させるのに苦心していた頃、視察で養蜂を目にする機会があってね。結果として蜂蜜を産業にする事は出来なかったのだけど、その生態を見て思ったんだよ。この巣箱の中は、まるで私たちのようだ、と。女の子はね、絶対に世代が被る事はないんだ。その子が生きている限りは、一族の中に他の女児は生まれない。血を継いだたった一人の女性を護るためだけに、私たち一族は機能している、と。そして、お前が産まれた。知っているかい? 働き蜂は、生殖機能を持たないメスなんだ。女王蜂となれるのは群れの中で一匹だけ。しかも、その女王蜂はエサが違うだけで元は働き蜂と同じ個体なんだ。お前に蜜蜂という二つ名が付けられたと知ったとき、私は運命的なものを感じずにはいられなかった。騎士として男の道を歩み始めたお前が女性になる事を選んだら、一つの群れの中に女性が二人存在することになる。しかもお前は強くて頑健だ。お前によって我が一族の呪いが解かれるのではないかと思ったんだよ……もちろんそんな事は、私の勝手な妄想でしかないのだけどね。老い先の短いじじの戯言だけれど……アレックス、ありがとう。お前は物語一族の呪いを解いてくれた、たった一人の姫だ」

「おじいさま……」

 両手を包んだ祖父の暖かな手の上に、二つ、三つと雫が落ちる。

 否応なく突きつけられた運命に、抗うようにして生きてきた。降ろされた福音に意味を見出すことはできず、絡め取られる蜘蛛の糸のような呪いだと感じていた。

 福音が祝福などと、信じるものかとすら思っていた気がする。

「新しく育った女王蜂は分蜂といって、別の巣を作るんだ。私たちシノンの血を引く者は、本能で伴侶を知っている。アレックス、モアレを出て幸せにおなり」

 福音によって呪われたのではなく、呪いを解くために授けられたものであったのだとしたら、これまでの生に意味を見い出す事ができて、その苦悩も報われる気がする。

「はい、おじいさま……」

 ずっと抱えてきた重い荷物を下ろしたような気持ちで、アレックスは泣きながら晴れやかに笑った。


 

 終戦から二ヶ月が経った。ちらちらと雪が降り始め、城の中の関係各所の業務が通常のものに戻りつつある頃、王都のローゼンタール家に近衛から荷物が届いた。

 箱の中に入っていたのは、白に濃紺の縁取りのされた女性近衛の式服とその他の装備品だった。

 城を去る時に返還したはずのシルバルドの星の入った徽章と剣も同封されている。

 女神アレシュテナの横顔の押された封蝋の掛かった手紙を開けると、そこには戦争中の功績に対する褒賞授与式に出席せよと書かれていた。

 身体が女性となってしまった以上、臙脂の隊服は送って来る事ができなかったのだろう。

 近衛の身分が剥奪されている今、褒賞などもらったところで何の役にもたたない。軍人の褒賞など階級の特進か武具の下賜と相場が決まっている。それでも王家の紋の入った召喚状である以上、欠席することはできない。

 仕方なくアレックスは送られて来た式服を着込み、城に向かってレグルスを走らせていた。

 城門を抜け、外宮にある部外者の訪問受付へと足を向ける。

 女性近衛の式服を着ているとは言え、所属先を持たないアレックスには、レグルスを預ける事のできる厩がない。

 訪問者が馬を係留できるように置かれた柵にレグルスを繋ぎ、相棒の首を叩くように撫でる。そのまま首に顔を埋めて匂いを嗅いだあと、気合を入れるように頬を両手で打って頷いた。

「行ってくるね」

 アレックスの心を読んだのか、相棒は不機嫌そうに顔を反らした。

 レグルスの様子に苦笑するが、今回ばかりは譲ってやれない。

 心の中でごめんね、とレグルスに詫びて、アレックスは謁見の間へ向かった。


 アレックスが女性近衛の式服で謁見の間に姿を現すと、広間の中はにわかに騒がしくなった。

 進行がスムーズに運ぶよう、褒賞が授与される騎士は師団と階級毎に固まって並んでいる。

 壇上の王の席に近くなるほど階級は上がるから、正副師団長より上の白地に臙脂の縁取りの式服の者は前の方に並んでいる。

 様々な色の式服が集まる広間の中で、師団長クラスと似た色合いだが確実に違う色の女性近衛の式服を着込んだアレックスは明らかに浮いていた。

 どこに立つべきか迷い、逡巡して後ろの壁際に近い所に立つことにした。

 名を呼ばれて王から直接褒賞目録を受け取ることができるのは、上級指揮官以上の者だけだ。残りは王の側に控えた副官が読み上げをするだけである。

 アレックスは他人事でそのやり取りを眺めていた。

 尉官への一括された褒賞が読み上げられたあと、気を抜いていたアレックスの耳に自分の名が読み上げられたのを拾って目を見開く。

「アレクサンドル・ローゼンタール少佐!」

 王の副官であるルード・ランロッドのよく通る声が広間にこだまする。

 少佐、と階級付きで名を呼ぶのだから、この場は軍人として扱うという事なのだろう。

 アレックスは「はっ」と軍式の返答を返し、中央に開けられた通路を通って、王の席へと続く階段の下で片膝をついて頭を下げた。

「近こう寄れ」

 王の言葉に、アレックスは頷いて壇上へ登り、その足元で再び片膝を折る。

「此度の戦いにおいてそなたが果たした働きは大きい。その功績と王家への忠誠に報い、女性近衛に席を移し、王太子カイルラーンの近侍として復職を許す。王太子と私の命を救った功績は大きい。そなたの望みを言うが良い。一階級昇進の上、王家が用意できるものであれば、何なりと褒美を取らせる」

 王の言葉に、広間の中にざわめきが満ちる。

 本来、王が側近を介す事なく上級指揮官以下の役職の者に直接声を掛ける事はない。

 王自ら側近くに呼び寄せ、下級指揮官に直接声をかけて褒賞を下賜する事は前代未聞と言ってよかった。それだけ、アレックスの今回の働きを王が認めているという事の表れだった。その上、女である事を認めた上で王太子の近侍として働く事を許すというのだから、その場に居合わせた者たちの驚きは計り知れない。

 アレックスは俯いた顔に満面の笑みを浮かべた。

 授与式が終わったら、どうにかして王太子を捕まえようと思っていた。だが、もうそんなまどろっこしいやり方は必要ない。

 何でもくれるというのだから、望むものはただ一つだ。

「本当に、何でもよろしゅうございますか?」

「顔を上げよ……私に二言はない。ただし、玉座はやれんがな」

 王の言葉に従って顔を上げると、瞳に飛び込んだディーンの顔はニヤニヤと楽しげに笑っている。

 玉座はやれない ――― つまり王位はやれない、というディーンなりの冗談だ。だが、その言葉の裏を返せば、それに近いものは望んでも構わない、という事だ。

 アレックスは薄く笑んで口を開く。

「では、わたくしにカイルラーン殿下を下さいませ」

 ザワ、と広間にはひときわ大きくざわめきが満ちた。

「王太子妃の席を望む、という事で良いのだな?」

「はい」

「とは言え、カイルラーンの気持ちもあるのでな。……求婚されておるが、どうするカイルラーンよ」

 相変わらず楽しげに笑う王の顔しか見えないので、王太子がどんな様子なのかは全く分からなかった。

 王の隣に控えたルードも、楽しげに笑っている。

 はぁ、とひときわ大きなため息を耳に拾う。

「お前は! ……俺の見せ場を取るなよ」

 カイルラーンの叫びに、周囲からどっと笑い声が湧き上がった。

 その笑い声に、聞き馴染みのある声が複数混じっている。

 呆れたように吐きだした主が今どんな表情をしているのか、アレックスには見なくても想像できた。

 その声音に、想い人からは見えないところでニンマリと笑う。

「俺は、アレクサンドル・ローゼンタールを正妃として望みます、陛下」

 静かに響いた主の言葉は、アレックスの耳を甘く震わせて溶けていった。

 謁見の間に、割れんばかりの拍手がこだました。

 アレックスをよく知る者たちは、手を打って苦笑しながらそれぞれがほぼ変わらぬ事を思った。


 ――― そういうところだぞ、お前。






※ 王乳/ローヤルゼリー。女王蜂だけが食べるエサ。

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