3・遊戯

 騎馬の一団が闇の中を疾走していく。どこか切羽詰ったような表情をして先頭をゆく男が気にしているのは、敵襲にではなく、時間だ。

 仕える主がリンデル伯爵主催の夜会にお忍びで顔を出すと急に言いだしたのが今日の昼食時。一瞬耳を疑った。今から予定を調整せよというのか、と。

 だが、否と言った所で聞き入れるような気性の主ではない。行くと言ったら行くのだろう。畢竟王族などという者は手前勝手に生きている。そうでなくてはならないし、そうあらねば主とはなりえない。だから、不本意ですが予定を調整させていただきますよ、という表情を、男は隠しもしなかった。

「俺にそういう態度なのはお前だけだよな」

 面白そうにそう返してくる主は、別段それを咎める様子はない。

 この男に仕えて数年経つが、いいかげん不敬罪で斬首られてもくびきられても不思議ではないな、と自分でも思う。それでも、己はそれを改める気はさらさらないのだった。

 そもそも為政者に、仕える者の気持ちはわかるまい。

 立場も考え方も己とはまるっきり違う。為政者としての思考に根本から変わらなければ、国土の統一などできようはずもない。

 だから態度で、言葉で、示してやるのだ。普通の民はこうですよ、と。民の心と王の為政は平行線であり続ける。それでも乖離が開きすぎてはいけない。国家という体をなすのなら、最低限民の気持ちに寄り添いながら、不満が少なくなるように搾取し続けなければならないのだから。

 主が天寿を全うするのが先か、己が斬首られるのが先か―――

 昼食の最中にその場を辞してなんとか近衛から護衛を確保したまでは良かったが、会場内の警備までは近衛だけではどうすることもできなかった。

 そもそも想定外のことだから、城内に仕える騎士の数が少ない。一般兵なら招集できても、大して役にも立たない兵士を連れた所で足手まといだ。いざという時には主だけでも逃がしてやれる力量がなくては。

 いつまでも自立できない子供のようで乗り気ではないが、背に腹は変えられぬ。己の自尊心一つで主の安全が買えるのなら安いものだと腹を括って、騎士団事務所に詰めていた父親に頼み込んで今に至る。

 どうしてこんな王都の端で開かれる夜会に行きたいと言いだしたのかと主に問えば、シノン伯爵家の嫡男に会いたいからだという。

「シノン伯爵家ですか? 可もなく不可もなく、といった印象しかないですが。

 税制改革時の功績を見ても、領地運営を見ても、金勘定には長けてそうですがね」

 そう返した男に、主の金色の瞳が皮肉げに歪む。

「やる気がないんだよ」

「は……、やる気がない?」

「領地移転の報奨授与の宴席の折にな、タフルを一局打ったことがあるんだ」

 あの伯爵は相当切れ者だぞ、とその後に続く。

 主が言うには、まだ子供だった自分の退屈しのぎの相手をしてくれるという事になって盤上遊戯タフルで遊んだが、流れるように追い詰められていく駒をなすすべなく見ていることしかできなかったという。

 王道の手を使いながら、奇襲も奇策もなく、ただ正攻法で絡め取られていくその精緻で見事なゲーム運びに、子供ながらにゾッとした。

 子供と大人だから負けて当たり前だとか、そんな次元の遊びでは無かった。大人相手だったなら、あれはもっと違う様相を呈していたはずだ―――もっとひどいゲームになっていた。

「やろうと思えばおそらく思うままに国政を動かすことができるだろうな、あれは。キレさせたら父上でも御せるかどうか怪しい」

 まぁ、だからあの中途半端な位置に収まっている方が、国にとってもありがたいのかもしれないな、といつになく真面目な顔で言う。

 こんな顔をして言うのだ、おそらくその勘は当たっている。出鱈目な所もある主だが、総じて優秀なのだ、この人は。

「シノン伯には切れ者と噂の嫡男がいただろう。使えそうなら引き込みたい」

「その才が子に引き継がれるとは限りませんがね」

「お前が言っても説得力ないよ、ジル」

 その言葉に、ジル―――ジレッド・ローゼンタールは苦笑した。

 親父の血だと言われるのは甚だ心外だが、代々武門の家柄だし、一族郎党戦闘特化型だし、そういわれるのも仕方がない、とジレッドは割り切っている。良くも悪くも才能云々は自分でどうすることもできないが、そこから先の努力が無くては身を立てることもできない実力社会だ。

 現役最強と言われる親父の血が引き継がれていると主がいうのなら、己の努力は無駄ではなかったということなのだろう。

 頭の片隅で執務室でのやり取りを思い返しながら早駆ける事しばらく、城を出発するときには赤焼けていた空が、完全に闇に飲み込まれている。

 シノン家がリンデル伯爵の夜会に参加する事にしたのは、病弱という噂の娘のデビューの為だという。

 この時間ならデビュタントのダンスが終わる頃だ。娘の体調次第では、最悪ダンス終了後すぐに帰ってしまう可能性があった。

 すれ違いになったとしても自分のせいではないし、主もそれを咎めないとは分かっているが、下げたくもない頭を親父に下げたのだ。その労が報われて欲しいと思うのが人情というものである。

 親父は先に行くと言っていたから、会場の責任者に話は通してくれているはずだ。裏口からこっそり入れてもらい、外階段から会場内に向かう事になっている。

 使用人しか使わない裏口に、外灯の薄ぼんやりとした光が灯っている。その下に男が二人立っているのが見えた。おそらく親父の部下だ。

 ジレッドは鞍上から、腰に佩いた剣を掲げる―――近衛でも側近にしか下賜されていない剣だ。それを見たふたりは、黙って頷いた。

 その様子を確認してから一行は馬から降りて、周囲の木に手綱を繋ぐ。敵がいた場合に備えて万が一にも気取られないよう、だれも口を開くことなく速やかに敷地内に入っていく。

 外階段の前に数名の同僚を残し、己を含めた側近三人が主の前後を固めながら階段を登る。

 夜会としてはまだこれからという時間帯だからか、階段を上りきった二階には人影が無かった。

 その場に側近の一人を残してさらに先に進む。

 進むうちにテラスが見えてきて、そこに女性と思しき姿が見えて足を止める。

 丸くせり出したテラスの手すり部分に身を預けるようにして佇む白いドレス姿が、月の光を弾いて淡く光っているように見えて息を呑む。

 コクリ、と喉が鳴ったのが聞こえたかのように、女性がゆっくりとこちらを向いてさらに息をのむ。

 ひどく幻想的で、美しい情景だった。

「ツイてるな、おそらくあれがシノン伯の娘だろう」

「話されますか」

「ああ」

 どうしてあれがシノン伯の娘とわかったのか、と疑問に思い、ああ、とすぐに得心する。

 娘は今日が夜会デビューで、シノン伯と同じ色合いの薄い金髪と事前に情報をえている。白いドレスは初心者の証。

 主の希望するままにそこに近づいていく。その間、こちらを見つめたその視線は、ずっと外されることが無かった。

「失礼、フリッツ・フォン・シノン伯爵のご息女とお見受けする」

 何事か分からず、驚いた様子の娘の小さな頭が揺れた。

 はい、と耳に届いた音は若い娘特有の甘く高い声だった。

「マリィツア・シノンでございます」

 ドレスの裾を両手で上げて、沈み込んで礼をする娘の所作の美しさに感心する。

「我が主が兄君のヘラルド・シノン殿と話がしたいと」

 兄君はどちらにおられますか、と続けようとした所で背後から声がかかった。

「お探しの者ならこちらに」

 振り返ると、もうひとりの側近―――ルード・ランロッドの後ろに男が立っている。

 グラスを二つ手にして現れたその男は派手だな、というのが第一印象だった。

 夜会用のテイルコートは質の良い生地で形も洗練されているし、このスラリとした男―――ヘラルドによく似合っていると思う。何が派手なのかと言えば、やはりその容姿、だろうか。

 緑の瞳に、黄色味の濃い豪奢な長い金髪を首元でゆるく括っている。すっと通った鼻梁に垂れ目気味の甘やかな目元が色気を放つ。男の自分から見ても、美形といっていい。

「フリッツ・フォン・シノンの息子、ヘラルド・シノンです。両手がふさがっておりますので礼を失することをお許しください」

 そう言って軽く頭を下げたヘラルドに、ジレッドが言葉を返そうとして主の手が己を制して来る。後は自分で話すということだ。

 黙ってそれに従う。

「今日は私的な訪問ゆえ名乗りはせぬ。ここであったこと、話した事はなんら責めを負うことはない。少々貴殿と話がしたくてな……時間が許すなら、だが」

「妹も同席してよろしいのであれば」

「押しかけたのはこちらだからな、構わんよ」

 マリィツアの立っているテラスの奥に、休憩用のテーブル席があるのを見てとって、ジレッドはそちらへ、と主を誘った。

 その後にヘラルドが続いて、マリィツアは所在なくその場に立ち尽くしたままだった。

「マリィツア嬢、先に座られよ」

 主の言葉に従って、ジレッドはマリィツアに一番近い席の椅子を引いた。

 ありがとうございます、とまた可愛らしい声が聞こえて、彼女は素直に着席した。

 最奥に主が、通路側に近い場所にヘラルドが座った。屋根付きのテラスはひと席ずつ区切れるようにカーテンがかかっていたのでそれを開いて目隠しをする。ルードが通路側に、ジレッドは主の背後に立ち、シノン兄妹にとってはいきなりな会談は始まった。

 おもむろに主が話し始める。

「私が子供の折に、そなたの父と盤上遊戯タフルをしてな」

「盤上遊戯……ですか」

 ああ、と主は頷く。

「私のまわりの大人たちは皆私に忖度してばかりいるのに、そなたの父は違ったな」

 四駒ハンディをもらっても勝てなかったよ、と続く。

 勝負事の過去の恨みか、とヘラルドは訝しんだが、目の前の男の表情を見ている限りそうではなさそうだ。

 今日は名乗らぬと言ったが、近衛の隊服をまとって帯剣した護衛を二人連れているのだから、どう見たって王族だ。今上陛下としては若すぎるからその息子―――王子の内の一人で、歳の頃から見て一番目のディーン殿下なのだろう。

 殿下相手に勝ちくらい譲ってやればいいのに何をやっているんだか父上は、とヘラルドは心の中でつぶやく。

「ハンディは四駒だけではなかったな」

「といいますと?」

「あれは指し筋を制限しているように感じたな。あくまで正攻法で、汚いことはせず、けれど確実に王手を取るように盤を制御していたな。子供だから、手加減してくれていたのだろう」

 それでも勝てなかったが、と呟く。

 一瞬伏せた眼が、不意にヘラルドに向けられて、予期せぬ鋭い視線が己の瞳に向けられる。じっと覗き込んでくるその瞳は、王家に特徴的な金色だった。

「一局指さないか」

 鋭い表情に比べその声はひどく静かだった。

「父との勝負のリベンジというわけですか」

「いや、そうではない……一局指しあえばそなたという人間が分かる気がしてな」

 鋭い視線を発するこの王子は、腹の中に何を抱えているのだろう。見つめてくる視線に肝が冷える気がする。自分という人間を知って、この王子にとって一体なにになるというのだろうか。

 一局指せば人間が分かる、と最初に言ったのは父だった。そして、家族でもない、まして父との接点も子供時代にしかないこの王子が父と同じことを言う。

 危険だ、と本能が告げていた。

 何とか指さずにこの会談を終えたいが、素直に断るのは良い手だとは思えない。今日のこの場での事は責を問われないと言ったって、どこまでそれを信じて良いのか。貴族社会の口約束ほどあてにならないものはないのに。

 弱ったな、とヘラルドが表情に出さずに考えている時だった。

「おやめになられた方がよろしいかと思います」

 黙って聞いていた妹が、あろうことか口を出した。

 許しも得ずに口を出す事の危険を認識していないのか、それともわざとか。そこまで馬鹿ではなかったはずだが。

「ほう……」

 面白げな声を上げて、王子はマリィツアを見る。

「途中で口を挟む無礼をお許しくださいませ」

「かまわぬ、続けろ」

 ふふふ、と笑う妹に興味深げな表情を浮かべる。

「父はタフルが好きですから、家族でよく指すんです。もちろんわたくしと兄も指すのですけどね、兄の指し方の姑息さといったら、腹が立つくらい」

 その兄の前で堂々と悪口を言ってのける妹に、内心で舌打ちする―――コイツ……!

「ははっ、そんなに姑息なのか!」

「ええ、妹相手にそこまでするか、というくらいですの」

 楽しげな少女の笑い声が上がる。

「家族相手に手加減なぞしませんよ……マリィツア、恥ずかしいだろう」

「申し訳ありません、お兄様」

 でも、とマリィツアは続ける。

「せっかく楽しい夜会にいらしたのに、不愉快な気分にさせてはいけませんでしょう?」

 ああ、とヘラルドは思う。王子との一局を回避したいのを読まれたな、と。

 あの父の子であるのはマリィツアも同じ。思考で言えば、嫡男の自分よりマリィツアの方が父に近いのかもしれない。妹と盤を挟んでいるとそう思う。おそらく父と同じように何手も先を読んでいる。だから、マリィツアも強い。なりふり構わず姑息な指し方をしなければ負けてしまう程に。

 父は時々に応じて指し方を変幻自在に変える。驚く程姑息な指し方をしたり、古典的な正攻法で指したりと、その指し筋はひどく解りづらい。この妹はといえば、汚い指し方をしようとすればおそらくできる。それでも王道を好むのか、綺麗に指して兄である自分に負ける。それで負けたからといって悔しいとも思っていない。

「ですから、もしあなた様がお嫌でなかったら、わたくしを相手にされませんか」

 その上でこの爆弾発言である。

 マリィの爆弾発言なんか読めるかバカヤロウ―――とヘラルドはまた内心で毒づく。

「私に媚を売る気ならやめたほうがいい」

 スゥ、と王子の金色の瞳が野生の猛獣のように細くなる。

 それを気にした風もなく、マリィツアはさらに続ける。

「わたくしおそらく子供は産めないと思います」

「何を言っている」

「生まれた時から虚弱ですから、出産できないと思うのです。ですから、あなた様に媚を売っても仕方がないのです」

 どうですか?と言わんばかりにマリィツアは小首をかしげる。

 妹のそんな様子に、ヘラルドは焦りを禁じえない。社交界ではよほどのことがない限り表情には出さないヘラルドだ。だが、このままでは危ない。それだけはわかるからいらだちがこめかみに出る。先程からピクピクと動いている。

 当の王子といえば、マリィツアの明け透けな告白に、とうとうこらえきれずに笑い出した。

「ぶはっ、なかなか豪胆だなそなたは」

 くくく、とさらに続く。笑いが止まらないらしい。

「面白い。正妃以外の道もあるぞ」

 王家に嫁す女性の役目は王家の血を繋ぐことである。夢物語のように身分違いの王子と結ばれて幸せに暮らしました、めでたしめでたし、では終わらないのだ。

 出産できない、となれば、どうあっても正妃にはなれない。それが分からず婚姻して、どうしても授からぬ場合は不可抗力であるが、事前にそれがわかっているのに恋にはならない。夢物語の主人公にはなれないのである。

 正妃以外の道―――すなわち側室とういう手もあるぞ、と片手間に口説かれているのだ。どうしてこうなった、とヘラルドは頭を抱えたくなった。

「側室の役目も結局は血を絶やさぬ為にあるのでございましょう。わたくしには恐れ多いことでございます」

閨事ねやごとが成せれば構わぬ、という男もいてな」

 成人前の未婚の娘に対してかなり際どい事を言う王子を、ヘラルドは信じられない思いで見つめる。

 顔には出さないようにこらえているが、王子でなければぶん殴っている。

「閨事すら叶いますかどうか……。虚弱なこの身に免じてお許し下さいませ」

 そう言って、マリィツアは寂しげに笑って見せた。

 ふん、と王子は一息ついて、納得したように口を開いた。

「戯れが過ぎたようだ。ついそなたとのタフルに夢中になった。許せ」

 はっ、とヘラルドは目を見開いた。


 ―――どこから盤上に乗せられていた?


「わたくしごときが許す許さないもございません」

「存外に楽しんだ。礼を言う」

「もったいないお言葉です」

 行くぞ、と王子は側近に言う。は、と二人分の声が聞こえた。

「今日の所はマリィツア嬢に預けておく。またな、ヘラルド殿」

 振り向かずにさっと手を上げて去って行く小麦色の髪を見送りながら頭をさげた。

 完全に気配が消えてから、ヘラルドはドサリ、と椅子に腰を下ろした。

 どっと疲れが出て弛緩する。

「バカヤロウ、肝が冷えるとはこの事だ」

「ふふふ、だって、お兄様……。

 相手が忘れられなくなるくらいの衝撃を与えるのは恋の定石でございましょう?」

 楽しげに、また妹の口から信じられない言葉が飛び出した。

「は? ちょっと待て、あの男にか!」

 後宮には上がれないと言ったその口で、恋だとぬかす。それは一体どんな作戦なのだ。

 違う違う、と手を振りながら妹は夢見るように口を開いた。

「いいえ、あの方の後ろの方に」

 はー、と長いため息が溢れる。

「ローゼンタールの三番目かよ」

 それならまぁ、と納得しそうな自分が怖い。あの王子に比べたら難易度は低いだろうが、それだってそれなりに困難な気はする。

「ダメかしら?」

「相手の気持ち次第じゃないか?」

 わたくし頑張りますわお兄様、と返されてはもうこれ以上は何も言えない。

 コイツもしっかりシノン家の血を引いているよな、と妙に納得している自分がいる。

 なんだかんだ言ったって、また家族全員で甘やかしてしまうのだ。

 ため息をついて、すっかり味わいそびれていた赤ワインを煽った。

 酸化して、酸味が強くなった味わいに今日の敗北が重なった―――初めて妹にタフルで負けた、とヘラルドは思った。





※タフル/ヨーロッパ全土で遊ばれていた、古いボードゲームです。チェスの元になったという説があります。現物が気になる方はHnefatafl(ネファタフル)で調べてみてください。

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