55・終局

 謁見の間を片付けさせ、政務が機能するようにそこを仮の指揮所として整えさせた。

 通常であれば終戦後の処理は、内政面をディーンが、軍務面をカイルラーンが担当する事で回していたが、父が自室から姿を消した事でそれは不可能となってしまった。

 父王ディーンの事は何よりも優先すべき事案ではあるが、それだけで国が機能して行く訳ではない。

 仮に厳重な警備を掻い潜って王の自室に忍び込めた者が居たとして、その命が目的ならば自室に忍び込んだ段階で殺すだろうし、争った形跡がない以上、どこかで父は生きている。

 生きているのなら連れ去った者には何らかの目的があるはずで、早晩それを要求してくるだろう。

 今の自分に出来ることは、城の内外に捜索の指示を出し、父の名代として国を治めて行く事のみだ。

 仮にどこかで王が殺されているならば、尚更国政をおざなりにする事はできなかった。その為に王太子として立ったのだから。

 人が慌ただしく出入りする広間の中、玉璽とペンを手に緊急性の高い物から決済して行く。

 その間にも、捜索を指示したシルバルド師団の佐官からは、芳しくない報告が続々と届いていた。

「しかし、本当にどこに行かれたのでしょうね陛下は……全く足跡が追えないとは」

 書類に埋もれるようにして手を動かすベリタスの言葉に、顔を上げず口を開く。

「賊が侵入したとしても陛下相手にすんなり事を運べたとは思えん」

 現役から遠のいて早十年は経つとは言え、父王ディーンも自分と同じく王太子時代は軍を率いて前線に立っていた武人だ。

 それが部屋を荒らすこともなく、まして廊下に立った近衛に気付かれもせずに姿を消しているのだから、自発的に部屋を出て行った事になる。何かの意図があって自ら出て行ったのか、賊の口車に乗ったのかは分からないが。

「ともかく、できる限りの手を打って待つしかあるまい。あの陛下の事だ、ただでは殺されんよ」

「そうですね、今はこの仕事を片付けましょう」

 ベリタスはそう言って頷いた。

 


 通された部屋の中、アレックスは王妃リカチェと向かい合って座っている。

 リカチェの座る椅子の後ろには、リネットが立っていた。

 ナタリーとサラは前室に留め置かれているから、この部屋の中には三人しかいない。

「本当に、面白い子だこと……戦場について行ったと聞いた時には、然しものそなたも背負った星に押しつぶされたのだとばかり思っていたのに」

 そう言って王妃リカチェは楽しげに笑った。

「それで、そなたの要件とは何か? アヴィ」

 王妃は、とるに足らぬ小さな蜂、とあえて念押しするように呼ばわって、ふふん、と鼻で笑った。

「わたくしにこの塔の隠し通路の場所を教えて下さい」

 側妃エリーゼの居室は、この王妃の住まう塔と対になる形で建っている塔の中にあった。おそらく設計者は同じだから、こちら側の隠し通路がわかれば、あちらの通路も対になる場所にあるのではないかと予測していた。

「そなたの考えていそうな事はわたくしにもわかるが、それをただの女であるそなたに教えると思うのですか?」

「ただの女になったからこそ、出来る事もあると自負しております。わたくしに、カイルラーン殿下を下さいませ」

 アレックスはそう言って、鮮やかに笑って見せた。

「正妃の座を寄越せと抜かすか、小娘」

「ええ……わたくしも王族になれば、機密事項を知っても問題はございませんでしょう?」

 王妃の厭わし気な表情に怯むことなく、アレックスは更にふてぶてしい笑みを被せた。

 互いに牽制するようにしばらくそのまま睨み合う。

 先に折れたのはリカチェだった。

 扇で口元を覆って盛大に吹き出し、堪えられないと言った様子で笑う。ひとしきり笑ってから、瞳に浮かんだ涙を拭いながら口を開いた。

「さすがは我が息子が欲した女……そなたほど厚かましくて性格の悪い女など見たことがない」

 随分な言い様だが、おそらく王妃なりに褒めているのだろう。尤も、褒められている気は全くしないが。

「リカチェ様、わたくしは褒められている気が全くいたしません……」

「ああ、すまぬ……もちろん褒めたのです。王族に嫁す女はそれくらいの性根で無くては務まらぬ。並の精神では病むか潰されるかのどちらかだから……」

 リカチェはそう言って言葉を区切ったあと、再び真剣な眼差しをアレックスに向けた。

 手にした扇を畳んで口を開く。

「そなたにこの事態の幕引きができるかえ?」

「もちろん、わたくしだからこそ出来ると自惚れております。お任せくださいませ」

「そなたの肝の太さに免じて案内しましょう。……王家の未来を頼みました、アレクサンドル」

 アレックスは王妃の言葉に、「はい」とはっきりと頷いた。


 リカチェの部屋の化粧室を借り、アレックスは化粧を落として髪をいつもと同じようにくくり直した。何故なら、そのままだと近衛の隊服にそぐわない気がしたからだ。

 ドレスのスカートで隠れる内腿に剣を吊り、軍靴を履いてここまで来た。

 行儀見習いに入る貴族令嬢が持ち込んだ着替えのように見せかけてサラが持って来た包みの中は、近衛の隊服だった。

 リカチェの元までは兵を欺く為に女性の姿で無ければならなかった。だが、この先は動きやすさと万一の為に近衛姿の方が良い。

 近衛の席が剥奪されているとしても、下級士官程度なら服装で誤魔化して押し切れる。

 首尾よく側妃の居室に侵入できたとしても、敵と切り結ぶ可能性がある事も想定しておかなくてはならない。左腕が使えない以上、利き手だけでどれだけ交戦できるか分からないが、それでもなんとしても王を救い出さなくてはならなかった。たとえその為に己を盾にする必要があるのだとしても。

 騎士として生きるならば、主の為にここぞという命の賭け時を見誤るな、と祖父は言った。騎士など人殺しがその本分だから、奪った命の分だけ死を厭うなと、獣を捌きながら祖父が言ったのを覚えている。

 死ぬことが怖くないと言えば嘘になる。カイルラーンへの想いが心の中に満ちるほど、余計に死は怖くなった。それでも、己が死ぬことよりも、想いを寄せる人を失う方がもっと怖かった。王太子の未来の為に王が必要ならば、今失うわけにはいかない。

 できることならば、自分の想いをきちんと告げて、もう一度自分に心を寄せているとカイルラーンの口から言って欲しい。

 だから、最後まで諦めない。王を救い出し、あの口数が少なく横柄で、けれど本当は優しい主の元へ帰って見せる――― アレックスは心の中でそう誓った。

 


 リカチェに教えられた隠し通路を抜け塔の外へ出ると、周囲は深い闇に包まれていた。

 側妃の住まう塔へ続く庭園の扉は本来は鍵がかかっているが、庭師が行き来するのに使っていて、戸の立て付けが外れているという。何故そこを直さずに放置しているのかと疑問に思えば、長年城に雇われている老庭師が仕事をするのに都度鍵を開ける手間を嫌って放置しているらしい。どの道その扉が通れても、そこから先は庭園しかなく、アレックスが使った隠し通路以外は正規ルートからしか出入りが出来ないから、警備面では問題がないのだとリネットはいう。

 そうは言いながら、結局は自分の様な侵入者を許しているのだから、やはりそれは問題なのではないかと思う。もちろん王妃の協力があって成せた事なので、通常であればありえないのだろうが。

 アレックスはリネットに教えられた扉から側妃の塔側の庭園に入り、隠し通路のある位置と思しき場所へ行く。

 周囲を探って見れば、驚く程簡単にそれは見つかった。上手く柱の隙間に隠してある扉を上部にげれば、塔の上階へ続く階段が伸びている。

 アレックスは慎重に周囲を確認してそこに入ったあと、持ち上げれば上部の金具に掛かって扉が落ちないようになっているそれを静かに元通りに下ろした。

 灯りは持たずに来たから、闇に眼が慣れるのに時間がかかる。手探りでもどうにか進める程度に眼が慣れるのを待って、アレックスは極力足音がしないようにゆっくりと階段を昇り始めた。

 明り取り用だろうか、階段を取り巻いた石組の壁に、ところどころ小さな穴が開いている。そこから気休め程度の光があるからこそ、多少眼がきくのだろう。

 階段を昇りきり、居室に続く扉を開ける為に周囲の壁を探る。王妃の部屋から出る時に教えられた場所にはレバーがない。

 アレックスは少しだけ首を傾げて思考する。建物は左右対称に建っている。とすれば、王妃の部屋とは反対側にあるのかもしれない。

 視線をそちらの方に流せば、壁の中に埋もれるようにして星の彫り込まれた石がひとつだけある。薄暗いから、それがどの星なのかは判然としなかったが、おそらく王家の星だろう。

 アレックスはその星に手を当てて、動いて欲しいと力を込めた。

 すると、それはあっさりと壁側へと動いて、カタン、と何かが開く音が聞こえた。

 闇の中に突如漏れた細い光の方へ向くと、ほんの少し隙間ができている。

 アレックスは利き手で剣を抜き、その隙間にもう一方の手を差し入れて力を加えた。ビリ、と傷口が引き攣れるような痛みが走って、肩が強ばる。

 スライドさせることができたので、探るようにそっと動かしながら内側に入ると、視線の先に待ち構えたように男が一人立っていた。

「陛下の予想通りでしたか……しかし大したものです、アレクサンドル・ローゼンタール嬢」

「バルスタン中将……」

 立っていたのは、近衛隊長レイノル・バルスタンだった。

「どう言う事かご説明いただけますか?」

「それについては奥でご説明いたしましょう……皆様お待ちです」

 皆様、という事はレイノル以外にも複数の者がこの先の部屋にいるということだ。

 アレックスは警戒したまま、剣を鞘に収める事なく案内に従って歩いた。ここは、リカチェの居室同様寝室に当たる。構造が同じなら、その先に居間と前室がある。

 レイノルが先導して開いた扉から居間へと踏み入れると、中央に置かれた応接セットの椅子に、王ディーンと側妃エリーゼ、第二王子サルーンが座っていた。

 近付いて見れば、王は特に傷を負っている様子はない。無事な姿に安堵して、ほっと胸をなで下ろす。

「足労を掛けた、アレクサンドル」

 アレックスはディーンの座った席の隣まで歩いて行って剣を収め、片膝をついて頭を下げた。

「ご無事で安堵いたしました、陛下」

「うむ。心労を掛けた事は分かっているが、愚弟のようにせぬためにも、ここできちんとしておかなくてはならなかった……許せよ、ジレッドの娘」

「陛下の御心のままに……。許されるなら、ご説明を賜りたく存じます」

 顔を上げよ、と手が動き、それに従えばそのままその手が空いた席を指す。座れ、という事だ。

 アレックスは黙ってそれに頷いて、示された席に座った。ディーンはそれを確認して口を開く。

「昨晩サルーンがレイノルを伴って私の居室の隠し通路から部屋にやってきた。サルーンはレイノルに自分は母の悪事を知っている。だが、他ならぬ自分の母の事だから、誰にも知られる事なく父に会いたい。自分は父の部屋の裏口を知っているから供をせよ、と言ってレイノルを巻き込んだ。部屋にやってきたサルーンは、私を見るなり開口一番にこう言った。アレクサンドルに傷を負わせるような兄は、その主としてふさわしくない。王の権を以てアレクサンドルを自分に下賜せよ、と」

 王の最後の言葉に、アレックスは目を見開いた。

 シャルシエルは、サルーンの執着は恋着ではない、と言っていなかったか。

「母エリーゼがアレクサンドルの毒殺に手を貸したのも気に入らない。アレクサンドルを守れるのは自分しかおらぬ、とな」

「下賜、とは、つまりわたくしは物と同じでございますね? そして、第二王子殿下が大事に飾って守って下さると……わたくしの気持ちは置き去りでございますね」

「何か問題がありますか? 王族の婚姻などそんなものでしょう。僕はアレクサンドルが僕のものになりさえすれば良いので、あなたが望まないなら婚姻せずとも構わない。僕の近侍になって下さいアレクサンドル」

 邪気のない笑みを浮かべるサルーンの様子に、アレックスは背筋が凍るような気がした。

「私はこれを見過ごせば、再び王家にとって火種になる、と判断した。だが、そなたは既にカイルラーンの騎士だ。一度誓約を立てた以上、正規の方法では説得すら難しいだろう。かと言って、サルーンも納得はせぬ。だから私はサルーンと賭けをした」

「賭け、でございますか」

「近衛の身分を剥奪し、何の権も持たぬ状態でここにたどり着く事ができなければ、その時は王家の権を以てアレクサンドルをお前に与える、と。この部屋へたどり着く事すら出来ぬ者に、王家の未来など託せぬ。ゆえにそのような者ならば、お前に与えても良かろう、とな」

 ディーンの言葉を聞く限り、それはサルーンの言わんとする事となんら変わらないように思える。まるで玩具をやり取りするような物言いだ。

 だが、サルーンと違って王の言葉の裏には、別の意味が隠れているように感じる。

 王太子妃に求められる事柄は多い。たとえ出産が可能になったとしても、それはあくまでスタートラインに立ったに過ぎないのだ。

 普通の令嬢ならばともかく、今まで王太子の近侍として近衛に身を置いていたのだから、その能力を示せ、王太子の眼が曇っていなかった事を証明してみせよ、それが出来ないのであれば正妃の席に座るに値しない、という事なのだろう。

「サルーンよ、こうしてアレクサンドルは自らの知略を駆使してここまでやってきた。私との約束は、アレクサンドルの返答を尊重する、との事だったな? ……アレクサンドルよ、サルーンの近侍として仕える気はあるか?」

 目の前に座る王の瞳をじっと見つめる。それは、カイルラーンの瞳と同じ色をしていた。

「わたくしは、カイルラーン殿下以外の方にお仕えする気はございません」

 サルーンはアレックスの言葉に、手を机に叩きつけるように打って席を立った。

「父上は知略を駆使したとおっしゃいますが、アレクサンドルは一度僕に負けている! 納得できません」

 興奮したようにそう吐きだしたサルーンに、アレックスは穏やかに笑って見せた。

「ではこう致しましょう……今夜再びタフルを一局打ちましょう。それでわたくしがあなた様に勝ったら、今後わたくしからは一切手を引いて頂けますか?」

「いいよ、あなたが僕に勝てたら、僕はあなたを諦める」

 サルーンは前室へと消え、すぐに盤と駒を持って帰って来た。それを机に置いて、慣れた手つきで駒を並べて行く。盤の上には、白と黒の駒がある。白は王とそれを守る騎士。対する黒は王を狙う敵兵だ。アレックスも手伝って、中央に白い駒を、その四方に黒い駒を定位置に並び終えた。

「殿下、白と黒、どちらになさいますか」

「あなたは未来の王を護る騎士だ……僕は黒にする。せいぜい、兄上を護って見せてごらんよ」

「かしこまりました」

 

 盤の上を動く駒が、コトン、と小さな音を立てる。

「いつまでたっても僕を子供扱いする母上には頭にくるよ。アレクサンドルを殺そうとするなんてどうかしてる。でも安心して、もうそんな事はさせないからね。母上にはきちんと罪を償ってもらうから」

 母が側に座っているというのに、それを慮る様子もない。

 エリーゼは息子の言葉に、ただ黙って俯いている。

 駒を動かしながら、褒めてくれと言わんばかりに得意気に胸を張るサルーンを見ていると、得体の知れないおぞましさが這い上がってくる。

 言葉だけを受け取れば、それは正しい事なのだろう。だが、そこには母であるエリーゼへの気遣いは微塵も感じられない。罪を償わせたいのではなく、お気に入りのおもちゃを取り上げようとする者を排除したいだけだとしか感じられなかった。

 ではそのおもちゃに遊び飽き、興味が薄れればどうなるのか。きっと、見向きもしなくなる。そして、邪魔になれば簡単に捨てるのだ。

 今なら側妃エリーゼの心が分かる気がした。手段は間違っていたのだろうが、彼女はただ、母として息子を守りたかっただけだ。息子が取り返しのつかない事を仕出かす前に。

 もしもアレックスが王太子妃に選ばれるような事になれば、兄の后に手を出せばサルーンの首が飛びかねない。そうなる前に、アレックスを亡きものにしたかったのだ。

 カコン、と白い駒が狩られる。

 何手目か、互いに攻防をくり返し、サルーンの方に近い隅へと王の駒で誘導しながら、周囲を騎士で護る。追い詰められているような振りをして逃げ惑う。サルーンは嬉々として白い駒を黒で狩る。だが、最期の騎士が倒れたその次の手で、アレックスは王を角へと押し込んだ。

「わたくしの勝ち、でございますね」

「負けた……僕が、負けたのか」

 圧倒的優位に立ちながら勝ちを逃したサルーンは、盤を呆然と見つめながら項垂れた。

「騎士は王の為に死ねるのでございますよ、殿下」

 ここぞという命の賭け時を逃したりはしない。

 誓約を立てた主の命が守られるならば、死すら厭いはしない。

 盤の上に散らばる黒い駒の中、燦然と立つ王の駒は眩しい程に白かった。





※ ネファタフルのルール/白は王の駒を盤の四隅のうちどれかに置けば勝ち。黒は王の駒を取れば勝ち。

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