11・創意
ソルマーレとルカが手わけして野営準備をしている最中だった。団員達に踏み荒らされ雪と土が混じりあって斑になった平地に、ジャリジャリとそれを踏む足音が響いてくる。
振り向くと、アレックス・ロル組の採点者としての任についているウォード・ゲルドラド少佐が向かってきているのが見える。
「何か問題でも起きたか」
声が届く範囲にやってきたのを見てとって、ソルマーレは尋ねる。
ウォードはちらり、と周囲を確認してから口を開く。
「アレックスから、
「ああ、ルカが覗いてたから知っている。お前が良いと判断したならそれでいい。何も問題はない」
ソルマーレのその言葉に、迷うような様子を見せて一瞬押し黙ったあとウォードは口を開いた。
「防寒面を考えたら、これ以上合理的な方法はありません。だから、それ自体には自分も問題があるとは思いません。ですが……同衾して問題はないのかと」
ああ、とソルマーレは納得した。アレックスは正妃候補だ。本来なら正妃選抜を終えるまで、男との同衾など到底許されることではない。
「殿下は、正当な評価を受けさせてやりたい、とお望みだ。それは騎士団内では他の団員と差別することなく男として扱え、ということだ。お前は男と同衾するのに躊躇するのか? 俺たちだけはくだらない噂やアレックスの立場に振り回されてはならんのだ」
王太子は、どんなに生家に力があろうとも、騎士としての能力が低い者の階級を上げることはしなかった。そんなカイルラーンに今まで公平に能力を評価されてきたのは自分たちだ。王太子自身もその地位に甘んじることなく、自らを鍛えて武人としての力を身につけている。口先だけではないから、師団員から尊崇されている。だからこそ、アレックスだけを差別することは許されないのだ。
「ここには俺たち以外に誰もいない。漏らすやつもいない」
ソルマーレの言葉に、ウォードは黙って頷いた。失礼します、と頭を下げて戻っていく。
姿が見えなくなってから、溜息をつく。
「何か不安要素でも?」
「ああ、いや、ウォードですらあの状態なのかと思ってな」
さすがに士官候補生である上等兵よりも階級の上がった佐官だけあって、判断は的確だし無駄に騒ぎ立てることもない。そのウォードですら同衾する事の是非の判断が下せないのだから、彼より下位の者たちならどうなるのだろう、と思う。
何事もなければ良いが、とソルマーレは思った。
夜半を過ぎて天候は変わり、ロブロフォス山は吹雪に覆われた。打ち付ける風と雪が、幄を容赦なく揺さぶっていく。ゴウゴウと轟いたかと思うと、ついには女性の悲鳴のように風は啼いて、ホワイトアウトのさなかにある小さな幄は、まるで海原で煽られる小舟のようだ。
三枚重ねの帷は武人三人で使うと隙間がないくらいに狭かったが、その分寒さは軽減されている。もとよりアレックスの提案で三重になっているから、吹雪いている割には寝られないほど寒いわけではなかった。
全員、互い違いに寝袋を置いてその中に潜り込んでいる。
アレックスの規則的な寝息が、風の音に混じって聞こえる。
昨日は早朝からの登山で疲れていたから、ロルは夜の早い時間には眠ってしまっていた。そして、日の出まではまだかなり猶予のあるこんな時間に目覚めてしまったという訳だ。
寝入る前には荒れていなかった天候が、起きたときには変わっているのが分かって、アレックスの判断力に舌を巻いている。
幄を重ねることはもちろんだが、もしあの時アレックスの提案を無視して先を急いでいたら、この荒れた天候のなか幄も張れずに夜を過ごしていたかもしれなかった。
―――生存率はあげておかないと
何を大げさな、と思っていたが、その重要性をこんな形で実感することになるとは思っていなかった。
結局、なにもかもアレックスの経験値の方が上だった。張り合うのも馬鹿らしいくらいに完敗だった。
今はまだ勝負にすらならないがいつか肩を並べられるように、その時まで雌伏して牙を砥ごう、とロルは決意して瞳を閉じた。
船の上を根城に幼少期を過ごしてきたロルにとって、吹雪のうるささなど子守唄のようなものだ。すぐに意識は深く沈み込んでいった。
夜明け前に吹雪は収まり、誰ともなく起きだして簡単に朝食を摂ったあと、夜明けと共に野営を片付けて下山を再開する。
昨日案内されていた獣道に踏み入れると、夜中の吹雪で降った雪が膝下まで積もっている。
うっかり踏み外さないように、確認しながら先に進む。
二人は協力して獣道の痕跡を追いながら、地図上に記載されている一番近い尾根を目指していた。沢を下るのは現実的ではない。沢は尾根と尾根の間にある谷だから、高低差で滑落する可能性が高くなる。下山と聞くと下へ向かって降りるイメージが強く、どうしても谷間に向かって行きたくなるのが心情だが、沢の先には崖や滝がある事が多く、早晩ルート変更を余儀なくされる。
結局のところ、遠回りに見えて尾根を伝って行くのが一番確実で速いのだ。
小休憩を挟みながらしばらく先に進み続けると、目指していた尾根に到着する。
アレックスは望遠鏡片手に地図を確認して、太陽の位置から概ね目指していた場所とは外れていない事を確認してホッとする。
「場所、大丈夫そうか?」
近づいて来たロルが、アレックスの広げた地図を覗き込んでいる。
「多分大丈夫だ」
アレックスは地図をたたんで外套の中にしまいこみ、望遠鏡をロルに差し出した。
「頼む」
「おう」
望遠鏡を背嚢に仕舞うのに、その度にそれをおろしていたのでは時間も手間もかかるので、いつの間にかロルが助けてくれるようになった。
両手が自由になってすぐ、尾根に沿って歩き出す。
しばらく進み続けると、目線の先に短い吊り橋が見えてくる。
軍から支給されている山岳地図には尾根と尾根の間にかかる小さな吊り橋までは記載がない。アレックスは再び懐から地図と細い木炭を取り出して、地図に直接目印を書き込んだ。
吊り橋を渡ろうと、それを確認するために近づくと、ひどい有様なのが分かった。
人一人がやっと通れるくらいの簡素なものだが、明らかに手入れがされておらず、このまま載ったらおそらく踏み外して下の沢に落ちる。
揺らしてみると、渡された金属製の縄の方はまだ生きているような気がした。問題は踏み板だ。長らく放置されていたようで、腐ってしまっている。
「あー、こりゃダメだな。迂回路探すか」
追いついてきたロルが言う。
最後尾についていた士官も同様にそこにやってきたが、もちろん彼は口をつぐんで何も言わない。
ロルの提案は至極真っ当なものだが、アレックスは首を縦には振らなかった。
「こんなに短いのに橋がかかっているくらいだ。多分ここを通るのが一番良いんだと思うんだ。時間はかかるけど、踏み板を修繕しよう。装備に手斧と鋸があるから」
「直すのか? これ」
げんなりした様子でアレックスの顔を見ると、もちろん、と言ったふうに笑った。
反論しようなどとは思えないくらいに、結局アレックスの判断力を信用してしまっている。ロルは諦めたようにわかった、と呟いた。
二人は吊り橋の近くに背嚢を置いて、装備品の中から手斧と鋸を取り出した。山の中だから材料になる木は山ほどある。
家具を作るような工作なら生木ではいけないし、もっときちんとした道具が必要だが、踏み板を作るだけだからそれなりの強度があれば生木でも構わないし、手斧と鋸があれば充分だ。一定の大きさの板を切り出して、二重螺旋状になった渡し縄にはめ込んでいくだけだから、なんとかなるだろう。
アレックスとロルは手頃な倒木を見つけてきて、平地で鋸を入れる。意外にもロルが鋸を引くのが上手く、細めの丸太は吊り橋と同じ幅にあっという間に解体されて行く。
「ロル、上手いんだな」
意外な特技を見つけたアレックスがそう言うと、ロルは得意気に胸を張った。
「言っただろ、俺んち造船屋だって。木を切るくらいなら余裕だぜ」
それならば、とアレックスは鋸をロルに任せ、自分は手斧に持ち替えた。ロルが切り分けたそれに、薪割りの要領で手斧を入れていく。
二人で協力しながら小一時間作業して、あらかた大きさの揃った板が出来上がった。
次はそれを吊り橋の手前側から差し込んでいく。古いものを引き抜いて新しいものにすげ替える。
木を切るよりもそちらの方が手間が掛かかる。縄はそれなりに錆び付いているから腐った木に食い込んでいるし、新たに差し込むために輪を広げないといけない。
手斧を輪に差し込んで、てこの要領で抉って広げたそこに新しい板を差し込んで、安定するようしっかり噛ませてからまた輪を閉じる。
橋の修繕に結局二時間以上を費やして、なんとかそこを安全に通れるようにした。
「ふー、終わった」
そう言って、ロルは額に浮いた汗を袖で拭う。
雪が積もっているから周囲は冷えているが、体を動かして作業していたから寒さは感じなかった。
修繕をやり終えた満足感で空を仰ぐと、太陽はすでに昼の位置にある。
「ロル、ここで昼食にしよう」
「そうだな、さすがに休憩したいしな、丁度いい」
現金なもので、昼食と聞いたロルの腹がグウと鳴いた。
二人は咄嗟に目を見合わせて、声を上げて笑いあう。
それにつられたかのように、近くでコマドリの鳴き声が響いていた。
休憩がわりに簡単な昼食をとってから、アレックスとロルは再び歩き出した。
修善した吊り橋は一人ずつなら問題なく渡れる強度に仕上がっていた。安心してそれを渡り切り、また尾根沿いに進んで行く。
小一時間進んだ所で、人の話声が聞こえて来る。
歩を進める程に、その声には緊迫感が混じる。
嫌な予感がして、すぐそこに聞こえるという所まで進んで声のした方を覗き込むと、尾根に沿った沢のそばに別の組がいるのが見えた。
上等兵二人に士官が一人。
「どうした?」
追いついてきたロルが、同じようにそこを覗き込む。
「おそらく誰か滑落したんだな。どうやら動けないみたいだ」
「あー、そりゃ下手打ったな」
アレックスは懐に閉まった地図を取り出した。現在位置を確認する。
そして、分かってしまった。このまま放置して行くのは危険だ。
「ロル、助けよう」
アレックスはロルの琥珀色の瞳をじっと見つめる。
「アレックス、途中で別の組に遭遇しても一緒になるなって言われたろ」
ロルは困ったような表情を浮かべた。
「確かにそう言われた。でも、このまま私たちがここを離れたら、最悪誰かが命を落とす」
会話の内容を拾った限りでは、おそらく上等兵のどちらかは負傷している。今のこの場所から士官と無傷の上等兵で負傷者を抱えて下山しようすれば、背負って行くしかない。
だが、それでもこの沢から地上に降りる事はできない。山岳地図を見る限り、この先はおそらく崖か滝がある。ならば、結局は沢を登って別の迂回路を探さなくてはならないのだ。
では、上等兵二人をこの場に置いて、山に慣れた士官が下山して助けを呼びに行った場合はどうなるか。
この入り組んだ場所に救助が迷わずまっすぐたどり着けるのか、時間的に救助が戻ってくるまで二人の命が保つのか、といった不安が残る。
「好成績をとって上に行きたい気持ちは私にもある。でも、人の命より価値があるとは思えない。訓練を中止したってペナルティはないし、成績はこの先頑張れば何とかなる」
懇願するように頼み込んで来るアレックスに、苦笑いを浮かべる。
「ロルが嫌なら士官と先に進んでくれ、私はここに残る」
―――全く、叶わないよな……かっこよすぎるだろう
「嫌って言ってないだろ。しょうがねぇから付き合ってやるよ」
ありがとう、とアレックスは満面の笑みを浮かべた。
二人のやり取りを見守っていた士官が口を開いた。
「訓練中止で後悔しないんだな?」
二人はその言葉に、大きく頷いた。
「しかしどうやって助ける」
士官は尾根から高低差のある沢を覗き込んで、眉根を寄せる。
「幄を使って担架を作りましょう。できるだけ高低差のない場所から尾根の方に引き上げて、そのまま尾根沿いに降りて行けばいい。二人なら無理でも、きっと五人なら上げられます」
背嚢の中には幄を張る為の縄も入っている。手斧も鋸もある。それが全部で六人分だ。道具を工夫すればこの窮地はきっと超えられる。
よどみなく救助案を説明するアレックスをみて、やっぱり敵わないな、とロルは思う。
せっかく苦労して山に登って橋まで修繕したというのに、結局成績は零点だ。それでも、悪くない気分だった。
やっぱりお前は本物の貴族だ、とロルは心のなかで呟いた。
士官はアレックスに頷いてから、沢に向かって大声を張り上げた。
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