結婚を約束した僕と彼女の三角関係

結婚を約束した僕と彼女の三角関係


 1


「一週間の内、火曜日だけは本当にやる気が出ない……」


 あまりにもやる気がなく、始業前の教室で項垂れる僕の前に影が立った。


「この前も言ってたよね、それ」


 月曜日は休んだ分体力が残っているし、水曜は折り返し地点。木曜日は終わりが見えるし、金曜日はもはや実質休み……だっけ? と彼女は笑った。


 ……彼女、二瀬川 茜(ふたせがわ あかね)。二人称や三人称ではなく、僕と男女の交際をしている……カップルだとかアベックだとか言われるあれだ。


 その、二瀬川茜は僕の彼女であることが不思議なくらい美少女である。若干赤みのかかった、茶髪に近い髪は彼女のお洒落な雰囲気を助長させているし、くりくりとしたよく動く瞳はいたずらっぽくて不意に僕をドキリとさせる。


 リップで艶やかに光る薄ピンクの唇なんか、吸い付きたくなる魅力を辺りに撒き散らしていた。


「そうそう、だから今日くらいは授業中に惰眠を貪っても許」


「許しません」


「早いよ! 一考くらいしてくれ!!」


「ダメです」


「ダメかぁ……」


 再びがくりと項垂れてみれば、茜はくすりと笑ってピンク色の包みをそっと僕の机に置いた。


「こ、これはまさか――」


「そ、手作りの」


「――愛妻弁当」


「違います」


 妻じゃなくて彼女でしょ、と茜は律儀にツッコミを入れる。そういうところが可愛くて僕はつい茶々を入れるのだが、彼女がそれに気付く日はきっと来ない。鈍いので。


「午前の授業、寝なかったら一緒にこれ食べてあげる」


「不思議なほど力が湧いてきた。今なら諦めていた英語の宿題にも手を付けられそうだ」


「……それは家でやってきなさい」


 ちなみに手を付けられそうだ、なので付ける気はない。苦手教科の宿題は直前に友人の答えを写すに限る。


 無論相手方の苦手教科は写させてやるので、そこに裏切りなどはない。


「はよっすー」


 そんな感じで和気藹々と会話を続けていると、始業のベルギリギリに友人である井上 諒(いのうえ りょう)が登校してきた。先ほど話題に上がったばかりの友人兼悪友である。


「おっ、来たな宿題よ」


「てめえに写させる宿題はねえ」


「何故!?」


 裏切りはない、とは嘘だった。常に僕らの関係は裏切りと欺瞞で満ちている。それが悪友……!


 まあ嘘だ。


「……それより、相変わらず仲の良いカップルなことで。ここだけがピンク色にすら見える」


「そりゃそうだろ。何せ僕らは」


 僕と茜は、運命的な出会いをしたのだ。


 話は遠い過去に遡る。僕がまだピーマンを食べられなかった頃の話だ。


 僕には幼馴染がいた。それも飛びっきり可愛くて、しかも口約束ではあるが結婚の約定までした超絶美少女である。


 とはいえ当時の僕は鼻垂れ小僧でしかなく、酷いことにその幼馴染の名前を忘れてしまったのだ! さらに彼女は父親の都合で県外に引っ越してしまったので、以降僕はその思い出を胸に生きることとなった。


 ……一応弁明をすると、仲が良すぎたのである。僕は彼女のことを愛称で「あーちゃん」と呼び、彼女もまた僕のことを「まーくん」と呼んだ。そのため本名をついうっかり忘れてしまったわけである。


 僕は「あーちゃん」という彼女の愛称と、赤みのかかった茶色の髪しか覚えていなかった。逆を言えばそれ以外、結婚の約束をしていたことすらも、覚えていなかったのだ。


 そして時は過ぎ、高校一年の春。


 僕とその幼馴染は、劇的な再会を果たしたのである。


 そう。喜劇的で、悲劇的な再会を――


「酷いんだよ、誠くん。私の顔を見ても気付かないどころか、声をかけても気付いてくれなかったんだから!」


――果たせなかった。それ自体がある意味劇的である。刺激的、とも言えた。突然美少女に声をかけられ、答えに窮していると泣いてしまったのだから。周囲の視線がぐさぐさと激しく刺さった。ほんと、あの時は。


「めちゃくちゃ焦った、だろ? その話は何回も聞いたよ。何回も聞いた上で聞いたんだよ。もはや芸みたいなものだな」


 と、自分で聞いておきながら諒は僕の話を遮った。飽きたのだろう。酷いやつだ。


 しかしまあ、確かにこれは芸だ。もはや伝統芸。となれば当然、ネタを振られた方にも定型句がある。


「ああ、そうかい。だったら馬に蹴られないうちにとっとと帰るんだな」


「そうさせてもらうよ」


 後ろでにひらひらと手を振り、諒は自分の席に戻った。茜もそれに続き、やがて始業のチャイムが鳴る。


 必要性のあまり感じられない、形式的なホームルームが始まる……はずだったのだが、どうやら今日はいつものホームルームとは違うようで、チャイムが鳴っても担任はなかなか姿を現さなかった。


 にわかにザワつき始める教室。


 普段は「自習だったら寝られるな」なんて喜ぶ僕だが、今日ばかりはそれじゃ困る。僕は少なくともお昼まではきちんと勉強をするフリをしなければならないのだ。


 と、若干の焦りを感じ始めた頃。


「すまんすまん、遅くなった」


 やや悪びれた顔で担任がやってきた。五分の遅刻である。


「まあそんな顔するな。転校生の手続きに手間取ってな」


 へ? 五月のこの時期に?


「いろいろ事情があるんだよ。本当なら四月に間に合わせたかっただろうよ。知らんけど」


 知らないのかよ。


 なんてツッコミをクラスメイトたちが入れつつ、ようやくその時はきた。


「おぉ……」


 誰かが感嘆の声を上げる。


 教室に入ってきたのは、純日本人……と言えばいいのだろうか。


 黒い瞳に不自然なほど黒い髪。白い肌は一層それらの「黒」を引き立てていて、やや切れ長な瞳が大人の色気をも醸し出している。


 そんな彼女の挙動を、クラスメイトたちは一心に見ていた。注目された彼女は緊張しているのかやや硬い面持ちのまま黒板に向かい、黄色の粉が付着した白チョークを手に取る。


 深山 綾音。


 折れそうなほど細く白い指が、チョークを使ってそう書いた。


 彼女の名前だろうか。


 だとしたら、転校生は今からそれを読み上げてくれるはずだ。ほっそりとした喉を震わせ……どんな声をしているのだろうか。凛とした声か、それとも可憐な声か。


 皆のボルテージが静かに上がっていくなか、彼女は――――その場でくるりと半回転し、クラスを見渡して言った。


「深山 綾音(みやま あやね)です、よろしくねっ!」


 ……そうきたか。


 掴みは上々というやつだろう。転校生は……深山さんはクラスメイトたちの質問に笑顔で答えており、察するに緊張した顔も演技。なんというエンターテイナーなのだろうか。


 仲良くなれそうだ、と僕は転校生の加入をすんなりと受け入れた。「何様だ」という話ではあるが。






 光陰矢の如し、というには小さい規模だが、あっという間に放課後となった。


 あんなに楽しみにしていたお昼の弁当だが、転校生関連の騒ぎを嫌った茜がどうしてもと言うためわざわざ校庭の端で食べることとなり、移動に時間が取られ十分に堪能できなかった。無念である。


 それにしても、普段の茜なら真っ先に転校生に声をかけるというか、下手すると一緒に昼食を取ることすら有り得ると思っていたんだけど……。


 まあそれはいい。問題は別にある。それはズバリ放課後のイベントだ。


「お待たせ、誠くん」


「ううん。それよりも行こっか……深山さん」


 なんと隣の席だからか、僕は担任直々に深山さんの学校案内役を任命されたのだ。


 ちなみに茜も一緒に行きたがったが、委員会の仕事があるのでこの場にはいない。同じ委員に連行されていった。


「ねね、さっきの子、彼女?」


 さっきの子、とはおそらく僕に縋り付いていた茜のことだろう。なんだか気恥ずかしくはあったが、肯定する。


「まあね」


「そっか…………ねえねえ、それよりもさっ。二人の馴れ初めを教えてよっ」


 そうくると予想していた僕である。そして何度もした話をするのに、変な恥ずかしさや躊躇いはなかった。


「……彼女とは幼馴染でさ、昔結婚の約束をしたんだ。でも彼女は引っ越して僕らは離れ離れ」


 だけど高校で奇蹟的に出会い、いろいろ紆余曲折あって付き合うことになったと簡単に話す。


 今朝したような長い話は、いつか時間がある時にでも。


 そう思ってめちゃくちゃ簡単に話したわけだが、省略しすぎて面白くなかったのか深山さんは立ち止まってしまったらしく置き去りにされていた。もちろん物理的な話であり、僕は慌てて深山さんの元に戻る。


「どうしたの? 嘘っぽかった?」


「…………嘘じゃないよ。その話は。間違いなく真実」


 深山さんはにっこりと笑っていた。だけどその瞳は全く笑っていない。


「知ってるよ、その話」


 そして彼女は、教えてなかった幼馴染の名前を口にした。


「あーちゃん、でしょ。その子。名前は深山 綾音、だからあーちゃん」


 その名前は、目の前にいる転校生のもので。


「ちょっと待って、本当に? 有名な話だから他のやつに聞いたとかじゃなく? ……だって、だったら」


 茜だから「あーちゃん」ではなく綾音だから「あーちゃん」なのだとしたら。



 僕の彼女は、一体何者なんだ?


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書き出し祭りまとめ 佐々木 篠 @shino_novel

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