けはれ




 だめだ。

 今日は。

 のれんくぐりができる心境ではない。



 一歩、二歩と『りゅうもん』からおぼつかない足取りで離れた宇治木。前禊で落ち着かせられない己の不甲斐なさに幻滅しながらも、癒しを性急に求めた身体が勝手に『まるさん』の自動ドアを通過していた。



(にーちゃんとねーちゃんの愚痴がもはや呪言で、持ち前のポジティブ精神と酒と店の雰囲気で大抵やり過ごせるのに今日はできなかった)



「いらっしゃいませ」


 白黒の世界に占められて停止中の頭とは別の生き物のように動く身体が、カウンターに吸い寄せられるように辿り着くと、店主お勧めのジュースの文字が目に入り、Мサイズを頼んだ。


「ありがとうございました」


 ジュースと滞在料金合わせて千円を払って、丸太を掘ったような木のコップを渡されてから、傍に置いてあった雑誌を適当につまんで、窓側に設置してある小さな丸いテーブルの一人席に座る。

 雑誌を一枚めくって読んでいる体を見せながら、ごつごつなようでつるつるなコップを片手で掴み、ジュースを飲む。

 桃ジュースだった。

 一口目は甘ったるさに眉を寄せたが、少し時間を置いて含んだ二口目からその甘みが癖になる味だった。

 ゆっくりと味わって一口一口身体に取り入れていくにつれて、白黒に支配されて停止していた頭が動き出し、先程対応してくれた店員がいつもいい顔をしている男性店員だと気付いては、どこにいるのかと見回したら、『りゅうもん』を見ながら笑っているのを目撃。


 今日もいい顔してんなあ。

 『りゅうもん』の常連客なんだろうか。あいつもあそこの味と店員に癒されに行ってんだろうか。

 もしくは、好きな店員でもいるんだろうか。

 それとも。あいつものれんくぐりで禊をしてんのか。

 ああ。しかしまあ。他人ののれんくぐりなんて見たことなかったけど、みんないい顔と動きをしてんな。

 そりゃあ、店の味とか、大切な連中と一緒に過ごせて満足してるんだろうけど。のれんくぐりが満足感情を引き出してるっつーか。

 或る意味、暖簾が別世界を演出してるっつーか。暖簾の向こう側に神聖感とドキドキワクワク感を与えさせるんだよなあ。

 まあ。店の雰囲気が合う合わないがあって、幻滅する時もあるけどよ。

 それに、店の意気込みを強化してんだよなあ、暖簾って。くぐる客も相応の礼儀を持って入らねえとって、思うんだろうなあ。






(あれ。あのお客様も『りゅうもん』を見て、うっとりとしている。もしかして、私と同じで、のれんくぐりをする人たちを見て癒されているとか)


 本の整理をしていた左岸時。ばつを切る人だとは気づかずに親近感を抱きながら、作業の合間合間にのれんくぐりをする人たちを熱い眼差しで見つめて、宇治木が時折彼を見るのであった。




 時折、互いが互いを見ているなんて知らない、のれんくぐりに癒される男性二人のお話であった。











(2021.8.10)


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のれんくぐり 藤泉都理 @fujitori

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