26・欺瞞

 アレックスは昼の食事休憩を終え、師団事務所の会議室へと向かう。

 朝、ユーゲント中佐から合同演習の説明を兼ねた会議があると言われていたからだ。

 部屋の中に入り、いつもの壁際の定位置で人が集まるのを待つ。

 季節は初夏。六月に入って支給された夏用の隊服は薄く風通しは良いが、人の詰め込まれた部屋の中ではその恩恵にも限度がある。

 それを見越して、アレックスは上着を脱いでおく。夏服はシャツだけでも階級がわかるよう、襟が隊服と同様の色になっていた。その片襟に、少尉を表す一本線の金の等級章が輝いていた。その光沢は経験年数が浅い証拠だった。

 説明はユーゲント中佐が行うのか、中央の卓の上に地図を広げて参加者が揃うのを待っている。

 最後の一人が入室したのを確認して、中佐はおもむろに口を開いた。

「今年も評価訓練を兼ねた合同演習がロブロフォスで開催される。演習相手はスゥオン師団だ。白兵戦においてあそこはかなり強敵だからな、気を引き締めろ」

 上等兵時代の冬の評価訓練は同じロブロフォスでも山の方だったが、今回はその山の麓に広がる大規模演習場で行われる。樹林に高低差のある崖、川に草原と、戦争を想定した訓練ができるよう、ある程度人工的に手を入れられた演習場だ。

「尉官年数が経過している者には周知の事だが説明しておく。尉官一人に副官を士官候補生から一名選ばせてやる。出発当日は一般兵から無作為に五名が割り当てられる。模擬戦争という形になっているのでお前たちは馬、士官候補生にも訓練用の馬が割り当てられる。歩兵を連れて城から出征、現地で戦闘となる。歩兵、士官共に武器は木剣と棍のみ。装備は水と携帯食。馬草はない」

 中佐はそこで一度口を閉じる。「質問は?」と周囲を見渡して、手が上がらないのを確認して再び口を開いた。

「演習は丸一日、勝敗は残存兵力と大将の生存の有無によって決められる。大将を失っても戦闘自体は続く。お前たちには小隊を率いていかに部下を失わずに生存していくかの能力が問われる。ただし、守りに入ったら最後勝てない事は心得ておけ。この白兵戦の勝敗の鍵は、いかに相手の兵力を削いでいくかに掛かっている。評価ポイントはもちろん部下を失わない事にあるが、それ以外の能力も見るからな。そういう意味で、尉官階級でも上位者の方が経験年数が長いから有利だ。副官である士官候補生は、下位者から順に選ばせてやる」

 そう言って、ユーゲント中佐の視線はアレックスに向けられた。

「アレックス、お前からだ。誰を選択する」

 士官候補生にも、自分と同期以外の者がいる。濃紺の腕章まで上がっている者も訓練等で接していているから、名前と顔が一致してある程度の能力も知っているが、あえて彼らを選ぶ気にはなれなかった。無作為に当日顔を合わせる一般兵を連れて行かなくてはならないのなら、選ぶとすれば一人しかいない。

「ロル・マーレイを」



 合同演習当日、城内の騎馬修練場には尉官階級の人馬と士官候補生、一般兵の灰色の隊服がひしめいていた。二師団合同の上一般兵までもが参加しているため、総勢は四百名以上になる。

 アレックスはロルと連れ立って、その日引き合わされた一般兵の顔を確認していた。

 一般兵といっても、年齢には幅がある。いつまでも一般兵のまま階級が上がらない者から、新兵まで様々だ。一般市民から志願して軍に入った者もいるため、師団に上がった者達に比べならず者の集団といった雰囲気が強い。

 並んだ兵を見ていると、上は三十代から下は新兵と思しき身体の小さな青年までいる。

 その中の一人が、アレックスの顔を見た瞬間気に入らない、と言ったふうに口を開いた。

「チッ、よりによってこんな弱そうなのが隊長かよ、ついてねえな」

 外見で実力を判断されるのには慣れている。それを聞いたからといって、アレックスには何の感傷もわかないが、あえてそれを利用する事にする。

 ニヤ、と粘りつくような笑みを浮かべて口を開く。

「弱い犬ほどよく吠えると言うな。私は名乗らん。教えてやる価値もないからな……無論、お前たちの名を覚える気もない。騎士団は階級社会だ。私の実力がどうであれ、気持ち一つでどうにでもなるという事を覚えておけ。舐めた口を聞くなら除隊も視野に入れておくことだ。私に返して良い言葉は、はい、だけだ。いいえは無い」

 こちらを舐めていたのだろう。まさか手痛い反撃を喰らうとは思わなかったのか、悪態をついた者は小さく呻いて押し黙った。

 高圧的に言い放ったアレックスは、唖然とそれを見守っていたロルに何も言わずその場を去る。慌ててロルがあとを追う形で、一般兵との顔合わせは終了した。

「ちょ、少尉あれではあんまりでは」

 充分に距離を取った所で、アレックスは口を開く。

「理由は後で説明する」

「分かりました」

 後味の悪い表情を浮かべながらも、ロルはそれ以上何も言わずに頷いた。

 演習地までの長距離移動も、実際の戦争を想定しての訓練となる。騎馬に乗った士官は一般兵の前後を挟む形で演習地まで徐行で随行する形となる。

 アレックスとロルは隣り合う形で他の人馬と足並みを揃え、馬の背に揺られている。

「少尉、先ほどのあれはどう言う事ですか」

 となりから掛かったロルの声に、一瞬そちらに視線を向けて、アレックスは口を開く。

「上等兵時代のように、時間を掛けて交流を深めていけるなら、あんな乱暴なやり方はしないのだけどね。出会ってすぐに、私を信頼してついて来いというのは無理がある。さっきの兵の言うように、見た目というのは印象に直結しているからね」

「それは、そうかもしれませんが……」

 出会った時の接し方に差はあるかもしれないが、自分とてアレックスの初対面の印象はそう変わらなかったのだとロルは思い出した。

「集団心理を纏めるのに手っ取り早いのは、共通の敵を持つことだよ。だから私は今回徹底的に悪役になる。私が鞭ならお前は飴だ。悪辣な事も言うし、あえて下品な事もやるが、それに逆らわず私に任せて欲しい」

 アレックスはロルにとって上官になる。自分に対する行為で倫理的に許されない事や理不尽な要求でなければ、本来ならやれと言われたら否とは言えない立場である。だから、アレックスはロルに命じるだけで良い。それをあえて任せて欲しいというくらいなのだから、信じてついて来いという事なのだろう。

「わかりました。俺は一般兵のフォローに回れば良いという事ですね?」

「ああ。私に対する不満を聞いても、それを注意するな。ただ聞いて同意してやれ。お前だから信頼して頼める。任せた」

 最後の言葉が、ロルの胸を打つ。

 先に階段を駆け上がってしまった同期の星。いつか肩を並べたいと思って過ごしてきたし、その気持ちは今も変わらない。

 今の自分にはその言葉だけで満足だった。任せると言ってくれるなら、その期待に応えたい。

「ご期待に応えてみせますよ」

 うん、と相変わらず美形の上官の横顔が穏やかに笑んだ。



 歩兵を連れての長距離移動は時間が掛かる。王城を出立してからロブロフォス山の裾野に広がる演習地に到着したのは、昼前の事だった。

 各師団は事前協議の通り陣の展開場所へと移動して、そこで休憩を取ることになっている。模擬戦争の開始は正午のため、尉官以上の小隊長は全員、作戦確認のためシルバルド師団の指揮官天幕を訪れていた。

「大将を丸裸にするわけにいかんからな、本陣周りを固める小隊がいるな。希望者手を上げろー」

 副師団長ソルマーレの言葉に、尉官の中からパラパラと手が上がる。

「いち、にぃ、さん、しぃ……六隊か、まぁ、こんなもんだな。よし、今手を上げた小隊は本陣周りを固めろ。残りは遊撃部隊だ。明日の正午までの耐久戦だからな、判断はお前達に任せるが、損失と攻撃のバランスを考えて動けよ。他の小隊と手を組んでもいい。何かあるやつは今言っておけ」

 副師団長の言葉に、アレックスは手を挙げる。

「どうしたアレックス」

「残存兵の戦力確認の事なのですが、指揮官と一般兵では点数は違うのでしょうか?」

「指揮官が三、士官候補生以下が一だ。残存兵の総点数が高い方の師団が勝ちになる」

「ちなみに、それはどうやって判断するんです? 例えば、尉官の隊服を着た一般兵が討たれた場合、点数はどちらでカウントされるのでしょうか」

 アレックスの言葉に、尉官達が騒めく。

 それを見たソルマーレは楽しそうに笑った。

「戦場ではなんでもアリだからな。敵を欺くという点においては服の入れ替えくらいはあってもおかしくはないな。もちろん能力は尉官の方が高いのだから、尉官の隊服を着た一般兵が討たれても、それは一般兵でしかない。よって失う点数は一だ。模擬とはいえ実戦を想定した演習だ。スゥオンもそれなりの策を弄して来ると思っておけ」

 副師団長の言葉に、尉官から一斉に「はっ」と応答が返される。

「それでは各自準備に取り掛かれ。散開」

 合図と共に他の尉官達は指揮官天幕を出て行ったが、アレックスは天幕入口の近くの床に置いていた鞍と手綱を持って、ソルマーレの前まで持って行く。

「副師団長、申し訳ありませんが天幕内で預かってもらっていても構わないでしょうか?」

「預かるのは構わんが、お前鞍なしでどうやって乗る気だ。まさか放すのか」

 興味深い表情を浮かべてソルマーレが言うのに、アレックスは頷く。

「まぁ、少し考えていることがありまして。とりあえず私の馬は放しても逃げないので、多目に見てください」

「点数には入らんが馬も負傷認定があるからな……乗らずとも問題はないが、機動力と引き換えだぞ?」

「それも織り込み済みです」

「では俺は何も言わん。思うようにやってこい」

「はっ、失礼します」

 胸の前に握った手を横に向けてあげ、ソルマーレに頭を下げた。

 アレックスは天幕を出て、ロルに任せていた小隊に戻った。

 休憩をとらせるようにロルに言っておいたので、食事はもう済んでいるだろう。

 足音に気付いたロルと視線が合う。

「休憩は済んでいるな?」

「一通りは。水の補充も済ませてあります」

 指揮官天幕から一番近い川に水の補充に行っておくよう指示を出しておいたのも、きちんと終わらせたようだ。

「休憩で水を多く飲んだものはいるか」

 全員が地べたに座ったままだった。それを立ったまま冷たく見下ろして口を開く。

 顔合わせ時に噛み付いてきた者と、一番年が若いと思しき青年が手を挙げる。

「今からあまり水を飲まないように心がけろ。幸いにもここは山の麓でこの時期にしては気温が低い。湿度も低いから、多少水分補給を制限しても倒れはせん」

「なんであんたにそこまで制限されなきゃなんねんだよ」

 アレックスの思惑通り、血の気の多い若者は徹底的にこちらと張り合う気らしい。返して良い言葉は「はい」だけだと言ったのを、もう忘れてしまったようだ。

「お前は遠足にでも来たつもりか……頭が悪そうなので教えておいてやる。戦場でナニをだしたまま首を切られたくなかったら、排泄の回数を減らすしかないんだよ。ケツを出したまま無様に死にたけりゃ勝手にすればいいがな。ズボンを脱がずに垂れるぐらいの気概で挑めよ?」

 少々言葉は荒いが、アレックスの言葉は間違いではない。一般兵として三年訓練を受けた者なら、必ず訓練途中に上官から教え込まれる事だからだ。

 それを知らずして手を上げた二人は、今年が入団一年目の新兵である事にほかならない。

 再び反論しようとしたのだろう、反射的に立ち上がろうとしたその新兵の手を、一番年嵩の男が引く。

「もうやめておけ、少尉殿の言う事は正しい。俺は三年前の戦争にも歩兵で出征してた。油断した仲間は何人も死んで行った。自分の命が大事なら上官の命に逆らうな」

 さすがに経験者の言葉には反論できなかったのか、小さく舌打ちして新兵は黙った。

 それを冷たく一瞥して、アレックスは再び口を開く。

「おい、そこの一番若いやつ。お前訓練着を脱げ」

 その言葉に、驚いたような表情をしたロルが慌てたように口を開く。

「少尉、どうなさるおつもりですか」

「私と背丈が変わらんだろう。心配せずとも隊服を取り替えるだけだ。さすがに下着姿のまま戦場に放り出したりはせんよ……見苦しいからな」

「いや、しかし……どのような意図でそのような事を?」

 アレックスはさも何かを企んでいるかのように、いやらしく笑って見せる。

「決まっている。馬に乗った尉官の隊服は目立つからな、点数も高いし狙われるだろう? そいつを私の身代わりにするんだよ。お前たちは私の手駒なのだから、上官を守るのは当たり前だよな?」

 また食って掛かりそうに顔を赤くする新兵の手を、年嵩の男がずっと引いている。

 いちいちこちらの言葉に反応するその姿に、内心でほくそ笑む。なんと手玉に取りやすいのだろうか。

 何も言わず呆然とアレックスを見上げる最年少の青年に、わざと苛立ったように舌打ちして、アレックスはその場で剣帯ごと隊服の上着を脱いだ。乱暴に土の上に投げ置いて、足から軍靴をもぎ取る。ベルトに手を掛けた所でようやく、慌てて青年も訓練着を脱ぎ始めた。

「上着とズボンだけでいい」

 アレックスはズボンもそのまま脱いで、土の上に投げた上着を再び手に取った。

 上着の内側から懐中時計を取り出したあと、上下揃って青年に投げる。まだズボンに手を掛けたばかりだった青年は咄嗟にそれを受け止めた。腰元で引っかかって居たそれはズルズルと重力に引かれて落ちていく。

 緑の隊服を困ったように隣の者に預けて、ずり落ちたズボンを脱ぐ。上着と共におずおずと差し出したのを、アレックスはイラついたように受け取った。

 それに躊躇せず足を通して着替えていく。シャツの目立つ緑の襟は内側に折り込んで、上着を羽織る。新兵とは言え新年から半年は訓練を受けている。灰色の訓練着に染み付いた汗の匂いが鼻先をかすめた。

 それが気にならないといえば嘘になるが、それは相手も同じだろう。気にしないように頭から追い出す。そのうち慣れるだろう。

 懐中時計をズボンのポケットに入れ、軍靴に足を入れて着替えは完了した。これでどこからどう見ても一般兵にしか見えまい。久しぶりの灰色の隊服だった。

 着替え終わったアレックスは隊員には目もくれず、裸馬の状態で待たせて居たレグルスの所まで歩いて行った。

 どうしてもアレックス以外を寄せ付けない馬である。休憩場所より少し離れた場所に置き去りにしていた相棒の目を見ながら、その鼻面を撫でて瞳を覗き込む。

「しばらくお別れだ、レグルス。お前なら大丈夫だね?」

 返事をするように、レグルスはブルブルと鼻を鳴らした。そのままレックスの頭に顔をこすりつけた。

 それに、うん、と頷いて、その体を勢いよく叩く。

「行け」

 肌を打った小気味よい音が響いたのと同時に、レグルスはその場から走り去った。

 その黒い馬影は、あっという間に森林の中に吸い込まれて行った。

 相棒の後ろ姿を見送って、アレックスはまた部下の所に戻る。もう全員が立ち上がっていた。

「少尉、馬を放したんですか。さっき自分の身代わりにするとおっしゃってましたよね」

 自分のやる事を信じて任せろと言っておいたが、さすがにレグルスを放す事までは想定外だったようだ。ロルが信じられないといった表情をしている。

 さしずめ「あんた何やってんの、馬を放したら緑の隊服を着たこいつはどうするの」といった所だろうか。

「飼い主に似てあいつは気が荒くてな。どのみち私以外はあいつに乗ることは出来ん。そいつはロル、お前の馬に乗せてやれ。どうせ馬術も訓練しとらん新兵だ。二人乗りしろ」

 そもそも一般兵は馬術訓練を受けていない。士官候補生である上等兵になって初めて馬に乗る訓練が組み込まれるからだ。

 たとえレグルスが誰を乗せる事も嫌がらない気性の柔らかい馬であったとしても、貴族階級出身で入団前から馬術を経験していた者以外は、一般兵で操縦できたりはしないのだ。

 馬とて人間二人分の負荷か掛かればそれだけ疲れる。本来なら戦場で二人乗りなどさせたくはないが、経験の浅い歩兵を守って移動するなら自分が馬を下りて戦う方が確実だった。どうせ地上に下りるなら、一般兵のふりをした方が戦いやすい。さらに言えば、最も戦力として期待できない者をロルの前に座らせる事で、残る四人だけに注力できるという利点があった。

 歩兵を連れての機動力などたかが知れている。レグルスと離れたとしても、隊員を失わず守りながら敵の兵力を削ぐなら、自分が露払いをするべきだろう。

 こちらの意図を汲み取ったのだろう、ロルがやれやれと言ったふうにため息をついた。

「二人乗りですね、承知しました」

 やはりロルを選んでいて正解だった、とアレックスは思った。

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