13・王命

 カイルラーンはベリタスを連れて、後宮へ続く内宮の廊下を歩いていた。

 忙しい政務の合間に正妃候補の令嬢との会談を設けて三日目。多忙ゆえ一日のうちに会えるのは一人か二人。これまで数人と会話したが、ことごとく印象は芳しくなかった。

 特に候補者の中で一番年齢の低かった十四歳の子爵家の令嬢は、傍らに侍女と人形を同席させており、会話の内容もどこか夢見がちで頭の中が花畑のようだった。どう見ても王家に嫁す事を恋愛物語か何かと履き違えているように思えてならなかった。

 街道が移動しやすくなる春頃まで後宮に留め置いて、その後は正妃候補の取り消しを行おうと決めたのが昨日。

 そして今日、女官長が伝えてきた相手はアゼリア・ハイリンガムだった。

 すでに先触れとして女官長を行かせたが、未婚の女性の部屋を訪うマナーとして、ベリタスが部屋の扉をノックする。

 中からアゼリア付きの侍女が扉を開いたのを機に、彼は口を開いた。

「先にご連絡いたしましたとおり、カイルラーン殿下がアゼリア様との会談に参られました。部屋にお通し願います」

「お伺いしております。どうぞお入りください」

 回りくどいやりとりだが、これを無視するとあらぬ噂が立ちかねない。王城の中とは得てしてそういうものだ。

 部屋付きの侍女が深く頭を下げたのを見てとって、ベリタスは部屋の内側に入って扉を薄く開けたまま、そのドアの傍に立った。

 万全な警備が敷かれた後宮の中はよほどの事がない限り王太子の命を狙うものは現れない。今日は私的な会話をする事に配慮して、警護ができるギリギリの距離を保っていた。

 カイルラーンは部屋の扉から一番近い応接セットに向かって歩いて行く。そこには、やたらと着飾ったアゼリアが立ち上がって待っていた。

「ようこそおいでくださいました、カイルラーン殿下」

 甘ったるい猫なで声が呼んだ己の名前に、胸焼けに似た不快感を抱く。

 どうぞおかけになって下さいませ、と続いたそれに従って、椅子に座って足を組む。

 アゼリアが対面に座ったのを機に、扉の前にいた者とは別の侍女が茶と菓子を置いて下がる。

 本来なら一口でも飲むのがマナーだが、カイルラーンはそれを無視した。

「ハイリンガム領で昨年採れた出来の良い茶葉ですの。殿下に召し上がっていただきたくて取り寄せました。よろしかったらぜひ」

 変わらず不自然さを感じさせるほどの甘えたような声で、茶を勧めるアゼリアを冷めた表情で見つめる。

 正直積極的に話したい相手ではないが、致し方あるまい。諦めに似た自制をして、口を開く。

「せっかくだが、俺は何も口にしない」

 その言葉に、アゼリアは何かに気付いたようにハッとした表情を浮かべて頷いた。

「お毒見が必要でしたら殿下ものをわたくしが」

「いや、いい。それよりも、そなたが後宮に入ってもう半月程になる。なにか不自由はないか」

 自分の申し出を拒否されたことに気を悪くした風もなく、カイルラーンの質問に科を作るように小首をかしげた。

 しばらくわざとらしく考え込むようなふりをして、それでしたら、と話し始める。

「生活そのものは何も困っておりませんけれど、アレクサンドル・ローゼンタール様の事です」

「アレクサンドルがどうかしたか」

「先日わたくし廊下で偶然お会いして、その時脅されましたの。あの方の侍女に手をだしたからわたくしを潰す、と。わたくしはなにもしていませんのに……誤解なさっているのです。あの方は勇ましくていらっしゃるから、わたくし恐くて震えてしまって」

 本当に何かされたらどうしましょう、と怯えたように胸に手をあてる。

 白々しさを感じながら、カイルラーンはその様子を眺める。

「それを俺に伝えてどうしろと?」

「陛下の王命には、貴族としての品位を著しく損なう行いをした場合、正妃候補を取り消す、との一文がございました。わたくし、あのような方が殿下の正妃候補というのは問題があるのではないかと思います」

「ほう……正妃候補から外せ、とそなたは言うのだな」

 にこりともせず金色の瞳でアゼリアのそれを覗き込む。

 気圧されたような様子を見せながら、アゼリアは頷いた。

「え……ええ」

 その答えに、カイルラーンは不快感を顕にした表情で、長い溜息をついた。

「脅された証拠があるのか?」

 何かまずいことになったのは察したのだろう、弁明の機会を得たとばかりに言い募る。

「も、もちろんでございます。その時はわたくしの侍女も一緒でした。ですから証人もおります」

 

 ―――本当に救いようがない。


「後宮で働く侍女には二種類いるな。女官長のように直接王宮が召抱えているものと、そなたが連れてきた者たちのように主家に雇われている者と。いわば身内同然の身分の者の証言に証拠としての信ぴょう性があると?」

 カイルラーンのその言葉に、アゼリアは呆然として一瞬押し黙る。

 彼女の部屋についている侍女は、皆ハイリンガム家から連れてきた者ばかりだった。

「ですがわたくし嘘はついていません!」

「それが真実だとして、そなたが逆の立場であった場合はどうするのだ」

「逆の……立場……?」

「アレクサンドルがそなたに脅されたと申告したら?」

「なっ……あの方はそんな事まで! なんて卑怯な方!」

 目を彷徨わせながら、アゼリアは半ば発狂するように叫んだ。

 その様子に、カイルラーンはうんざりしたようにアゼリアを眺める。

「俺の話を聞いているのか? アレクサンドルからそのような申告は受けていない。あくまで仮定の話をしているだけだ」

 はっと我に返って、取り繕うように言葉を紡ぐ。

「え……ええ、そうでしたの。取り乱してしまって申し訳ございません」

「いみじくも今そなたが言ったであろう、卑怯だと。その真偽はさておき、正しく証拠も提示できぬのに告発することを詭弁という。それがまかり通るなら昔のようにまただれかが死ぬな。明日はそなたかもしれんぞ?」

 鋭い目線で射られるように見据えられて、アゼリアはウッと小さく呻いた。

 だが、負けは認められないのか、駄々をこねるように口を開く。

「そもそもおかしいですわ、後宮に上がっておきながら殿下の師団に軍人として席をおくなんて! アレクサンドル様だけ贔屓されてますわ!

 殿下はご存知ありませんの? 殿下の寵を受けたいがために御祖父さまでいらっしゃるグスタフ卿の力を使って師団入りしたと言われているのを」

 カイルラーンは、ブツリ、と自身の内側で何かが断絶したような気がした。

 小さく息を吸い込んで、気だるげに口を開く。

「知らぬはずがないだろう、俺の師団なのだから。そなた俺を無能と愚弄する気か」

「め……滅相もございません。愚弄する気などは毛先ほども! ですがご存知ならば何故」

 ちらり、とアゼリアに視線を投げる。

 

 ―――説明せねばわからんのか。


「そもそも贔屓というが、そなたとアレクサンドル、同じ舞台の上に立っていると思うのか?」

「殿下、お恥ずかしながらおっしゃっている事の意味がわかりません」

「王家に嫁す者の役割とはなんだ」

「それは……伴侶となられるお方をお支えして、お心をお慰めする事、でしょうか?」

 聞いた限りでは尤もらしい事を言っているように思えるが、そのくせ漠然としすぎていて具体性に欠ける答えだとカイルラーンは思う。

「そんな上っ面などどうでもいい。王家に嫁す者の役割とは、王統を維持するために子を成す事にある。最優先事項はそこに尽きる」

「は……はい。それはよく理解しております」

「そもそも半分女だというが、アレクサンドルにそれが成せるのか。俺の寵を得るためだの何だのと言うが、俺はそんなもののために己が背負った宿命からは逃げられん身だ。王統を維持するために必要だと思えば、家柄や美醜や性格の不一致など一切を無視して妃に据える。逆に言えば、完全な女ですらないアレクサンドルは、そもそも正妃選出のスタートラインにすら立てていない。生まれた時から女のそなたとは、端から並んでさえいないのだ。女であるそなた達の方が贔屓されているとは思わんか?」

 覗き込んでくるカイルラーンの瞳をまともに見返すことができない。

 アゼリアの頭の中に、過日のアレクサンドルの言葉が残響を残しながら浮かび上がる。


 ―――条件で言えば圧倒的にあなたのほうが有利だ。正真正銘の女性なのだから。


「それでしたら、一層おかしいですわ。完全な女性でないのなら、後宮にお入りになる意味がありません」

 まともにカイルラーンの瞳を見る事ができず、うつむいたまま絞り出すように反論する。

「そうだ。では、なぜそうであるにも関わらず、アレクサンドルが正妃候補に上がったのか……人選については、父上がお決めになった事だからだ。俺が選んだのではない。父上が、だ」

 玉座の威光ほど強いものはない。たとえ王太子といえども例外はないのだ。

 その言葉に、アゼリアは追い詰められたネズミのように喉から小さくヒッと悲鳴を漏らした。

「そなたも、アレクサンドルも、サラ・ベルモントもだ」

 読み上げられた名前に違和感を覚えて、え、と聞き返すように顔を上げた。

「叔父上の夜会でそなたがサラ・ベルモントにした事は全部把握している。あの会場にいた正妃候補全員に俺が内偵者を付けていたからな」

 入室してから一瞬もニコリともしない王太子の言葉が、鋭い刃となって切りつける。

 声を荒げるわけでもなく淡々と言葉を紡いでいるのに、それが背筋を凍らせる程に怖い。アゼリアには、見据えてくる金色の瞳が、肉食獣のそれに思えてならなかった。

「あの、あれは、わたくし……」

 弁明を思いつけないのだろう、視線はいたずらに宙を彷徨い、言葉はもはや意味をなしては居なかった。

「一度なら俺も特別に見逃すつもりだった。アレクサンドルにまつわる噂を城内に広めたのはそなただな」

「いいえ、いいえ……そんな! わたくしには何の事だか」

「俺が正妃候補一人を贔屓しているような物言い、侮られたものよ。大いに不愉快だったのでな、噂の出処を調査した」

 アゼリアは顔面蒼白になりながら、壊れた人形のようにいいえ、いいえ、と首を振る。

「ほぼ全てそなたの部屋の侍女から聞いたとの証言に行き着いた」

 部屋の中に控えていた侍女の顔が、サッと曇る。皆一様に恥じ入るように俯いた。

「わたくし知りませんでした。きっと侍女がわたくしのためを思って勝手にやったのです!」

「王命の一文に、主の為と使用人が勝手に事をなした場合でも、その責は主家に向かうとあっただろう。確かに意図的に他者の身体を損ねてはいない。ゆえに罪には問わぬ。だが品位についてはどうだ。己の使用人を満足に御すことすらできない主では俺の正妃は務まらん。子を成すのが最優先事項だとしても、正妃に足るふるまい、品格を著しく欠くものを俺は選ばぬ。そなたを正妃候補から除外する。後宮を去れ」

「殿下! 今一度の機会を!」

「ならん。二度目はない」

 カイルラーンは立ち上がって、大股で部屋を出て行く。そのあとに、側近が物言わず付き従って部屋の扉は閉じられた。

 パタン、と扉の閉まる音が聞こえた瞬間、狂ったような金切り声が部屋の外まで漏れ響いた。

 


 雪中行軍訓練終了から三日後、カイルラーンは内宮の執務室で、ソルマーレから報告書を受け取っていた。

 執務机に着いて、ざっと士官候補生についての報告書に目を通す。

「全員帰還できたとはいえ、事故については今後の課題だな。ロル・マーレイの使った結縄法を訓練に取り込むのも良いかもしれんな」

「そうですね、戦場での土木作業にも役立つでしょうし。どこかに組み込むように検討します」

「アレックスの尉官昇進の判断についてはそれでいい。俺もお前の立場なら同じ判断をする」

 カイルラーンの言葉に、ソルマーレはわかりました、と頷いた。

「いやー、しかし凄いですね。報告を見るまで私もアレックスの能力については話し半分にしか信じてなかったんですけど……グスタフ卿が手塩に掛けて育てた結果が出てますね。最速で上がるでしょうね、これ」

 カイルラーンの脇についていたベリタスが広げられた報告書の一枚を覗き込んでいる。もちろんアレックスについてのものだ。

「総じてローゼンタールの者は軍人としての能力は高いですが、アレックスはその中でも突出していますね」

 師団創設百有余年の間、師団入りして初めての評価訓練で濃紺まで上がった者は片手に収まる程度にしかいない。

「普通は三年分の経験値しかないからな」

 一般兵として騎士団に入団希望する場合、十七の成人になる月を迎えないと許可されない。

 本来なら最短でもそこから三年の一般兵科の訓練を受けなくてはならない。

 師団入りの最年少は早くても十九歳。十七歳にして師団入りし、その上濃紺まで上がる事など異例といっていい。

 アレックスの祖父グスタフが騎士団を退団して十年以上になるが、籍を引いてからの年月を孫の教育に費やしていたのだとすれば、アレックスは十七歳にして佐官並みの訓練を受けていることになる。

「まぁ、俺にとっては悪いことではないがな」

「どうしよう、同僚に若造が来たら」

 見た目は優男風のベリタスが若造と言い切る程度には、この側近もまた年をとっている。

「なかなか激しい軍馬だぞ、その若造。上手く御せよ」

 ニヤリ、とカイルラーンがベリタスに笑んだ時だった。

 部屋の扉を叩くものがいる。

「誰だ」

 ベリタスが扉に向かって問いかけると、その先から聞き馴染んだ声が聞こえる。

「ルカ・ユーゲントです。こちらにソルマーレ大佐はいらっしゃいますか」

「入れ」

 は、と返事が聞こえて扉が開かれる。

 内側に入って扉がしまるとすぐに、ルカが間髪いれずに口を開く。

「副師団長、アレックスがイルキスに試合を申込みました」

 ルカのその言葉に、彼以外の三人は全員心の中で同じことを思った。


 ―――やはり激しい軍馬で間違いない

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