くわえたばこのブルース
「ハイライトのレギュラー2つ」
指を二本立てながら彼女はそう呟くと、青と白のストライプの制服を羽織った店員が、「はい」、とこぼして回れ右。自らの背後に聳え立つ棚から、慣れた手つきで白地に青のパッケージのタバコを引き出す。
「1040円です」
制服姿のボクを引き連れているというのに、年齢確認もせずに店員は彼女にタバコを売る意思を見せる。彼女はというと、パーカーのポケットからくしゃくしゃになった5000円札を1枚カウンターの上に置いて、商品の引渡しを今か今かときらきらした目で待ちわびている。
店員の目は少し彼女が成人かどうかを疑う気持ちを含んでいるような気がしたものの、年齢確認をする面倒さと自分の時給とを天秤にかけているようにも見えた。その結果、レジの打鍵音にも力が込められ、「早く持ってってくれ」とばかりにタバコを2箱と3960円を両手で抑え、すっとカウンターの上を滑らせる。「あは」少し黄ばんだ歯を見せながら満足気な表情を浮かべ、彼女はそれらを全てパーカーのポケットの中に雑に押し込んだ。
「タバコも高くなったね」
入退店を知らせる電子音を背中で聴きながら、コンビニを二人並んで後にする。パーカーの中で小銭が触れ合い、ちゃりちゃりとした小気味よい金属音が響く。
「やっぱりキリコは不良だ」
ボクはその嘆きを無視して、彼女を非難した。否、非難と言うよりは、再確認のような形ではあるが。
「あは、そう思う?」
「ボクと同い年なのに、そんな風に慣れたように煙草を買うなんて」
「買うだけなら誰でもできるよ」
「ボクにはできないさ」
そんな言葉を浮かべながらも、彼女はビニールの包装をくるくると剥がす。
「吸うのかい?」
「うん、折角買ったし」
アルミ箔を剥ぎ取ると、所狭しとパッケージの中に敷き詰められた煙草のフィルターがお目見えする。ひとつ振ってやると、2本ほどひょこ、と顔を出した。そのうち1本を摘むと、少し荒れた唇で食む。鼻歌を歌いながらポケットの中から安ライターを取り出し、ちゃっ、と火を点ける。
ポケットの位置も相まってなんとなく四次元ポケットのようだ、と思った。夢のような道具は出てこないけど、現金と煙草とライターが出てくる。彼女にとっては夢かもしれないが。
暗がりの中に紅い光が灯り、三日月に向かって煙が燻った。ふう、ともうひとつ息をつく音。ふとその方向へ顔を向ける。ボクはその横顔が綺麗だと、キリコの隣を歩く度に思わされている。
「あは、何見てんの」
右手の中指と薬指の付け根に挟み、握り込むようにして唇から煙草を離して、にやにやと笑って目を合わせてくれた。
「キリコが綺麗だなって」
「なーに、褒めても何も出ないよ」
そうは言えど、彼女は両手を振って楽しそうに笑った。
「シキちゃんもいる?あは」
「いらない」
「なんでさ」
「ボクは不良じゃないから」
「不良じゃなくてもタバコは吸うよ」
「嘘だ」
また白い煙が宙に浮かんだ。空に近づくにつれて細く、薄く、たなびいて消えてゆく。
「ねえ、今日は外に出てもよかったの?」
真夜中の路地に2つの影が月明かりの中に伸びている。煙のように細く伸びて、頼りなく揺れる。
「うん、大丈夫だよ」
「そっかー、じゃあもっと歩こ」
影は伸びゆく。踊るように彼女は進む。あてもなく明後日の方向へ、くるくると回りながら。そう、踊るように。
「バレリーナになりたかったんだ」
素人から見ても下手なピルエット。しかしスポットライトは彼女を照らし続ける。アン・ドゥ・トロワ。そう口ずさみながらもう一度くるりと回ると、煙草の灰が落ちたのに気付いて、慌てて足を避けていた。
嗚呼、愛おしいのだ。体に悪いものを合わせて全て飲み込んでしまいたくなる。煙に巻いてここから二人で消えてしまいたくなる。故にボクは決意した。
一歩、また一歩と歩を進めるたび、家から離れてゆく。もう帰らないと、誰にも告げずに去った我が家。
否、最早我が家ではなかったのだ。牢獄と言った方が近いように思える。牢獄に帰る道理など無いのである。
ボクは今日から、キリコと同一になる。
「やっぱり、ボクも吸ってみようかな」
今日が新しいボクの始まりだ。
「あは、体に悪いからやめといたほうがいいよ」
「どうしてさ、さっきはあんなこと言っておいて」
「なんで急に吸いたくなったのー?」
「何となくだよ、夜は長いから」
冒険ではなく、これがもとからボクの日常であったように振舞う。「わるいこと」は日常なのである。ボクはライターを灯した。恐る恐る、咥えた煙草に近づけたが、先端が焦げるだけで火は点かなかった。
どうやら昨日までのボクにはまだ、さよならできないようだ。ボクの隣ではキリコが、煙草を踏みつぶしながら笑っていた。
淡々 ひむかいはる @Haru_Hyuga
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