地獄の色は見えなくとも
浦部りん
地獄の色は見えなくとも
マンホールの蓋を下から押し上げ、アオイとカズミは交代で外を見回す。
「大丈夫だ」
「大丈夫だ」
蓋を大きくずらすと、アスファルトに鈍い音が響く。
久しぶりの地上の空気。かつて深夜まで賑わいをみせていた街は色褪せ、白黒写真のように静まりかえっている。狙いどおり薄い霧も出ている。侵略者たちが活動しない深夜、霧に紛れての行動だ。アオイは灯りで周囲を確認する。朽ちかけたビルの外壁に「キハインダスト」という文字が残っている。
地下通路はここまでしかない。侵略者の宇宙港まであと四十キロほどは地上を行かなければならない。ヤツらへの補給を絶つため、宇宙港の機能を停止させろ。それがアオイとカズミに届いた指令だった。
「あの方角だ。道路沿いに歩こう」
カズミが進行方向を指差す。
四十八年前、突如侵略者たちは飛来した。ヤツらが人類をどう認識しているのか、いまだわかっていない。恒星間飛行ができるからには高い技術と知性を持つと考えた人類は、初期のコンタクトで様々なコミュニケーションを試みた。しかし、ヤツらが興味を持った気配は見られなかった。黙々とヤツらは居住空間を広げ、邪魔になれば容赦無く人類を殺戮し駆逐した。虫でも追い払うかのように。
アオイとカズミは警戒しながら道の隅を歩く。背後からザーというタイヤ音が近づき、二人は物陰に隠れた。
「自動運転車だ。荷台の監視装置はなさそうだ」
アオイがささやく。
「運転席に誰も乗っていない」
カズミもささやく。あれは、かつて人類が使っていた自動運転トラックだ。侵略者がそのまま使っているらしい。
アオイが目で合図し、カズミはうなずいた。信号まで駆け寄り、ちょうどそこで停まったトラックの荷台によじ登る。「さて、こいつは宇宙港の方へ行ってくれるのかな」
アオイは言いながら荷物の間に腰を下ろす。
「任せろ」
カズミは暗い荷台で地図を広げ、外の闇に目を凝らした。
初期のコンタクトであらゆるコミュニケーションの試みが失敗し、侵略者の攻撃を止められないとわかった後は、自衛戦争あるのみだった。圧倒的な技術力を持つ異星人との絶望的な戦いになるかと思いきや、意外にも戦闘は互角だった。それゆえ、逃げ遅れた人々や地球環境を犠牲にしてまで核兵器で殲滅するべきかどうか、議論が分かれた。いくつかの作戦で国連軍は都市の奪還に成功した後は、核反対論が優勢となった。それでも、じわじわと人類の生存圏は脅かされ分断されている。孤立させられた人々は侵略者が好まない森の奥や地下に潜伏し、侵略者を攻撃するゲリラ戦を繰り返している。
「なあ、こんな闇でも目が見えるってどういう気分だ?」
アオイが話しかける。カズミは外を見ながら話しだす。
「俺の家系は元来、色がよく見えなかったらしい。だから爺さんが、父さんにも俺にも手術を受けさせた。これなら食っていくのに困ることはないと言ってな」
カズミの言う手術というのは、生後すぐ目に遺伝子を注入し、赤、緑、青を知覚する錐体を減らしてしまう。代わりに高感度白黒センサーである桿体を高度に発達させる。カズミはそういう手術を受けたタイプCMと呼ばれる能力者のひとりだ。昼間はサングラスを必要とし、色もほとんど見えないが、暗闇で目が効き、視力も高い。実際、この闇の中でカズミは地図と景色を見比べながら現在地を確認している。
「どんな気分だと言われても、生まれつき見えるものは仕方がない。日常生活は多少不便だが、俺にとってはこれが普通なんだ」
「俺は理由を聞く前に両親ともヤツらにやられて死んだ。急な作戦で無理やりお前とペアを組まされたが、正直なところ、戦争も、他人には見えない色が見えるのも勘弁してほしい」
アオイは青、緑、赤以外に、赤外線を感知する第四の色覚遺伝子を注入された、タイプLLと呼ばれる能力者だ。暗視スコープや赤外線センサーなどの電子機器を持ち歩くとヤツらにすぐ見つかってしまうため、ゲリラは生身で、この二つの異なる色覚の者がペアとなって行動するのが常だった。
「どうせ俺は戦争の道具にされるために生まれてきたようなものだろう」
アオイは自嘲的につぶやく。
「でも、タイプLLには女がきれいに見えるって言うじゃないか」
カズミが言うと、アオイは真っ暗な荷台で立ち上がった。
「いいか、生きて帰りたかったらそれは二度と言うな。そういうことを言われるのはうんざりなんだ」
「すまん。頼むから座ってくれ。悪気があったわけじゃない。俺には見えないものがお前には見えると言いたかったんだが、いや、この話はやめる。本当にすまなかった」
ゆるやかな丘を越え、トラックは海沿いを走っている。景色が見えないアオイでも、開けた雰囲気と波音はわかる。
「基地が近い。この辺りで降りるぞ」
カズミが言う。アオイも起き上がって荷物を背負う。基地に近づきすぎないよう、トラックのスピードが落ちたところで道路脇の草むらに転がり込む。
「大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ」
アオイは擦りむいた腕から草を払いながら答えた。
宇宙港はもともと人類が使っていた飛行場だったらしい。海を埋め立てて滑走路が一本敷かれている。アオイはそこを舐めるようにスキャンする赤外線探知器からの光の間隔を測る。一方カズミは基地に電源が引き込まれているところを探し当てた。
「よし、数えるぞ。五、四、三、二、一」
カズミを先頭に走り出す。予測通りの時間に探知器の赤外線が回ってくる。標識に身を隠してやり過ごしたあと、滑走路の中央に爆弾を手早く設置し、駆け戻る。闇を伝い、基地の裏に逃げ込むと、ちょうど滑走路で爆発が起こる。アオイには空が炎の色に染まるのが見える。警報が鳴り出す。カズミが主電源回路を破壊する。警報が止まる。
「逃げるぞ。こっちだ」
闇の中ではアオイは無力だ。カズミに命を預けて導かれるままに走る。身を隠しやすい西の山に向かう計画だ。川の浅瀬を走り抜け、開けた田畑のような場所を身を低くして駆け抜けた。
「ここで休憩しよう」
カズミがようやく立ち止まって言う。アオイは土の上にへたり込んだ。何も見えないまま走り続けたアオイは精神的にも体力的にも消耗しきっていた。風がざわざわと木々の葉を揺らす音が聞こえる。ヤツらはなぜか森林を嫌う。特に少数のときはまず森の中までは追ってこない。だからここまで休みなく走り続けたのはわかるが、アオイはもやもやした気持ちを拭い切れない。
アオイの不機嫌を察知したのか、カズミは充分な休憩をとってから「行けるか?」と遠慮がちに聞く。カズミを先頭に二人は無言で山道を登る。
「なあ、クマって知ってるか」
野営場所を決めて落ち着いたところで、突然カズミが話しだす。
「知らない」
ぶっきらぼうにアオイが答える。
「俺の曾祖父さんはずっと北の国で暮らしてたらしい。そこの山にはクマという、ヒトの四五倍もあるデカイ生き物がいて、人を襲って食うこともあったんだそうだ。俺の曾祖父さんはクマに食われはしなかったものの、襲われて足に爪を立てられ、ずっと足が不自由だったらしい」
「それはヤツらとは別の侵略者なのか?」
意外な話にアオイは不機嫌さを忘れ、つい身を乗り出して聞く。
「違う。クマは地球の野生動物だ。組織的に人を襲ったりすることもない。むしろ人の方が強くて、人がクマを武器で追い払ったり、時には取って食ったりしてたらしい。人を襲うクマは、むしろ追い詰められて破れかぶれで人を襲うものがたまにいた程度だそうだ」
「まるで俺たちじゃないか」
「そう、俺も曾祖父さんの話を今ふと思い出してそう思ったのさ。俺たちはヤツらに山や地下に追い払われ、こうして時々ヤツらを襲いに街に出てくる。クマみたいに」
「そのクマってやつはまだいるのか?」
「この地域では絶滅したんじゃないかと言われている」
ふーん、アオイは聞きながらごろりと草の中に寝転ぶ。木々の間から見える空に、様々な色の星が満ちているのを眺める。
森に朝日がさすと、森が木の葉色に輝きだす。今度は明るいところが苦手なカズミをアオイが先導する。
アオイは歩きながら脈絡なく考える。例のクマという動物がまだ生き残っていて、いきなり山の中から姿を現したら俺たちはどうするんだろうか。俺たちに攻撃された宇宙港の侵略者たちは何を感じているんだろうか。カズミは後ろでどんな景色を見て、何を考えているのだろうか。あまりわからない。だけど見えないものが見えることについてうるさく聞いてくる「普通」の人たちより、こいつと居るほうが案外気楽かもしれない。
「『七色の地獄沼』まで案内人が来るそうだ。そこから地下の入り口へ案内してくれるらしい。俺には七色かどうかはわからないから、よく見ててくれ」
カズミが後ろから声をかけた。
「ああ、あの森のへりに色とりどりの沼が見えている。あそこだな」
アオイは山の麓を指差す。
「あそこにたどり着いたら作戦は終わりだ。戦場で行動を共にした者を戦友と呼ぶらしいが、お前は俺とは友だちになってはくれないかもしれない。でも、また作戦があったら助けてくれ」
「作戦はできれば勘弁してもらいたいな」
そう言いながら、アオイは少しだけ口角を上げた。
二人は黙って、地獄沼に向かって山を下りて行く。地獄というのは温泉のことらしい。案内人を待つ間、湯に足を浸して山道の疲れを癒やすのも一案だ。輝く木の葉の間に空色を映した沼が姿を現す。虹色の羽のトンボがひらりと身をかわして飛んでいくのがアオイの目に映る。
地獄の色は見えなくとも 浦部りん @sorabe_rin
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