32・粛清

 季節は移ろう。秋の落葉も終わりを迎え、佇んだ木々が寒々しい裸木になった頃、アレックスはなし崩し的に続けて来た付き合いの茶会への身支度を整えている最中だった。

「あら……やっぱり窮屈そうですね」

 夏場は風通しの良い、ゆったりとした薄着で済ませていたからわからなかったが、秋冬物の衣類に袖を通してみて始めて分かった。騎士団に入って肉体労働を強いられるうちに、アレックスは体型が変わってしまっていた。

 開放感のある夏物に比べ、厚手の衣類は体の線に沿った縫製になっている。ズボンは少し丈が足りないし、コート類は肩周りが若干窮屈な気がする。

「少し大きめのものを探してまいります」

 そう言ってサラは衣装部屋へと消えて行った。

「直しに出すにしても一度テーラーを呼んだ方がよろしゅうございますね」

 キミーの言う通り、何着かは直しに出し、足りない分は新しく誂える必要がある。

 軍から給金も出ているし、それでどうにかなるだろう。

「次の夜間警備明けにベノワドゥのマダムを呼んでおいてくれる? 女官長に話を通してここに招いて」

 ローゼンタール懇意のテーラーは紳士物が得意でもあるし、伯父の顔を立てて本来ならそちらを呼ぶべきなのだろうが、裁縫師が男性で後宮に招くことはできない。だから、夜会の時にも世話になったベノワドゥのマダムを呼ぶことにした。

「かしこまりました」

 

 

 これまではシャルシエルから届いていた招待が、今回は珍しくビビアンから届いた。いつもシャルシエルに任せきりなのを気遣ったのだろう、別の令嬢の部屋に招待されても集まるメンバーは違わないはずだ。

 アレックスはサラが選んだ服を着て身支度を整え、いつものように連れ立ってビビアンの部屋を訪う。

 部屋付き侍女にポムグラッセセミドライりんごを渡し部屋を辞していくサラを見送って席に着くと、そこにはシャルシエルの姿はない。

「今日はシャルシエル様は……」

「しばらくはご一緒できないと思いますわ……保守派が大粛清されてますもの」

 今日の茶会の主催であるビビアンが深刻な表情で答えた。

「保守派の大粛清……ですか。シャルシエル様には政治派閥の拮抗図など関係ないのでは?」

 ビビアンの言う保守派とは、旧態依然とした既得権益を守ろうと必死になっている者達を指す。血統を重んじ、新興貴族を軽んじる傾向にあった。

 アレトニア国の政治層には、大まかに保守派、中立派、軍拡派が存在している。

 中立派とは、基本的には王の意向に沿いながら、もしもその王の治世に問題が生じたら、それを諌め、正して行く者たちを指す。柔軟な考え方を持ち、能力ある者は労働階級からでも受け入れようという合理的な考え方を持つものが多い。

 アレックスの生家ローゼンタールもこの中立派に属している。そもそもローゼンタール家が武門でありながら公爵家なのは、歴代の王への抑止力として存在してきたからだ。

 歴史を紐解けば、統治者の乱心で滅亡した国は枚挙に遑がない。唯一、王の暴虐に対抗する為に公爵という地位を与えられた一族なのである。

 軍拡派とは、読んで字のごとく軍拡を掲げ、とにかく他国を占領せよと声高に謳う者たちを指していた。過激で血の気が多く、軍部と警務部を掌握しようと躍起になっている。今はこの軍拡派を、受け継がれてきたローゼンタールの繋がりで押さえ込んでいる状態だ。

「アルフレッド殿下は王位への復権を狙っていらっしゃる、という話ですわ。その証拠に、政治的な干渉をしてシャルシエル様を正妃候補にねじ込んだというのは有名な話しですし……」

 そう言って、イデアは物憂げなため息を吐きだした。

 王弟アルフレッドは王位継承権を放棄し、今は王家の直轄地の一つである公爵家の領地を治めている領主にすぎない。王家に忠誠を誓う臣下の中で、ただ一人政治的な干渉から程遠いはずの人物だ。

「アルフレッド殿下は、正妃候補の選出の際に保守派の考えを支持する、とおっしゃったそうです」

 キティの言葉に、アレックスは驚きに目を見張った。

 その言葉が事実なら、国を護る立場の王族が、政治に混乱を生じさせるような発言をした事になる。

 道理あっての保守派支持ならばともかく、現王ディーンの政策に逆行している事になる。国内有力者を男爵に叙し、新興貴族を増やしているのは他ならぬ王だからだ。

 その王の政策に不満を持っているだろう保守派を支持すると王弟であるアルフレッドが言えば、政治の勢力図は大きく変わる。それほどに危険だからこそ、王位継承権を放棄した王族は政治に干渉してはならないのだ。

 保守派の後押しを得てシャルシエルが後宮に入ったのだとすれば、他の令嬢達とは婚姻の意味が違って来る。

 もしも王太子がシャルシエルを正妃に選んだら、現王ディーンから王位を継いだ後に、王位から遠のいたはずの叔父の干渉を受けてしまう事になる。つまりは、父が築いて来た治世を、自分の代で再び旧態とした政治に戻してしまいかねないという事だ。他の臣下にはできなくても、王族であるアルフレッドだけは義理の父という立場を利用して干渉できてしまう事になる。

 保守派はアルフレッドを推すだろう。彼についていれば、自分たちの思い描く未来が待っているのだから。

 だが、それは一体誰の為の政治なのか。

 入宮前の夜会でカイルラーンは言っていた。軍拡の時代は終わり、貿易と国交によって国が発展して行く時代が来ると。その言葉は、少なくとも貴族という支配階級の為の政治を意味してはいない筈だ。

 アレックスは背筋が凍るような気がした。

 アルフレッドは一体何の為に権力を欲しているのだろう。

「シャルシエル様の本音まではわたくし達にはわかりませんわ。でも、アレックス様に私たちを自ら引き合わせたのですから、おそらくお父様でいらっしゃるアルフレッド殿下とはお考えが違うのではないかと思うのです……わたくし達の家は中立派ですから」

 そう言って、ビビアンの切れ長の瞳は痛ましげに瞬く。

「けれど、部屋には招待出来ないのです……。今回の粛清には、中立派であるシノン伯が関わっておいでですから……」

 自分の預かり知らぬ所で、大きな物が動いていたのだという事だけはわかる。税務に属する納税監査院は、貴族階級だけの税の流れを追う部門だった。伯父はその監査院で事務方の最高位の総長という役職についている。公金の不透明な流れを追い、貴族が不当な財を蓄えないように監視する立場にある。あの伯父が動いたのだとすれば、粛清は苛烈な物になるだろう。

 シャルシエルが同席できないはずだ。中立派の令嬢達の集まりに、シノンの血を引く自分までもが同席しているのだから。

「シャルシエル様の部屋付きの侍女はご生家から連れて来られた方々ですから、アルフレッド殿下には茶会の内容は筒抜けのはずです。ですから、今後はシャルシエル様からのご招待はしばらくないのではないかと」

 秋の穏やかな日差しが差し込む部屋の中に、陰鬱なため息が重なった。

 アレックスはすっかりぬるくなった茶を飲みながらシャルシエルを思う。

 彼女の父の思惑も気になるが、それ以上にシャルシエルの本音が知りたかった。


 ―――あなたは令嬢達を私に引き合わせて、一体何をさせたかったの?



 ビビアンの部屋での茶会から四日が過ぎた。

 夜間警備明けの日の午後、テーラーベノワドゥの店主マダムカミナが女官長に連れられてやって来た。

「アレックス様、お久しぶりでございます」

 カミナは部屋に入るとアレックスの姿を確認してふっくらとした頬に笑みを浮かべた。

 シノン家お抱えの針子である彼女は豊満な体型をした女性で、母よりも一回りは上の年齢になるのだったか。

 職人らしくこだわりを持った仕事をするはっきりとした性格の女性で、豪快に笑うこのマダムをアレックスは好ましく思っている。

「マダムカミナ、一年振りくらいかな? お元気そうで何よりだ」

「アタシは頑丈なのが取り柄ですからね。それに、アレックス様のおかげで儲けさせていただいてますよ……昨年の夜会からこっち仕事の依頼が増えました。あの衣装、夜会で評判だったらしくて」

 そう言って、カミナは商売人らしくにんまりと笑った。

「難しい仕事をさせてしまったのに、あれだけの物を仕立ててもらったんだ……あなたで無ければあの仕上がりにはならなかっただろう。だから評判になるのは当然じゃないかな」

「まぁ、嬉しいことをおっしゃいますこと……それはそうと、少し大きくなられたのかしら?」

「ああ、少し背が伸びたのかもしれない。肩周りも若干窮屈でね」

「では採寸させていただきましょう」

 カミナはそう言って持参した大きなトランクを開けて巻尺と顧客カードを取り出した。

 口を大きく開けた革鞄の腹の中は、様々な布地や糸、装飾品であふれていた。

 アレックスは採寸のために着ていたコート類を脱ぎ、しばらくカミナの指示通り腕を広げたりして測られるままになる。

 彼女はアレックスの名前が記された顧客カードの空き欄に、測ったサイズを書き留めて行く。サラサラとペンを走らせながら、口を開いた。

「背はあまり変わってらっしゃいませんね……下半身についた筋肉のせいで生地が上がってしまうから丈が足りなくなったのね。コート類も同じ……全体的に少したくましくなられたんだと思います」

 カミナの言葉にアレックスは苦笑した。背が伸びているのかと少し期待していたのに、まさか筋肉のせいだったとは。残念ではあるが納得もした。あれだけの訓練を受けているのだから、体型とて変化もするだろう。それでも同僚に比べれば華奢であることに変わりはないが。

 採寸が済んだのを見てとって、キミーが応接セットのテーブルにお茶を置いて行った。

 マダムと向かい合って茶を飲みながら、直しに出す物や、新しく仕立てる物の打ち合わせをする。

 布地の傷み具合や流行を考慮して、直しに出す物の選択はサラに任せていた。サラはそれらを衣装部屋から運んで来て机の上に置いた。

 新しく誂える物は、それら既存の物と色柄や装飾が似通わないように布地やボタンを選ぶ必要があるからだ。

 最近の流行や自分に似合う物を選ぶ自信のないアレックスは、サラに同席を頼んで一緒に布地や装飾の見本を眺める。色と一口に言っても、無数に同系色は存在するものだ。その微妙な色合いの加減がアレックスには難しい。

 主人である自分を着飾ることに余念がない侍女は、嬉々としてサンプルの生地をアレックスの首の近くに宛てがっている。

 茶会の時の支度を思いだし、アレックスは心の中で「これは長くなりそうだな」と呟く。

 サラが楽しんでいるのならそれを嫌だとは思わないが、何せ手持ち無沙汰には違いない。

 生地の束はサラに任せておくことにして、仕切りのついたケースに収められた飾りボタンや装飾小物を手に取る。

 種類が多いのかそれは何段にも積み重なっていて、興味を引かれて一番上の段を持ち上げてみて目を見開いた。

 そこに収まった装飾に縫い止められたように視線が外せない。

「あら、それお気に召されました? 騎士団に入られたと聞いたから、もしかしてと思って入れてきたのですけど」

 カミナがふふふ、と笑ったのに、アレックスは頷いた。

「ああ、マダム……これをいただいても?」

 

 

 マダムカミナが採寸に訪れたあの日、主人は装飾小物にリボン、金具や糸等を服の仕立てとは別に購入していた。

 そんな物をどうして求めるのかと尋ねれば、作りたいものがあるのだと返って来た。

 裁縫箱はないかと聞かれて、実家から持ってきていたサラの私物を渡せば、しばらく借りていても良いかと尋ねられる。

 何かを繕う予定もないので、構わないと返すと、アレックスはその日から何かを作り始めたようだ。

 サラとキミーが仕事を終え、アレックスの部屋を辞してから作業をしているようで、何を作っているのかは分からない。

 ただでさえ仕事も大変なのに、寝るまでの間の寸暇に無理を押しているのではないかと心配になる。

 今日も疲れたようにソファの背もたれに首を預け、こめかみを揉む主人に食後の茶を淹れて、諭すように口を開く。

「あまり根を詰めないようにして下さいね」

「ああ、うん。ありがとう」

 そう言って穏やかな表情で笑顔を向けられては、もうそれ以上強くは言えなくなってしまう。

 本当に仕方ないんだから、と内心思いながら部屋を辞すが、仕方がないのは自分自身だわ、とため息をついて閉まった扉に背を預ける。

 憧れと、淡い恋心と、越えられない身分差への切なさと。

 これ以上はなにも望まないと思っていたのに、欲深くなって行く自分が情けなかった。

 それでもサラは幸せだった。側近く仕える事ができて、言葉を交わし、世話を焼く事ができるのだから。

 ツキンと少しだけ痛んだ胸に思わず手を当てて、俯いた。


 ―――ダメよ。これ以上多くを望んではダメ。

 

 決意したようにサラは再び顔を上げ、自分の部屋に向かって歩き出した。

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