君の尻子玉が食べたい。

岩と氷

君の尻子玉が食べたい。

「あれなら、簡単そうだ」


 河原で水浴びをしている小さな娘を見て、河童カッパ亀太郎かめたろうは思った。

 亀太郎は娘が深みに来るのを淵に浮かんで待っていた。河童はおかでは非力で人間の子供ほどの力しかないが、水の中での力と素早さは人間の比ではない。深みに誘い込めば、小さな亀太郎でも子供の尻子玉しりこだまぐらいは簡単に抜けるはずだった。


              *


「おい、カメ。畑からなんか美味いもん、かっぱらって来いやぁ」


 この辺の畑は河童を嫌ってかどれも川から遠い、頭の皿が乾くのを嫌がる河童は誰も行きたがらない。


「怖いのかぁ? ちびでノロマな亀さまよお」


 お前らだって、怖いくせに――。


 亀太郎はその場を離れた、それで連中は満足する。河童の誰も畑には行けない事は連中だってわかっている、ようは亀太郎をいたぶれればいいのだ。行くあてがない亀太郎は、少し遠くて他の河童があまり来ないこの淵にやってきた。


 亀太郎の父、巌次げんじは河童が住む集落、河童聚楽じゅらくの頭領だ。巌次は力にまかせて河童たちを仕切る乱暴者で、腹に不平をため込んだ者たちは、体が小さくひ弱な息子の亀太郎をいびって憂さを晴らす。巌次は巌次でひ弱な息子の面立ちが自分とよく似ている事が気に食わないらしく、亀太郎を助けるどころか事あるごとに辛く当たっていた。


 人間の尻子玉はめったに手に入らない、俺がそれを持って帰ったら連中はどう思うだろう――。亀太郎は夢想した。


 奪った尻子玉は龍神様にお供えして、お下げを河童聚楽の皆で分ける。人間の尻子玉を食った河童は体が大きくなり、力も強く頭も少し良くなるというが、最後に食ったのは合戦で死にかけた侍が河原に大勢寄ってきた爺さんの時代だというから、本当のところはよくわからない。


 父親の巌次は「俺も食った事がある」と吹聴しているが、その時は抜いた河童がズルをして死体から抜いたせいで、巌次たちはただ腹を下しただけだった。抜いた河童は怒った巌次と取り巻きに待ち伏せされ、頭の皿を割られて死んだそうだ。聚楽の者なら誰でも知っている事だが、巌次の前で口にする者はいない。


 亀太郎は人間の新鮮な尻子玉がどうしても欲しかった。抜いた者はしきたりで一番多く食える、もしかしたら自分も他の河童並に大きくなれるかもしれない。


「こっちへ来い。こっちへ来い」


 亀太郎は水の中で手招きをした。だがすぐに娘は川から上がってしまった。がっかりした亀太郎は腹立ちまぎれに河原の一本松に小便をひっかけて帰った。


 娘はだいたいに三日にいっぺんぐらい河原に現れた。少し大きくなると手ぬぐいや着物を桶に入れて洗いに来るようになった。もう少し大きくなると頭に乗せた洗い桶の他に桶を天秤に二つも吊るして毎日水を汲みに来るようになった。着ている物は寸足らず、おまけに継ぎだらけとみすぼらしく、このあたりでもよほど貧しい暮らしをしているように見えた。


 それが毎日毎日続いて、亀太郎は青年に、小さかった娘は年頃になった。


 その日の娘は、幼い妹を連れて川にやってきた。娘は妹に洗濯の手ほどきをして、自分は十本ほどの太い大根と何本かの痩せた人参を藁編わらあみ束子たわしで洗っていた。


「あっ」


 短い声が川に響いた、娘が気づいた時には妹はもう川に流されていた。流された洗濯物を一人でとろうとしたらしい。


「おかつぅ! お克ぅ!」


 娘は叫びながら川に入った。川の真ん中は急に深くなっている。娘はなんとか妹の手を取ったが、川底に足がつかずにそのまま流されて行く。亀太郎は淵を出た、何年も待った、今なら新鮮な尻子玉が二つも手に入る。


 聚楽の連中は驚くだろう、小さくて馬鹿にされている俺が人間の、それも若い女の美味そうな尻子玉を二つも抜いてくるのだから……。


 やはる気持ちを押さえながら、亀太郎は流されていく二人に近づいていった。妹の着物を掴んで尻の穴に手を入れようとした時、亀太郎は思った。


 この子供を死なせたら、娘は手酷く責められるんだろうな……。


 溺れた娘は妹の手をしっかりと握りながら、正気を無くしたようなうつろな目をして唸っている。このままこの先の大龍岩おおだついわまで流されれば、こいつらは渦にのまれて二度と浮かんで来ない。尻子玉を抜こうが抜くまいが死ぬのは同じことだ……。亀太郎は娘の襟首をつかまえて手繰り寄せた。



「あんら、わし……。お克、お克?」


 娘は河原に横たえられていた。すぐ傍らに妹を見つけると、娘は妹の頬を手のひらで叩いた。


「お克、お克、起きれぇ、お克ぅ!」


 妹が目を開けると、娘はおいおいと泣きながら妹を抱きしめた。


 次の日、いつものように娘は川に現れた。今日は妹を連れていない。娘は周りを見回した後、川に向かって叫んだ。


「河童さあ! 河童さあ!」


 何だ?。

 

「ありがどう、河童さあ。お礼があるで、出てきてくんろぉ!」


 亀太郎は驚いた、娘は亀太郎に気づいていたのだ。娘は手に小さな胡瓜をもっていた。胡瓜は河童の好物だ、でもなかなか手に入らない。亀太郎は胡瓜が欲しくて仕方がなくて、淵に頭を出した。


「河童さあ!」


 娘が見つけて嬉しそうに手を振る。怖くないのだろうか?。


「河童さあ、河童さあ」


 娘はそう言いながら手招きをしている。だが相手は河童を恐れて忌み嫌う人間だ、うっかり近づいたら何をされるかわからない。

 亀太郎が逡巡してただ浮いていると、娘が胡瓜を一本投げた。胡瓜は亀太郎のすぐ目の前に落ちた、流される前に慌てて拾う。


「美味い!」


 朝採りのとびきり新鮮な胡瓜だった。形は小さいがその分青臭さがたまらない、畑の土のせいか苦くてとても美味い。


「河童さあ、河童さあ」


 娘が二本目の胡瓜を手に持って振っている。懐が膨らんでいて、まだ持っていそうだ。


 亀太郎はたまらず、ゆっくりと岸に近づいた。緑色の肩が見えて、堅そうな甲羅が見えて、ガニ股の脚が見えた。近づくと背は娘よりだいぶ小さかった。


「河童さあ、食ってぐんろ」


 娘が胡瓜を差し出した。亀太郎は思い切り手を伸ばしてひったくった。


「ん、んん。んまい、んまい」


「河童さあ、しゃべれんだあ」


 しまった、ばれた。めんどくせえ――。


「昨日、私ら助けてぐれでぇ、ありがとねぇ」


 満面の笑みを浮かべる娘につられて、つい答えてしまう。


「ん、んん、ま、まあな」


「みぃんな、『河童は尻子玉抜ぐから、気いづけろ』っで言うげどお、違うんだねぇ」


 娘が言う、亀太郎は答えた。


「違わねぇ、他の奴は抜くから深みには入んねえほうがいいぞ」


「あんだ優しいねぇ、河童さあ」


 亀太郎の緑色の顔が少し赤くなった。


「あは、顔赤い」


 娘がそう言ったとき、亀太郎は気が付いた。


「おめぇも、頬っぺた赤いぞ」


 娘の左の頬が少し赤かった。


「これ? 母さに、はだがれだ」


「なんでだ?」


「わしが妹、見てながったがら。着物も流しちまっだし」


「ひでぇ、親だな」


 人間の親もうちの親父と似たようなもんなんだな――。


 だが娘は言う、


「んなごた、ねぇよう、わしが悪いんだぁ。うちの母さは優しい母さだ。でも父さがおっんで稼ぎがねぐなっで、水も枯れちまって、繕いもんじゃ新し着物なんが買えねぇし、母さは大変なんだぁ」


 亀太郎は自分の腹をなでながら言った。


「胡瓜、いいのか?」


「こんは、だぁ、気にすんない」


「そうか」


 次の朝、娘が河原に来ると、川に流してしまった着物が、松の木の枝に掛けられていた。


「河童さあが、見づげてぐれだんだぁ!」


 その日、亀太郎は出てこなかった。娘は小さくて曲がった胡瓜を二本、河原に置いて行った。


 亀太郎はそのあと五日ほど出てこなかった、でも置いていった胡瓜は次の日には消えていた。六日目のこと、娘は胡瓜を置いて帰るふりをして草陰に隠れて様子をうかがった。

 娘の姿が見えなくなるとすぐに亀太郎が川から上がってきた。膝を抱えて河原に座り、ポリポリと音をさせて胡瓜をかじる。


「河童さあ」


 娘は草むらを出て呼び掛けた。


「お前、まだいたんか」


 亀太郎が振り返って答える。緑色の顔の中で二つの丸い目が大きく開いている。


「だあってぇ、他の河童に盗られてたらやぁだもの」


「あ、ああそうか」


「どして出て来てぐんながったのぉ?」


「そりゃ、お前人間だろ。河童となんか会わねえほうがいいに決まってるだろ」


 娘は考え込んだ。否定できないからだろうと亀太郎は思った。


「でもさあ、河童さはあだしらの命の恩人だよぉ」


「お前なあ、お人よしが過ぎるぞ。俺はもともとお前らの尻子玉を抜くつもりで見てたんだ。それが何の拍子か助けちまっただけだ」


「何の拍子だったんだい?」


「だから何かの拍子だ。気の迷いだ」


「何で迷ったんだい?」


 亀太郎は考えた、何でだろう?。これまでの事を思い出す、川で初めてこの娘を見かけてからの事を。擦り切れかけた汚い着物を着た小さな子供。遊んでいたのははじめだけで、すぐに洗濯をし、重い大根を洗い、水汲みをしながら妹の世話まではじめた。

 亀太郎は父親や他の河童に馬鹿にされて、いいように使われている自分とこの娘を、どこか重ねて見ていた事に気が付いた。


「なんとなくだ、なんとなく」


 亀太郎はそう答えると、川に入った。


「河童さあ、まだ出で来でぐんろ!」


 娘がそう言っても亀太郎はかまわずに水の中に消えた。


 その日から亀太郎は三日にいっぺんは顔を見せるようになった。娘が帰ったふりをして影で待っているようになると、胡瓜が欲しくてたまらない亀太郎は根負けして、そのうち娘が河原に現れるとすぐに出て来るようになった。


「河童さあ、ごめんなあ」


「なんだよ」


「もうすぐ胡瓜が採れなくなるんだあ」


「ああ、もうすぐ冬だもんな」


「冬は河童はどうしでるの?」


「寝てるな」


「ずっと?」


「ああ、大抵はな」


「冬眠?」


「俺たちは”冬籠もり”って言ってる、浅い眠りだ。狐や猪が近づけば起きるし、たまには飯も食う」


「何を食べんの?」


「いつもは魚とか葉っぱだけどな、冬籠りの間は虎耳草ゆきのしたぐれえだな、食えんのは。雪掘るの冷てえけど仕方ねんだ、河童は歯がねえからあんまり硬いもんは食えねえし」


「じゃあ、胡瓜が採れなくなったら葉っぱでもいい?」


「青くて柔らかいのにしてくれるか? このくちばしで切れそうなやつ」


 亀太郎がアヒルのようなくちばしをパクパクと開いたり閉じたりしてみせる。


「あは、わがっだぁ」


 娘がそう言って笑いかけると、亀太郎は顔を赤くして俯いた。


 秋も深くなった頃、亀太郎は川に現れなくなった。”冬籠もり”に入ったのだろう。ほどなく山は雪に閉ざされた。



 雪解けの頃、水汲みに来た娘の桶には蓮華草れんげそうが詰っていた。


「河童さあ! 河童さあ!」


 淵を見ても何もない、まだ早いのだなと思って娘は帰った。

 娘は次の日も蓮華草を採ってきた。だが同じだった。

 半月ほどが過ぎて、川に亀太郎が現れた。亀太郎は娘が差し出した蓮華草をむさぼるように食った。


「河童さあ、痩せたねえ」


「ん、ああ。冬籠もりでたいして食ってねえからな」


「明日は桶にいっぱい持っでぐんねぇ」


「いいのか?」


「途中に、いっぐらでも生えでるがらぁ」


 亀太郎は蓮華草を食い、どんどん元の姿に戻っていった。戻ってみると体は前よりも大きく、背も娘とあまり変わらなくなっていた。蓮華草の美味い時期が終わると胡瓜を食った。すると夏には亀太郎は娘よりもずっと大きくなっていた。


「河童さあ、大ぎぐなっだねぇ」


「きっと胡瓜のおかげだ。前は聚楽で一番体が小さかった俺が、今じゃあ親父よりも大きくなった」


 お前のおかげだ――。亀太郎はそう言いたかった、言って娘を抱きしめたいと思った。でも差し出そうとした手の水掻きを見てやめた。


「お前、そろそろいいんだぞ。たった一回助けただけなんだから、もう持ってこなくたって」


「うんにゃあ、死ぬのは一回だけだがらぁ、一回助けでもらっだら一生貰っだも同じだよぅ。河童は死んでも生き返るんけぇ?」


「んなわけねえだろ、一回でおしまいだ」


「かわらないねぇ、かわらないねぇ」


 娘は嬉しそうに手をたたいている。亀太郎は思った。

 こいつも、友達がいねえんだな――。


 亀太郎は体が小さくてずっと虐められていた。胡瓜を食って体が大きくなったら、今度は怖がられて誰も近寄らなくなった。


 おんなじ、はぐれもんか……。



「亀太郎、おめぇ人間の娘と会ってるな。ずいぶん手なずけてるみてえじゃねえか、さっさと尻子玉抜いてこいや、グズが!」


 亀太郎が巣穴に帰ると父親の巌次げんじが言った。息子の体が急に大きくなった事をいぶかしんで後をつけたのだ。


「あれはダメだ」


「なにがダメなんだ、あん? 胡瓜をもらってるからか?」


「ああ、あれはダメだ」


「だったら俺にも胡瓜をよこせ」


「じゃあ少しやる」


「おお、そうか」


 巌次は言葉を飲み込むように言った。亀太郎があまりにあっさりと胡瓜を渡すと言ったのが納得いかないような目つきだ。


「おめえ、まさか……」


 亀太郎は目を逸らしたまま何も言わない。


「惚れたのか? 相手は人間だぞ! 自分を川に映して見ろ、頭には皿、口はくちばし、背中に甲羅、おまけに手には水かき、足はガニ股ときてる。人間の娘がそんなのを相手にするわけがねぇだろ、馬鹿じゃねぇのか、お前」


「河童の息子に”亀太郎”とか付けた親父に言われたくねえよ」


「生まれた時からノロマそうな顔してたからだ、おめぇの爺さんにそっくりだった」


「それじゃあ、俺に似てるあんたもノロマって事じゃねえか、へ!」


「何おぅ、親を馬鹿にするのか!」


「俺は胡瓜を食ったんだ、いっぱい、いっぱい食ったんだぞ! 体だっておっきくなったし、親父ほど馬鹿じゃねえ!」


「何だとこいつ! 俺だって、俺だって尻子玉を食えば……」


 巌次のくちばしの端が不自然に吊り上がった、巌次は言った。


「そこまで言ったんだ、分かってんだろうな。巣には二度と戻んなよ、いいな!」


 亀太郎は棲家を失った。天涯孤独になった亀太郎にはあの松の木の河原しか行く場所がなかった。他の河童に邪魔されないような場所に巣穴を掘ろうか、そんな場所あるのかな――。川に小石を投げながら亀太郎は一晩中考えていた。


「河童さあ」


 娘がやってきた。いつのまにか東の空に日が昇っていた。


「めずらしいねぇ、先に河原さいるなんて」


「あ、ああ。追い出されちまったんだ」


「なんでぇ?」


「親父と喧嘩した」


「河童さにもそんごどがあるんげぇ」


「人間も親に追い出されたりするんか?」


「他所はね、うぢはねぇよぉ」


「やっぱり良い人だったんだな、お前の母ちゃん。うちの親父は屑だ、威張る以外に何の能も無い屑野郎だ」


「親にそんなごど言うもんじゃねぇよ」


「まあな、でも本当にそうなんだよ。だから母ちゃんも逃げたんだ」


「あらまあ、そうだったんがえ」


 本当は殺されたのかもしんねえ――。


 娘を怖がらせたくなくて、口には出さなかった。


 亀太郎の肩に温かいものが乗った、娘の手だった。河童聚楽では感じた事のない体温に亀太郎は驚き、目頭が熱くなった。娘はそのまま亀太郎の硬い甲羅を抱いた、水掻きのある手が娘の手を握った。亀太郎の目から涙がこぼれた、涙をこぼすのは生まれて初めてだった。


 次の日、娘が川にやってくると、河童が淵の一番奥に顔をだして手招きをしていた。


「河童さあ、何しとんのさあ?」


 娘が呼び掛けても河童は答えない、手招きをするだけだ。

 娘は着物を脱いで松の木にかけると、胡瓜だけを持って川に入った。淵の手前まで来たとき、何かが足を掴んだ。あらがう間もなく淵に引きずり込まれた。


「捕まえとけぇ!」


 淵にいた河童が叫んだ、巌次だった。親子の見た目を利用して娘を騙したのだ。若い河童が水の中で娘を羽交い絞めにした、二匹のもっと若い河童がそれぞれ娘の脚を掴んで股を目一杯開かせた。泳いできた巌次が娘の尻に手を突っ込もうとした時だった。バシャン!と何か大きなものが水に落ちる音がした。


「おやじいいいいいい!」


 巌次の体が宙を舞った。首根っこを引っ掴んだ亀太郎が片手で放り投げたのだ。巌次は河原の石の上に落ちた。ガシャン!という下腹が重くなるような気味の悪い音が河原に響いた。


「おめぇら、どけぇ!」


 亀太郎は娘を河原に引っ張っていった。向う岸から甲高い叫び声がする。


「皿が割れたあ! さ、皿が、皿が、割れちまったよお!」


 巌次が頭の皿を両手で押さえて狂ったように踊っている。祭りのお囃子でも聞こえてきそうな勢いだ。亀太郎は叫んだ。


「おめぇは、そこで死ねや!」


「そんな……俺は親だぞ、おめぇの親だぞ!」


 巌次が涙声で喚く。だがどうしようもない、河童は頭の皿が割れたら干からびて死ぬ運命だ、誰にも止められない。


「なら今からおめぇは親でも何でもねえ。いいかおめぇら! 今から俺が聚楽の頭領だぁ! 文句がある奴は言ってこい!」


 亀太郎は若い河童たちに言った、河童たちは何も答えなかった。


「いいな。これからは人を襲うな。尻子玉なんか食わなくても胡瓜を食えば、こんなに大きくも強くもなれるんだ、分かったか!」


 亀太郎がそう強く言うと、若い河童たちは揃って「へい」と言って頷いた。



 それから一か月ほど経った夏の終わり頃、娘が河原に現れた。


「河童さあ、河童さあ」


 亀太郎が淵に顔を出す。


「あ、河童さあ。胡瓜、持ってきたよう」


 亀太郎は水から上がって、松の日陰に座って胡瓜をポリポリと食った。


「ごめんねえ、あの日は逃げだっで」


「何あやまってんだ、あたりめぇだろ。おめぇ、殺されかけたんだぞ。だいたい何でまた来たんだ、水汲みなら他の岸でもできんだろ。ここは淵が深いから河童が隠れやすいんだ。来るもんじゃねえ」


 娘はしばらく黙っていた、亀太郎には娘が何かを逡巡しているように見えた。


「あのね河童さあ、わし……嫁ぐごとんなっだんだぁ」


 亀太郎の息が一瞬止まった。


「盆踊りで会っだんだぁ、母さが端切れさ集めて新しい着物を縫ってぐれでよう。名主なぬしさの息子でなぁ、わしみだいのが入れる家じゃねぇのに、『どうしでも』っで言っでぐれで」


「母ちゃんの面倒は……みてもらえるのか?」


「名主さはぁ『安心すれぇ、悪いようにはしねぇがら』って言ってぐれだ……」


「良かったじゃ……ねえか……」


 亀太郎はそう言って黙って川に小石を投げた、娘も黙って同じところに小石を投げた。二人は見慣れた川の流れをそのまましばらく見つめていた。上流から、誰が作ったのだろう、笹船が一艘流れてきた。娘はそれを手に取ると言った。


「こんがらは妹が水汲みに来るがら、夏の間は胡瓜をうんど持って来させるがら……」


 亀太郎は答えた。


「そうか、助かる。それなら他の河童たちも、きっと満足するさ」


             *


 名主の家に嫁いだ娘は、名主に頼んで河原に河童塚を作らせた。塚には娘の妹が、妹が嫁いだ後は村人が、毎日交代で胡瓜を供えた。河童の悪事はすっかり聞かなくなり、川が暴れるたびに村人たちの間で、河童を見た、助けてくれたという話が聞かれるようになった。

 それが百年ほども続くと、塚の近くに河童を祭る立派な神社が建てられた。河童は村の守り神になった。


 かつての村が大きな町となった今、毎年夏に行われる河童踊りには全国から大勢の見物客が訪れる。大人たちは両手で頭を押さえて踊り、子供たちは胡瓜を神社に奉納しようと参道に並ぶ。

 ただその由来となった亀太郎と村娘の物語を知る者は、河童たちを見かけなくなった今となっては、河原に生えた大きな松の木だけである。


(了)




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君の尻子玉が食べたい。 岩と氷 @iwatokori

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