19・人馬

 そろそろ本気で忘れられそうでマズイな、と胸の内で思う。

 なまった体の方も問題だが、相棒とのコミュニケーションはこじれると厄介だ。

 一度信頼をなくしてしまうと、取り戻すのが難しい。

 ここ最近は政務自体は落ち着いてきてはいるものの、事務処理が早く終わっても師団での鍛錬に付き合わせているから、たまには腹心を早く退勤させてやりたいという気持ちもある。

 どうしたものか、と椅子に座ったまま思案する。

「やはりもう一人腹心は必要だな……」

「またいきなりどうしました」

 小さく呟いたのを、抜かりなく拾っているあたりが耳聡い。近衛に所属しているのだから当然と言えるが、それを抜きにしても有能な部下だ。

「さすがに側付が一人ではどうにもならんと思ってな。師団はソルに任せているから良いとはいえ、政務も護衛もお前一人では、休む事も出来んだろう」

「まぁ、それは仕方がないかと。でもまぁ、もう少ししたら扱いにくい後輩が増える予定らしいので」

 そう言って、腹心は思わせぶりな笑みを浮かべる。

 その後輩は予想以上に早く昇進しそうな感触はあるが、それでも数年掛かるだろう。

 その間の負担を考えると、さすがに主としては頭が痛い。かといって、自分の立場を考えると、為人も能力も信頼できる人間でなければ内側に入れられないのが実情だった。

 悩んだところですぐに解決できるような事柄でもないから、この腹心には悪いがもう少し我慢してもらおう、と内心で呟く。

「お前の理解が良くて助かるよ、ベル」

「そう思われたのなら、今日は早く帰れそうですね?」

「……今日はアルファルドの所に行こうと思ってな」

 口に出した瞬間にケチのつけようのない満面の笑顔が返ってくる。

 ―――許せ、ベル。

「ええ、私は物分りの良い下男ですので、今日もお供いたしますとも」

 顔は笑っているが、腹の中では全く笑っていないのが丸分かりのセリフを吐いたベリタスに笑顔を向けながら口を開く。

「以前取り寄せたアイスワインがあっただろう、予備のやつが。あれ持って帰って良いぞ」

 輸送中の破損等を考慮して、贈答品は必ず同じものを複数取り寄せるようにしている。それの残りがあったはずだ。葡萄の出来が良かった年のリンデル領のものだから、味もそれなりに良いはずだ。

「お心遣い痛み入ります殿下。妻が喜びますよ」

「奥方にすまぬと詫びておいてくれ」

「妻よりも私に詫びていただきたいものですね」

 そう不満を口にしてはいるものの、この主が自分やソルマーレの待遇をきちんと考えてくれているという事は理解している。実質問題、内側に入れられる人材は限られているから仕方がない。

 宮仕えの身でこれだけ未来の王に目を掛けてもらっているのだ、それだけで重畳というべきだろう。

「まぁ、今日の所は妻への土産が手に入ったので目を瞑っておきます。厩舎に行くのなら早く片付けてしまいましょう」

 二人は顔を見合わせて、その後黙々と書類を片付けていった。



 妻帯者のベリタスは王都に居を構えている。そのため毎朝馬で近衛の厩舎までやってきてから王城に入る。

 カイルラーンの愛馬アルファルドはシルバルド師団に馬房を設けているので、二人はベリタスの馬を連れて厩舎の前までやってきた。

 人馬を厩舎の前で待たせ、カイルラーンは愛馬を連れに中に入って行く。

 通路を進んで行くと、その途中で見慣れない青毛の馬を見つける。確か少し前までその馬房は空いていたはずだ。

 自分がこの数ヶ月様子を見に来られなかった間に新しく入ったという事は、ただひとり士官候補生から昇進したアレックスの馬だという事になる。

「青毛か……めずらしいな」

 馬房の前で新入りを眺めていると、馬丁頭のトマスがやってきた。

「殿下、やっと時間ができたようですな。……良い馬でさ、こいつは」

 トマスは馬丁として騎士団で働き始めてもう四十年になる。その経験と長年培った知識で、馬の扱いに長けきちんとした仕事をする男である。

 日頃多忙で面倒を見られない自分の代わりに馬の管理を任せるのに、これ以上の者は居ないという程全幅の信頼を寄せている。

 そのトマスが良い馬だというのだから、間違いないのだろう。

「お前が言うくらいだから良い馬なのだろう」

「わしも長らくこの仕事をやらせてもらってますがね、本物の軍馬っちゅうのは、こういう馬の事を言うんでしょうなぁ」

 目線の先のその馬の耳は、こちらを警戒しているのか左右バラバラに動いている。

 ひた、とかち合ったその黒い瞳が、不機嫌そうにつり上がって耳が後ろに倒れる。

「まぁ、気性の激しいやつです。とにかく主人以外を認めないんでさ。良くも悪くもかしこいっちゅうのかね……これを御すのは相当骨が折れたでしょうな。わしら馬丁から見ても、あの新しい少尉さんはようやっとりますよ。忙しいのに世話も人任せにせんとできるだけ自分でやっていなさるし。だからこいつも主人への信頼が厚い」

「耳の痛い話だな。俺も見習わねばな」

「ははは、殿下はお忙しくていなさるから。新鋭な若者が師団に入って良かったですな」

 馬を見ただけで新鋭なのがわかるものなのだろうか、と思う。確かに気性が激しく御し難い馬を飼い慣らす事ができるのは能力が高い事の証明なのだろうが、時間を掛けて丁寧に世話をすれば不可能ではないはずで、それを新鋭とまで評してしまうのはいかがなものか。

「馬を見ただけでそこまでわかるものか?」

「まぁ、馬だけじゃないんですがね……殿下も一度、少尉が騎乗している所をご覧になられたらええと思いますよ。後ろ姿が堂に入って、ようあれだけ綺麗に乗れるもんだと感心しまさ」

「ほう……それほどまでに」

 もちろん殿下の馬術も大したもんですよ、と言い残して、トマスは他の馬房の馬を見に行った。

 それほど手放しで褒められる騎乗姿とはいかなるものなのか、己の中の興味が大きくなる。

「そろそろ季節も良い頃か」

 カイルラーンは小さくつぶやいて、愛馬の馬房へと足を進めた。



「師団長の姪御も参加してるんですよね……さすがにここからじゃ見えませんね」

「ばかやろう、甥だ。間違えるな」

 簡易望遠鏡を覗き込んで騎馬修練場を舐めるように浚っている佐官に訂正を入れる。

「え……でも正妃候補なんですよね?」

「くだらぬ噂話が流れとるが、あの王太子が女を自分の師団に入れるわけがなかろうが。確かにあいつは二面を持っちゃいるが、戦場であれを女だと思ったら痛い目を見ることになるぞ」

 年始早々城内でアレックスにまつわる噂話が流れたが、今までそれを積極的に否定してこなかった。どうせ身内が庇ったところで余計な尾ひれがつくのはわかりきっていたし、それを乗り越えなければアレックスの軍人としての将来もないのだとあえて静観していた。

「士官候補生からわずか二ヶ月で尉官昇進したと聞いてますが、殿下の指示があったとか言う……うわ…さ、も……?」

 騎士団内とはいえ別の師団の内実までは情報として入りにくい。城内に流れた噂話がまことしやかに伝わるのもある程度は致し方ないが、それにしてもその実情を計ろうともしないのはあまりにも思慮が浅い話だった。

 噂話をまるまる信用して迂闊すぎる部下を睨みつけながら、クレスティナ師団長アレイスト・ローゼンタールは口を開いた。

「お前何年軍にいる。仮にも俺の師団にいるんだったらもう少し考えて物を言え」

 明らかに獅子の尾を踏んだのを察した佐官が、まずいとばかりに背中をすくめる。

「それくらいで許してやってください師団長。うちの師団はおおらかなのが良い所ですがおつむの方も少々おおらかなのが玉に瑕ですかね」

 苦笑いを浮かべながら指揮官天幕に入って来た腹心がアレイストをなだめる。

 色合いは正副師団長と同じ白地に臙脂の縁取りのそれだが、形が文官同様の隊服を身にまとった副官の名をベンジャミン・キーリスという。体格は武人には程遠く、やや背が低くひょろりとした体躯に片眼鏡を掛けて、どう見ても軍人には見えない。戦闘センスは一般人並みだが、この男の能力は頭脳に極振りされている。こと戦場においての軍略センスのみで軍上層まで上り詰めた変わり種だ。

「よく考えてご覧なさい、あの王太子殿下ですよ。シルバルド師団は公平公正を掲げて運営されてきた師団です。いくら正妃候補とは言え実力もなく上がれるわけがないでしょう」

「俺が浅慮でした、すみません……」

 ベンジャミンにたしなめられた佐官は、いたたまれないというふうに大きな体を縮めて肩を落とした。

「アレックスはな、うちの親父が育てた最後の弟子だ。孫を強くしようとしたんじゃない……軍人を育ててたんだ。あいつの真価は馬に乗ってこそ発揮される。今日の合同演習は荒れるぞ……」

「グスタフ卿の弟子ですか……それはなかなか強敵ですね」

 そう言ってベンジャミンは笑みを浮かべる。

 今日の合同演習の結果が楽しみだな、と彼は心の中で思った。

 

 伯父が敵軍天幕の中で部下に苦言を呈していた頃、話の中心人物であるアレックスの姿はシルバルド師団指揮官天幕の近くの馬場にあった。訓練用の胸当てと軽兜を身に付け、武器は木製の棍のみである。

 今日の合同演習は佐官と尉官混成の模擬騎馬戦である。各師団佐官六名、尉官三十名で構成される騎馬隊で、先に相手方の大将を制圧した方が勝ちとなる。

 佐官の中から一名が大将役となり、残りが六名の尉官を連れた小隊となって修練場に展開するのが基本だ。

 シルバルド師団はルカ・ユーゲント中佐を大将にして、基本通り残りを五隊に分けた配置となった。

 アレックスはセーラムと共に、スレイ少佐の隊に組み入れられていた。

 師団の動きはあらかじめユーゲント中佐から各佐官に通達されている。大将である中佐はウォード小隊が守りながら、後方から追従する形でついて行く事になっていた。

 残りの三小隊が戦線に切り込みながら大将への道を開いて、スレイ小隊が遊軍となって敵大将の首を狙う。

「アレックス、お前は小柄だから狙われやすい。できるだけ馬影に紛れて最前線到達まで能力は隠しておけよ。行けそうなら隙をついて大将の首を取りにいけ」

「承知しました」

「お前たちはできるだけ近接して走れ。アレックスの動きを敵に気づかせるな」

 戦場において大切なのはやはり物理的戦力だ。数の暴力に勝るものはない。しかし今回の模擬演習で、投入された戦力は人数において同等である。

 各人の戦闘能力の差は確かに存在するが、集団戦においてそれは考慮すべきことではない。

 勝ちを取りに行くのならある程度の戦略は必要で、その内容が相手にとって想定しにくいものであればあるほど良い。

 今日の模擬演習では、相手側に昇進したばかりのアレックスの能力はほとんど知られていない。まして体格も小さく、階級も尉官だ。大将の首を取りに行くのがアレックスだとは想定できまい。仮にアレックスが落とされても、本陣であるウォード隊が防衛から攻撃に変わってルカ自らが大将を取りに行く。

 スレイ小隊の尉官全員が、は、と返事をしてそれぞれが馬に騎乗した。

 説明された二段構えの戦略を頭に入れて、アレックスは開戦の合図を待った。

 騎馬修練場に生ぬるい空気が流れて行く。軽装とはいえ防具をまとった状態だと、春の陽気に容赦なく体は蒸される。

 つ、と額から一筋の汗が伝った瞬間、修練場に甲高い笛の音がこだました。

 それを皮切りに、騎馬の一団は移動を開始する。

 大地を踏みしめる馬の蹄の音は流れ落ちる滝のようにドウドウと鳴り響いて、アレックスの鼓膜を震わせる。疾走して身に受ける風が、頬に伝った汗を乾かして行く。

 棍を己の肩に立てかけてレグルスを駆りながら、集団の先に視線をやる。

 スレイ少佐の言葉通り小隊は一糸乱れず纏まって、敵陣を目指して進む。敵の大将は分かりやすいように、兜の頂点に紅い房飾りがついている。

 馬影の隙間から散開している兵を確認しながら、切り込んで敵を排除していく先行部隊の後背に追随していく。

 おそらく少し離れて、ウォード小隊が着いてきているはずだ。

 戦略は頭の中にあったが、おそらくそんなに簡単には勝たせてもらえないだろうとアレックスは思っている。

 あの伯父の率いている師団だ。自分の能力もある程度伯父は知っているはずで、しかも騎兵に定評のある師団だ。ローゼンタールの名は伊達ではないのである。

 先行部隊の動きがゆるくなってきた。おそらく敵本陣に到達する前にもみ合いになっている。

 スレイ少佐の棍が挙げられて、前方を指した。それが合図だった。突撃の開始である。

 小隊は切り込み部隊を置き去りにして、速度を上げる。塊になった騎兵を避けながら突き進んで行くが、どうしても一団で纏まったままでは抜けることができない。

 隙間を縫うように敵を避けながら、前へ前へと距離を縮めて紅い房を探す。

 アレックスの前をセーラムが先導して、露払いをしてくれるおかげで走りやすかった。

 横から差し込まれる敵の棍を払いながらセーラムの後背に紛れていると、ちら、と一瞬紅い残像が見えた気がした。

 はっ、とその方向に視線を向けると、また数度馬影の隙間に紅が揺らいで見えた。

 アレックスはぐっと腹に力を込めて叫んだ。

「敵将確認! 前方二時方向」

 周囲に散っていたスレイ隊の数人から、応答の声がかかった。

 ――― ヤー!

 応答を耳に拾って、即座に棍を持ち直す。そのままセーラムの後背から外れてレグルスを両腿で強く締め付けた。

 アレックスの指示を受けて、相棒はぐんぐんと加速する。

 ド ド ド ド ド ド ド ド 

 規則正しいレグルスの疾走音しかアレックスの耳には届かない。

 単騎躍り出たアレックスを援護する形でスレイ隊は後背を護りながら走るが、疾走していく黒い色に引き離されて行く。

 敵もこちらの攻撃に備えて人馬の垣で大将の前方を固めているのが見えた。

 アレックスは内心で舌打ちする。

 ―――やはり伯父上簡単には勝たせてくれないか。

 覆われた人馬の壁の薄い場所を目視しながら、アレックスはそちらの方へレグルスを足の動きで誘導し、手綱を軽く二回連続して引いた。

「飛べ」

 スピードを落とさず疾走していたレグルスは、アレックスの命令を受けて跳躍した。

 その光景に、後背を護りながら縦走していたセーラムは目を見開く。

 守りの薄かった壁は突っ込んで来る人馬におどろいて散り散りになり、馬は興奮してもみ合いになる。

 着地した黒い馬はいとも簡単に方向を転換して、回り込んだ馬上から棍が突き出された。

 ピタ、と首裏から鎖骨前につきでた棍の先を目視して、敵大将は一瞬呆けたように口を半開きにする。

「参った」

 つぶやいて、敗将は首に下げていた笛を力いっぱい吹いた。

 騎馬修練場に、やけくそ交じりの笛の音が響き渡った。

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