29・意図

「どうしてこちらの動きが読まれたのかが未だに謎です……これがクレスティナ師団相手ならわかるんですがね」

 濃紺の隊服を着た男が思案するように腕を組んで首を傾げる。

「クレスティナにはキーリスがいるからな。だがまぁ、今回は仕方がない……私の相弟子がいたからな」

 先日ロブロフォスで行われた合同演習の報告書を手にしながら、白に臙脂の縁取りの隊服を着た男は言う。

「相弟子……ここ近年グスタフ卿の弟子なんかシルバルドにいましたっけ」

「アレクサンドル・ローゼンタール……師匠の孫だ」

「んん……え? あの、最近噂のロゼアベイユですか?」

 そんなヤツいたかな、と佐官は頭を掻く。

「たしか最速で尉官昇進したって話でしたよね。尉官の中にそれっぽい者はいなかったように思うのですがね」

「お前最後に一般兵に背後から討たれたと言っていたな。どんなやつだった」

 佐官は顎を揉みながら、数日前の演習に記憶を馳せる。

「まず、兵としては小柄でしたね。それから、恐ろしく速くて攻撃が的確でした。一番驚いたのは、裸馬に乗っていたという所でしょうか」

 それを聞いた上官は、我慢できない、というふうに吹き出した。

「ははっ……まさしくそれが噂のロゼアベイユだ。普通の一般兵が裸馬なぞ乗りこなせるか」

「いやでも、隊服は灰色でしたよ……て、そうか。誰かと取り替えていたわけか。これはやられましたね」

「あの偏屈じじいはな、カイルラーン殿下の剣術指南役にと望まれながらそれを断っているのだ。その時すでに、孫を育てる心積もりだったのだろう。おかげで私に殿下の指南役が回ってきたわけだが」

 脈絡のない話に、部下は首を傾げる。

「アレクサンドルの特異性については把握しているか?」

「ええ、まぁ。昨今話題ですからね。福音を授けられた子供で、半分女だとかいう話でしたか」

「実際の所までは私も把握できてはいないが、現実問題として騎士として育てるには体格は恵まれていないわけだ。だがな、三年ほど前だったかな、私が所用で師匠を訪ねた折にもう弟子は取らないのかと聞いたことがあるんだが、その時こう言ったんだ……孫以上の弟子はもう育てられんと」

「それはまた……それほどまでに強いという事なのですね」

「違う。むしろ個人としての武力で言うなら、私や殿下には及ばんだろう」

「よくわかりませんね、武力以外の要素があるのですか」

 ああ、と上官は頷いた。

「ローゼンタールの家名が強すぎてあまり知られてはいないが、アレクサンドルの母親はシノン伯爵家の直系なのだ。軍はチームプレーだからな、個人としての武力が高くても、数の暴力には勝てん。私や殿下でも、大多数の敵に囲まれたら死ぬ可能性が高い。ゆえにおそらく武力だけを追求するようには育てられてはいない。そもそもそれだけの体格がないのだから。今のシノン伯もそうだが、隠居した前シノン伯もかなり頭のキレる御仁だったからな……血統的にも、軍略面で何らかの教育を受けている可能性が高い。師匠はな、騎士を育てていたんじゃない。多分軍人としての傑物を育てていた……生涯最後の仕事として」

「オールラウンダーとしての軍人、ですか。キーリスのような思考力を持ち戦闘もこなせる騎士……それはまた厄介な人材を育ててしまいましたねグスタフ卿は。……王国にとっては宝でしょうが。それならこちらの動きを読まれて負けたのは、そういう人間が相手側に居ると想定できなかった私の手落ちです」

「まぁ、どのみち今回の結果で軍人としてのアレクサンドルの能力は知れ渡る事になる。評価も高くつくだろうし、確実に上に昇ってくる。次はそう上手くは行かんさ」

「だと良いのですけどね」

 そう言って、優秀な副官は苦笑した。

 数年前、グスタフからアレクサンドルを騎士団にという打診があった。軍上層の思惑でここまで入団を拒んでいたが、結局何をどうした所で才能のある人間は表舞台に上がって来るようにできている。

 師匠の影響力を恐れられて、自分はアレクサンドルの人事からは蚊帳の外に置かれていたが、結果こうなってしまったのだから、早々に手の内に入れてしまえば恐ろしく優秀な駒が手に入っただろうに、馬鹿な連中だ。

 だが、先見の明も持たない者に使い潰される事なく、優秀な弟子の手の内に入ったのだからそれで良かったという事なのだろう。

 そういえば最近、行く末を案じて育ててきた弟子―――王太子に会えていないな、と男は思った。



 夏の装いは簡素に限る、とアレックスは思う。

 自分を着飾らせる事に心血を注いでいるような節のあるサラにできるだけ簡単に、と言い含め、ようやく折り合いを付けて招かれた茶会にやってきた。

 目に涼しい漂白リンネルの青白い立ち襟のシャツに、紺色のズボン。足はサンダル履きだった。

 シャルシエルの自室に招かれる茶会はこれで三度目。初夏の星渡り祭でも交流があったし、顔を合わせる回数が増える程に皆気心も知れて、これ以上気負って着飾る気にはなれなかった。

 積極的に話に割り込むわけではないが、それでも馴染みになった令嬢たちと交流を持つことをさほど苦痛とは思わなくなってきている。案外慣れるものだ。

 アレックスはいつもの定位置に座って彼女達の声に耳を傾けながら、今が旬のフィグ無花果にフォークを差し入れる。口に運んでプチプチと弾ける花の食感ととろりとした甘さを楽しむ。

「そういえば、もうすぐ殿下のお誕生日ですわね。皆様もう贈り物はお決めになられました?」

 ビビアンの美しい深海色の瞳が好奇心で輝いている。今日はふわふわの赤毛はすっきりと纏めあげられ、白い首が顕になって涼しげだ。

「迷いますわよね……無難な所では刺繍を刺した小物ですけど、正妃候補のうち何人が同じような物を贈るのかと悩みますわ」

 アレックスは二人の会話に一瞬真顔になってから、心底悩ましげに頬に手を当てるイデアを唖然と見つめる。

「あら、そのお顔……アレックス様は何もお考えになっていらっしゃらなかったのですね?」

 シャルシエルが面白そうに笑っている。図星を刺された気不味さから視線を泳がせれば、残りの令嬢も微笑ましげな表情をしている。

「いや……私は殿下の誕生日がいつかも知らなかったですし……」

 正妃候補であるにも関わらず、最低限の礼儀も失する可能性のあったうかつな自分自身に思わず顔が赤くなる。

 アレックスのそんな様子に、令嬢たちの楽しげな笑い声が響いた。

「アレックス様がいつも通りで安心いたしましたわ……本当に、騎士団でのご活躍は風に乗って後宮にまで届くほどでいらっしゃいますのに」

 キティがうっとりと見つめながら、甘い声で言う。

「そういえば、大尉に昇進されたとか。おめでとうございます」

 令嬢それぞれから、昇進の祝いの言葉が掛かった。

「ありがとうございます」

 微笑んで礼を言ったが、その後茶会の間も気はそぞろだった。

 もちろん淑女教育の一環で刺繍も練習させられていた。正直剣の稽古や乗馬の方が好きだったし、そちらの方が自分の性にもあっていたが、伯母が厳しかったおかげでそれなりの物は作れる。

 だが、そんな物を返した所で何になるというのか。名ばかりの正妃候補で、自分が正妃に選ばれる事などありえない。まして、そんな自分が刺した刺繍など贈られても、王太子とて解釈に困るだろう。一刺し一刺し心を込めて作られる刺繍細工は、女性の心の有り様そのものなのだから。

 贈った後はどうしようと王太子の自由だが、それを自分の気持ちだと受け取られるのは嫌だった。他の正妃候補のように、恥じることなく捧げる事のできる心などないのだから。

 小鳥のように高い声で囀りながら、楽しげに会話に夢中になっている令嬢たちを面映ゆい気持ちで眺める。

 何気ない日常が、アレックスの心を灰色に染める。

 手にした皿に載った、密集して咲くフィグの赤い花。まるで己はこの花のようだ。自身を主張するように咲いても、実を結ぶ事はない。

 過ぎ去った子供時代のように、女神の奇跡など信じることはできなかった。

 きっとこのまま不完全な男として生きていくのだろう。騎士であり続けさえすれば、伴侶を求めずとも生きてゆけるのだから。男としても女としても、誰にも心を寄せる資格を持たない自分自身がただただ虚しかった。


 ―――でも、きっとそれが一番良い。




 カイルラーンの誕生日の午後、王太子執務室に女官長ナタリーは大量の贈り物を届けて行った。

 全て、正妃候補の令嬢から王太子宛の誕生日の贈り物だった。

「さすがにこれだけの数が集まると壮観ですね…ハンカチを集めてタペストリーが作れそうだ」

 そう言って、ベリタスが面白そうに笑っている。

 カードや手紙と共にリボンが掛けられた刺繍の施された小物類が目立つなか、ひときわ変わった品が混じっていて目を引く。

 それは、瓶詰めにされた白い菓子のような物。手紙などはなく、リボンすら掛かっていない。紙の封緘が蓋に掛けられ、その上にご丁寧に封蝋まで推してある。瓶の裏側のラベルを見れば、シノン領で作られている最高級の白砂糖だった。結晶化させてひと匙ほどの塊になっている。

「またこれは珍しいものが届きましたね。砂糖とは……清々しい程に潔い」

 カイルラーンは手にした砂糖の瓶を見つめて眉根を寄せた。

 砂糖は未だ庶民には手に入りにくい高級品である。まして、精製されて白さが際立つものほど高価だ。だが、もちろん王族であるカイルラーンにとってはとるに足らないものだ。使わなければ捨ててしまっても良いくらいの価値でしかない。

 本来なら立場上口にするものは受け取る事はできない。それでも、もしも口にするなら形としては残らず消えるものだ。そして、有効に使うとするなら馬に与える事もできるものでもある。馬は甘いものが好きだ。軍用で酷使される馬は、消耗が激しい。手っ取り早い補給に砂糖を少量与える事もあった。

「アレックスらしい選択というべきですかね……。口にする事はできないのを分かっていながら砂糖を贈って来る……捨てろ、あるいは、それでも気持ちに沿うつもりならば馬にでも与えよという所かな」

 自治領に産物が何もなかったモアレ州に砂糖の精製法を持ち込み、産業として定着させたのは前シノン伯―――アレックスの祖父、フリッツ・シノンだったと聞く。

 母方の領からわざわざ取り寄せ、厳重な封までしてあるのだから、これで毒など混じっていたらシノン家は爵位返還の上に家の取り潰しになるのは免れない。

 それでもあえて食品を贈ってくるのだ。臣下として、王族に弓を引かないという意思の現れとも受け取れる。

「シノン領で作られた砂糖にご丁寧に厳重な封までしてあるのだ。毒殺するつもりならもっと賢くやるだろう」

 カイルラーンは瓶に掛けられた封を、蓋をひねる事で捩じ切った。

 中から一粒つまみ出し、事も無げに口に放り込む。

 それはあっという間の出来事で、側近達が止める暇もないほどだった。

「あ、殿下! あなたそれはさすがに」

 含んだ砂糖のかけらは、口中の水分を根こそぎ奪いながら、シャリシャリと解けて行く。

 眼が覚めるような甘さだった。唾液が湧き出てくる。

「さすがに甘いな……」

 少々の毒では死なないように、ある程度の毒物なら耐性がある身体だ。なにせ兄弟が立て続けに死んでから、少しずつ慣らされてきたのだから。故に毒物の味も口にすればある程度はわかる。砂糖は甘さこそ強いがそれ以外には癖のない食品だから、毒など入っていようものならすぐにわかる。

 飲み込んで見ても、匂いも味も特におかしい点はなかった。

 呆れたように苦笑するベリタスに、真顔で口を開く。

「毒見は俺がしたから大丈夫だ。お前たちにも振舞ってやる……ベル、茶を淹れて来い」

 わざとらしいため息をついた後、ベリタスは「はいはい」と返事をして執務室を出て行った。

 丁度そろそろ午後の休憩時間だ。たまには甘い茶も悪くないだろう。

 チラリ、と移した視線の先のセーラムは、相変わらず無表情で書類を片付けていた。

 


 馬房の柵を挟んでここ数ヶ月攻略中の馬とにらみ合う。相変わらず警戒心が強くて心を開く気配は全くなかった。

 前足が床を掻く事はなかったが、耳は寝ているし馬体に力も入っている。人間だったなら明らかな怒り顔を浮かべているそいつは、飼い主よりも感情が読みやすくて面白かった。

 その馬に向かって、手にした瓶を目前に掲げる。

「お前の主人からの贈り物だ。お前にも分けてやろう」

 中々懐柔できないのは致し方ないが、有効な品物が手に入ったのだから使うべきだろう。その程度の事で効率が上がるなら安いものだ。懐かない獣を餌付けするのは常套手段なのだから。

 瓶の蓋をひねって中から砂糖を一粒取り出し、飼葉桶の中に放り込む。

 ニッと笑って、口を開く。

「模擬演習の褒美だ、受け取っておけ」

 カイルラーンはそう言い残してその場を後にした。

 レグルスはしばらく不機嫌そうに尾を揺らし、カイルラーンの姿が見えなくなってから飼葉桶の中を覗き込む。

 中身を確認するようにそれを見つめ、再びフンと鼻を鳴らし桶から視線を外した。

 結局、桶の中に入れられた褒美と称した砂糖をレグルスが口にする事はなかった。


 翌朝、アレックスはレグルスの世話をしようと厩舎にやってきて、飼葉を足そうと桶の中を覗き込んだ。

「ん?」

 桶の隅の方に白い塊が入っている。

 どこかで見たような気がするそれをつまみあげると、それは砂糖の欠片だった。

「あの人は……一体どういうつもりなんだろう」

 それを桶に入れたであろう人物の意図を測りかね、しばらくその場で首を傾げる。

 その人物とは間違いなくあの王太子だろう。確かに捨てるか馬にでも与えて欲しいと思って砂糖を贈ったが、それがどうしてレグルスの桶に入れられているのか、皆目見当もつかなかった。

「本っ当に謎だなあの人」

 手にしたそれを、レグルスの口元に持って行く。

「私が伯父上に言って取り寄せたものだから、食べても大丈夫だよ」

 アレックスの手から差し出された物だからなのか、レグルスは素直にそれを舌先で器用に絡め取って食べた。

 元来馬は甘いものが好きな生き物である。ほんの少しの間その甘さを味わうように口元が動いていたが、すぐに溶けて無くなってしまったのだろう。

 物足りなそうに、フンと鼻を鳴らした。

「あはは、また今度ね。私も同じものを持っているから」

 そう言って、相棒の鼻先を撫でる。

 早く世話を終えて師団に顔を出さなくてはいけないのを思い出し、アレックスは慌てていつものルーティンを開始した。

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