45・貴賎

 遠くから響いてくる馬の蹄鉄音に、常駐した門衛が流れるように門扉を内側に引いて行く。その動きに合わせて、絶妙なタイミングで一台の馬車ランドーが邸宅の敷地内に吸い込まれて行った。無事通過したのを確認して、また門衛の手によって門扉はピッチリと閉じられる。闇に紛れるようにしてやってきたその黒い車体に家紋は無く、王都だと言うのに広大な敷地を有する公爵家には少々不釣り合いな印象だった。

 馬車が通っても余裕のある道幅に沿って、木々が鬱蒼と生い茂っている。それが内側を隠しているから、門扉が閉ざされてしまえば客が誰なのかを悟られる事はない。

 そういう意味では、秘密の会談を設けるにはうってつけの場所だった。

 御者は慣れた様子で馬車を操って、玄関口まで距離がある敷地内の石畳をゆっくりと走り、綺麗に手入れされた車溜まりに吸い寄せられるかのごとく車輪を止めた。

 客が来る時間がわかっていたのだろう、降車場で執事が出迎えて馬車の扉を開ける。

 黒い車体の内側から男が二人吐き出され、彼らは無言のまま、執事の案内で邸の内側に飲み込まれて行った。


 ローゼンタール家の本邸の客間の応接セットに、男が四人腰掛けている。一人は王太子、その隣にこの家の当主ビクトール・ローゼンタール、そして、残る二人は先ほど到着した客二人だ。

 客の身なりはそれなりに良いが、貴族階級と言うには少々野暮ったい印象を与える。訪問着である三つ揃えではあったが、いつ仕立てた物なのか丈が少し足りなかったり、生地が古臭かったりと、洗練されているとは言い難い。

 だが、それも仕方のない事だ。彼らの子を介して会談の要請をし、それを今日と定めて調整するまでの期間がおよそ二週間。その短期間で新しい服を作らせるのは物理的に難しい。家お抱えの針子や懇意のテーラーがいるのならばともかく、市井のテーラーに依頼しても仕上がりは順番待ちだ。通常一カ月はかかるものなのである。

 彼らより簡素な格好だというのに、王太子の方が余程洗練されていた。

 その王太子の背後にはいつものように私服姿のベリタスが立ち、部屋の内側の扉の前には珍しくセーラムと共にアレックスも立っている。

 伯父のアレイスト経由で事前に調整してあったため、今夜ローゼンタール家の者は執事以外この部屋に近づかない。武門であるローゼンタール家にそう易々と賊が侵入できる事などまず無いに等しい。現役を引退したとはいえ未だ頑健な祖父とアレイスト、それにビクトールの息子達も別室に控えている。だから今夜は扉の外側を固める必要がなかった。

「急な呼びたてに応じてもらい感謝する。時は有限ゆえ社交辞令は抜きに話を進めたい」

 カイルラーンはそう言って、客二人の顔を順に流し見る。

 男二人は緊張した面持ちで、わかりました、とそれぞれに頷いた。

「まずはベルモント男爵殿……貴殿の商会にドルディ商会の持つ商圏を一部移動することにした。商圏はバイラントを軸とした西海のモーレ諸島まで」

 王太子の言葉に、ベルモント男爵は怪訝な表情を浮かべる。

「それはまた結構な領域の移動ですな……ドルディ商会のもつ商圏の六割以上になるはずです。商いの規模が大きくなるのはありがたい話ですが、我が商会でそれを維持できますかどうか。それに、なぜそんな事を……」

「先日、ドルディ商会の荷の中からオピウムが混入された荷が見つかった。よりにもよって、バイラント産の塩からだ。バイラントは黒塩だけでなく通常の白い塩も輸出品目にある。もしもそちらが汚染されれば、アレトニアを通って北に流れた塩で最悪ガルガン地方が落ちる」

「なるほど……それは、私が思っていたよりもはるかに深刻な問題だ」

「商いが大きくなれば収益が増えるのはもちろんだが、貴殿の言ったようにそれを管理運営して行くのは骨が折れるだろう。だが、バイラント周辺を複数商会に分割移譲すれば、かならず目の行き届かない商会が出てくる。故に国内最大手であるベルモント商会への一括移譲しか考えておらぬ。慣れるまではバイラント周辺の操業を五割まで落としても構わぬ。とにかく荷の管理を優先せよ」

「かしこまりました、お引き受けいたします」

 そう言ってしっかりと頷いたベルモント男爵の瞳を見据えた後、視線はその隣の男に移った。

「マーレイ男爵殿……貴殿には、その商い用に船を新造してもらいたい」

「わざわざ新造されるのですか? ベルモント商会程の企業なら、自前で何隻かお持ちでしょう」

 そう言って、マーレイ男爵は良く日に焼けた顔を傾げた。

「という名目で、ガレー船軍艦を数隻用意しておきたいのだ……最悪の事態に備えて」

「ガレー船?! 戦争でもはじまるというのですか」

「それについては確かな事は言えぬ。だが、それを待っていたのではいざ事が起こった場合に間に合わんという事だけは分かっている」

「その根拠をお教え願えますか?」

 王太子はマーレイ男爵の瞳を射るようにじっと見つめ、おもむろに口を開いた。

「長くなるゆえ口を挟まぬよう……近年モルバイン領の麦の収穫量は最低でな。領主はどうにか踏ん張っていたが、昨年蝗害に見舞われた。これがアレトニア国内だけで済むなら事は簡単だが、飛蝗バッタは移動する生き物だからな。モルバイン領に飛来した害虫が何処から来たのかという事の方が重要だ。俺の予想だと、おそらく南……グリギル帝国から渡って来ている。グリギルとは国交がない上に、国情もほとんど分からぬゆえ確かな事は言えぬが、産業が酪農と農業に寄った国で蝗害が起これば、翌年の実りにも影響を及ぼす。それでも民は食わねばならぬから、数年は家畜を潰したり国が食糧を管理したりして持ちこたえる事もできよう。だが、それが過ぎれば民は飢えて死ぬしかない。民が居なくては国は成り立たぬ。今年再びモルバイン領が不作に見舞われれば、おそらくグリギルは山脈を越えてアレトニアうちに攻め込んでくる。自前で調達出来ねば飢えて死ぬしかないのだからな」

「なるほど……戦争が起こる予兆があるのは理解いたしました。しかし、それでもわざわざ船を造る必要があるとは私には思えないのですが」

「軍を動かすには兵站食料が必要だろう。だが、兵站を徴収する領の穀倉を管理する農務部が、保守派に牛耳られている。グリギルは討たねばならぬから、開戦すぐは心配いらん。だが、勝ちの確定が見えた瞬間に、おそらく補給は止まる。俺の首が邪魔な者が居るからな。官憲も保守派ゆえ、陸路での兵站の補給はアテに出来ぬ。ならば海路しか残されておらぬが、その為には船が必要だ。だが、無武装の船ではみすみす海賊に荷を奪われかねん」

「不作状況を確認してから船の建造に取りかかっても確かに間に合いませんな……なるほど、そういう事ですか」

「現状は机上の空論でしかない。ゆえに、国として着手金の予算を組む事はできん。事が起こって運用され、初めて予算として計上できるのだ。もしも俺の予想が外れれば、一番損害が大きいのはマーレイ造船になる。正直な所、フォルス造船とマーレイ造船、この話をどちらに持ち込むかで迷った。その末に、貴殿の子息に話を聞いて、マーレイ造船を選んだ。貴殿ならば、利よりも民を取る、と」

 マーレイ男爵は苦笑して、弱ったようにガリガリと頭を掻いた。

「うちの愚息は何を言ったんだか……参りましたな。だが、この間馬に乗って帰って来た愚息がね、言ったんですわ。ローゼンタールの少佐をね、尊敬していると……その少佐が付き従っているのだから、王太子殿下もきっと信頼できるお方に違いない、と」

 無骨な笑みを浮かべたマーレイ男爵の視線が、ちら、と一瞬アレックスに流れた。

「ほう……俺よりアレックスの方が信頼されているという訳だな。これは責任重大だ、あの御しがたい部下に寝首を掻かれぬよう気をつけておかなくては」

 そう言って、王太子は男爵二人の方に向いたまま、ニヤリと皮肉な笑みを浮かべた。

 アレックスはその言葉に、無表情だった瞳を細く眇める。それを黙って見守っていた部屋の中の同席者達は、それぞれに愉快気に笑った。

「それでアレックスよ、私はモルバイン子爵家の後ろ盾の件を了承した覚えは無いんだがな」

 黙って会談に同席していたビクトールが、御しがたい部下アレックスの話題に便乗して話を振る。

「そうですね、急いでおりましたし」

 そう言って、アレックスは悪びれもせずに伯父に笑顔を向けた。

「同席して話を聞いていらしたのだからお分かりでしょう? 兵站を積む船があっても、肝心の中身が無ければ意味がないのです。モルバイン領の穀倉は今空っぽの状態です。開戦して食糧が高騰する前に、ベルモント商会経由で近隣国から大量に麦を調達しても怪しまれません。それこそ、目いっぱい余剰在庫を抱えても……不作だから足りない、とごまかしておけば良い。物は麦ですから、古い物から使って、常に新しい物を足して行けばいい。最悪殿下の予想が外れても、食べてしまうかまた売れば良いのだから、無駄にはなりません」

 頭のキレる甥っ子・・・がそう言いきったのに、伯父は溜息をついた。

「お前は……少しは私の立場も考えろ、当主が事態を把握していないなどという事はありえんだろう」

「お爺様が、伯父上を遠慮なく頼れと。伯父上の父であらせられるグスタフ卿が、遠慮なく頼れと」

 言い含めるように二度同じ内容を繰りえして、ふてぶてしく満面の笑みを浮かべた。

 その様子に、ビクトールは顔に手を当て、長い息を吐きだす。

 男系の血が濃いローゼンタール家で唯一の女児・・として生まれたアレックスを猫かわいがりしているグスタフだ。グスタフ自身に事前に相談がなかったとしても、話を聞いて許可したといけしゃあしゃあと言うに決まっている。

 どの孫も等しくかわいがる父だが、アレックスだけは別格というのは一族の共通認識だ。それでも、それについて不満を言う者は一人もいない。何故ならグスタフ以外の者達も、アレックスがかわいくて仕方がないのだから。年末の夜会で乗せられて踊ってしまうほどに。

「身代が傾く程とは言いませんが、買えるだけ買って下さい。ついでに、お爺様が現役時代に貯めてらした資産があったでしょう? 剣が欲しいと言って家とは別に蓄えていた分が。どうせ寝かせているのだから、それもアテにしていますと伝えておいてください」

 私が言うのか、とビクトールは漏らして、げんなりした表情を浮かべる。

「お前は家に頼りたくないと言ってたんじゃないのか」

「城に上がる時に腹を括ったのですよ。使えるものは何でも使ってやると開き直りました」

 さぁ、金を出して下さい、と幻聴が聞こえた気がした。

「ああ、分かった。父上にも伝えておく」

 疲れたようにそう漏らした当主の姿に、同席者達の間に生温かい笑みがこぼれた。


 ――― 公爵も気の毒に……。




 シノン本邸から出された馬車に乗って、モルバイン家の姉弟はモアレの別邸に辿りついた。

 二人はマリィツアの部屋に通され、寝台の脇にある椅子にトニーが座っている。その傍らに、ミアは立っていた。

「ごめんなさいね、わたくしが談話室まで行けたら良かったのだけど、着替える事ができなくて……。トニーも辛くはない?」

 そう言って笑うマリィツアを、二人は緊張した面持ちで見つめる。

 トニーは小さく、大丈夫です、と返した。

「若い子が居なくなってしまったから、あなたが来てくれて助かるわ、ミア。二人一緒にいられるように大き目の使用人室を用意したから、そちらで生活なさい。トニーは体調が良い日があれば、オータスに勉強を教えてもらうと良いわ」

「あの……奥様、私……こんなに良くしていただくわけには参りません」

 そう言って、苦しげに眉根を寄せるミアを、マリィツアは厳しい顔をして見上げる。

「それまでの行いによって人の価値は決まる……あなたは、手を差し伸べてやりたい、と思わせる人であった、という事なの。そうでなかったら、あの子はあなたを許さなかったでしょう。もしもあなたのせいでアレックスが死んでいたら、わたくしはあなたを許しはしなかった……母親とは、そういうものだから。けれど、あの子は生きていて、あの子自身があなたを許すと決めた。あの子はとっくにわたくしの手を離れた大人です。だから、あの子の決めた事にわたくしが口を出す権利はないの。あなたの給金も、あの子の資産から払われるのだから」

 そこまでを言いきって、マリィツアは呼吸を整えるように軽く息をつく。

 そして、再び我が子をみるような深い慈愛に満ちた笑みを浮かべた。

「ミア、過ぎた事を蒸し返す事に意味はないのです。あなたはまだ若い。あなたの人生はこれからなのだから、差し伸べられた手に感謝して、精一杯生きなさい」

 マリィツアは枕元に置いてあった封筒を取り、その中から一枚の汚れた金貨を取りだした。それを、ミアに向かって差し出す。

「どんな内容であったとしても、自身の責において為された仕事に対する報酬は受け取らなければならない。受け取った後の使い道については、あなたが考えなさい、とアレックスが」

 ミアは前かがみで金貨を両手で受け取って、苦しさを訴える自身の胸元にあてがった。

 また泣いてしまいそうになる自分を叱咤する。もう充分に泣いたのだ。新しい主となったアレックスの母であるマリィツアの言うとおり、差し伸べられたいくつもの手に感謝して、精一杯働こう、とミアは思った。

「はい、精一杯務めさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」

 深々と頭を下げたミアの手に、傍らに座る弟の手が重なった。

 こらえたはずの涙が一粒零れ落ちた。

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