46・甲冑
冬の寒気が緩み始め、白い庭園が鮮やかに色を載せ始める頃、装備部から注文していた装備が仕上がったとの連絡が入った。
アレックスは休暇日である今日、その受け取りをするために城内を歩いていた。
王太子の休息日は月に三日程度。その日は政務も休みになる為、近侍三人も同様に公休となる。
主は近侍が増えた事によって、ようやくまともな休みが取れるようになったらしい。働き過ぎのきらいがある王太子が少しでも休めるようになったのなら、自分が近侍になった甲斐も有るのかもしれない。
装備部の扉を開いて内側に進むと、受付の奥のディランと目が合った。彼はアレックスを認めて軽く頭を下げ、受付の外へと出てくる。
「少佐のフリューテッド、良い感じに仕上がってますよ」
ディランは穏やかに笑みながらそう言って、どうぞ、と作業場へアレックスを促した。それに従って内側へ入って行くと、老職人の背中が見える。かがみ込んで作業をするその背から肩周りに、こんもりと筋肉が盛り上がっている。
「ベン爺、ローゼンタール少佐がおみえになりましたよ」
そう言って、ディランは声を張る。アレックスを相手にしている時よりも声が大きいから、翁は少し耳が遠いのかもしれない。
「そないに声を張らんでも聞こえとるわい」
全くしょうがねぇな、とぼやきながら振り返るが、その言葉程に表情は厳しくない。ベン爺ことベンサムとディランの間にある信頼感が見えるような気がした。
「おお、来たな」
「こんにちは、ベンサムさん」
「着てみんことには具合がわからねぇから、ここで一回着てみろな」
「わかりました」
アレックスが頷くと、既にそこにディランは居ない。工房奥の倉庫に向かって行くのが見えたから、翁の指示を待たずに鎧を取りに行ったのだろう。
程なくして、台車に鎧一式と胴衣を乗せたディランが戻って来た。
「服の上から着れねぇから、胴衣に着替えて来い。ほれ、奥の倉庫使えばええ」
ベンサムの言葉に、有能な助手然としたディランは何も指示されずとも胴衣を手にしている。
アレックスはそれを受け取って、倉庫へと向かった。
倉庫の内側には棚や武器架が並んでおり、そこに武具や素材、部品などが整理されて隙間なく並んでいる。掃除が行き届いているのか、整然と片付いていた。
アレックスは適当な棚の間で私服から胴衣の上下に着替え、脱いだ衣類と靴と剣帯を手に工房に戻った。
「胴衣きつくないか? あんま大きすぎてもいけねぇが」
手にした荷物を台車の空きスペースに置き、アレックスはその場で手を伸ばしたりしゃがんだりして着心地を確認してみる。衝撃を吸収するためか布地で薄い綿を挟んで作られた厚みのあるそれは、着慣れないアレックスには若干ゴワつくような気もする。だが、サイズ自体は程よい大きさだった。
「ええ、ちょうど良いです」
「ん、じゃあ早速着けてみるか。着かたは教えてやるから覚えてけ」
翁と助手の指導を受けながら重鎧の着用手順を教わり、どうにか一式を身にまとう。両手に持って歩く訳ではないから想像していた程の重さは感じないが、それでもずっしりとした重みと、なによりも圧迫感がある。ヘルム部分のバイザーは上がっているが、若干視界が狭まるのと、独特の密着感があって息苦しい気がする。出来立てだからか金属臭と、磨き油の匂いも鼻につく。
慣れなのだろうな、とアレックスは思いながら、他の職人の邪魔をしないように工房の中を歩き回った。
可動部分で擦れる金属音が、ガシャガシャと鳴っている。
ベンサムの腕は確かなのだろう。動き回ってみても動作を妨げる不快感などなく、むしろ鎧そのものの可動は滑らかですらあった。
「ん、問題なさそうだな。ああ、そうそう、お前さんの識別な、ローゼンタール家は軍人多すぎてほとんど埋まっとってな、気に入らんかもしれんが勝手に入れた……蜂を」
重鎧を着込んだ騎士は外側から見れば誰だか判別がしにくい。そこで胸当て部分に師団の紋―――すなわちシルバルドの星と、個人を識別する固有の紋を入れるのが慣例となっている。比較的何でも紋として刻めるが、禿鷹はローゼンタール家の共通で、それに個人識別用に何がしかの図案が追加される。一族内で過去誰かが使ったモチーフを刻む事はできないから、武人ばかりを排出してきたローゼンタール家ではすでにめぼしい物は使い尽くされている。因みに祖父グスタフはヒグマ、父ジレッドは柊である。
「まぁ、わかりやすくて良いんじゃないでしょうか。私は特に拘らないので構いません」
誰が言い出したか後宮の蜜蜂と揶揄されている自分だ。それを紋にするくらいの面の皮の厚さがないと近侍になど上がれない。周知しなくとも己だと認識してもらえるならば、いっそ手間も省けて良いだろう。
「ほうか……じゃあ、書類だけ書いてもって帰れ。台車いるなら貸すぞ」
「いえ、このまま着て帰ります」
「はっ、そりゃぁええわ。最近じゃ重鎧着た騎士なんざ城内でもあんま見ねぇからな、目立つぞお前さん」
愉快だと言わんばかりに、ベンサムは歯を見せてガハハと笑った。
「今更一つ二つ尾ひれがついた所で痛くも痒くもないので、合理性をとります」
最近は特に、ただでさえ仕事が忙しい。また台車を返しにくるのが面倒だった。ついでに鈍った体の鍛錬も兼ねて、このままレグルスを走らせに行こう、とアレックスは思った。
フリューテッドの上から剣帯を着け、服と靴を抱えて立ち上がる。
「違和感あったらまた来いな。調整はいつでもしてやるから」
「はい、その時はまた来ます。ベンサムさん、ありがとうございました」
アレックスは老職人の丁寧な仕事に満足して、ゆっくりと頭を下げた。
目を白黒しながら戸惑う翁に軽く笑み、では、とその場を後にする。
我に返ったように後ろから、おう、とベンサムの返事が聞こえた。
アレックスは受付で支払い金額を聞き、それを一括で支払う手続きを取った。母からの資産は既に書き換えられ、アレックス名義のそれは伯父のビクトールに管理を任せている。支払いの承諾書に自筆のサインをし、請求書はローゼンタールの本邸へと送ってもらうようディランに伝えた。
主の昔の装備の払い下げ品とは言え、相場が相場だけにどんな高額な請求が来るのかと構えていたが、提示された金額は本当に良心的だった。これなら様子を見て馬鎧とハルバードの一振でも揃えられそうだと気分を良くする。
自分だけの新しい持ち物とは、それだけで心が高揚するものだ。アレックスはやっと、本物の騎士になった実感を噛み締めていた。
重鎧姿のアレックスを見送って、ディランは苦笑する。
受付の仕切りから工房側に身を乗り出し、満足気な表情を浮かべて紙巻タバコをくゆらせているベンサムに話しかける。
「ベン爺、一括だったよ、すごいね」
「そらま、傍流とはいえ公爵家のお坊ちゃんだからなぁ……。だがな、ありゃ骨の髄までローゼンタールだわな」
「へ? どういう意味?」
「家名なんぞない職人に平気で頭下げやがった、あの小僧。あそこん家はみーんなそうだ……貴族社会の価値観なんぞ平気で越えて行きやがる。それでいて根っからのお貴族様なんだよ、金の使い方が」
聞き様によっては貶しているようにも思えるが、ベンサムの表情をみているとどうやらそうではないらしい。意味を聞いても疑問は深まるばかりで消化不良だが、それを掘り下げようものなら機嫌が悪くなるのは目に見えている。
あの少佐と違って骨の髄まで職人のベンサムは、同じ事を何度も尋ねられるのを嫌う傾向がある。長い付き合いでそれを理解しているから、これ以上問うのはやめにした。
時間が経てば自分にも分かる日が来るだろう、とディランは頭の片隅にそれを追いやった。
バイザーを下ろしたままだったにも関わらず、一瞬訝しむ様な表情をしたあとすぐに「ああ、アレックスか」と納得したように呟く近衛士官に無言で礼をする。おそらく胸元に入った個人識別をみて、すぐに自分だとわかったのだろう。
本来ならば挨拶の一つもすべきなのだろうが、とにかく磨き油の臭いがひどい。この臭いがマシになるまで喋りたくないのが本音だった。
近衛所属の士官達は経験上分かっているのだろう。苦笑しながら、気にするな、と許してくれた。
それと同時に、装備部から直接重鎧を着込んで来たことに、事務所に姿のあった諸兄から豪胆な奴だと異口同音に笑われる。好奇の目にさらされる事など幼少期から慣れっこだった。今更この程度の事など豪胆なうちになど入らない、とアレックスは思う。
騎乗するには邪魔な荷物を、近衛事務所にある自分の装備専用場所に置き、フリューテッド姿のまま厩舎へとやってきた。
磨き油の匂いと重鎧の可動音から、もしかしたら相棒が警戒するかもしれない、と気を揉んでいたが、それは杞憂に過ぎなかった。
相変わらず自分だけには穏やかな眼差しを向けてくるレグルスを見てホッとする。
厩舎の匂いと磨き油の臭いが混じって、奇妙な臭いに変わっている。嗅覚が馬鹿になりそうだ、とアレックスはたまらずバイザーを上げる。
幾分か内側にこもった油の匂いがマシになったのを機に口を開く。
「しばらくこの姿で訓練するからね。お前もこの重さになれておかないと」
アレックスの言葉に、レグルスの反応はない。しばらくして視線があらぬ方向に流れ、ため息をつくようにブルッと鼻を鳴らした。
「あ、お前今ちょっと嫌がったね?」
馬は敏感な生き物だ。鎧の擦れる音、射された油の臭い、いつもと違う重心、通常と異なる事は嫌なのだろう。
気持ちはわかるが慣れてもらわなくては。本気で嫌がっていればもちろん騎乗させはしないだろうから、こうやってアレックスに不満を漏らすだけにとどめているのは相棒なりに甘えている証拠だろうか。
かわいいと思う反面、それを許しては主導権を明け渡してしまう。
「めっ」
瞳を睨めつけて幼児を相手にするように注意しながら、ちょっと甘やかしすぎかな、とアレックスは頭の片隅で思った。
年末からの慌ただしさを乗り切り、各部署の新年の予算申請時期も終わった今ようやく仕事も程良い量に落ち着いて、午後の休憩をゆっくり取れるようになった。
手の空いている者が茶の用意をするという不文律が何となくできて、それが今日はアレックスだった。
給湯室から運んできたポットからティーカップに茶を注ぎ入れ、王太子から序列順にサーブして行く。
応接セットのテーブルの上にポットの載ったトレイを置き、アレックスは最後に自分の分を手に持って席に着いた。
ようやくゆっくりできるな、と座って一息つけば、隣の席のセーラムが口を開く。
「アレックス、お前仕事上がりに事務所からフリューテッドを着て騎馬修練場に行ってるだろ?」
「ええ、着慣れていないといざというとき困りますし」
アレックスはそれがどうかしましたか?と首を傾げる。そんな事は、近衛に所属する者なら皆知っている。もちろんそれは目の前のこの先輩も同様のはずだ。
装備類は緊急時に備えていつでも着用できるよう、近衛事務所に専用の収納場所があった。
「暗くなってから帰って来るから、お前、
そう言って、セーラムは楽しげに笑う。
「はぁ? そんな馬鹿な話が……騎士団があるのだから、生きた人間でしょう普通」
「甲冑サイズがな、普通より小さいからユリウス王子が蘇ったとか言われているらしいぞ」
ユリウスとは数代前の王の子で、確か初陣で命を落としたのだったか。
「城内の夜の通路を遠くから、カシャン……カシャン…カシャン―――ギャアアァァ」
臨場感たっぷりに身振りと表情付きで脅してくるのに、アレックスの肩がビク、と動く。
その様子に、他の二人から押し殺したような笑い声が漏れた。
「脅かさないで下さい」
「はは、まぁ冗談はさておき、一般兵がビビってんだと。せめて城内を歩くときはバイザー上げるかヘルメットは手に持っとけ」
アレックスは内心でそれじゃあ鍛錬にならないんだけどな、とぼやきつつも、先輩の言葉に黙って従う事にする。
「……わかりました」
アレックスが不承不承そう言った事は、他の者にはお見通しだった。
だが皆慣れたもので、それをおくびにも出さず供された茶を口に運ぶ。
本人は上手く隠しているつもりだろうが、不満が顔に出ている。日頃は完璧に無表情のくせに、執務室にいる間だけは気が緩んでいるようだ。それだけ気を許しているという証拠なのだろう。気安くなればなるほど、実はアレックスの表情は豊かなのだと気が付く。
それを良い事に、こうして茶菓子代わりにからかっては談笑するのが日常になった。
いつの世も、一番下の後輩はそういう運命にあるものなのかもしれない。
淑女教育の賜物なのか定かではないが、アレックスの淹れた茶は美味い。同じ茶葉を使っているはずなのに、明らかに他の年長者二人より美味い茶を淹れる。否、二人が下手すぎるだけかもしれないが。
美味い茶と特別な茶菓子を楽しむ、この穏やかな日常が続けば良いのに、とセーラムは願わずにはいられなかった。
供されてしばらく経った茶を一口含み、王太子はおもむろに話し始める。
「ああ、そうだ。アレックス、母上がまた春の茶会を催すらしくてな。状況的に今年は俺も参加しないといけない訳だが、お前はどうする?」
昨年の春の茶会はシャルシエルの護衛として参加していた。今年は王太子の近侍に上がってしまったため、もうその手は使えない。
「どうすると言われましても……行くなら近侍として参加するしかないのでしょうね」
「行きたくなければ無理をせずとも良いぞ」
主は事も無げにそう言うが、さすがにそれは甘えすぎというものだろう。
ただでさえアレックスに対する政治的な風当たりは厳しい。王妃主催の茶会など最も政治的な的になりやすい。それを欠席したとあれば、また王太子が特別扱いしただの、近侍のくせに王妃への敬意がないだのとカイルラーンが槍玉に挙げられかねない。
内心は確かに面倒で行きたくはない。だが、主の負担になるような事はしたくなかった。
「もちろん近侍としてご一緒いたしますよ」
「そうか……ならばそのように返答しておく」
「承知しました」
警戒すべき人物は三人かな、とアレックスは心の中で呟いた。
※ 西洋柊の花言葉/防衛・防御・家庭の幸せ
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