21・人脈

 政務を終え、あとは眠るだけの状態で自室の椅子に座っていると、取り留めのない思考が浮かんでは消える。

 考えるべきことが多すぎて、仕事は終わっているというのに頭の中は動いたままだ。

 多忙だからこそ、切り替えて休まなくては体がもたないのを分かっているのに、今日はことのほか思考が高速で動いている感覚がある。それも、一向に止まる気配がない。

 理由は分かっている。朝ベリタスから言われた事が原因だ。

 意図的に違う事を考えて、それを思い浮かべないようにしていただけの事だ。

 だが、自覚してしまえば、もう思考の中にそれが投影されている。

 青毛の馬に騎乗して、春の日差しを浴びて天幕から遠ざかって行くその光景を思い出す。

 括った長い髪が晴天下にたなびいて、人馬一体となって風になるその人物は、神話の中のヴァルキュリア戦死者を選ぶ者のようだった。

 男と女の狭間を行き来するあの常識では計れない存在を、結局己はどうしたいのだ、と天を仰ぐ。

 いっそセーラム・ファンデルのように、なんの義務もしがらみもなく頭を空にして求めることができたなら、この堂々巡りの思考を止めることができるのだろうか。

 何も考えず阿呆になって、アレックスが欲しいと公言すれば、驚く程簡単に手に入るだろう。

 後宮に正妃として囲いこんで閉じ込め、アレックスに女であるように命じて、欲のままに抱いてしまっても誰にも咎められることはない。

 何年も子ができなければ、周囲から自然と側妃をという話がでて、違う女が王統を継ぐ子を産むだろう。そして、顔色も変えずアレックスはそれを受け入れるだろう。

 だが、自分は本当にそんなものを求めているのだろうか。

 人の心はままならないものだ。どんなに納得していても、満たされなければ闇がさす。その成れの果てが先の後宮であったはずだ。一言命ずるだけで思いのままに事を動かせるからこそ、それを行使してしまえば全てのものが歪むだろう。

 ただの人形が欲しいなら、アレックスでなくとも他家の令嬢で事足りる。

 だからこそ、むざむざあの能力を飼い殺しにするような真似をする気にはなれない。

 思考の中に、何とは判別できない得体の知れないものが居座っている。もやもやとした苛立ちのような、嫌悪のような真っ黒い霧に包まれたそれが、どうしようもなく己の心をざわつかせる。

 考えるのを終わらせるように頭を振って、部屋に設えられた収納へ移動する。中から、ボトルと銀杯を取り出した。

 机に持って行き、ボトルの栓をひねって中身を銀杯に注ぎ入れる。

 杯の色が変わらないのを確認してから中身を一気に煽る。強い酒精が喉の奥を焼きながら身体の内側を通っていく。

 献上品だというそれはきっと味のわかる者が飲んだら美味いのだろう。だが、いつも味など感じないし、大して酔うこともできない。

 無理矢理にでも頭を止めて、眠る為の手段に過ぎなかった。

 だがおそらく、今夜の夢見が悪いだろうということはわかっていた。

 


 訓練終わり、レグルスの世話を終えて厩舎を出ると、久しぶりに見る顔がそこにある。

「よう、お疲れさん」

「ファンデル中尉」

 休暇でも取っていたのか、訓練や夜間警護はおろか師団事務所ですらここ二週間は出会っていなかった。

「長らくお顔を見て居なかったですね……どうされました?」

 季節は春から夏へと移ろいつつある。陽は高くなってこの時間まで赤焼けが続いている。

 訓練終わりは汗ばんで、長く熱が体にこもるようになってきた。いつもならきちんと着込んで帰る隊服も、今日は手に持ったままだった。

「近衛に移動になったから、副師団長に最後の挨拶にな」

 そうですか、と頷く。

 セーラムと訓練や任を共にするようになって、ずっと疑問だった。かなり能力は高いはずなのに、なぜ中尉のままでとどまっているのだろう、と。

 だが、やはりその疑問は正しかったのだ。

 理由はわからないが、その能力が認められたのだ。近衛に移動になったのは納得できる。

「可愛がっていた後輩に何も言わずに移動するのも気が引けてな。この時間ならここにいるんじゃないかと思ってな」

 に、と笑ったセーラムに苦笑する。義理堅いことだ。

「わざわざ私なんかの為にここまで来てくださったんですか……ありがとうございます」

「先に行って待っててやるよ。お前も早く来いよ? アレックス」

「覚えていらっしゃったんですね」

 思えばこの男と親しくなったのも、夜間警護の任で会話した事がきっかけだった。

 内宮から外宮に繋がる通路の前で組んで立ち番をしていた時、セーラムが手持ち無沙汰に聞いてきたのだ。


「お前、どうして騎士を目指したんだ?」

 業務上必要な言葉しか交わした事はなかったのに、唐突に、まるで自然な事のように問われたから、思わず答えてしまった。

 父のようになりたくて、と。

「ああ、親父さんも近衛騎士だったよな」

 その意外な言葉が心地よかったのを思い出す。

 自分の出自はもう既に周知の事実だ。グスタフの孫で、福音の子で、英雄の子だと皆が知っている。だが、お前の父は英雄だったよな、と言われる事はあっても、近衛騎士だったよな、と言われたことは初めてだった。

 さも当たり前、と言わんばかりのその言葉が、なんの装飾もない本当の自分を見てくれたようで嬉しかった。


「まぁな。お前なら一年で上がれるだろ?」

 また無茶を言っているな、とセーラムを呆れ顔で見返す。

「いくらなんでもそれは無茶ですよ」

「また上位者に試合を申し込めばいい」

 ニヤリ、と笑ったその皮肉な表情も、端正な彼にはよく似合っていた。

「その時はあなたに申し込みますよ、先輩」

「はは、受けてやっても良いが、そのときは同衾できる令嬢を紹介してくれ」

 いつものように軽い調子で皮肉混じりの冗談を言い合ったあと、セーラムはじゃあな、と言い残してあっさりと去って行った。

 師団の中では珍しく気負わず話せる相手だったから少し寂しい気もするが、出世するのだからそれは後輩として喜ぶべきだろう。

 アレックスは心の中で、セーラムの活躍を祈った。

 真面目に上を目指してさえいれば、また共に働ける日もくるだろう。彼と働いた短い月日に別れを告げ、自室への帰路を行く。その道のどこかで、アオバズクの鳴き声がしていた。

 自室に戻ると、部屋の中程にいたサラが振り返った。

「おかえりなさいませ」

「ただいま」

 穏やかに笑んだサラの手に、一通の手紙があるのに目を留める。

「シャルシエル・アレトニア公爵令嬢よりお手紙がきています」

 王妃の茶会で警護の任に着いて以来後ろ姿すら見て居なかった。あれからかれこれ一ヶ月が経つが、一体何の用だろう。

 さして重要な内容でもない、というかのように封蝋などはされておらず、簡単に糊付けされているだけのものである。

 怪訝な表情を浮かべながら、隊服の上着と交換でそれを受け取って封を開ける。中に入っている便箋を開くと、甘い芳香が手元に香った。女性らしさの表れのようなそれは、意外にも不快な匂いではなかった。

 綴られたそれもまた女性らしい柔らかな手で、その内容を確認すると、どうやらアレックスの休暇日に合わせて一緒に茶でもどうかという誘いだった。

 手紙の内容に興味深々で、でも聞いても良いのかわからないといった表情をしているサラが微笑ましくて、思わず吹き出す。

「はは、大した内容じゃないから見てもいいよ」

 どうぞ、と手にしたそれをサラに差し出す。

 恥ずかしそうにしながらも、頬を緩ませて手紙を受け取ったサラは手元を覗き込む。

「あら、個人的なお茶会のお誘いですね」

「うん。受けるかどうか迷う」

 正直少ない休暇日に時間を取られるのも煩わしいし、それ以上にあの令嬢が信用できなというのもある。他の正妃候補との交流を強制しないとの条件で入宮したからそれを断る事もできるが、わざわざこちらの休暇に合わせると書いてあるのが気になった。

「アレックス様の休暇に合わせるというのが気になりますね。家格で言えばそこまでして招く必要もないですし」

 公爵家とは言え傍流の出である自分より、筆頭公爵家であるシャルシエルの方が家格ははるかに高い。本来ならそこまで下手に出る必要などないのだ。

「ああ……面倒だが相手の意図も分からないのに断るのも後々厄介かもしれないな」

 はぁ、とため息をつく。

「夜のうちに返事を書くから、明日シャルシエル嬢の侍女に届けてくれる? 問題は……手土産だな」

 招かれた茶会に何も持たずに行く事はできない。事前に日程が決まっているならなおさらだ。

「シャルシエル様は公爵令嬢ですし、ありきたりなお品ではダメでしょうねぇ。アレックス様さえ宜しければ、実家のつてを使って取り寄せましょうか? 母に頼めば、王都の流行りも取り入れてくれると思います」

 サラの生家のベルモント商会は国内有数の貿易会社だ。他国との貿易も行っているから、珍しいものも手に入るに違いない。

 軍部の事情には明るいローゼンタールでも、貴族社会の風雅には疎い。頼むならシノンの伯母だと思っていたが、せっかくの申し出だ、サラに頼むことにしよう。

「では、サラのご実家にお願いする事にしよう。母君にも手紙を書くから、それも届けてもらえるかな?」

「そんな、アレックス様……うちの母にまで手紙は必要ありませんよ。それでなくてもお忙しくていらっしゃるのですし」

「いくら私がサラの主人であっても、人としての礼儀まで忘れてはいけないよ。お願いするのは私の方なのだから」

 そう言ってサラの瞳を見つめると、彼女は困ったように笑ってから、申し訳なさそうにわかりました、と頷いた。


 

 茶会の招待が届いた十日後がアレックスの休暇日だった。今日がその約束の日で、アフタヌーンティの時間にシャルシエルの部屋を訪ねる事になっている。

 普通の女性なら化粧や服装に気を使う所だろうが、アレックスの場合はそもそもドレスの一枚すら衣装部屋に収納されていない。

 師団に行かない普段の休日であっても、チュニックやシャツにズボン、防寒にコートを羽織る程度の簡素な服装で、入宮してから着飾った事など一度もなかった。

 流石に簡略すぎるのもマナーに反するので、別邸から持ち込んだ私服からサラに選んでもらった。

 サラが引っ張り出してきたのは、白いズボンに同色の立て襟のウエストコート、春らしい控えめな植物の織りが入った若葉色のコートだった。それにブーツを合わせている。

 なぜだか恐ろしいくらいに気合の入っているサラは、先程からアレックスの髪を弄り倒している。猫毛だから上手く括れないだのといって苦戦していたが、どうにか彼女の思うように纏まったらしい。

 いつもなら首元で一纏めにしているだけだが、今日は頭の上半分の髪を両方の耳の位置から三つ編みにして、後頭部で毛先を合わせて濃い緑のリボンでくくっている。首周りはそのまま下ろしている。

「できました!」

 満足そうに胸を張ったサラに鏡の中で笑いかける。

「ありがとう」

「楽しいです……我ながら惚れ惚れしてしまいます」

 自分一人で支度をするなら着飾る事など面倒なだけだし、髪を結うなど考えただけでもうんざりしてしまうが、サラにとっては楽しいことなのか。一般的な女性は皆こうなのだろうか、と疑問に思うが、アレックスにはその気持ちは理解できそうになかった。

「そろそろ時間だね……行こうか」

「はい」

 衣装部屋を出ると、キミーがバスケットを手に待っている。

 サラが実家の伝手で取り寄せてくれたのは、海に面した暖かい地域で栽培されている酸味の強い果実を使った焼き菓子だった。わざわざその実を王都の菓子店にレシピと共に持ち込んで特注したとかで、味見と称して昨晩の食後に三人で食べてみると、白いグレースのかかった柑橘の爽やかな味のしっとりした食感のケーキだった。王都で定番の焼き菓子はどれも味が重くてアレックスは苦手だが、このケーキは美味しく食べる事ができた。

 作られてから数日寝かせた方がより美味しくなるらしいので、日持ちするのもありがたい。どうせ二人では食べ切る事はできないのだから。

 今日はサラがケーキの入ったバスケットを持って、シャルシエルの部屋まで付いて来る事になっていた。

 同じ正妃候補とは言えこちらは男装しているし、付き添いを連れて行くのは未婚の女性の部屋を訪ねる場合のマナーでもある。

「いってらっしゃいませ」

 サラにバスケットを手渡したキミーが笑顔で見送ってくれる。

「うん、行ってくる」

 二人はシャルシエルの部屋へ向かって後宮の廊下を歩く。アレックスにとっては普段通る事のない場所でもあるし、時間も昼間とあって、度々侍女とすれ違うのが新鮮だった。もちろんアレックスの方が身分が高いので、侍女は脇に退いて頭を下げ、こちらが行き過ぎるのを待っている。

 サラはアレックスのすぐ後ろについて歩きながら、彼女達をさりげなく観察する。俯いた頬をほんのり染めていたり、頭を下げなければならないのに呆然と立ち尽くしたり、ひどい者になると露骨に盗み見たりしている。この様子だとアレックスの事は良い意味で後宮付き侍女の間で話題になる事だろう。その話題の人が自分の主なのだと思うと、とても誇らしい気持ちだった。

 シャルシエルの部屋に着くと、サラが前に進み出て扉をノックする。

 部屋の中から返事がして、すぐに扉が開いた。

「本日シャルシエル・アレトニア様にお招き頂きましたアレクサンドル・ローゼンタールでございます。主人の入室をご許可頂けますでしょうか」

「御来室を伺っております。ようこそいらっしゃいました。さぁ、どうぞ中にお入りください」

「ありがとうございます。こちらは主人から心ばかりの贈り物でございます、どうぞお召し上がり下さいませ」

「丁寧にありがとうございます。頂戴いたします」

 アレックスが入室すると、サラは手にしたバスケットを対応した侍女に手渡して、内側に入らずに深々と礼をして戻って行った。

 招待を受けた場合、他家に仕える使用人は主と同じ部屋で待機することはできない。その場にとどまることは、その家の使用人を信用しないという意思表示になってしまうからだ。例外なのは王族につく近衛だけだ。あえて同席させるなら、相手と敵対する事を覚悟しなくてはならない。

 招き入れられた部屋の中を進んで行くと、途中で予期せぬ光景を視界に捉えて目を見開いた。

「ようこそアレクサンドル様」

 座っていた席から立ち上がって、シャルシエルがアレックスを迎える。

 応接セットのテーブルには、焼き菓子やティーセットが所狭しと並んでいる。そんなことよりも重要なのは、そこにシャルシエル以外の令嬢が三名同席している事だ。

 自分以外にも招待者がいるなどと聞いていない。

 ―――やられた。

「お招きいただいたのは私だけではなかったようですね……」

 こうなることが分かっていたなら絶対に招待を受けなかった。けれど、後悔したところでもう遅い。この部屋に足を踏み入れてしまった以上、しばらく我慢するしかない。

 常に表情を崩さないのが癖になっているから、不満を顔に出したりしないが、作り笑いを浮かべなくてはならないのかと思うとうんざりする。

「ああ、そんなお顔をなさらないで……こうでもしなければ来ていただけなかったでしょう? お詫びは幾重にも致しますから」

 薄く笑って見せたのに、心情が顔にでていたのだろうか。

 ひとまずお掛けになって、とシャルシエルに示された椅子に座る。ちょうど彼女の向かい側になる席だ。

「他に招待者がいない、とは書かれていませんでしたから……確認しなかった私が悪いのですよ。詫びなどなさる必要はない」

「また心にもない事をおっしゃって……騙し討のようなやり方だったのは本当に申し訳なく思っておりますのよ? ですから今日は本音をお伝えしますわ」

「本音、ですか」

 話の腰を折ってはいけないとわきまえているのだろう、見知らぬ三人の令嬢たちは、口を挟む事も身じろぐ事もなかった。

「アレクサンドル様が社交嫌いなのはわたくしでもわかりますわ。でも、今日のこの出会いは今後必ず役に立つはずです。正妃に選ばれるにせよ、近衛に上がられるにせよ、人脈は必ず必要になりますわ。お嫌いだからといって、避けて通る事はできない」

 ひた、と自分に向けられる空色の瞳が鋭い。

「ご自分が微妙なお立場なのは自覚していらっしゃるのでしょう? いくらご生家が軍部に明るいからといって、それだけで渡って行けるほど政治の世界は容易くない。御祖父さまの威光を使ってなりふり構わず上を目指す決心をされたのなら、ご自分にしか得る事のできない力を利用なさる覚悟もされたらいかがかしらと思うのです」

 腹の底が見えないこの人は正直に言って苦手だが、彼女の言葉は確かに一理ある。

 知性が高く、聡明なのだろう。その分、悪知恵も働くようだが。

「他の男性騎士ではどうあっても後宮で人脈を築く事はできない。けれど、あなたならそれができる。後宮を出るその時まで、その美しいお姿を最大限使って、人脈という名の武器を手に入れられてはいかがかしら。わたくしたちなら、そのお役に立てると思っておりますのよ?」

「シャルシエル様のお心は分かりましたが、なぜそこまで私に便宜を図ってくださるのです。私にそこまでする価値が?」

「わたくしは単なる暇つぶしですわ」

 ふふふ、と笑ったシャルシエルの笑顔に、自分の顔から表情が消える。

「こんな閉鎖的な世界に二年も閉じ込められるのですもの。退屈な日々を慰められるなら、これ以上の事はございませんでしょう?」

 ねぇ、みなさま?と話を令嬢たちに向ける。

「リカチェ様のお茶会ではご挨拶出来ませんでしたけど、やっとお話する事ができますわ。はじめまして、ビビアン・クロウェルでございます。どうぞよろしくお願いいたしますね、アレクサンドル様」

 緩やかな癖のある赤毛に深海のような暗い青色の瞳を持った、ややきつい印象の令嬢である。それでも、整った顔立ちに笑顔を浮かべれば、その印象は薄れて柔らかく感じる。

 家名がクロウェルというくらいだ、おそらく現宰相家の系譜に連なる者だ。

「よろしく、ビビアン様……それから皆様、私の事はアレックスとお呼びください」

「わぁ、嬉しい。では早速アレックス様、わたくしはイデア・パルモアですわ。仲良くしてくださいませね」

 そう言って笑ったイデアは、肉感的な体つきをした女性だった。美形というよりは愛くるしい顔をしている。ヘーゼルグリーンの瞳に、鳶色の髪をしている。

 その家名に聞き覚えはないが、シャルシエルがわざわざ招いたのだ、おそらくこの令嬢の生家も、政治的に重要なポストにある家なのだろう。

「よろしく、イデア様」

「春のお茶会から、アレックス様は正妃候補の間で大人気ですのよ。かくいうわたくしもファンの一人ですの。キティ・アンダレイでございます。お近づきになれて光栄ですわ」

 キティと名乗った令嬢は明るい金髪を肩に付かない程度の高さで大きな内巻きにしている。珍しい薔薇色の瞳を持ち、髪にダリアのコサージュをしているのが印象的だ。

 この令嬢もまた整った顔立ちをしているが、背が低いのか若干幼い雰囲気があった。

 彼女の家名にも聞き覚えは無かった。

「よろしく、キティ様。しかし……大人気とは大げさではありませんか? せいぜい物珍しいだけかと思いますが」

 今までこれだけの女性と同時に会話したことなどないから、めまぐるしい。言葉、表情、仕草、全てに気を張って観察しているから気が抜けない。

「何をおっしゃいます。正妃選出から外れたら、アレックス様のお心をいただきたいと思ってらっしゃる方は多いのですよ?」

 たしなめるようにイデアが言う。

 予想外のその言葉に、アレックスは内心で空いた口がふさがらない。

 確かに男として生きる道を選んだ場合、将来的には女性との婚姻もありえるのだ、とその時初めて認識した。

 その事に全く思い至らなかった自分も相当間抜けだが、それと同時に女性のたくましさを感じずにはいられない。まさか自分が伴侶の候補として見られているとは。

 話している間に、アレックスの前にも部屋付きの侍女が茶を置いて行った。

 とにかく心を落ち着かせよう、とその茶器に手を伸ばす。

「今日のお姿も凛々しくていらっしゃって、このお姿を拝見出来ただけでもシャルシエル様のお部屋に招いていただいた価値がございましたわ」

 キティが夢見るように見つめてくる視線が少々怖い。

 なぜだかわからないが、自分が猛獣の檻の中に放り込まれたような気分だった。

 席についてまだ数分でしかなかったが、既に自室に走って帰りたかった。





※柑橘類のケーキ/ガトー・オ・シトロン(ウィークエンドシトロン)

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