40・誓約

「ご注文の品が届きましたよ殿下」

 ベリタスは検閲所に届いていた荷物を受け取って、王太子執務室へと戻ってきたばかりだった。

 二月はアレックスの誕生月で、随分前から主が贈り物に悩んでいた事を知っている。

 何か気の利いたものを贈りたいと思う気持ちは自分にも理解できる。相手が想い人であるのだから尚更だろう。

 だが、何を贈るにせよ制約の多い主は、そのわずかな隙間を根こそぎ潰す勢いで品を選ばなくてはならず、手配期限ギリギリまで悩んでいた。

 カイルラーンにとっては想いを自覚して初めての贈り物なのだから、それもまた恋の醍醐味として楽しんでもらいたいとベリタスは思っている。

 熟考の末に王太子が選んだのは、海を渡った先にある貿易国バイラント産の岩塩だった。

 この塩はほんのりと黒く、調味料として使う以外にも、風呂にひと匙入れるだけで様々な効能がある事でも知られている。

 夏にアレックスから贈られたものが真っ白な砂糖だったので、その対になるように黒い塩を選んだのだろう。そして、バイラントは王妃リカチェの生国でもあった。

 こと恋愛に関しては年長者のベリタスの方が経験値は高い。だから、長い付き合いもあって王太子の心の動きが手に取るようにわかってしまう。

 風呂に入る度その塩の色を見て自分を思い浮かべてほしいなどと考えているのだろうと思うと、うっかり顔がにやけそうになってしまう。黒は主の髪の色でもあるのだから。

 ここ一年、今までお目にかかれなかった主の初心な一面を幾度も間近で見る事になり、ベリタスはアレックスに直接礼が言いたいくらいの気分だった。

「届いたか」

 執務机で書類に目を通していた王太子は、ベリタスの言葉に席を立った。そのまま近づいて来て、木箱の中の緩衝材に埋もれるようにして三つ収まっている岩塩の瓶のうちの一つを取り出す。それは、すでに検閲所で封が切られたものだ。

 主はその瓶の蓋を開け、中を確認するように匂いを嗅いだ。その瞬間、常に酷薄な印象の目元が、不快感を表すように怒りに満ちるのが分かった。

「何か問題でもありましたか」

「小便くさい……オピウム芥子だ」

 その不穏な言葉にベリタスは眉根を寄せ、主の手から瓶を受け取って匂いを確認する。

 確かにほんのりと独特の臭気があるようにも思うが、カイルラーンの言うほどには違和感を覚えない。というのも、バイラントの黒い塩とはそういうものだからだ。太古に噴火した火山を国土に持つバイラントでは、海水と溶岩が混じり合って出来た塩が採掘される。それ故黒く色付き、塩そのものから鉱物の匂いがするのだ。だが、それこそがバイラント産を証明するものでもあった。

 とはいえ、幼少期から毒物に触れてきた主が言うのだから、オピウムが混入されているのは間違いがないのだろう。

 濃度的にはすぐに変調をきたすほどではないだろうが、これを経口摂取したり風呂に入れたりして使い続ければ、確実に体を損なう代物だった。山岳信仰の強い地域の少数部族の怪しげな祈祷師や巫女だとか言う連中が使うオピウムは中毒性が高く、精神を病む植物だった。

「姑息な真似を……。セーラム、この塩の出所を調べろ」

「承知しました」

 おそらくその出所を追ったとしても、黒幕には辿りつけないのだろう。正妃候補の誕生月間近に手配される、形に残らない贈り物の存在を知っているのは、王太子から個人に宛てた贈り物がそういうものであると知っている人物に他ならない。ましてそれがアレックスの誕生月に合わせてあるとしたら、狙われたのは確実にアレックスだ。

 常に表情を崩さない主の顔は、オピウムの匂いを察した瞬間からずっと厳しいままだった。

 カイルラーンは調査を命じながら、セーラムの瞳に厳しい視線を送る。

 それを受けて、彼は黙って頷いた。


 ―――わかっております。アレックスに悟らせるような事は致しません。

 

 

 近衛の内部試験から一週間後、正式な内示が下りた。明日からの配置転換に備えて、アレックスは挨拶がてらシルバルド師団の事務所を訪れていた。

 師団事務所に残した私物はほとんどないが、一年在籍していれば多少引き継ぐ仕事はある。期日まで時間的に余裕があるからと後回しにしていた書類を担当佐官に返したり、士官候補生の訓練の進捗状況を後任者に説明したりといった、こまごまとした引き継ぎを終え、ソルマーレに挨拶をして師団事務所を辞して来た。

 シルバルド師団にあったレグルスの馬房も近衛の厩舎に移動になるため、アレックスは相棒を引き取りに厩舎へ向かう。

 時刻は正午を少し過ぎた頃。昼食を摂りに食堂へ向かった者が多いのか人気はなかった。

 あと数歩で厩舎の入り口という所で、背後から声が掛った。

「ローゼンタール大尉!」

 ここ数カ月耳にしていなかった声だった。だが、その声はよく知っている。

 振り返って笑顔を向ける。

「ロル、どうした」

 走ってきたのか、肩が上下している。

 一瞬その場で息を整えるように一呼吸吐き出して、ロルは口を開いた。

「近衛に移動になったって聞いて……俺やっと尉官に上がれたから、また一緒に働けると思ってた……思っていました」

 そう言って、ロルはバツが悪そうな表情を浮かべた。無理をして丁寧な言葉を使うその様子に苦笑する。

「のんびりしてたら先に行くって言っただろう?」

「それにしたって早すぎますよ……本当にあなたには敵わない」

 ロルが別れを惜しんでくれているのだとわかって、嬉しかった。それと同時にともに訓練に励んだ日々を思い出して少し寂しい。

 そういえば近衛に上がるセーラムも、こうして会いに来てくれたのだったな、と思い出す。

 あの時の彼も、今の自分と似たような気持ちだったのだろうか。

 アレックスは隊服の上に着た外套の襟に付けてあった階級章を外した。それを、ロルに向かって投げる。

 冬の緩やかな日差しの中、鈍い光を放ちながら綺麗な放物線を描いたそれは、ロルの両手の中に吸い込まれて行った。


 ―――早く大尉まで上がって来い。


「また一緒に仕事ができる日を楽しみにしてる」

「はい、また」

 利き手に階級章を強く握りこんで寂しげに笑うロルに頷いて、背中を向ける。寂寥感に後ろ髪を引かれるが、アレックスは振り返らなかった。

 軍人に別れは付き物だ。戦場に向かえば二度と言葉を交わせなくなる者もいる。少なくとも、互いの生死にかかわる別れではないのだから。

 真面目で能力の高いロルは時間がかかっても必ず昇進して来るだろう。だからまた共に働ける日が来る、とアレックスは思った。

 


 近衛の厩舎にレグルスを移動し、アレックスはいつもより早めに自室に戻った。

「お帰りなさいませ、アレックス様」

「ただいま、サラ」

 部屋の中に入ると、ちょうど受け取ったばかりだったのか、両手に大きな箱を抱えたサラが立っていた。

「騎士団からだそうです」

 そう言って、サラはそれを机に置いた。中身はおそらく臙脂の隊服だろう。

「新しい隊服だろうね」

 そう返しながら腰から剣を外し、机まで移動する。

 アレックスはサラに剣を預け、ソファに座って眼前の箱を開けた。

 思った通り、中には近衛の隊服が入っていた。そして、その臙脂の布地の上に小さな箱と一振りの剣が置かれていた。

「新しい剣も入っていますね」

「うん……」

 触れるまでもなく、その剣が特別なものだとわかる。

 今まで使っていた物は軍の規格に合わせた量産品だったが、その剣はきちんとした鍛冶で打たれた名工品だった。

 箱から出して握ってみれば、それはすんなりとアレックスの手に馴染んだ。手の大きさに合わせた径の柄をあつらえてあるのだ。

 その鍔の中心に刻印されているのはシルバルドの星―――王太子の側近である事を示す印だ。

 そして、小さな箱に入っていたのもまた、シルバルドの星を模った徽章だった。王族の側近になれば、階級章の代わりに主の印を身につける事になる。それが身分を証明し、側近以外の士官では得られない権限の保障となる。

 自由裁量で動く事が可能になる反面、己が何か問題を起こせば、それは主の責任となってしまう。

 だからこそ、側近になるという事は、己の身を捧げ忠誠を誓うという誓約と引き換えだった。王太子宛ての贈り物のカードに記した通り、星を下賜された今、剣と盾を王太子に捧げる。

 これで、アレックスは名実ともにカイルラーンだけの騎士となったのだ。

「あっという間に出世されて……本当にアレックス様は凄い」

 感極まったように言ったサラに微笑む。

「サラやキミーの支えがあったからだよ、ありがとう。これからも頼むね」

「もちろんでございます」

 満面の笑みを浮かべたサラの様子に、心が癒されて行くような気がした。


 ―――私はまだ頑張れる。



 翌日、アレックスは朝一番で近衛事務所に向かった。そこで近衛隊長レイノル・バルスタンと、その副官であるサイラス・セザールに簡単な挨拶をした後、王太子の第一近侍であるベリタスと連れ立って内宮にある王太子執務室にやってきた。

 執務室に入ると、すでにそこには王太子とセーラムが机に向かっていた。

「来たな」

 朝一番に上がってくる関係各所の報告書の束から一瞬アレックスに視線を流し、すぐにまた王太子は視線を戻した。

 その表情はいつも通り、感情の読み取りにくい無表情だった。

 アレックスは王太子の執務机の前まで歩いて行き、その場で軍式の礼を取った。

「本日よりお仕えするアレクサンドル・ローゼンタール少佐であります。よろしくお願いいたします」

「ん。名前は嫌というほど知っている……無駄な挨拶はいらぬから、仕事の説明の前に装備部に行って来い」

「装備部ですか……」

 書類から目を離す事もなく、王太子は更に先を続ける。

「近衛に上がればフリューテッドが必要になるからな。お前のサイズだとおそらく特注になるから早く作らせないといざという時困る」

 近年は落ち着いているとはいえ、騎士である以上内乱や戦争に備えた装備をそろえなくてはならない。

 下級騎士なら革鎧でも戦場に駆り出されるが、その分命を落とす危険性は跳ね上がる。

 近衛は王族を護るための組織だから、王太子が戦場に赴けばもちろん傍近くで戦わなくてはならない。故に死は隣り合わせで、革鎧程度では主を護りきる前に死んでしまう。そのため、板金鎧であるフリューテッドアーマーは上級士官の必須装備でもあった。ただし、特殊な加工の施された板金重鎧はそれなりに値の張る物だ。

「承知しました。行ってまいります」

 アレックスは頷いて、外宮にある装備部に向かった。装備部は主に騎士団員が身につける特殊装備を専門に扱う部署だった。隊服から鎧、剣や盾に至るまであらゆる物を装備部が手配、作成している。

 アレックスは歩きながら、小さな溜息をついた。

 軍人は持ち出しが多い。隊服や最低限の剣、馬の維持費は国が負担してくれるが、馬そのものや馬鎧、自分が身につける鎧は個人負担となってしまう。

 尉官昇進した騎士はまず、自分専用の馬を買う。アレックスはレグルスがいたから馬を買う必要はなかったが、個人資産がなければ騎士の身分を担保に国から資金を借りて購入する。支払いは給与から割賦で差し引きされる。

 同様に、高額な鎧類もまた、そうして個人で用意せねばならなかった。

 もちろん上級士官である近衛の給与は下級士官よりも格段に多い。

 本来なら近衛昇進までに勤続年数を重ねて行くから、その間に昇進を見越してある程度蓄えて行くものだが、アレックスは短期間で昇進してしまったがために、金銭的な備えが全くなかった。

 後宮で生活していて給与はほとんど使う必要がないとはいえ、昨年末に衣類をたくさん新調したばかりで、そんなに残ってはいないだろう。

 支払いが終わるまでは死ねないな、と遠い目をしながら歩いて行く。

 装備部の扉を開けると、そこにはいかにも職人という顔つきの男たちが居た。大きな工房という雰囲気で、それぞれが持ち場で様々な装備品を作っている。

「ああ、あなたがその隊服の宛先でしたか」

 入ってすぐの場所に受付のようなカウンターがあり、その内側で事務仕事をしていた男が声を掛けてきた。意味深な言葉を吐いた彼に、アレックスは首を傾げる。

 男は座っていた事務机の前から歩いて来て、カウンター越しに立った。

「いえ、こちらの話で失礼しました。王太子殿下の近侍殿、ご用件をお伺いいたします」

 襟に付けられた徽章を見取ったのだろう、男はそう言って人好きのする笑みを浮かべた。

「フリューテッドを注文したくて」

「なるほど、かしこまりました。採寸いたしましょう」

 男は内側から出てきて、こちらへとアレックスを工房へと案内した。

「ベン爺、お客様だよ」

 工房の中について行くと、座って作業をする白髪頭の職人の後ろ姿が見えた。

 深い皺が刻まれ、いかにも職人気質という風貌をした気難しい雰囲気の老爺は、アレックスを値踏みするように片眉を上げて渋い表情を浮かべた。

「まったえらい細っこいのが来たな……最近の近衛はこんな若けえのでも入れんのか。まぁええ、ほんでこの兄ちゃんは何が必要だって?」

「ベン爺フリューテッドだってさ」

「重鎧なんぞ着て動けんのかい……どれお前さん、手え出してみな」

 アレックスは老爺の言うとおり、彼の前に両手を差し出した。それを、老職人の節くれだったゴツイ指が検分するように押えて行く。

「ふん、近衛っちゅうのも伊達じゃあねぇんだな。で、お前さん名は」

「アレクサンドル・ローゼンタールと申します」

 アレックスの言葉に、翁は驚いたような表情を浮かべた。

「いやぁわからんもんだな、グスタフんとこの子かい。おっかさんの血がよう出たんだな」

 翁はそう言って立ちあがった。背丈はアレックスとそう変わらないが、下半身に比べ、上半身が発達して大きいのは鍛冶師の証かもしれない。

 老爺はアレックスの顔をまじまじと眺めながら口を開いた。

「その目……ジル坊の子か。いやあ、長生きしてみるもんだ」

「父の事をご存知なのですね」

「まあな、この仕事なげぇからな。グスタフもアレイストもジルも全員わしが鎧を打ったからな。孫の代までわしが打つ事になるたぁ思わんかったがな」

 そう言って、翁はガハハと豪快に笑っている。

 ひとしきり笑って、彼はふむ、と手にあごを載せてしばらく考え込むようにしてアレックスを眺めたあと口を開いた。

「ディラン、王太子殿下の初陣の時のフリューテッドがあったろ、あれ持ってこい」

「はいただいまー」

 そう言って、ディランと呼ばれた受付の男は工房の奥にある扉の先に消えて行った。アレックスはその後ろ姿を見送って、口を開く。

「殿下の鎧を私なんかが引き継いで構わないのですか」

「武器も鎧も使わにゃただのガラクタだしな。それに、お前さんは殿下の騎士なんだから、なんも問題なかろうて」

 そう言って、翁は穏やかな笑みを浮かべてアレックスの徽章をトントンと指で叩いた。

「殿下の着用品の払い下げだから物は良い上に安い。まぁ、ほかの騎士だとガタイが良すぎて着られないからな。倉庫の片隅で埃かぶって錆びつくよか、お前さんが着てくれた方が鎧も喜ぶだろ。内張りと弄れる意匠は変えてやるから心配するな」

 に、と歯を剥いて笑う翁につられてアレックスも笑った。

 懐具合もさびしかった事だし、安いならまぁ良いか、と納得する事にする。我ながら現金な気もするが、贅沢は言っていられないのだ。

 その後、台車に重鎧を載せて戻ってきたディランに全身を細かく採寸された後、アレックスは執務室に戻ったのだった。





フリューテッドアーマー/板金重鎧の一種。大多数の人が思い浮かべる騎士の甲冑。フルプレートアーマーといった総重量40kg近い重鎧も中世以前は着用していたようですが、重すぎて現実的ではないことから改良されて、18kg程度に軽量化された鎧。


オピウム/阿片。抽出された濃縮物はアンモニア臭がする。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る