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「死がふたりを」のためのノート

 いつもは、特定の単語あるいは短い文章が頭に浮かび、それが頭に引っかかったとき、その言葉から物語を作っていくのですが今回は違いました。
 てんかんの治療方法の一つに、左右の脳を繋げている脳梁を切り離すという方法があります。脳梁を切ってしまうと右脳と左脳は完全に切り離されてしまうのですが、不思議なことに切り離してしまっても普通に生活を送ることができるのです。じゃあ意識はどっちの側にあるんだと疑問に思うわけですが、どうやら両方に存在するらしいのです。
 そこで、左右の脳を切り離しても大丈夫ならば、片方を別の人間の脳にしても大丈夫なんじゃないのかと考えました。二つの脳と二つの意識の共存です。ベンジャミン・リベットの行った実験から導き出された「意識受動仮説」を取り入れれば可能になりそうなんじゃないかと気がつきました。そこから、頭の中に他人の脳を半分だけ移植するという話とその結末が浮かんできたのです。そしてこれだったらSF小説になるなと思いました。
 しかし問題は、発端から結末までどうやってつなげるのかということです。
 『殖物語』のように次の話もどうなるのかわからないまま行き当たりばったりの方法では無理なのはわかっていますので、今回はプロットを作り、箇条書きで発端から結末までの間にどのようなエピソードを作っていけばうまくつながるか考えていきましたが、これがなかなか難しいわけです。
 肝心の脳移植に関してですが、脳の移植は可能であるという世界になっているという設定にして、技術的には問題ないことにします。しかし、主人公は自分の脳の半分を捨てて、夫の脳を移植するわけです。 どうすれば主人公にそこまでの決意をさせることができるのかという部分が一番厄介な問題でした。
 小松左京という作家が『日本沈没』という小説を書いた時、本当は、日本が無くなってしまった後の日本人というものを書きたかったけれども、そこに至るまで、つまり日本が無くなってしまうという部分の手続きの部分だけで長編一冊分にもなってしまい、そこでひとまず一区切りにせざるを得なかったというような話を読んだことがあります。小松左京と比較するのもおこがましい話ですが、結果として主人公に脳移植の決断をさせる手続きの部分だけで物語の半分以上も費やすことになりました。
 まずは、脳を移植させなければいけない状況を発生させ、その次に、脳の半分を取り出しても問題のないこと、そして他人の脳を移植しても問題のないことを主人公に説明します。さらには脳を半分だけ移植することで法律的にはどう扱われることになるのかという部分も説明する必要があります。まあ、法律的な問題は無視してもよかったのですが、脳を移植するとなると脳のない体が発生します。死んだことにするのか生きているとするのか、どちらかにしなければいけません。主人公の立場で考えると大きな問題です。というわけで法律的な問題も考えなければいけないのですが、そもそもそんなことまで考えた法律が存在していません。日常茶飯事に脳移植が行われているという設定であれば、それに合わせた法律が存在するということにしていまえばいいのですが、そういう設定にするわけにもいかないという事情があるので、結局法律上は死なせてしまうという形になりました。しかしそこまで描いても、主人公は決断をしてくれません。そりゃそうですね。そこから主人公を葛藤させて、どうにかこうにか、これだったら決断してくれるのではないかと思えるところまで……書いたつもりです。
 と、主人公のほうはなんとかなりましたが、今度は新藤くんのほうです。どう考えても主人公にそこまで親切にする理由がありません。なので新藤くんは主人公に惚れているという設定にしました。
 しかしそれですべての問題が解決したわけではありません。終盤にもう一度、主人公に厳しい決断をさせなければいけないのです。どうすればその決断をさせることができるのか、これも悩みました。
 最初は、移植した脳に腫瘍が見つかって、摘出しなければいけなくなったという理由付けを考えたのですが、伏線もなくいきなりこれでは作為的すぎます。前半で主人公に腫瘍が見つかったというエピソードがあるのはその名残ですが、そこから移植した脳に転移するという可能性は考えにくく、今の自分の知識の範囲では腫瘍を転移させるのは不可能だったのであきらめました。主人公ではなく良一のほうにもともと腫瘍があったというふうにしても良かったのですが、やはりこれもちょっと都合が良すぎる気もしますし、主人公に決断させなければあのラストにつながらないと思ったのです。
 結局、感情を抑えた結果、合理的に考えることができて、主人公は最後の決断をしたというような感じになっています。
 脳移植が可能であるという部分だけが現実と異なっていて、それ以外は現実と同じ、いわば、近未来という設定ですので『殖物語』と比べれば、設定の作り込みをしなくてすむぶん、楽だったと思ったら逆に大変でした。というのもいろいろと調べなくてはいけないことが多いのです。
 『殖物語』は真っ白なキャンバスに自分の好きな絵を好きなように書いていく感じでしたが、こちらは写真加工という感じです。既にある写真にそこには無い人や建物などを違和感のないように合成していくような作業です。
 そもそも、緊急手術を行うときに、手の切断手術と脳の切除とを同時に行うことはあるのか。この場合、脳外科と外科とで科が違うんじゃないのかと思うわけですが、医者に知り合いがいればともかく、ネットで調べてもわかるはずもありません。曖昧にしておきました。その他、集中治療室にいる患者に面会はできるのかとか、保険の問題とか、作中では労災が適用されたと変に生々しいことまで書きましたが、ある程度のリアリティを維持するためには調べなければいけないことだらけです。作中で登場する医師は一人だけですが、そもそも臨床医と研究医と別れているので脳移植の研究をしている医師と外科手術を行う医師と二人登場させたほうがいいのではないかと考えたりもしたのですが、そこは簡略化して一人にしてしまいました。
 そのほか、良一の葬式の部分は省略して描きませんでした。作中では良一の脳の移植手術後に死亡となり、火葬しなければいけない状況なのですが、喪主となる主人公は術後で起き上がることもできません。新藤くんが代わりに火葬の手配やその他、死亡時の対応を行ってくれていたという設定です。主人公視点の物語なので、この部分を組み込もうとすると伝聞という形になってしまいますし、ここでまた主人公の感情の葛藤を描いてしまうとその後の展開が複雑になりすぎるので省きました。
 近未来ということで、スマホという言葉は使うことを止めました。使ってしまうとちょっと現実味を帯びすぎてしまうんじゃないかと思ったからで、じゃあケータイという言葉にしようかと思ったのですがケータイだとちょっと古くさい感じもするので、端末としてしまいました。ということでできる限り固有名詞っぽいものは省いて、普遍的な言葉に置き換えてあります。
 ベンジャミン・リベットの実験というと自由意志の有無という問題に向かう話が多いのですが、この物語ではそういう方向には向かいません。意識受動仮説を元にしているので、人は意識で考えて行動しているのではないというスタンスですが、意識以外の部分が行動を決定しているのであればそれは自由意志だという考えです。といっても作中ではそのあたりは曖昧にしてしまっている部分もあります。
 書いている途中で似たような話があったことを思い出しました。参考文献にも書きましたグレッグ・イーガンの「適切な愛」という小説です。
 こちらも事故で重体になった夫を助ける妻の話で、夫の体をクローン培養し、その体が成長するまでの約二年間、夫の脳を子宮の中で維持するという展開です。かなり似ています。
 状況が似ているので、しかも相手は世界最高峰のSF作家グレッグ・イーガンです、書くのを諦めようかと思ったのですが、あちらは脳を子宮の中で維持する話で、こちらは脳の半分を自分の頭の中に入れて、そのまま一生を一緒に過ごすという話です。まあ違う話だろうと考えなおしました。「適切な愛」という話は個人的に好きではない話なのですが、できるだけ似ないようにと意識して書き続けていると、やっぱり自分の書こうとしている話はつまらない話なんじゃないかと思えてきてしまいます。
 「適切な愛」は『しあわせの理由』という本に収録されていて、amazonの電子書籍であれば『しあわせの理由』のサンプルをダウンロードすればなんとこの話、最後まで無料で読むことができます。
 そんなこんなで苦労しながら初稿は出来上がったのですが、そこから推敲がはじまります。見なおせば見なおすほどこんな展開で大丈夫なのかと疑問が湧き出てきます。主人公の感情の流れとか考えとか、これで大丈夫なのかと。途中からは、自分が思っているほど面白い話じゃないんだろうかと、どんどんと落ち込んでくるうえに、SFらしいアイデアとかは入っていないので、さらに落ち込みますが、それでも推敲を重ねます。
 結末に関しては最初に考えたままで変更はしていませんが、追加しようと思って止めたエピソードがあります。
 エピローグの中で千佳子が掃除をしているときにレコーダーを見つけます。それは新藤が久田医師の説明を録音したときのレコーダーでした。中身を調べると、その時のデータの他にもう一つデータが入っていることに気が付きます。再生すると自分の声が流れてきます。しかし自分の記憶にない内容のものでした。聞いているうちにそれは千佳子が寝ているときに良一が録音したものだと気が付きます。そしてその内容は良一が千佳子に語りかける物語でした。
 最後に物語が主人公を救うというエピソードなのですが、いろいろと考えて止めました。というのも書き終えてみると、この物語が僕と妻の話でもあることに気がついたからです。主人公の千佳子は、いうなれば僕の分身です。
 千佳子は良一を助けようとして結果、助けることができませんでした。今の自分もそうで、妻を助けてあげることができていません。物語の中の自分に自分で救いを与えるのはおこがましいような気もします。

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