失恋スープ〈1話完結〉

PONずっこ

失恋スープ



 いらっしゃいませー。


 お一人様ですか? そうですよね。それでは、こちらのメニューなんていかがでしょうか?


 “失恋スープ”


 お味はお客様の恋愛経験によりますので、世界で一品しかないスープとなるでしょう。







 ああ。今日ほどこの青い空を恨んだ事はない。どうして今日は晴れなのだろう。どうして今は春なのだろう。どうして桜が満開なのだろう。どうして私はこんなに、不幸なんだろう。


 どうしようもない問いかけばかりが頭の中でグルグルと駆け巡る。


 両手を両親の手で繋がれ、幸せそうにはしゃぐ男の子の声。桜を見上げながら寄り添って座るカップルの後姿。その全てを包み込むように何処までも広がる、青い、青い空。


 この世界の全ての人が幸せなんじゃないかと錯覚してしまいそうな日だった。


 今の私の心とあまりにも対極過ぎて、風景に現実味がない。


 悲しいのに泣けない。こんなに晴れている日に泣いていたら、目立ってしょうがない。せめて雨が降っていてくれれば、泣いても誤魔化せたかもしれないのに。


 今にも泣きそうになるのを、口を真一文字に結んで何とか堪えている。きっと今の私はすごい仏頂面をして歩いているんだろう。何か喋ろうものなら、代わりに嗚咽が漏れ出しそうなほど、私はギリギリのところで涙を堪えていた。


 どこかで一旦落ち着こう。家には帰れない。今日は日曜日。家には確実に家族が勢ぞろいしているはずだ。なるべく人が居なさそうな所へ。


 そう思いながら、私は自然に目の前に現れたドアを開けていた。古い木製の大きなドアで、細長いノブが波打つように曲がっている可愛いデザインだ。


 カランコロン。


 ドアの上に付いたベルが音を立てる。私の目の前には、薄暗くて橙の明りが灯す落ち着いた雰囲気の部屋が広がっていた。レストランにしては少し小さい部屋に、四人掛けのテーブルが三組置かれている。小さい喫茶店かと思ったが、客は一人も居なかった。


「いらっしゃいませー」


 明るい男の人の声。その声で、私はようやく我に返った。そうだ。誰もいない所へ行こうと思っていたはずなのに、なんでこんなお店なんかに。


「す、すいません。間違えま」


「お一人様ですか?」


 奥の厨房らしい所から出てきたのは、高校生くらいの男の人だった。背は高いけれど、なんとなく幼い感じがする。声も少年の声だ。


「いや、一人ですけど……あの、間違えただけで」


「まあ、どうぞどうぞ、座ってください」


 白いワイシャツに黒いズボン。その上に紺色のエプロンをしている。春風の如く爽やかな笑顔で、彼は私を席へ案内した。


 促されるままに席についてしまうと、私はなんだかどうでもよくなっていた。喋っても涙は出なかったし。此処でおいしいものでも食べたら、この気分も晴れるかもしれない。


「お一人様という事はアレでしょう?」


 人懐っこい笑顔で彼は私の顔を覗きこんだ。


「失恋ですよね?」


「……え⁉」


 私は彼の言葉に驚いておもわず口を開けたまま彼を見つめていた。


「そうですか、そうですか。それなら良いメニューがございます」


 彼は場違いなほどにとても嬉しそうな顔で私にメニューを差し出す。品数はかなり少ない。――というか、一つしかない。


「“失恋スープ”……?」


「はい」


 笑顔ではっきりと返事をする。とても好感を持てる人だけど、話が話なので、その笑顔が私の心を逆撫でする。失恋スープ? 冗談じゃない。なんで、こんなむしゃくしゃしている時にそんな更に気分最悪になりそうなもの飲まなきゃならないのよ。


「おや。スープはお嫌いですか?」


 スープが好きか嫌いかじゃなくてね。「失恋」って言葉が今の私にはタブーだっての!


「おいしいですよ~。きっと」


「きっと?」


「ああ、スープは出来上がるまでおいしくなるかどうか分からないんですよ」


「はあ? どういう事?」


 売っているものなのに、なんでおいしくなるかどうかわかんないのよ。 


「スープのお味はお客様の恋愛経験に左右されるからです」


 恋愛経験……? スープの味が?


「うーん。疑ってらっしゃる顔ですね」


 彼は少し困ったような顔をしてみせる。それでも基本は笑顔だ。


「それではこういうのはいかがでしょう? お客様の“失恋スープ”を作って、お客様に召し上がっていただく。その後、スープのお味がよろしかったら、お代を頂戴する。お客様が気に入るお味でなかったら、お代は戴きません」


 彼の言葉は手馴れた感じにすらすらと出てきた。おそらくは私のような客がほとんどなのだろう。だが、ここまで言うという事は、かなり自信があるらしい。


 でもまあ、お金を払わなくて良いかもしれないのなら、別に飲んであげても良いかな。私が損をすることもないんだし。


「じゃあ、そのスープ下さい」


「はい。かしこまりました」


 彼は嬉しそうに満面の笑みを浮かべて軽くお辞儀をした。 


「それでは準備いたしますので、少々お待ちください」


 彼はそう言うと、さっさと厨房の方へ戻って、五分もしないうちにガラガラと台車を押して戻ってきた。台車の上にはコンロや鍋などが所狭しと乗っかっている。


「お待たせいたしました。それでは、早速調理をはじめたいと思います」


「え? ここで?」


「はい」


 彼は、何か問題でも? と言うように自然に言葉を返す。私は、客の目の前で調理をするのがこの店流なのかと判断して、彼の作業を大人しく眺める事にした。


「それではまず、玉ねぎを細かくみじん切りにして」


 トントントン……。


 彼は手際よく玉ねぎをみじん切りにしていく。うちのお母さんよりずっと早くて上手だ。よく見ると、綺麗な手をしている。


「鍋にバターを引いて、玉ねぎを柔らかくなるまで炒めます」


 ジューッ。ジャッジャッジャッ。


 底の浅い鍋を自分の手のように扱って、玉ねぎを宙に浮かせては鍋へ戻す、を繰り返す。


「それではここへ」


 彼が取り出した物に、目を丸くする私。


「お客様が隠し撮りしたお相手の写真を」


「ちょっ! ちょっと待った! な、なんで⁉ なんでソレがこんなところに⁉」


 私は大慌てで写真を彼の手から奪い取ろうと手を伸ばす。しかし、彼の手がひょいっと上に上げられて、後一歩届かなかった。


「“失恋スープ”の材料だからです」


「ざ、材料⁉ 写真が⁉」


「はい。それでは、この写真を八つ裂きに破って破って」


「ギャアー! 何すんのー⁉ それ一枚しかないのにー‼」


「よかったですね~、一枚しかなくって」


「はあ⁉」


「前にいらっしゃったお客様の中には、写真が百枚もある方がいらして、それはもう大変でした。写真破りすぎて腱鞘炎になるかと思いましたね~。アレは」


 相変わらず笑顔の彼。何を言っているのかまったくわけが分からない。だが、私にはそれどころじゃない。写真が……っ! 必死の思いでなんとか隠し撮りした唯一無二の写真だというのに!


 私が頭を抱えている間にも、その写真は彼の手によってびりびりと引き裂かれていく。ああ、ああ……! 愛しい私の王子様の写真が、写真があ~!


「さて、お次はっと」


 次に彼が取り出したもの。


「キャアー! なんでそんなものまで⁉」


 それは愛しい王子様の上履きだった。


「と言いますか、なんでこんなものを持ってらっしゃるんですか」


 話は遡る事一年前、中学二年に上がった時だ。王子様が一年の時の上履きを教室のゴミ箱に捨てるところを私はちょうど目撃した。放課後、誰もいなくなったのを確認して、私はこっそり王子様の上履きを拾って持って帰ったのだ。


 その当時、好きな人の靴を履いて三回足踏みすると、両想いになれるという根拠のないおまじないが流行っていた。それを聞いて、おもわずやってしまった。出来心だった。


「す、捨ててあったのよ!」


「捨ててあったからって、盗ってきちゃダメでしょう。しょうがありませんね、これは大きいので一度炙ってからにします」


「え⁉ ちょっ! 待って! それは! それだけは勘弁」


 ブオ!


 一瞬にして燃え上がった王子様の上履き。炎に煽られて彼と私の前髪が揺れる。彼と私の瞳には上履きを燃えカスにして激しく萌える炎のオレンジが鮮やかに写りこんでいた。


 ああ、消えていく。私と王子様のメモリーが……。掻き消されていく。


「さてと、さくさくいきますよー! 料理はスピードが命ですから」


 彼はますます楽しそうに声を弾ませる。その手に握られているのは、一枚の紙切れ。


 なんだろう、アレは。


 しばらく考え込んで、答えにたどり着く。


「住所の紙⁉」


 その紙切れには、王子の住所が書かれていた。


 学校帰りに、王子の後をつけて何とか手に入れた住所だった。……断じて私はストーカーではない。


「ストーカーですか」


「ち! 違う‼ ストーカーなんかじゃないもん!」


「ストーカーじゃなかったら、なんだって言うんです? 私物を拾い、住所までつきとめて」


「私は純情な恋に夢見る乙女なだけよ!」


「……まあ、そういうことにしておきましょうか」


 そう言った彼の顔は明らかに今までの営業スマイルとは異なるものだった。絶対蔑んでる。人を蔑んでる目だ!


「さてお次は」


 次々に取り出される私と王子のメモリーたち。友達に頼んで王子に書いてもらった、王子のプロフィール。王子が落とした消しゴム。王子が使ったチョーク。王子が私に手渡してくれた箒。私が持っていて、王子に貸してあげた知恵の輪……。


 王子の笑顔を思い出す。好きで好きでたまらなかった笑顔。王子の声。仕草。性格。その全てが愛おしくて仕方がなかった。大好きだった。


 告白せずに終わるなんて出来なかった。やらないでする後悔より、やってする後悔の方がいくらかマシだと思って、思い切って告白した。


 ずっとはじめて会った時から大好きだったこと。


 十五年間生きてきて、一番緊張した一瞬だった。王子に想いを伝えられて嬉しいはずだった。でも、王子に私の想いは届かなかった。通じなかった。拒否された。


「ずっと……っ! ずっと、大好き、だったのに……っ」


 なんでこんなことになっちゃうのかな。もっと上手くやれてたら。もっともっと上手に。


 今までずっと抑えていた涙が嘘みたいに一気に溢れ出して止まらなくなる。


 そんな私の頭に、温かくて大きな手が、ぽんっと置かれた。


「どうぞ存分に泣いてください。その涙が最後にスープの味を調えるんですから」


 顔を上げると、彼は営業スマイルでも、蔑んだ顔でもない、とても優しい笑顔を私に向けていた。私は彼に抱きつくと、わあっと声を上げて泣いた。彼の大きくて温かな手は、優しく私の頭を撫でて、背中を摩ってくれた。


 一時間後。私は目の回りを赤く腫らして、鼻水をすすりながらも、ようやく涙を止めた。


「さあ、スープは完成しました。どうぞ召し上がれ」


 彼は笑顔で私の前へふたの付いた深めの皿を差し出す。


「え。コレって……あの、靴とか写真とかばっかり入ったあのスープなんじゃ」


「ええ、そうですよ。あなたの失恋がつまったスープです」


 彼は皿のふたをそっと開ける。ふんわりと白い湯気が昇る。


「どうぞ、きれいさっぱり失恋を飲み干してください」


 中身は普通においしそうなスープだった。恐る恐る一口掬って飲んでみると、この味がまたおいしい。そして、なんだか少し懐かしい味がした。よく味わっていると、だんだん王子のことが蘇って、だんだんそれがフェイドアウトして過去のものになっていく。ああ、もう、ちゃんと懐かしく思える。王子の事も。王子のことが大好きだった私の事も。


 スープ皿はあっという間に空になっていた。


「いかがでしたか? お味の方は」


「おいしかったです。ありがとう」


 私は笑顔で言葉を返した。まさか、失恋したその日に、こんな風に自分が笑えるとは思わなかった。よかった。この店に来て。このスープを飲めて。


「ちゃんと、失恋を飲み込めました」


 彼は嬉しそうに、そして少しはにかむように微笑んだ。


「あの……」


「はい?」


「お代の方を……」


 ……まったく、ムードの欠片もない男だ。これでスープ代はチャラね。


「それじゃ」


「え⁉ ま、待ってくださいよー! お客様ー!」






 ご来店いただきまして、真にありがとうございました。


 また機会がございましたら、おいでくださいませ。


 お客様のお気に召すスープが出来上がりましたら、是非とも哀れなシェフにお支払いをお願いいたします。 



END


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


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