人形師
@tan_moroboshi
人形師
いつともしれないときの頃。
どこともわからぬ山奥の、人里離れた寂しい場所に、やもめ男が住むという。
男は高名な人形師で、かつては都会の雑踏にまみれて生きていた。
彼の作る人形はとてもよくできていて、まるで生きているようだと評判だった。
日ごとやんごとなき人物や、各地の富豪などからひっきりなしに注文が舞い込み、寝る間も惜しんで仕事に没頭する日々を送っていた。
それがどうして世捨て人のように成り果てたのか、そのわけを知るものはいなかった。
そんなある日のこと──。
ひとりの旅人が人形師のもとを訪ねた。
旅人は世界中を放浪する中年の紳士で、その博識さゆえに人形師の存在も知っていたのだ。
だが旅人が戸口でいくら声を張り上げても、家の中から返る言葉はなく、人のいる気配すら感じられないのだった。
よもや他界してしまったのではないか──旅人が嫌な想像をしたところで、扉の内側から消え入るような声がした。
「……あいにく主人は出かけております」
女の声だった。
「あの……どういったご用件でしょう──」扉の向こうから女にそう聞かれ、旅人は答えた。名高い人形師に一目会い、その高尚な見識の一片なりとも長い旅路の思い出にしたいのだ、と。
しばしの静寂ののち、古びた樫の木の扉が、赤子みたいにぎぃぎぃ鳴きながら開いた。
「どうぞ……お入りください」戸口にたたずむ女の姿は、旅人の想像とは大きくちがっていた。一見すると年端のいかない少女のように見えたが、その容姿は目を見張るような美貌をたたえ、妙齢の貴婦人のようでもあった。
旅人は息をのみ、少女に促されるまま家の奥へと足を進めた。
おそらくは仕事以外のことに無頓着であろう職人に似つかわしく、手入れをする者もなく風雨にさらされた家の外観とは異なり、屋内は手が行き届いている様子で小ぎれいだった。
そして床といわず壁といわず、いたるところに人形師の手腕が見てとれた。完成品から作りかけのものまで、あまたの人形がそこかしこに居場所を見つけ、鎮座し、吊り下げられ、あるいは横たわり、一様に物憂げなまなざしを宙に投げかけているのだった。
いずれの人形も幼い女の子の姿をとり、その顔には旅人を出迎えた少女と同じか、それ以上とも思える美しさを与えられていた。しかもまるで生きているようになまめかしく、今にもその胸が上下し、ひそやかな息づかいが聞こえてきそうな出来栄えだった。
なるほど、さすがはその名にたがわぬ見事な仕事ぶりだ。旅人は人形たちの美しさに圧倒され、ともすれば得も言われぬ恐ろしさを感じながらも、感心してうなった。
「まもなく主人も戻りましょう……」そう言い、少女は旅人に紅茶をふるまった。
暖かいティーカップを口に運びながら、旅人はふと思い、その疑問を少女に問うた。
「私の知るところでは、ご主人は独り身だと聞き及んでいたのですが……」
旅人が視線を少女に移したとき、彼女はちょうど戸口の扉に鍵をかけているところだった。
「はい。おっしゃる通りですわ……」
振り向いた少女の人形みたいな笑みを見て、旅人は背筋が凍った。
どことも知れない山の奥。人里離れた場所にひっそりと建つその家に、人の営みは一切感じられず、なにひとつ動くものはなかった。
人形師 @tan_moroboshi
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