オリーブ、サルファーイエロー、ライラック、ゼニスブルー

Takeman

第1話

 窓の外を見ると灰色の空が見えた。ふりそそぐ朝日はすでに暑さを感じさせる。せっかくの休日なのに天気予報を見るまでもなく暑い一日になりそうだった。

 白いコーヒーカップに真っ黒な珈琲を注ぐと一口すする。すこし薄かったか。ついついカップの中身を確認してしまうが、目に入るのは真っ黒な液体だけだ。見た目では薄いかどうかはわかりやしない。椅子に座るとテーブルのうえの端末を手に取る。画面には白と黒、そして灰色のアイコンが並ぶ。ニュースのアイコンに触れると画面が切り替わり、今日のニュースが表示されていく。白い背景に黒い文字が次々と表示されていく。全てモノクロの世界。


EU<イエロー>各国は<黒>東欧<マスタード>の<黒>少数民族弾圧<青からサファイヤブルー>に<黒>たいして<黒>抗議<滅紫>……<黒>


 文字を見るたびに脳内で色が想起されていく。頭のなかにつぎつぎと色が現れていく。画面上の文字には色などついていない。もしかしたら色がついているのかもしれないが、僕はその色を見ることはできない。一年前に脳梗塞で倒れて以来、僕は色覚を失ってしまった。おかげでそれまで従事していた色覚デザインという仕事も失った。色覚がないということはデザイナーとして致命的だったが、視覚補助のスマートグラスと色彩に関する知識で今までどおり仕事はこなすことができるという自負はあった。でも自負だけじゃ通用しない。経理課への辞令が下った。計算は得意だったから雇ってもらえているだけましかもしれない。

 色覚を失うと同時になぜか文字を見ると脳裏で色が浮かぶようになった。主治医曰く、それは共感覚に近いものではないかということだった。色覚を失う前にはそんなことはなかった。脳梗塞で死滅してしまった脳細胞をつなぎ合わせるためにシナプスが連携していくなかで、文字の認識と色の認識をする部位がつながってしまったせいらしい。この共感覚というのは正常な脳においても起こる現象で、音が味につながったり、文字と音がつながったりと、生まれ持ってそういう共感覚を持っている人は少なくない。ただし、僕のように後天的にそういう感覚を持ってしまった人は少ない。しかし日常生活で実害があるわけでもなく、そのうち慣れてきた。むしろ、白と黒と様々な濃淡の灰色の世界となってしまったなかで、文字は色を感じさせてくれる唯一の世界だった。

 ニュースをチェックしたあとはSNSを軽く見る。タイムラインをさかのぼっていくと奇妙な発言があった。


 ●(薄い灰色)●(少し薄い灰色)●(少し濃い灰色)●(濃い灰色)


 濃淡のある灰色の丸のつながりだ。文字ならば色を感じることができるけど、丸のようなものは色を感じ取ることができない。濃淡のある灰色だから色がついているのだろう。スマートグラスを目にかけ、グラス越しに視線を最初の丸に合わせると「オリーブ」という文字がグラスの隅に表示された。スマートグラスを使えば色を知ることができる。色に意味があるのだろうか。だとしたら、なにかのクイズかもしれない。色はこうだった。


オリーブ、サルファーイエロー、ライラック、ゼニスブルー


 あるいは色をコード化したものに意味があるのか。WEBカラーコード、RGBコード、CMYLコード等、思い浮かぶものは全て試してみたが、どれもピンとこない。やはり意味があるのではなく抽象的な絵画のようなものなのだろうか、とあきらめかけたところで、ダメ元で自分の共感覚と関連付けてみることにした。今はもう記録するのは止めてしまったが、共感覚があることに気がついた当初、文字と色とのあいだになにか関連性があるのかもしれないと思いデータ化しておいたものがまだ残っている。端末を操作してデータベースを開き、色を入力していく。


誰か<オリーブ>話<サルファーイエロー>可能<ライラック>問いかけ<ゼニスブルー>


 最初の部分だけだが、意味らしいものがつながった。これは「誰か話すことのできる人いませんか」じゃないだろうか。

 SNSを開いて発言者の過去の発言を調べてみると、数週間前からこういう色だけの発言をしていた。文字の発言もある。何語なのかわからなかったが翻訳させてみるとベラルーシ語だということがわかった。直接会話はできないが、翻訳機能を使えばたぶんこの人と会話することはできるはずだった。色を使った言語を用いているという僕の考えが正しいのか、聞いてみようかとおもったが、どう伝えればいいのだろうか。そこで名案が浮かんだ。


僕<ラセットブラウン>話<サルファーイエロー>可能<ライラック>


 色を判別することはできないが、スマートグラスを使えば画像ソフトの色設定は使うことができる。そうして作った画像を相手に返信する。相手がベラルーシに住んでいるのだとすれば時差は6時間。いま7時だから向こうは1時。まだ起きているだろうか。そう思ったとき返信が来た。


信じる<朱色>できない<薄香>喜ぶ<浅葱色>


 信じられない、うれしい。という意味だろうか。共感覚のデータベースの語彙だけでは込み入った会話はできないので、文字でいろいろと聞いてみることにした。

 彼女の名前はジナイダ。ベラルーシに住んでいる一児の母だ。そしてこの色を使った言語は彼女のおばあさんから教えてもらったもので彼女の民族の間で昔から伝わっていた言語ということだった。しかし他の民族との交流が少ない少数民族で、親族間結婚を繰り返してきた影響か近年は色盲の人が多くなり、この言語を伝えることのできる子孫も減っていった。そして彼女の息子も色盲として生まれてしまい、この言葉を使うことができるのは彼女ひとりとなってしまった。伝える相手のいない言語を彼女はネットの海に放つことにした。そこで偶然僕がその言語を理解することができて反応したのでとても驚いたらしい。

「わたしたちの民族は昔から物語を伝え続けてきました。虹彩はその物語を伝えるための言葉です」ジナイダはそう教えてくれた。彼女はこの言語の名を虹彩と呼ぶ。


エボニー<豊かな>(多幸感)パーチメント<共にある>藤紫<恵み>(安心)

オーキッド<歳月>珊瑚色<家族>クロムグリーン<不変>

ネープルスイエロー<増える>スチールグレー<子供>ジェイブルー<変化>(不安)


 ジナイダが描いてくれる虹彩による物語は面白い。虹彩はそれを見た人の脳裏に、描かれた物語と同時に様々な感情も含めて展開される。僕の共感覚とは逆だ。そしてそれはジナイダの一族に伝わる文化であり、物語が語るのは一族のルーツであり、虹彩は一つの小さな世界だった。文字は線形であり一方向に進むしかないのに虹彩は平面で蜘蛛の巣のように上下左右斜めと意味がつながり、多層的に語る。僕は一度それを文字に変換し、そして色を感じ取る。


ダックグリーン<厄災>セージグリーン<龍>ナイル青<無毒>(安心)

アザレアピンク<濃い霧>(不安)ウィステリア<竜巻>オイスターホワイト<表裏>

薄鼠<娘>バンブー<喪失>(悲しみ)ラセット<妻>


 いにしえの龍は一族にとって厄災であるが飛び去ってしまえばそれ以上の被害は増えない。災厄の前兆は霧で、龍は竜巻のことでもある。物語の語り手は竜巻で妻は娘を助けようとして亡くなり、娘が残された。成長するにつれて娘は妻の面影を宿し、悲しみと幸福を巻き寄せる。ジナンダが見せてくれた物語のひとつはそういう内容だった。


 ジナイダと虹彩を楽しむ日々のなか、色覚が戻りつつあることに気がついた。


先月の物価指数は<黒>前年同月<ベビーブルー>比3%上昇<黒>


 その代わりに色のつく文字が減ってきた。治癒しつつある脳細胞ともにシナプスのつながりも正しいつながりになっていくのであれば共感覚はなくなっていくことは予想できる。ジナイダの虹彩もスマートグラスなしでその色を認識できる。なのにこんどはその色の意味を理解できない。オリーブ色はオリーブ色で「誰か」ではなかった。

「もうじきあなたの虹彩を理解できなくなる。共感覚がなくなっていているんだ」

「どこか具合が悪いの? だいじょうぶ?」

「体はどこも悪くない。むしろ逆で色が戻ってきている。だから回復してきているんだ。でもあなたの言葉はわからなくなってしまった」

「それはよかった」ジナンダは喜んでくれた。「すこしさびしいけど、もともと誰も理解してくれないだろうと期待していなかったから、へいき。そんなこと気にしないで」

「ひょっとしたら、虹彩が影響したんじゃないのかな。虹彩を読むことで脳のシナプスの繋がりが変化していったんじゃないだろうか。君たちの民族はなにか特殊な能力とかなかったの?」

「そんなのはなかったと思う。あったら貧しくて質素な生活なんてしてないでしょ。でも、みんな幸せよ。みんな自分の人生を不幸だとは思っていなかった。だから虹彩が途絶えても不幸なことじゃない。大丈夫」

 ジナイダはそう言ったが虹彩は共感覚と同じように色と意味とそして感情といった部位のシナプスの繋がりに影響をあたえるのかもしれない。

「そうだね、そう考えることにするよ」


 やがて文字を見ても色を感じることはなくなってしまった。たくさんの色に包まれた世界のなかで、真っ黒な文字はいくら見つめても真っ黒なままだった。ジナイダの虹彩を理解することはできなくなってしまったけれど、ジナイダとは文字でやり取りをしている。彼女はときどき虹彩をネットの海に流している。ジナイダの流した色は薄まることなく漂い続けている。それはいつでもこの色で始まっている。


 オリーブ、サルファーイエロー、ライラック、ゼニスブルー

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