4・家族
「お前の戦働きについては認めるが、いい加減腹を括って王族の勤めを果たせ」
執務机の上で手を組み、その上に顎を載せた父が言う。
不機嫌さを隠そうともせずに見上げて来るその瞳は自分と同じ金色。癖のある小麦色の髪と相まって、獅子を思わせる。
王族の勤め―――結婚せよとの命に、嫌悪感で己の顔から表情が抜けていくのが分かった。
正妃である母と父の側室達との確執。粘りつくような蜘蛛の糸の張り巡らされた後宮で自分は育てられた。死にかけた事など数え切れない。複数いたはずの男子は自分と、今年十二になる腹違いの弟だけになってしまった。
勢い女という生き物への嫌悪感は募って、愛だの恋だのという感情は持てなくなってしまっていた。血を残す為に子を成すのが義務と言うのなら、いっそ相手を決めてくれたら良いのに、とさえ思う。
政略結婚は王侯貴族なら避けて通れない。こちらも幼少期から愛のない結婚が当たり前という認識なのだ。
健康な成人男性としての欲求がないわけではないが、心にもない言葉で機嫌を取ってまで女を求めるくらいなら、利き手に慰めてもらう方がマシだとさえ思える己の女嫌いは重症なのだろう。
十五年前に父が出向いて抑えた東方の国境付近がきな臭くなったのを期に、やれ折衝だやれ制圧だなどと父の名代で戦場に出て、婚姻話から逃げ回っていた。
戦後処理まで含めてまるまる二年。流石にここらが潮時という認識はある。
はぁ、と溜息をついた父が、渋面を作って更に言う。
「血も涙もない言い方をするがな、スペアが足りないんだよ。お前には悪かったと思うがな」
現在王位継承権を持っているのは自分と弟の二人のみ。東方は片がついたが、まだその他にきな臭い国がある。いざ戦争となった場合、まず間違いなく駆り出されるのは自分で、それで死んだら血が途絶える確率が上がる。十二の弟は、為政者には向いていないと父は見ている節がある。王統を維持するためのスペアが足りないということなのだろう。
常に落ち着かぬ後宮で、母の
後宮などというシステムがあるから起こった悲劇とも言える。だからこその謝罪なのだろう。
おそらく父とて人としての感覚は持っているが、王たればこそあえて無視してきたツケだ。
「後宮の維持は難しい。私とて手をこまねいていた訳では無かったが、四人も死ねばさすがに嫌気がさす」
兄が一人、弟が一人、妹が一人、側室が一人、計四人が死んでいる。
「だからなカイルラーン、自分で選べ」
バサリ、と執務机の上に投げ出される書類。この中から、好みの相手を選べということなのだろう。
「一から探せと言っても逃げるだろ、お前。身辺調査含めて選出はこちらでしておいた。その中からなら誰を選んでもいい」
「ここまでするならいっそ父上がお決めになったらどうですか。こんな書類だけじゃ、目隠しで一枚引いてハイ終了でもそう変わらぬ気がしますが」
そこまで息子の性格をわかっていながらあえて選べという父の考えが解せない。
「全部を私に言わせるな―――全員一旦正妃候補で後宮に迎え入れろ。今後宮はまるまる空いているからな」
後宮の維持は難しいと言ったくせに、正妃候補を後宮に迎え入れろとは一体どういう了見なのか。
惨劇を経て、自分の母と弟の母は王城内に専用の宮が用意された。他の側室達は、すでに後宮を辞して生家に帰っている。だから、建物自体はまるまる空いているわけだ。
「二年という期限付きだ。それだけの時間を掛けて、自分の目で見て、触れて、自分の意思で決めろ。絶対に相手にはなりえないとお前が判断したら、二年を待たずともその時点で正妃候補から外せ」
何を基準に正妃を選べというのか。後宮の統率力か、はたまた自分の心を動かす者なのか。
厄介なことになった、と溜息を漏らす。
不満が顔に出ていたのだろう。それを見た父が畳み掛けてくる。
「軽く考えていてもな、いざその時になってみろ。自分の子が死ぬのは存外堪えるものだぞ。私はお前にはそんな思いをさせたくないのだ」
眉根を寄せて渋いものを飲み込んだ父のその表情に嘘はないのだろう。
見ているのが苦痛で、ふい、と視線を外した。
逃げられない、と諦める。
「わかりました」
絶望的な気分だった。
自分の執務室に帰ってきて、机に足を投げ出しながら父から受け取った釣書をパラパラと眺める。
いくら眺めた所で全然興味は湧いてこないが、だからといって避けられないのが辛いところだ。
渋い顔をして背もたれに体重を掛けてギイギイと椅子を漕いでいると、側近であるベリタスが呆れ顔で言う。
「そんなに嫌ですか、結婚」
「避けて通れるなら全力で避けたいね……ベル、お前俺と交代しないか」
何を馬鹿なことを、と盛大に溜息をついている。
「会ってみたら案外殿下の気に入る人が見つかるかもしれないですよ」
それは望み薄だろう、と頭の中で考えながら、何枚目かの釣書を開く。
そこに綴られた名を見て、首をかしげる。
「どうかされましたか?」
そう問いながら、ベリタスが手元を覗き込む。
―――Alexandlr・Rosentarl
「アレクサンドル・ローゼンタール?」
どう見ても男の名前だった。
「また問題のある人をぶち込んできましたね陛下は」
「知っているのか? 俺とてローゼンタールは知っているが」
代々優秀な騎士を排出する家柄だったはずだ。過去も現在も、近衛や騎士団の中枢にも人材を有している名門中の名門。自分の記憶が正しければ、確か十五年前の戦いで父を庇って殉職したのも、ローゼンタール家の者だった気がする。
「ジレッド・サー・ローゼンタール卿……陛下を庇って亡くなられた近衛騎士の子供ですよ」
考えていたら、腹心の口から今まさにその人物の名が出てくる。
英雄の子か、と冷めた目で手元を眺める。
小競り合いから始まったその戦いは、やがて国境から隣国を巻き込んで大きくなり、開戦と休戦をくり返しながら完全制圧するまでに実に五年の歳月を要した。王太子時代の父が王命で腹心を連れて戦場に乗り込んだ時、そこは既に最終局面を迎えていた。アレトニア兵の追加投入で惨敗を覚悟した敵将が全滅覚悟で突っ込んできて乱戦となり、そのさなかに父を庇って戦死を遂げる。回収された遺体の背中側には太刀傷が一つも無かったという。
国の英雄として国葬にされ、殉職してから
カイルラーンは、死んでから偉くなったってな、と心の中で呟く。
「英雄の子なのはわかったが、男じゃ話にならんだろうが……男色になれとでもいうのか」
「この人、男じゃないですよ」
そうなのか?とベリタスを見やると、でもね、と言葉をつなげる。
「女性でもないでんすけど……」
「男でも女でもないってどういう事だ」
「聞いたことありませんか? 福音を授かった奇跡の子って」
「ああ、休日礼拝のさなかに法王が奇跡の発現を得たとか言うあれか」
それです、とベリタスは頷く。
「その福音の内容を詳しくご存知で?」
「いや、知らん」
「まぁ、十八年も昔の話ですしね」
ベリタスが掻い摘んで言うには、二十歳になったら性別が定まるから、それまでは何人も性別を決めるなと福音を授けられたという。
「その話信用できるのかよ。よしんば福音が眉唾じゃなかったとしても、性別が男に振り切ったらどうなるんだろうな?」
「そこは名門ローゼンタール家ですから。男で才があるなら殿下の配下にすれば良いわけで」
「ふむ……それもそうか」
と、納得したのも束の間、嫌な想像をしてしまって顔をしかめる。
今現在男に比重が振れているやつが、女に振り切ったらどうなるのかと。
いくら女嫌いとはいえ、さすがに筋骨隆々のアマゾネスみたいなのには食指が動かない。
記憶の中にあるローゼンタールの名を持つ者を思い返して見ると、余計にその想像が頭から離れなくなってしまった。
ベリタスにそう伝えると、腹を抱えて爆笑している。
しばらくゲラゲラ笑ったあと、目尻に浮かんだ涙を人差し指で拭いながら口を開いた。
「身辺調査済みって陛下がおっしゃったんでしょう? なら大丈夫でしょう。さすがにそういう人なら候補から外れますよ」
人ごとだと思って軽く言ってのけるベリタスをじろりと睨んで釣書を閉じる。
本当に、心からそうであってほしい。自分より体格の良い正妃なぞごめんだ。
まぁ、気に入らなければ正妃候補から外せば良いだけなのだが。
「うまいこと考えてますよね」
「何がだ」
「名前ですよ。女に振れたらアレクサンドラって読ませるのかな?」
ああ、そういう読み方もあるのか、と感心する。
閉じた釣書を、確認済みの束の上にのせる。
まだ他に何枚も釣書が残っているが、これ以上開いてみる気にはなれなかった。
自宅敷地内でいつものように剣を握っている最中だった。常ならば屋敷に戻るまで滅多に顔を出さない執事長のオータスが、こちらにやってくる足音が聞こえた。
堆積した木の葉を踏み抜くサクサクという音が、穏やかに抜ける秋風に混じって耳に届く。
齢六十を過ぎてなおしゃんと背の伸びた白髪の執事は、側まで来ると一礼した。
「アレックス様、ヘラルド様がお呼びです」
多忙ゆえ王都から滅多に出てこない伯父がこちらに来ているだけでも珍しいのに、わざわざ自分を呼んでいるなどとおかしなこともあるものだ。
「母上がお相手できないくらいお加減がわるいのか?」
生まれつき虚弱な母は、その日によって体調にムラがある。特に父を亡くしてからは、その傾向が顕著だった。
「いえ、今日のマリィツア様は落ち着いておられます」
ふうん、と返しながら首をかしげる。それでは一体何用なのか。
ここで考えていても始まらないので、アレックスは屋敷に向かって歩き出した。
剣を、と後ろから声がかかって、手にしたそれをオータスに手渡す。
気持ちの良い秋風が吹いているから涼しいが、鍛錬でかいた汗が下着に染み込んで少し不快だ。
腕まくりした白いシャツと黒い乗馬ズボンが、肌にピッチリとまとわりついている様な錯覚を抱く。首裏で縛った黄色味の薄い長い金髪が、うなじに張り付いて熱が篭る。
風呂に入っている時間はもちろん着替える暇さえないから、不快感には目をつぶって、できるだけ早足で屋敷へと戻る。
玄関ホールで簡単にブーツの泥を払って談話室に向かうと、ソファに腰を下ろして優雅にティーカップを傾ける伯父の姿があった。
「お待たせして申し訳ありません伯父上」
「久しぶりだね、アレックス」
座ったままこちらに顔を向けた伯父は、相変わらず男にしては綺麗な顔をしていた。
思い出せる幼少期の記憶の中の彼に比べて、目元に薄いシワが出て憂いを帯びた感じがする。若干老けたのかもしれない。
それでも実年齢を思えば、まだまだ若々しい。夜会に参加すれば、その美貌はご婦人がたの注目を集めるらしい。それも納得できる外見である。
見た目は綺麗だが、アレックスは少々この伯父が苦手だった。
「ご無沙汰しております。今日はどのような御用でこちらに?」
うん、と伯父は頷いて、自分の前の席を指で示した。
まずは座れという事だ。
伯父に促されるまま席についてその表を伺うと、彼はセンターテーブルの端においてあった白い封筒を自分の前に置いた。
それを手にとって裏返すと、封蝋は既に剥がされていた。そこに捺された紋に目を見開く。王冠を被った女神アレシュテナの横顔―――王家の印だ。
「マリィに先に見せる必要があったからね、悪いが開封させてもらったよ」
マリィ―――母マリィツアの愛称である。
「後宮への招聘だ」
「はぁ……、後宮の近衛にですか」
当代の王の後宮は解体されて久しい。戦争に明け暮れて若干婚期の遅くなった王太子がいるから、ようやく戦後の後始末も落ち着いてきた今、結婚に向けて彼の後宮が立ち上がるのだろう。
なるほど、確かに女性ばかりの場所でなら自分のような者も役にたてるに違いない、と納得しかけて耳を疑う。
「近衛じゃない。正妃候補で後宮に入れとの打診だ」
「は?」
この伯父は何を言っているのだ。いや、悪いのは伯父ではなく王家か。十八年前の福音を知らぬ王家ではあるまい。
「これは無理筋も良いところでしょう。私は女じゃない」
「そう、お前は女じゃない。でも、男でもない……今はな」
そう言って伯父の緑の瞳が鋭く覗き込んでくる。
驚愕に二の句が継げないでいるアレックスをおいてけぼりにして、彼はさらに先を続ける。
「決めるのはもちろんお前だ。だがな、男根がない以上、完全な男にはなれないぞ」
十八年前のあの日、母の腹の中で授けられた呪いが再び芽吹く。
呪いを受けて生まれた自分には、男性器がなかった。それならば女性で良かったのではないか、と苦悩を抱えて生きてきて、けれどそれも悩む必要などなかったのだ、とようやく呪いに蓋をしたのは十七の成人を迎えてから。
女神の呪いは正しく機能していた。大人になっても乳房は膨らまず、月経も始まらなかった。正しく、男でも女でもなかったのだ。
「神の御技にどこまでの効果があるのかわからないが、二十歳で男根が生えてくるなんて、私には思えない」
口伝者として呪いを授けられた法王は自分で決めたら良い、と言っていたらしいが、男にも女にも寄る辺なく生きる自分が、それを決められるとは到底思えなかった。
それでも肉体が今のままなんの変化もないままならば、女になれ、と伯父は言っている。
「何人も私の性別を決めてはならないのではなかったのですか」
「そう、決めるのはアレックス、お前だよ。だが、この先お前はどうやって生きていくつもりだい? 男というには小さな体、女というには足りない体。まだ二年ある。だけどもう二年しかないという見方もある」
十五年前に殉職した父の爵位は戦働きに対する報奨で、一代限りの勲功でその恩恵は母の存命中までしか及ばない。
父はローゼンタール家の三男だったから、もちろん自分には継げる家督もなく、このまま貴族社会で生きるなら立身するか嫁すかしか生きる道がなかった。
男女どちらに転んでも生きられるよう、幼少期からローゼンタールの厳しい教育を受けて育ったが、中途半端なこの身では仕官もままならず、父の恩給で生きる母のすねを齧ってくすぶっている有様だ。
「どのみちここでくすぶっていたって道は開けない。成人したというのにデビューもせず、汗臭く剣を振るって未練たらしく男になろうとするのなら、いっそ男として腹を括れよ」
苛立ったように自分を攻撃する伯父の言葉が痛かった。
「お前はそんなに恥ずべき人間なのか? あのジレッドを父に持ち、マリィが命を削って産んだお前が!」
ひどい言葉を投げたくせに、傷ついたように顔をしかめて伯父は笑った。
泣きそうなほどの優しい笑顔になって、アレックスの頭に手を載せる。
「ありのままの自分を誇れ。社交界にデビューして、後宮へ行け。後宮は二年間という制限付きだ。泣いても笑っても二年だ。世界が広がるのはお前にとって悪い事じゃない」
「はい、わかりました」
憔悴したように肩を下ろして、アレックスは静かに頷いた。
失礼します、と明らかに落ち込んだ様子で出て行く後ろ姿を見送って、扉がしまったと同時に顔を手で覆った。同時に、はーと深いため息が溢れる。
最低な事を言った。分かっていてあえて傷つけるような物言いをした。
アレックスと話す前にマリィツアと話したそのやり取りを思い浮かべる。
「陛下も困ったお方ね、ほんと」
今日は体調がいいのか、窓を開けて柔らかな秋風を部屋の中に取り込みながら寝台の上に半身を起こしたマリィツアが苦笑する。
「後宮に上がれって、二年後に男になったらどうするんだろうな」
「それはそれで良いのではなくて? 殿下の側近としてお仕えする道も開けるかもしれないし」
「ジルを亡くしたくせに、お前はそれでも良いのか」
殉職したマリィツアの夫は、現王の側近だった。側近くに仕えたら、主を守って傷つくことからは逃げられない。ジレッドはまだいい、出会った時から既に近衛に身を置いていた。何かあったら傷つくのはお前だぞ、と何度も忠告したが、それでも結婚すると引かなかったのはこの妹だ。
だが、アレックスは違う。引き止めるのなら今だ。
「お兄様、わたくしジルに出会ったあの夜まで、自分の人生はどこか諦めていました。夜会は人生に一度きりの夢、だからその日を楽しく過ごして、そこで友達でもできたらラッキーだわ、なんて」
二十数年前のあの夜を思い返すように、マリィツアは瞼を閉じる。
「だけど、ジルを初めて見たときに、心が震える気がしましたの。嫌だ、諦めたくないって強欲な自分を知りました」
一瞬で燃え上がって、
「我を通してジルと結婚出来て、諦めていた子を授かった時、ジルは
生きる事に執着して欲しかった。血を分けた子ができたなら、絶対に帰ってくる、死なない、と心に刻んで欲しかった。
願いは届かなかった。けれど、母だからこの子の為に生きなくては、とジレッドを
「恋を知ってわたくしはやっと自分の足で歩き始めた。あの子にも、人を想う事のすばらしさを知って欲しい。相手が女性でも男性でも良いじゃありませんかお兄様」
恋も知らずこの小さな世界で埋もれていくくらいなら、恋に身をゆだねて死んだ方が幸せなのではないか。そう言って、母の顔をして穏やかに笑んだマリィツアは幸せそうだった。
そう、相手が殿下でなくとも構わないのだ。正妃候補の女性ともたくさん出会う。
「まぁ、それはそうだがな」
「お兄様、損な役回りをお願いしても? わたくしではあの子のかごの扉を開いてやれない」
「あの夜から、ずっと私はマリィに負けっぱなしだよ」
困ったように妹に微笑んで見せると、お願いします、と頭を下げた。
「わかったよ」
家族だから。父がモアレを手に入れたように、自分もアレックスの為に働いてやる、とヘラルドは思った。
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