9・印象

「城内では、アレックスが殿下の寵を受けたいがためにローゼンタールの力を使ってあなたの師団に入ったと、まことしやかに噂されていますね」

 アレックスがカイルラーンの師団に配属されてから一週間が経とうとしていた。

 本来なら三年間の一般兵訓練を終え、才能を認められたものだけが各師団への入団が許される。それをすっ飛ばしていきなり師団、ましてカイルラーン直属の師団に配属したのだから、そんな噂話がでても不思議はないと言ったところだろう。

「あなたこれ予測できなかったんですか?」

 政務の関連書類の束を手に、ベリタスが呆れたように呟いた。

「まぁ、想定していた範囲だな。問題ない」

「想定していたなら、ローゼンタールの影響力の及ばない他の師団でも良かったのにどうしてまた……」

「人の悪意ほどおぞましいものはないからな。あれが他の師団に入ったとして、正当に評価を受けられるかわからん。俺の手の内に有りさえすれば、不名誉な噂話はともかく真っ当な評価は受けさせてやれる」

 人は、自分の見たいようにしか物事を見ない。その背景になにがあるのかを慮れる人間はそう多くはない。

 確かにアレックスはローゼンタールの教育を受けて武人としてもそれなりに素地があるが、あの外見と福音のせいで、正当に評価を受けられるかどうかはわからない。

 そこに人が介在する以上、その心の中まではこちらの思うように動かない。

「ずいぶん気に入られたんですね。正直あなたがそこまで考えているとは思いませんでした」

「父上がアレックスを俺の腹心にと望んでいるのはわかるからな。でなければいくらなんでもあのでたらめな要求を飲まんだろう」

 正直、どうして父がそこまでアレックスにこだわるのか分からなかった。

「二年で手の内に引き込めという事は、正妃にするか配下にするかの二択しかないからな。俺の配下に引き込むなら、最速で階段を登ってもらわねばならん」

 正直なところ、夜会で実物を見るまで迷いがあった。そこまでする必要があるのか、と父に対する反発心があったのも事実だ。

 だが、握ったアレックスの手を見て心が決まった。到底、深窓の令嬢令息の手ではなかった。節がたち、剣ダコができ、深爪気味に切られた爪の淵は茶色く変色していた―――馬の世話をするからだ。

「伊達や酔狂であの手にはならん。今は有象無象がとやかく言うだろうが、そのうち醜聞よりも実像が勝つ」

 騎士団は実力社会だ。その分武人としての周りの評価は厳しいが、努力した者、結果を出した者を認めるのも早い。今は周りのものもアレックスにどう接していいか分からないから孤立しているが、そのうち団にも馴染むだろう。

「まぁ、そうかもしれませんね。大したものですよ、厳しい訓練も一切不平不満を漏らさずにやっているとか」

 三年一般兵として訓練して師団配属された者でも音を上げる程である。その訓練も各師団長の考え方で内容に差があるが、王太子直属のシルバルド師団の過酷さは群を抜いている。

 それも王太子の直属という役割を考えれば致し方のないことだ。いざ出陣となれば、王太子を失わずに戦わなければならないのだから。他の師団のように国に仕える一軍人が率いて戦うのと、将来の王が率いるのではその重さが違う。

「ソルの報告だと、入団日より少し痩せたようです。おそらくきちんと食事ができていないのではなか、と」

 王太子としての政務があるため、どうしても師団の事にまで手が回らない。普段はそちらの管理を腹心のソル―――ソルマーレ・ルドンに任せている。

「慣れるまでは致し方あるまい。そこを乗り越えねば有象無象を黙らせることも出来ん。後宮の調理場に、アレックスには体に負担の少ないものを供するように指示を出しておけ」

 ベリタスはかしこまりました、と頷いた。

 それから、とカイルラーンは続ける。

「女官長とサラ・ベルモントを呼び出せ」

 また何をやらせるつもりだろう、とベリタスは思ったが、それを問わずに頷いた。



 嘔吐したアレックスを早めに寝かせ、サラは残った食事を下げて調理場へと向かっていた。

 医者を呼ぼうとしたら、アレックスに止められてしまった。激しい訓練で体がなれるまでに時間がかかるだけだから、と。いくら主の頼みとはいっても明日の訓練が休みでなかったら、そう言われても納得できなかったはずだ。切羽つまったように頼まれては、結局了承するしか無かった。

 訓練が始まって日に日にやつれて行くアレックスをそばで見ているのは辛い。だから余計に城内で流れる噂に我慢がならなかった。憤りを感じたとて、侍女にしか過ぎない自分に何ができるわけでもないが。

 調理場へと続く階段を下りた所だった。そこに女官長のナタリー夫人が立っている。

 自分に用があると思わないので通り過ぎようと頭を下げると、彼女から声がかかる。

「サラ、王太子殿下がお呼びです。わたくしについてきなさい」

 その内容に驚くが、ともかく王太子の命とあらば急がなくてはならない。

 わかりました、と返して、速やかに手にした膳を調理場に戻しに行く。

 顔見知りになった料理人に残った料理に問題があった訳ではないと謝意を伝え、ナタリー夫人の元に戻った。

 歩き出した彼女の後に付いて行く。

「あの……女官長、私なにか問題でも?」

「わたしくしもまだ何も聞いていないのです。殿下の側近の様子からはそういう雰囲気は見受けられませんでした」

 それを聞いて、サラはひとまず安堵の息を漏らす。

 しかしどうして呼び出されたのか皆目見当が付かない。王太子個人と面識はなく、夜会でアレックスと踊るのを遠目に見たきりだ。

 後宮を抜けて内宮の奥へ向かうと、王族のみの居住空間へとつながっている。

 入口で近衛のチェックを受け、王太子の執務室へと向かった。

 ナタリー夫人が執務室の扉を叩く。

「お呼びと伺いました、ナタリーとサラが参りました」

 すぐに入れ、と内側から声が返ってくる。

 失礼いたします、と揃って内側に入れば、思っていたよりも質素な部屋だった。

 執務机に座った黒髪の男が見える―――もちろん王太子カイルラーンだ。その側に、温厚そうな雰囲気の男が立っている。近衛の隊服を着ているから側近だろう。

 執務机の前に進んだ女官長に従って、その後ろに立つ。

「ナタリー夫人、あなたとの話は後にさせてもらう。先にサラから」

 女官長はかしこまりました、と頷いて、サラの後ろに下がった。

「サラ、侍女勤めは慣れたか?」

 穏やかな表情で問われるが、じっと見つめて来る金色の瞳の強さに戸惑いを隠せない。

「はい、おかげさまで。先達のみなさま丁寧にご指導くださいます」

「そうか、それは何より。今日ここに呼んだのは、お前の主の事だ」

 主―――つまりアレックスの事だ。

「俺の師団の訓練は過酷でな。士官からアレックスがやつれてきていると報告を受けた」

 その言葉に目を見開く。と同時に、内心で安堵する。アレックスを自分達侍女以外にも気にかけてくれている人が居る。

「調理場にメニューの変更を指示したから、通常の食事ができるようになるまで気を配ってやれ。お前が見て、食事の内容の指示を出せ。それが出来るように許可してある」

「かしこまりました」

 明らかに食が細っていくアレックスに何もしてやれない事が辛かった。ここではサラもキミーも新参で、調理場に口を出す権限も伝手も無かった。このままではアレックスが本当に倒れてしまうと思っていたから、食事の改善が叶った事が単純に嬉しかった。

 だが、次に口を開いたカイルラーンは理解に苦しむ事を言う。

「このことはアレックスには言うな」

 正妃候補を気遣うのは悪いことではないはずなのに、なぜ隠す必要があるのだろう。

「理由をお伺いしてもよろしいですか?」

「騎士団でのあいつは男だからな、俺に弱い自分は見られたくないだろうよ」

 はっと目を見開く。そうだった、アレックスには二つの姿があるのだった、と初めてそこに思い至る。理解していなければならなかった、自分の主はそういう人なのだと。

「あれは孤独だ。福音は奇跡というが、授けられたのはアレックスただ一人だ。はたして真にあれの心を理解してやれる人間がどれだけ居る。夜会に行ったお前ならわかるだろう。城内では気の休まる事はない。自室の中だけがあれが気を抜ける場所だ。よく支えてやれ」

 さすがは次期王と言うべきなのだろうか。よく理解している、と感心する。それと同時に、心からの感謝が湧いてくる。

「ありがとうございます。よく仕えさせていただきます」

 そう言って、深く頭を下げた。

「待たせたな、ナタリー夫人」

 頭を上げて、サラは女官長の後ろに下がった。

「来週から昼間に正妃候補と会談の時間を設ける。その頃には全員入宮が完了しているだろう。時間はこちらから指示するから、令嬢の人選はあなたに任せる」

「かしこまりました」

「アレックスに関しては、時間を設けなくていい。来週から雪中行軍が始まるのでな」

「承知いたしました」

 女官長はそう言って頭を下げる。

「話は以上だ。下がれ」

 失礼いたします、と揃って頭を下げて、執務室を辞した。

 実像を伴った本物の王子様は、サラにはとても好印象に映った。

 


 ナタリー夫人とサラが辞したのを確認して、ベリタスはまたいつものように軽口を言う。

「すいぶんお優しいじゃないですか」

 ニヤニヤと笑う自分に王太子はムッとした表情を浮かべるが、それ以上なにも言ってこない。

「全く素直じゃないんだから」

「お前な、それはどういう意味だ」

「そんなに気に入ったなら、正妃にしてしまえばいいのに」

 ベリタスの言葉に、主は盛大なため息をこぼす。

「そう簡単に行くか。俺もあいつも、背負ったものが大きすぎる」

 カイルラーンの言葉に、ベリタスは内心で驚きを隠せない。結婚したくない、代わってくれとまで言ったくせに、そこはもう否定しないのか、と。

 だが、事はそう単純に行かないのが王族というものだろうか。何と不自由な事だ。

 無自覚なひとたらしは怖いなぁと、また心の中で呟く。

 その境遇ゆえ今まで女性を敬遠していた主だが、何かが彼の中で芽吹きつつあるのかもしれない、とベリタスは思う。

「まぁ、私はあなたが振り回されるのが見れたらそれで良いんですけどね」

 誰かに振り回されるこんなカイルラーンを見るのは初めてだった。ベリタスからみても、あの正妃候補は予想外の動きをする。

 王宮の中で悪意と殺意にさらされてきた王子だ。普通の子供より早く大人にならざるをえず、昔から全く可愛いところが無かった。悪意に対抗するために賢くなり、殺意に対抗するために武人になった。だからこそ、アレックスの孤独がわかるのかもしれない。二人共、唯一無二の存在だから。

「お前は本当に……そういうところだぞ」

「お褒めに預かりまして」

 チッと舌打ちするのが聞こえた。それに満面の笑みを浮かべる。

 しばらく楽しめそうだ、とベリタスは思った。

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