答えは必ず
増田朋美
答えは必ず
暑い日だった。それでも盆が近づいてくるためか、人通りは多くなったような気がする今日このごろである。そんな中でも、バラ公園近くにある、横山動物病院は、今日もいろんな動物が、やってくるのだった。
「よう、エラさん。こんにちは。今日も暑いなあ。ちょっと、コイツら二匹、いつもの定期診断でみてやってくれよ。」
そう言いながら、エラさんの横山動物病院にやってきたのは、杉ちゃんだった。杉ちゃんの膝には、二匹の足の悪いフェレットである、正輔くんと輝彦君が乗っていた。
「はいはい、ふたりとも定期的に来てくれるから嬉しいわねえ。じゃあ、診察台の上に乗って。」
エラさんに言われて、杉ちゃんは、正輔くんと輝彦くんを診察台に乗せた。エラさんは、二匹を、しっかり聴診器で診察して、
「はい、血圧正常。脈も異常なし。二匹とも、健康そのものよ。良かったね、正輔くんも、輝彦くんも。」
「おうよかった。今月も二匹とも異常なしなんだね。安心した。」
杉ちゃんはにこやかに笑った。
「もう、毎月診察に来てくれるのはいいんだけど、この子達を、あんまり怖がらせちゃだめよ。あんまり、ストレスを与えないほうが、フェレットは、穏やかに過ごせるということもあるのよ。」
「はあ、そうなのかな。」
「そうよ。病院なんて、ただでさえ、嫌な場所なのに、月に一度は連れてくるなんて、ちょっと、フェレットにストレス与えているのでは?」
杉ちゃんがそう聞くと、エラさんはにこやかに笑った。
「はあ、そうか。でもコイツラは、何も痛そうな感じではないけどね。」
と、杉ちゃんがいうと
「でも、フェレットは意外に繊細な動物よ。あんまり、重大すぎる刺激はしないほうがいいのよ。」
と、エラさんは答えた。
「そうなんだねえ。定期検査をしたほうがいいかなと思って、いつも連れてきているんだけど。」
「人間だって、定期検診ばかりしていたら嫌でしょう。それと一緒よ。」
「はああ、なるほどねえ。」
杉ちゃんとエラさんがそういうことを言い合っていると、いきなり病院の入り口のドアがガチャンと開いて、一匹の猫を連れた女性が、病院に入ってきた。
「こんにちは、ご予約の方でございますか?」
と、エラさんが言うと、
「はい、予約はしてないんだけど、ちょっと、この猫ちゃんを、見ていただけないでしょうか?今朝から、餌を食べなくなりましたので。なんか異常があるのではないかと思いまして。」
と、女性が言った。白い、ペルシャ猫で、多分入手するのにかなり手間がかかるだろうな、と、思われる猫だった。
「随分、可愛い感じの猫ちゃんだね。」
と、杉ちゃんが話しかける。
「ええ、ペットショップで購入しましたの。お値段は20万もしたのよ。」
そういう女性は、ちょっと高圧な感じがする人で、多分上流階級にいるような、そんな感じがした。もしかしたら、猫を飼うというよりも、あまり世の中のことを知らない人かもしれない。
「まあ、生き物の値段は関係ないね。それより、可愛がってやることのほうが、大切だからな。可愛い感じのペルシャ猫だけど、ちょっと痩せてないか?」
杉ちゃんがそう言うと、女性はここで初めて、不安そうになった。
「いつから、餌を食べなくなった?」
と、杉ちゃんがきくと、
「3日前からです。流石に、三日間なにも食べないのはおかしなことじゃないかとおもいまして。」
と、彼女は答える。
「なるほど。ハンガーストライキをしているわけじゃないよな?」
杉ちゃんがわざと明るく言うと、
「ふたりとも、ちょっと静かにして!」
と、エラさんが言った。その顔は、普段よりも深刻な顔をしている。エラさんは、聴診器を猫の体から外すと、
「心臓に雑音が聞こえますね。おそらく、先天性の心臓病ではないかしら。まだ、はっきりした病名は、わかりませんが、おそらくかなり重度だとは思うわ。」
と、言ったのである。女性は、生まれて初めての挫折をけいけんしたような、絶望的な顔をした。
「ちょっとまってください。それでは、この子は普通のペルシャ猫のようには。」
「はい。それは無理ですね。」
と、エラさんは言った。
「持って数ヶ月、長くても数年でしょう。」
女性の顔が、見る間に崩れ落ちた。今まで経験したことのない絶望をしているような顔だ。
「まあまあ、そんなこと言わないでさ、今まで通りに飼ってやれば、それでいいんだ。それに、健康じゃないペットは、もっといろんな思い出を残してくれる可能性もあるよ。だから、それを楽しみに、飼育してあげることだな。」
杉ちゃんは、明るい口調でそういうのであるが、
「どうしよう。この子の支払いだってまだ済んでないのに、」
と言う女性。
「ばかだなあお前さんは。そんなことを言っている暇はないぜ。それより、ペルシャ猫をこれからどうやって治療していくかを聞くんだよ。」
と、杉ちゃんにいわれて彼女はやっと気がついてくれたようだ。エラさんが、運動はしすぎないようにとか、餌はできるだけ、カロリーを控えたものをとか、説明を始めた。彼女は、ちゃんと聞いているのかわからなかったけど、とにかく、エラさんの話をきいている。
そんなことをしている間に、杉ちゃんのスマートフォンが鳴った。
「はいはい、もしもし。」
杉ちゃんがスマートフォンの電話アプリを開いてそう言うと、電話の相手はブッチャーであった。
「杉ちゃん、正輔たちの健康診断終わってからでいいからさ、すぐ帰ってきてくれないか。たまが、散歩に連れて行こうとしても、どうしても動かないんだよ。餌も昨日から、全く食べていない。」
ブッチャーは、大変困った口調でそういうことを言った。確かに犬は猫と違って、散歩に行く動物だ。犬が散歩にいきたがらないのは、よほど大事な理由があるに違いないと思うけど、人間にはなかなか読み取れないのだった。一応、たまと呼ばれているが、猫ではなく、真っ黒なオスのイングリッシュグレイハウンド、つまり犬である。
「はあ、わかったよ、おかげさまで正輔たちの健康診断は無事に終わったから、直ぐに帰るから、待っててくれ。」
と、杉ちゃんは急いでそう言って、電話アプリを切った。
「どうしたの?たまもどこか具合が悪いのかしら?」
と、エラさんが心配そうに言う。
「たまも、足が悪いからね。何か体に異常がないといいんだけど。」
「まあ、なにかあるかもしれないからね。とりあえず、製鉄所に帰るわ。また、正輔たちの健康診断は任せたぜ。」
と、杉ちゃんはそう言って、エラさんに一万円を渡し、横山動物病院を出た。その後で女性が、エラさんとなにか話していたが、それは聞こえなかったようだ。
杉ちゃんが製鉄所へ戻ると、ブッチャーが、杉ちゃんの帰りを待っていた。水穂さんの方は、四畳半で静かに眠っていた。杉ちゃんは、正輔たちをとりあえず、縁側で遊ばせておいて、庭を掃除していたブッチャーに、
「一体どうしたんだよ。たまが、散歩に行きたがらないって。」
と言った。
「ああ、昨日からなんだけどさ。たまが散歩用のリードを付けても何も動かないし、餌を食べさせても何もたべない。もしかしたら、たまも暑気にやられたのだろうか?心配になっちゃってさ。それで呼び出したんだよ。」
と、ブッチャーは答える。
「はあ、それは、大変だな。で、本人はどこにいる?」
杉ちゃんがそういうと、
「水穂さんのそばにずっと座り込んだまま動かない。」
と、ブッチャーは言った。杉ちゃんが四畳半を覗いてみると、たしかに水穂さんは布団に寝ていて、たまはその枕元で、腹ばいになって座っていた。
「はあなるほどね。それでは、たまもハンガーストライキをしているのかもしれないよ。」
と、杉ちゃんが言う。
「は?ハンガーストライキだって?犬がそんなことするのかなあ?」
ブッチャーがそう言うと、
「いや、犬は思った以上に、感性のいい動物だ。もしかしたら、人間以上になにか感じているのかもしれない。それに、人間と違って、言葉を持たないから、態度で示しているのかもしれないよ。日本犬であれ、西洋犬であれ、犬は繊細な動物で、忠犬ハチ公とか、名犬パトラッシュみたいな犬もいるわけだからね。それは、どの犬でも同じだよ。」
と、杉ちゃんは言った。
「ああ、そうかあ。確かに名犬パトラッシュは俺もよく知っている。そうだよなあ。犬は確かに、そういう伝説は多いよなあ。となると、杉ちゃんの言う通り、たまもそうやって何か訴えているのかもしれない。でも、何を訴えようとしているんだろうかな?」
ブッチャーは、頭をかじった。
「それを探すのは、人間の仕事だよ。犬は、自分で表現できない以上、嘘はつかないんだから。まず、犬が一番感じるのは主人に対してでしょ。水穂さんに対して、なにか言わなかったの?」
「言わなかったというか、昨日の夜にね、水穂さんがこのところ頻繁に、喀血の発作を起こすもんだから、俺も頭にきて、水穂さんに、何回畳を張り替えれば気が済むんだと言ってしまったんだ。だって、畳の張替えって、大変なお金がかかるじゃないか。それのせいで、俺たちも、困ってるので、本人にも気をつけてもらいたいと思って、言ってしまったんだよ。」
杉ちゃんの質問に、ブッチャーはそう答えた。
「そうか、今回は、まさしくそれだと思うよ。ましてや病人の前で、そんなこと言ったら、本人も傷つくだろう。まあね、労咳というのは、昔ほど怖くないというけれど、それは、水穂さんにとっては、辛いことでもあるんだろ。それを、責めるような言い方をしてはいかんよ。たまも、それをしないでほしいと、態度で示しているんじゃないの?」
杉ちゃんは、ブッチャーに言った。
「まあ、たしかに、水穂さんにとっては、大変なことだったのかもしれないな。だけど、たまにごめんねと言っても通じるだろうか?」
「バカ!犬は言葉を言えないから態度で示すんだ。人間もそれで答えてやらなくちゃいかん。犬ができることで反抗しているんだったら、人間にしかできないことで答えたら、それはずるいということで犬と人間は余計に溝が入るさ。」
ブッチャーが急いでそう言うと、杉ちゃんはそう訂正した。確かに、犬にできないことで謝罪をしても、通じないよなとブッチャーも考え直した。
と、その時、たまが高らかに吠えだした。なんだろうと思ったら、同時に激しく咳き込んでいる声もする。あっ、水穂さんがまたやってるとブッチャーは言ったが、直ぐに杉ちゃんに言われたことを思い出し、急いで四畳半のふすまを開けた。言われた通り、水穂さんは、咳き込んでいて、やはり畳が真っ赤に染められていた。ブッチャーは、これで何回目ですかと言いたかったけど、たまがまだ吠えているので、それは言わないで、急いで雑巾で畳の汚れを拭いた。その間に、杉ちゃんが、水穂さんに枕元にあった水のみの中身を飲ませてやった。それをして数分後、水穂さんは静かになり、布団の中で眠りだしてくれたので、やっと、たまも吠えるのをやめてくれた。
「知らせてくれてありがとうな。おまえさんのおかげでしっかり通じたよ。」
杉ちゃんがそういうって、たまの体をなでてやると、たまはくうんといって、杉ちゃんにすり寄っていった。
「大丈夫だよ。おまえさんのご主人は、しっかり眠ってくれたから。」
そう言うが、また再び発作を起こす可能性は十分にあった。それを看病する人はずっと必要になると思うけど、たまがいる限り、怠けることはできないなと杉ちゃんもブッチャーも思ったのであった。気がつくと、二匹の小さなフェレットである、正輔くんと輝彦くんも、心配そうに水穂さんを見ている。確かに、水穂さんに、餌をもらっていることもあったから、心配だったのだろう。
「まあ、そういうことだ。僕たちも、怠けるわけには行かないな。ブッチャーさ、たまにはぐちを漏らしたくなるときもあると思うけど、それは、たまの前では言わないほうがいいよ。」
と、杉ちゃんは汚れた畳を雑巾で拭いているブッチャーに言った。今回もまたひどい汚し方で、ある人の言葉を借りれば、「神経までしびれる悲しい汚し方」と言えるものであった。それは言ってはいけないことかもしれないけれど、この汚れを付けてしまうと、畳は張り替えるしかないだろう。当然ながら、畳の張替えのための人件費は払わなければならない。確かに、畳を何十回も張り替えているので、畳屋さんに文句を言われても仕方なかったが、それは、そのとおりにするしかなかった。そういうふうに、見返りがないのが、介護というものだ。それは、仕方ないことである。
「よし、ふきおわったら、カレーでも食べて休憩しよ。」
と、杉ちゃんは言った。
「そうだね。」
ブッチャーは大きなため息を付きながら、杉ちゃんに言った。二人の苦労をねぎらうように、二匹のフェレットが、二人のそばに寄ってきた。杉ちゃんは、二匹にありがとうといった。
それから数日後。杉ちゃんは、エラさんからもらい忘れていた、先日の健康診断料のお釣りを取りに、横山動物病院を訪れた。杉ちゃんが、ブッチャーに呼び出されたのを知っていたエラさんは、
「それで、水穂さんはどうなの?」
と、心配そうに言うと、
「まあ、相変わらず、畳の張替え代は、出費がかさんでいるようだよ。」
と、杉ちゃんは答えた。
「そうなのねえ。水穂さんも、もっと気軽に医療機関をというわけには、、、行かないよのね。」
エラさんは、そこまで言いかけて黙った。それは水穂さんにしてみたら、ありえない話なのだ。普通の人にとって、かんたんに払える医療費が、水穂さんにはできないということは、水穂さんを知っている人ならわかることだ。
「こんにちは。」
その時ちょうど、あのペルシャ猫を連れた女性がやってきた。エラさんは、心臓の経過観察をするために、週に一度来てもらっているのだと説明した。
「おう、こないだのペルシャ猫のお嬢さんだな。やっと、ペルシャ猫を治療させる気持ちになったか。それは良かったな。」
と、杉ちゃんが言うと、彼女は、
「ええ、まだ不安なところはありますが、ミイちゃんとの思い出を大切にすることにしました。ミイちゃんが何年生きるかなんてどうでもいいんです。ミイちゃんと、生きた思い出を大切にしたい。」
と答えたのであった。
「そうか、猫も犬も、丹精込めてかわいがってあげれば、きっと飼い主になにか答えてくれるよ。実はな、こないだ、僕の知り合いが飼っている、イングリッシュグレイハウンドの男の子がなあ。」
と、杉ちゃんは彼女に、先日のたまの話をして聞かせた。あのときの女性だったら、もしかしたら、たまの話を聞かないかもしれないけれど、今は全然態度が違っていて、真剣に杉ちゃんの話を聞いている。
「そうですね。私も、それはそのとおりだと思うわ。きっとそのたまっていう犬は、よほど可愛がってもらっていたのね。水穂さんという人は、すごく優しい人だったのね。」
と、彼女は納得したように杉ちゃんの話に合わせた。
「それで、水穂さんはどうしているの?もしかしたら、容態が安定しなくて、入院でもしたのかしら?」
とエラさんがそう聞くと、
「まあ、それができればいいんだが、まずできないだろうから、まだ製鉄所でそのままの姿でいるよ。」
と、杉ちゃんは答えた。
「水穂さんが医療を受けられたりするんだったら、日本の歴史を変えなきゃいけないからね。そんなこと、僕たちは、できやしないからさ。僕たちは、水穂さんの世話をすることは、続けるよ。」
「そうかあ。日本の同和問題ってのは複雑なのねえ。ドイツの民族問題とはまた違うのかしら。」
と、エラさんは、ちょっと考え込んだが、やっぱり答えは見つからなかったので、ため息を付いて笑うだけだった。
「それで、そのたまという犬は、ご飯を食べてくれるようになったのかしら?」
ペルシャ猫を抱いていた女性が、そういうことを言った。
「おう、しばらくハンストをしていたんだがね、僕らが、畳の張替えのことを口にしなくなったら、やっと餌を食べてくれたよ。」
と、杉ちゃんが答えた。
「良かったわ。そこが私一番心配だった。きっとそのたまという犬はとても優しい犬だと思うから。私も、ミイちゃんに優しくしたいと思ったわ。ミイちゃんの飼い主は、私だけしかいないんだもの。」
と、女性はなにか悟ったように、そういうことを言うのである。何かこの事件を通じて学んでくれたんだなと杉ちゃんたちは、考え直したのであった。
「それでは、ミイちゃんの診察をさせてもらうから、こちらにお願いしていいかしら?」
とエラさんが彼女に聞くと、
「はいわかりました。先生、今日もお願いします。」
と、彼女は、ミイちゃんと呼ばれたペルシャ猫を、エラさんに渡した。エラさんはペルシャ猫を診察台に乗せ、聴診器で体の音を聞き始めた。
「はい。そうね、こないだと代わりはないわよ。もし、また苦しそうな顔をしたら、とりあえず薬を飲ませて、安静にさせてあげて。それでもつらそうだったら、また病院につれてきてね。必ずよ。」
エラさんがそう言うと、彼女は、
「はい、わかりました。私、ミイちゃんが大変そうだったら、直ぐに連れてきます。」
と、にこやかに笑っていった。
「以前は、なんで私がって思ってたんです。猫を飼いたい気持ちは、人一倍あって、この間、やっとお金をためて、ペットショップに買いに行って。それで、この子を連れて帰ったときは、本当に嬉しかったですよ。でも、重い病気だってわかったときは、なんで私は猫を飼いたいと思っただけなのに、こんなことと思ったんです。だって周りの人は、普通に猫を飼っているのになんで私だけって。でも、こちらの方の話を聞いて、ちょっと気持ちが変わりました。ミイちゃんが普通の猫と違っていても、私は、この子と一緒に、生きていくことにします。」
と、彼女は杉ちゃんに言った。
「そうだなあ。動物は、人間以上になにか感じていると思うからな。頑張って飼ってやってくれよ。」
杉ちゃんは、にこやかに笑った。
答えは必ず 増田朋美 @masubuchi4996
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