27・概念

 何度目の襲撃だろう。間断なく続く警戒に神経は緊張を強いられる。

 敵と遭遇するたびに、我彼の戦力を測って狙いを定めるより先に、赤い布染めインクを染み込ませた布が巻かれた棍の先が、的確に敵の急所に叩きこまれて行く。

 対してスゥオン側の武器に巻かれたインクの色は黄色であった。首、胸に一撃でも喰らえば即離脱と定められている。馬の負傷判定も、首、胴、脚に色を着けられた時点で、そこにある木に手綱を括りつけて置いていかなければならなかった。

 自分を守る盾になれ、と驚く程に美形の若い上官は酷薄に言い捨てたが、現状その命令は遂行されてはいなかった。何故なら、守るより先に当の本人が殲滅してしまうからだ。

 同じ小隊で組にされたうちの新兵の一人は、若いだけに世間知らずで、負けん気だけしか取り柄がないような馬鹿だった。上官の見た目だけで弱いと決め付けていたが、一般兵を十年以上やってきた自分には分かっていた。自分よりも一回り以上若い少尉が、少なくともこの小隊の誰よりも強いという事は。

 騎士団は完全な実力社会で、なんの実績もない人間が士官に上がれるようには出来ていない。でなければ、なぜ自分は未だに一般兵のままなのかの説明がつかない。

 答えは単純明快。十年やっても自分には芽が出なかった。剣も棍も訓練は真面目にやっているが、組手をやれば後から入って来た若造にすら負ける。

 そして目の前で、恐ろしい程の才能を持った上官が鮮やかに敵をなぎ倒していく。

 少尉の有効攻撃範囲を掻い潜って突破してきた者も、自分以外の二人が倒してくれるおかげで現状仕事は全くできていなかった。これでは給料泥棒も良いところだ。

 あれだけ威勢の良かった新兵も、呆然とそれを眺めるだけで腰が引けて戦えていなかった。

 もうここらが潮時なのかもしれない、と男は思う。才能がなくとも地道にやってさえいればいつかは上に行けるかと淡い希望を抱いていたが、流石に別次元の強さを目の当たりにしてしまうと、士官に上がる者とはこういう人間なのだと否応なく感じてしまう。

 急所を打たれて離脱していった敵を見送って、やっとそこで一息つく。

 気がつけばすでに演習場を夕焼けが染めていた。

 昼からほぼ歩き通しで戦い続けてきた一般兵は、馬上の一人を除いて疲労の色が濃かった。

 それなのに、同じように行動してきて直前まで敵の相手をしていた少尉は涼しい顔をしている。上官は振り返って馬上の副官を見上げて口を開いた。

「ロル、直前にあった岩を覚えているか」

「はい、わかります」

「そこまで隊を後退させて休憩をとらせておけ。私は夜に備えて味方を探してくる。万一私が戻らない場合は、指揮権をお前に譲るから後の事は任せた」

「承知しました」

 少尉に指示された通り一行は樹林にあった大岩の陰まで後退して、そこで休憩をとり始めた。

 それぞれ、水の入った携行缶に口をつける。もう逆らう気も起きないのか、新兵は水分を摂りすぎるなという命を守って少量を口に含んではゆっくりと飲み込んでいる。

「あの人、一体何者なんですか」

 自分ほどではないが、おそらく一般兵訓練を受けて数年経過している男の一人が唐突に口を開いた。

 確かに、それはこの場にいる一般兵全員が疑問に思う事だろう。

 同じような演習には何度も参加してきたが、今までの隊長とは全く毛色が違っていた。隊服の色は純然たる階級の現れである。それを事も無げに脱いだだけではなく、自分たちの汗と泥にまみれた訓練着まで着てしまう。自分を守る盾にするためだと言っていたが、それはおそらく方便だ。守れと口では言っておきながら、その実守られているのは自分たちの方だった。

「何者……か。それは君ら自身が見定めるしかないんじゃないか。俺から一つだけ言えるのは、少尉の手をよく見ろという事かな」

 あの少尉が名を呼ぶのは目の前に座るこの士官候補生のみだ。士官に上がってさえいないのに任せると言われるくらいなのだから、余程信頼されているのだろう。

 一般兵と同じ隊服を着ているのに自分たちと一つだけ違うのは、彼の右腕に巻かれた臙脂の腕章だった。

 この青年もまた、この年代で士官候補生へと上がっている事を思えば優秀なのがわかる。

「反則だろあれ。あんなツラしてたら普通軍には入らないだろ」

 悔しげに、新兵が呟く。もうひとりの小さい方はずっと大人しいままだ。

「だよな、俺も最初はそう思ってた」

 意外なところから同意の声が上がって、一般兵の視線は声の主である士官候補生へと集まる。

「なりは小さいし、顔はお綺麗・・・だし、家柄も良くてな……軍に入る必要なんてないだろうと、文官にでもなれと思っていた」

「やっぱり上位貴族なんですね、少尉は」

 実力さえあれば市民階級出身でも上層まで昇って行けるのが騎士団である。だが、王太子直属のシルバルド師団だけは、その特殊な役割の性質上、貴族階級出身者もしくは身元を保証する人間がいることが師団入りの条件だった。

「そうだ。……少尉が名乗らないと言ったから家名を教える事は出来ないけどな」

 擁護する発言は一切なかったが、このロルと呼ばれた士官候補生の口ぶりから、少尉に対しての信頼が透けて見える気がする。

 支配階級のイメージそのままに、冷酷で、横柄で、威圧的だが、それが果たしてあの小隊長の真実の顔なのかはわからない。

 少なくとも男には、別の顔があるような気がしてならなかった。

 

 

 アレックスは自分の隊をロルに預け、気配を殺して林の中を移動する。まずは記憶の中の地図と勘を頼りに、水場を目指す。昼に水を飲ませるように指示をだしたきりの馬にも補給させてやりたかった。ただしそう考えるのは敵も同じだから、そこに張っている可能性も充分に考えられる。だから、疲労の色の濃い一般兵を連れて行く気にはなれなかった。

 とりあえずは、偵察を兼ねた下見と、その道中で味方の小隊と合流できれば尚良い。人数が増えれば、それだけ夜間に充分な休息をとらせてやれるからだ。

 しばらく林を進んで行くと、あまり時間がかからないうちに小川の近くに行くことが出来た。

 神経を研ぎ澄ませ、探るように勾配のゆるい斜面を降りて行く。水音が近くなると、そこに小隊の影が見えた。敵か味方かは分からない。せめて武器の先か尉官の顔さえ見ることが出来ればどちらか判断できるのに、と相手の死角に潜んだままその機会を待つ。

 チラと、士官候補生の手にした棍の先の赤が見えた気がした。

 味方かを再確認するためにもう一度その色を探すと、上流から馬蹄音と複数の足音が近付いて来る。

 その方向に視線をやると、それが今にも飛びかかろうとしているのが見えた。馬上の尉官の顔に見覚えはなく、武器の先は黄色だった。敵だ。

 それに応戦しようとする小隊が動き出したことで、はっきりと味方だということが確認できた―――持っている武器の先が赤い。

 アレックスは味方に加勢するために川上方向へと走った。

 乱立する木を避けながら、小川のほとりで一団が戦闘に気を取られている隙に敵の背後に回り込む。

 目測を付けて一気に斜面を駆け下りて、その勢いのまま助走して地を蹴る。跳躍して後背から真っ先に指揮官に一撃を入れる。

 首を折らないよう加減したおかげで、パシ、と軽い音を響かせて尉官の首が赤く染まった。そのまま回り込むように飛び降りて尉官の馬、士官候補生と順番に棍で屠って後ろを確認すると、すでに残る一般兵は味方に討ち取られていた。

 ふぅと一息ついて呼吸を整えると、そこには馬上からこちらを見るイルキスがいた。

「アレックス……」

「ああ、あなたの小隊だったんですねリュドリー少尉」

 全員討ち取られて退却準備を始めたスゥオン師団兵は、唯一無傷の訓練用の馬をどうするかで士官候補生と尉官が話し合っていた。

 アレックスはもちろん、それも計算してあえて馬には攻撃しなかった。

「訓練用の馬は置いていってください。後でこちらが木につないでおきますから」

 上官不在で単独行動している一般兵がいることを奇妙に思ったのだろう。敵の指揮官は不思議そうな表情をしていたが、アレックスの言葉に首をかしげながらも頷いた。

 疲れた様子で肩を落として退却していく一団を確認して、アレックスは再び振り返った。

 イルキスは馬を降りてこちらに近付いて来る。

「天幕の中で確認していた事はこれか……それで、お前の小隊はどうしたんだ」

「副官に任せて待機させています。私は偵察と、夜のために味方を探していました。もしよろしかったら今夜一緒に野宿してもらえませんか」

 複雑な表情を浮かべたイルキスの眉根が寄せられる。

 過去の事とは言え因縁の相手だ。彼の心情を思えば、断られるかもしれなかった。

「お前、よく俺にそういう事が言えるな……お前には拘りや矜持はないのか」

「ない訳ではありませんが、そんなもので生存率は上がりませんしね」

 出会った頃のように、こちらに敵愾心剥き出しの相手なら申し出はしなかっただろうが、決闘直後からこの男からそんな空気は感じていなかった。

 アレックスがあっけらかんとして言うのに、イルキスは舌打ちした。

「お前のそういう所が嫌いだよ、俺は。平然と固定概念を越えて行きやがる」

 ガリガリと頭を掻いて、深い溜息をついたあと、彼は再び口を開いた。

「お前の言う通り、固まっていたほうが夜は安全だしな。その話に乗ってやるよ」

「ありがとうございます」

 アレックスはイルキスに軽く頭を下げ、置き去りにされた駄馬に飛び乗る。

「隊員を連れてきます」

 そう言い残して、あぶみを蹴った。

 訓練用の馬は乗り手が変わった事に何の疑いも見せず、アレックスを乗せて走り始めた。

  


「お前身代わりにしているあの新兵はどうするつもりだ。……戦力として期待できなくても、守ってやるだけでは本人のためにならないと俺は思うがな」

 夜半、木に背を預け、武器を抱いて隊員が眠りに落ちた頃である。

 動きに無駄が多く、訓練も未熟な一般兵は疲労が大きい。日が昇れば最長で終戦時間の正午までは動かなくてはならない彼らを休ませるため、指揮官であるイルキスとアレックスは、二人揃って寝ずの番をしていた。夜間警備の任をこなす尉官にとって、一晩寝ずに夜を明かすことくらいはできて当たり前の事だ。

 自分の身代わりに馬に乗せた新兵は、騎士としては明らかに体が小さかった。なにせアレックスの隊服を着られたくらいだ。それでも実戦投入して鍛えるのは軍に席を置いた以上は当たり前の事だし、指揮官が十人居れば九人はそうするだろう。

 だが、誰もがそうして育てるのならば、あえて自分がそれをする必要はないと思う。

「そうですね、それも次世代を育てるというこの演習の目的にも沿ったやりかたなのでしょうね。ですが人を育てるというのも色々な解釈の仕方があると思うのですよ。私は祖父に、率先して汗をかけない人間に人はついてこない、と言われて育ちました」

 微かな風に揺れる梢のざわめきに夏虫や鳥の鳴き声。葉の隙間から溢れる月明かりで、かろうじて夜目は利いている。森林の薄闇の中で、抑制された低音の声が静かに溶けていく。

「おそらく私が指揮官然として馬に乗っていても、人を育てる事はできないと思うのですよ。なにせこの見た目ですからね……いきなりやってきた上官がこれでは、誰も信用しないでしょう。騎士とは如何なるものか、多くの人が思い浮かべるイメージがありますから」

 体は大きく、勇ましく、雄々しく、そして何よりも強く―――祖父のような、今はなき父のような、そしてあの王太子のような。

 それは、アレックスが望んでもほとんどが手に入らないものだ。ただ一つ、強さだけが騎士として追求できる一つの道だった。

「お前はお前なりのやり方で人を育てている、という訳か」

「育てる、というほどおこがましいものではありませんよ。私の有り様を見て、それぞれが何かを感じてくれればそれで良いんです」

 それは、こんな嫌な上官には決してならないでおこう、でも構わないし、敵を欺くために服を取り替えるような悪知恵を働かせる、でも構わないし、馬上から白兵戦の動きを見ているだけ、でも構わなかった。

 今回の評価訓練で求められているのは、部下を失わずいかに小隊を率いて行くかという点と、それ以外の部分も見ると副師団長は言っていた。士官に上がるという事は、部下を持つという事と同義で、それはつまり部下の管理育成能力を問われるということだ。

 一般的な騎士が持つものをほとんど持たない自分には、手段も方法も同じようにした所でダメなのだという事はわかっていた。

 何を感じ、何を騎士の糧として得るかは人それぞれ違う。

 身代わりの新兵には、自分と同じ体の小さい者が、馬を降りても戦えるのだという姿を見てもらえたらそれで良かった。

 その程度の汗ならば率先してかいてやる、とアレックスは思った。

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