7・陰陽
一瞬、自分の目と耳を疑った。
声変わり途中の少年のような、不思議と耳馴染みの良い声が告げた内容に理解が及ばず、言葉が喉につかえる。
陸に打ち上げられた魚のように、パクパクと口を動かすが、意味のある言葉は出てこなかった。
そんな自分を見て感情の読めないその人の顔が、はにかんだようにくしゃりと崩れる。
「私のような者はあなたにはふさわしくないかもしれませんが、お気を悪くされないのであれば是非」
優しい笑みを浮かべてそう言われたら、拒否することなど難しい。
何かに押されるように、差し出されたその手に自分のそれを重ねようとした時だった。
「お待ちになって、アレクサンドル様!」
甲高い声がそれを制する。絶望的な気分で声の方に顔を向けると、そこには自分を貶して置き去りにした令嬢達が立っていた。
「そもそも貴方は後宮に上がられるのでしょう? 女性なのにおかしくなくて?」
周囲の人たちの声は止み、人々は面白そうに始まったやり取りの行方を眺めている。
アレクサンドルと呼ばれたその人物は、不快感を隠そうともせずに立ち上がった。
「ご存知の通り私は男でも女でもない。つまりは男でも女でもある。私がこの方をお誘いするのに何か不都合でも?」
侮蔑するような表情を浮かべてそう返したアレクサンドルはさらに続ける。
「それに、私が誰を誘おうが、あなたには関係のない事だ」
ピシャリと言い放ったその言葉に、先頭に立った令嬢の体がわなわなと震える。
取り巻きの二人は、驚愕を浮かべたまま目をそらしている。
思わぬ反撃を食らったのだろう令嬢は憎々しい表情で、悲鳴を上げるように言い放った。
デビューはもう済ませているのだろう、彼女の身にまとった紅いドレスが、その声の鋭さを増幅させているような錯覚を抱かせる。
「その方は新興男爵家のご令嬢ですのよ? 高貴な身の上だということを、もっとご理解されたほうがよろしいのではなくて?」
少女はおろおろと両者を見比べる。
目の前のこの人は、家格の高い人なのだ、とその令嬢の言葉で初めて理解する。
未だ見ぬ本物の王子様よりも、実体を伴ったアレクサンドルこそが、自分にとっての現実の王子様になりかけていた。
それでも、やはり夢は夢でしかないのだ、と肩を落とした時だった。
はっ、と馬鹿にしたような笑い声が耳に届く。
「福音の子、英雄の子……それともグスタフ・サー・ローゼンタールの孫かな? そんなものは私に付けられた記号にしか過ぎない。高貴なのはローゼンタールの家名であって、私はまだ何も成し遂げてはいない。そんな私が家名を盾にするなんておこがましいでしょう? 世の中には家名を傘に着る愚かな方もいるようですがね」
ニヤリ、と挑発的な笑みを返して、アレクサンドルは少女の手を取った。
失礼、と吐き捨てて、その場を後にする。
存外に強い力で引かれるが、それが嫌だとは思わなかった。
やや強引にアレクサンドルに引っ張られてその場を後にしたので、残された人々の反応は分からなかったが、言いたくても言えなかった事を目の前の人が代弁してくれたようで、何だか胸の内がスッとする。
それと同時に、あの有名な福音の子だったなんて、と驚きを隠せない。
国教であるアレトニア聖教を信奉するものにとって、十八年前の奇跡の顕現を知らぬものはいない。
だが、困った事になった。ダンスの相手が見つからなかったことよりももっと深刻なのは、付け焼刃で練習したダンスが、それなりの出来でしかない、ということだ。
この夜会の為に先生を付けてくれたが、基本のワルツのみを不可ではない程度に踊れるというレベルまでにしかできなかった。
このままこの厚意に甘えてしまっては、この優しい人に恥をかかせてしまう。
「アレクサンドル……様? あの、私っ、でも、ダンスは上手ではなくて」
あの、その、ともじもじしながら言うと、アレクサンドルは振り向いて笑みを浮かべる。
「ダンスはリードする側が頑張るものですよ。貴方はただ、私に身を委ねてくれたらそれでいい……さあ、レディ」
立ち止まったアレクサンドルにお手を、と手を差し出されたら、そこはもうダンスホールの前だった。
壁の花になるつもりだった。矜持は粉々に打ち砕かれ、生まれを馬鹿にされる恥辱で泣きそうになった。それを思えばこれ以上恥ずかしい事などありはしない。
恥をかいても構わない、と少女はその手を取った。
ほんのりと温かいそれは、ゴツゴツとしている。やや節くれだった指に堅いタコのある手のひら。ああ、この人は剣を握る人なのだ、と実感する。家業の手伝いをしているときにみた客の騎士の手に酷似していた。
ホールの端の方に陣取って、演奏がかかるのを待った。自分たちと同じように、白いドレスをまとったデビュタントが、ダンスホールに集まってくる。
王弟主催の夜会は規模が大きく、招待客の数も多い。シーズン初めという事もあって、デビュタントの数も多かった。三十名くらいはいるだろうか。
これなら自分の下手さ加減も紛れるかもしれない、と淡い期待を胸にしたとき、パートナーが口を開く。
「そういえば、自己紹介もまだでしたね。私はアレクサンドル・ローゼンタール。アレックスと呼んで下さい」
お名前を伺っても?と促される。
「サラ……サラ・ベルモントです」
「よろしく、サラ嬢」
はい、と笑顔で返すと同時に、ワルツは始まった。
始まってみると、それは夢のような時間だった。ただ身を委ねていればいい、というアレックスの言葉通り、先生相手の練習よりもずっと踊りやすい。
ステップを間違いそうになると、腰に回された腕に力が入って、体が少し浮き上がる。
音を外しそうになると、それを予測してカウントを調整してくれる。リードする相手の力量で、ダンスはこんなにも変わるのだ、と感動すら覚える。自然と笑みがあふれて、踊るのが楽しかった。
それと同時に、胸がときめく。凛としたその顔に浮かぶ微笑が自分に向けられている。夜明けの空のような瞳と視線が合えば、頬が熱くなってうつむいた。
目に映ったアレックスが着ているベストの、繊細な金糸の刺繍がサラの脳裏に焼き付いた。
「あれはすごいですねー、無自覚な人たらしだ」
ダンスホールの上に位置する二階テラスで、アレックスとサラが踊るのを眺めながらベリタスが言う。
「男の方に振れてるのかな、殿下も真っ青な王子様ぶりじゃないですか」
近衛の隊服を身にまとったベリタスが面白そうに続けたのに、ふん、と鼻を鳴らす。
驚いたのは遠目にも分かる美貌だけではなかった。衣装はもちろん、その気性にもだ。
今日のこの会場には、ベリタス以外にも近衛に所属する騎士をテイルコート姿で参加させている。後宮入りさせるまえに各人のある程度の人物像を把握しておきたくて、気付かれないようそれとなく正妃候補の近くに配していた。夜会は貴族社会の縮図だ。場の雰囲気に流されて、本質が出やすい場所でもある。
アゼリア・ハイリンガム伯爵令嬢とサラ・ベルモント男爵令嬢の一件は先ほど報告を受けたばかりだった。
歴史だけは古いハイリンガム家は、当主からして新興貴族を見下してはばからない。
サラには辛い洗礼となったが、それに関わった者たちの人間性がよくわかる出来事だった。
ハイリンガム家のような思想の持ち主は他にもたくさんいる。その場を王家の威光で押さえ込んだとしても陰に潜るだけだからと、あえて干渉せずに報告を聞くだけにしていたが、まさかアレックスが手を出すとは思わなかった。
「高貴なのはローゼンタールの家名であって、自分ではない、ですか。いやぁ、貴族とはかくあるべし、という見本のようじゃありませんか。男前ですね」
男前などというレベルではない。眼下でサラをリードするその腕前は相当なものだ。
男性ポジションで完璧に踊ってみせるその姿は、どう見ても女性には見えない。
だが、それを面白いと思ってしまう自分がいるのを否定できない。
正妃候補としての興味というよりも、アレックスという人間そのものに興味が湧いた。
「王子様ぶりは嫌というほどわかったが、あれで正妃候補として成り立つのか、甚だ疑問だな。見た目は確かに美形だが、どうあっても男に振れる気がしてならん」
顎に手を当てて、カイルラーンはアレックスを見つめる。
丁度演奏がやみ、ワルツは終わった。二人は礼をしてホールを出て行く所だった。一緒に踊ったサラの夢見心地な表情が見て取れる。
「それならそれで構わないんでしょう? 殿下。なんなら一曲踊ってみてはいかがですか」
なるほどそれも悪くない、とカイルラーンは思った。気乗りしないまま女性と踊るくらいなら、女の匂いを感じさせないアレックスと踊ったほうがマシだ。
「そうしよう」
そう返して、カイルラーンはゆっくりと立ち上がった。
ダンスホールの近くまで来ていたサラの両親に彼女を送り届け、アレックスはグスタフのいる場所へと戻ってきた。
「悪くない選択だったのう」
顔を見るなり、グスタフはニッと歯を見せて笑った。
「勝手をして申し訳ありませんでしたおじいさま」
「構わんよ。お前は身内に気を使いすぎる」
祖父はそう言って、アレックスの頭に手を載せた。大きな手のひらだった。
その温かさにホッと息を漏らしたその時だった。にわかに背後が騒がしくなる。ざわざわとさざめく声のさなかに悲鳴のような女性の声が混じる。
いぶかしんで振り返ると、真っ直ぐにこちらに向かってくる人影があった。
肉食の猛獣を思わせる瞳は金。やや陽に焼けた肌に長い黒髪を頭上で縛り、身にまとったテイルコートの上からも引き締まった体つきがよくわかる。背は高く、広い背中に厚い胸板。武人として恵まれた体格をしている。鋭い視線を放ちながら泰然とこちらに歩いてくるその様は黒豹のようだ。そして抜き身の剣のような空気をまとっている。
そのすぐ後ろに近衛騎士の隊服を来て帯剣した男が付き従っている。現王太子―――カイルラーン・シルバルド・ラ・アレトニアその人だ。
彼は大股で躊躇することなくやってきて足を止めた。
「久しいな、グスタフ卿」
「最後にお会いしたのは出陣される前でしたな。ご壮健で何より」
「卿も元気そうで何よりだ」
おかげさまで、とグスタフが返すと同時に、王太子はその前にいたアレックスを射るような目で見下ろす。
「お前、一曲付き合え」
名の交換もなく、いきなりだった。
アレックスは王太子のその言葉に、内心で反発する。王族相手だから表情には出さないが、いくらなんでもそれは横柄すぎるだろう。
正妃候補という立場上、王太子のこの要求は断ることができない。義務というなら踊ってやらなくもないが、せめて自分で無ければならない理由を教えて欲しいものだ。
「大変光栄ですが、私よりふさわしいお相手はたくさんいらっしゃると思いますが……」
「心にもない言葉はいらん。お前が一番都合が良いから言っている」
「都合がいい……ですか」
無駄を省いた物言いだが、それは少々不親切と言うものだ。
アレックスの気持ちが読めたのか、王太子は煩わしそうに口を開く。
「叔父上の主催だから、一曲は誰かと踊らねばならん。だが、俺はそれ以上誰かの相手をするつもりはない。正妃候補から一人を選べばあとが面倒だ。家格だの差別だのどこに寵が偏っているだのと。その点お前なら問題ない」
ああ、とアレックスは納得した。それと同時に自分の心が冷めていくような気がした。
「私は女ではないから」
「勘違いするな。合理的な理由があるならお前が女でも踊れと言う。よりにもよってこの場に祖父を担ぎ出してきたお前だ、問題などあるまい?」
ふ、と鋭い表情が緩んだ気がした。どうだ、と問いかけるような視線に小さなため息が溢れる。
確かに、王太子の言葉にも一理ある。
エスコート相手を連れてくるなら、適当な親族なら誰でも良かったはずなのに、あえて祖父を連れてきたのは、舐められたくなかったからだ。公爵家の前当主で、騎士の称号を持ったグスタフの獅子の皮が欲しかったから。
自分に喧嘩を売ったなら、この祖父をもれなく敵に回すぞ、という威嚇だ。そして、なにかが起こった場合に、それを使ってねじ伏せることもできる。
真っ向から見つめてくる、金色の瞳と視線がかち合う。視線を外すのは逃げるような気がして癪だがしかたがあるまい。
「分かりました。お相手を勤めさせていただきます」
こういう場合のマナーを全て無視したカイルラーンに手を引かれる。手袋をしたそれは、アレックスの手よりも指の関節一つ分大きい。
ぐっと手首を掴む力もまた強い。握力とその立ち姿でわかる―――この王子は相当強い。
引かれるままにダンスホールに連れて行かれる。
その強引さに眉根を寄せる。自分を相手に選んだ理由は納得したが、だからといってそれに不快感がないのかと言えば嘘になる。
この王太子には正妃候補と心を通わせるつもりがない、という事は分かった。
「お前が不服なのはわかる。だが、これはお前の義務だ。せいぜい笑ってみせろ。演じるのは得意だろう?」
ニヤリ、と笑って見下ろすその表情と言葉が癇に障る。
没交流だとしても、生まれた時から貴族社会に身を置いてきたのだ。表情、言葉、仕草、全てが足元から掬われる材料になる。本音は笑顔と綺麗な言葉の下に、それがこの世界の基本だ。演じるのが得意だろうと言われるのなら、せいぜい演じてやろうではないか。
アレックスは一瞬瞳を閉じた。そして、ゆっくりと瞳を開く。
相手がマナーを無視しても、自分はマナーを忘れてはならない。それが、貴族の矜持と言うものだ。
アレックスはカイルラーンに向かい、優雅に、そして完璧な淑女の礼をして、花がほころぶように笑って見せた。笑顔のお手本は母だ。
その様子に、周囲からほぅと感心するようなため息が漏れる。
アレックスの様子に満足気に笑って、手を、と王太子の手が伸びる。それに自分の手のひらを重ねたと同時に演奏が始まった。
べニーズワルツは速い。クルクルと左右に回転を変えながら進む。後ろに流れたフリルのさばき方を間違えると、うっかり踏んでしまいかねない。重さのないフリルを処理するのがことのほか難しかった。まさかこの難易度の高い曲を踊る事になろうとは想定していなかった。
何が起こるのかわからないのが夜会よ、と母も言っていたのに。
シノンの本邸で伯母にしごかれたのを思い出す。1、2、3、1、2、3と繰り返されるカウントが、口に出さずとも無意識に数えられるようになるまで、何度も何度も、体に染み付くように踊り続けた。
難しい曲は時間が経つとともに辛くなる。それでも優雅さを失ってはいけない。淑女らしく美しく、たおやかに、華やかに。
「色気のない手だな」
不意にかけられた言葉に一瞬カウントが途切れそうになる。
もちろん体に染み付いたそれは頭で数えなくとも取れるから、そんな事で踏み間違えたり外したりなどしない。
言外に、その言葉は自分を嘲笑うような口調ではない。
感慨深そうに自分の手を眺めるその表情が何を意味しているのかはわからなかった。
「剣と手綱を握ったらこうなります。殿下もよくご存知でしょう」
この手を恥ずかしいなどとは思わない。それが今までの自分の全てだから。
「そうだな。お前の努力の結果だな」
その言葉に、軽く目を見開く。
意外だった。まさかそんな言葉が帰ってくるとは思わなかった。
自分を認める言葉に悪い気はしないが、この王子の思考が読めない。まだ油断はできない。
曲が終盤に差し掛かる。三回右周りでターンして、パートナーの元へ帰るのに左回りでまたターンを三回。曲の転調の瞬間に、自分をホールドした腕に、ぐっと力が入るのが分かった。そのまま腰から持ち上げられて、くるり、と事も無げに投げられる。
リフトターンのその瞬間に、オーガンジーのフリルが綺麗な円を描いて舞った。つないだままの手が力強くアレックスの腕を引いて、その腕の中にストンと収まってしまう。
薄っぺらな自分と比べてなんて広い腕の中だろう。同じ剣を握る者として、それが単純に羨ましかった。
曲が終わってポーズを決めると、周囲には割れんばかりの喝采が満ちた。
カイルラーンはそれに手を無感動に上げて応える。自分と同じように、息一つ上がっていない。
「話がある、ついてこい」
また何の説明もないまま振り返りもせずに告げて、そのまま二階へと続く階段の方に歩いていく。
諦めたように溜息を一つ吐き出して、アレックスはそのあとを追った。
階段の手前で近衛騎士が合流して、三人は二階のテラス席へ移動する。進めば進むほど招待客の姿は消え、代わりに騎士の数が増えた。テイルコート姿だが、どう見ても武人の体つきだった。おそらくこの王太子の護衛だろう。
天幕で仕切られた一角に椅子と机が見えた。
そこに入っていくカイルラーンに従って、アレックスもついて行く。
三人が中に入ると、天幕は内側から閉じられた。
王太子はその中の席の一つに腰をかけ、近衛騎士は天幕の入口に立った。
座れ、と前の席を指定されたので、素直にそれに従った。
「サラ・ベルモントを正妃候補から外す」
なんの前触れもなく唐突に話が始まるのにはもう慣れた。おそらくこれがこの王太子の話し方なのだろう。
「どなたを候補から外そうと私の関与することではありませんが、サラ嬢を外すなら他にも同じようにすべき方がいるのでは」
「ベルモント家は家格が低いからな」
その言葉に、アレックスは失望する。やはり、この男に仕える事はできない、と思った時だった。
「話を最後まで聞け。性別や家柄に、本人の価値を決めるものはない。そんなものは気にせんと言っただろうが」
確か、合理的な理由があるならお前が女でも踊れと言う、だったか。
「ではなぜサラ嬢だけを」
「王家には王家の考え方がある。もうそろそろ時代が動く時だ。これは俺の軍人としての嗅覚だが、戦争で領土を広げていく時代は終わる。あと一戦くらいはどこかとやらねばならんかもしれんがな」
それがどうサラの正妃候補除外と繋がるというのだろうか。
アレックスはカイルラーンの瞳を覗き込んだまま、その先を待った。
「ベルモント商会は国内で有数の商会だ。貿易に関してはあそこの右に出る者はない。だからこその男爵叙勲だ。今後の国の発展において無視できぬ家だが、それがわからん馬鹿が多すぎる。本気で俺に嫁す気概があるのならともかく、あれでは他家の候補に拮抗できまい」
だから早めに除外してしまおうというのだろうか。無視できぬと言いながら、候補から外すなどと矛盾していないか。
「だから、お前の部屋付きの侍女にする」
「おっしゃる事の意味がわかりません」
「男爵家出身だろうと侍女だろうと、正妃にするのにサラがふさわしいと俺が思ったら、どんな手を使ってでも正妃に据える。だが、俺の予想ではおそらく自ら辞退してくるだろう。だからお前が守ってやれ。サラはお前に恩義を感じているだろう。そういう人間はお前を裏切らん」
サラを守ってやるのに不服はないが、どうしてそこまでして後宮に留め置く必要がある。
「お前は真っ向からサラを守った。自分の使えるものを使い、正々堂々と物を言い、アゼリア・ハイリンガムをやりこめた。だが、事はそれで終わらぬ」
「私のやり方がまちがっていたと?」
「いや、お前のやり方はまちがっていない。お前はあれで良かった。だが、王家はそれではならんのだ。アゼリアを一度の失態程度で排除すれば、反発は大きい。あれでも伯爵家の娘だからな。古参貴族を抑えながら、新興貴族の離反を防がねばならん。だが、サラを正妃候補のまま後宮に置けば、かならずサラを潰す者が表れる。俺の意図せぬ所でお前はサラと縁を持った。王家の都合でそれを利用させてもらう」
ベルモント家以外の新興貴族も、概ね国にとって何らかの恩恵をもたらしたものたちだ。国の発展を見据えて叙勲したのなら、確かにいきなりサラを正妃候補から外したら新興貴族は差別されていると思うだろう。また、古参貴族を増長させる事にも。
侍女として後宮に留め置けば、少なくともまだ正妃になる道は残される。現実問題はともかく、対外的にはそう思わせる事ができ、古参貴族の溜飲を下げることもできる、ということか。
「サラはお前に恩義を受けた。他の誰にも付かないとしても、お前の侍女になら付くだろう」
だから、ローゼンタールの力を使ってサラを守れ、というのだろう。
まんまとハメられた感は否めないが、この王太子が馬鹿ではないのが分かっただけでも今は良かったと思うことにする。
「わかりました。サラは私が守ります」
アレックスはようやく本心から納得して頷いた。
話は終わっただろうと、視線をそらした己を金色の瞳が制する。
「まだだ。話は終わっていない」
これ以上まだ何かあるのか、とその視線を捉える。
「騎士団にお前の席を用意した。俺直属の師団だ。騎士は実力社会だからな、ローゼンタールの影響力が強い師団には入れられん。規律が乱れるからな。俺の師団はキツいぞ。それでも入る覚悟があるか?」
「もとより特別扱いは求めていません。望むところです」
「わかった。話は終わりだ」
今度こそ本当に立ち上がって、アレックスはその場を後にした。
アレックスが完全に消えたのを確認して、ベリタスは口を開いた。
「あなた、あれわざとやりましたね?」
「なんのことだ」
「リフトターンですよ」
チラリ、とベリタスを見やって、お前に気付かれるなんて俺もまだまだだ、と目線に込める。
「いきなり組んだ相手と示し合わせずにあれだけ綺麗に回って見せるなんて、なかなかですね」
体幹、反応速度、俊敏さ、肝の太さは申し分ない。あれなら騎士団でもなんとかやっていけるだろう。
体の小ささについては致し方ないから目を瞑ることにする。
「正妃が無理でもあれなら側近でも大丈夫じゃないですか」
「どうかな……潔すぎるのが少々気になるな」
お前くらい黒ければな、と続ける。
一見毒のない優男風だが、自分が選んだだけあって、このベリタスという男もなかなか黒い部分を持っている。もちろん王太子である自分には無害だが。
「あなたアマゾネスだったらどうしようっておっしゃってましたけど、やっぱり心配すること無かったですね」
良かったですね、とニンマリと笑うその顔がなんだか気に入らない。
「誰を正妃にするか決めてないのによかったも何もあるか」
「その割には結構手の内を見せてたじゃないですか」
「あれは馬鹿ではない。こちらの言わんとする事を察していた。隠したところで引き込めんだろう」
「ふむ、まぁそうかもしれませんね」
納得するベリタスを放置して、思考にふける。
色々と面白くなった、とカイルラーンは思った。
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