第十八話 三つ巴の策略
もう一度言うが、これは先の章にて行われた第二次神流川の戦いの数日も前に遡る、徳川家康を追う章である。
まず説明すると、この時点では徳川家康の退路は大きく分けて二つ存在した。
一つ目が北条領を大きく迂回し北より碓氷峠から抜ける路。
二つ目が、相模から甲斐へと抜けるために不可欠な要所、三増峠の存在である。
それ以外はほとんどが上杉領や東海道を逆行するような道となり、徳川軍の退却に大きな不利であった。
まずもって徳川家康は、北条にも、豊臣にもつかぬ姿勢を選んだ。
無論、それを許すまじとしたのは黒田官兵衛である。
~三増峠の黒田軍軍議にて~
「......さて、要塞化するはよいのだが、ここで大きな問題が発生したぞ。」
この部隊およそ3000を束ねる尭将、愛用の長槍を肌身離さぬ俊才、後藤又兵衛はいち早く動乱の兆しを察した。
「......ほう。後藤殿がそれほどまでに困り切った顔をなさるとは、よほどのことのようで?」
「......いかにも。これは先ほど早馬の知らせによるところなのだが、どうやら......。」
「......」
「北条も同じ狙いを持ってここ三増峠に迫ってきておるそうだ。」
近臣の者数人は驚きのあまりに席を立ち峠から見える景色に目を見やる。
ざわめき立つ。
諸将は主のいないことを悔やみ、焦りに汗を滴らせる。
「な、なんと、北条が籠城の中にあってそれを察し、しかも援軍を送る余力すらも残して負ったとでも!?......意外な展開になったぞ又兵衛殿。どうやら北条にも大局を見抜くものがおるように思えた。」
しばらく黙って聞いていた母里友信もすかさず言い放つ。
「見抜くのではない。意図的に作っておるのだ。それも、かの名城小田原城をだしに使っての、だ。」
「...ほ、北条がですと?」
「...まあそれは良いとしても、これは見過ごせませんぞ又兵衛殿。」
「ああ。しかも、その軍がちと厄介なもので困っておるのだ......。」
「軍は数だけではない。率いる将の才覚がその多くを占めるのだ。然らばその将とやらをお聞きしたいのだが。」
「うむ。まず北条の軍勢は物見の知らせによると、約14000とのことで、将は、かの北条氏規、だそうだ。」
「......やはり中堅以上の手堅い将を北条は惜しみもなく投入したな。もし戦えば相当の損害を被ることとなろう。決死の戦となることはもはや必定と心得た。」
ざわめきが、今度は静寂へと変わった。
ようやくそれぞれが如何に危機的状況にあるかを解したのである。
一同は皆揃って顔を見合わせ、己の至らなさを恥じた。
「...だ、だからといってどうにもならんではないか!我らは主君の厳命に従ってこの峠を徳川軍から守り抜かなくてはならん。どこにその新たな軍と戦う備えがあるというのだ。せっかく要塞化したこの峠を、戦になるやもしれぬ緊張の中、むざむざと北条に渡せるものなのか?」
「......」
「さあどうされるおつもりかな又兵衛殿。主君の予想だにしない儀に関して、この軍の命脈は貴殿の指揮によって委ねられまするぞ。時間は無い。退くか、それとも両方殺るか、もしくは...徳川と組むか。」
「母里殿、そ、それはいくら何でも......」
「それほどにまで複雑な事態ならばこそ、今は何者を敵とし、欺くかを考えるべき時であろう。」
「う......」
しかし各々の見解に対して又兵衛はこう言い放った。
「いや、北条方に我々の存在をも悟られず、いさかいをも起こさずに峠を手渡し、更にはあの狸めを木っ端微塵にしてやる計略がわしにはある。」
「それは......」
「な、なんと大胆な!?」
★
一方の北条氏規はと言うと、長い長い行軍の末に三増峠が見てとれる場所にまできていた。
「見えたぞ、あれが氏直殿が仰せになった三増峠...先代の戦いし痕跡、か。」
「......どうやら我々が徳川軍に先んじて到着できたようだな。」
「はっ!さらに物見や現地の案内の者らによると、徳川軍は小田原を辛くも脱出したものの、手痛い目に会った様子とのこと。行軍はまばら、生き残りが細く続いてくるばかり。兵站も伸びに伸びここ三増峠へは二日、三日後に到着、さらには陣容を整えるためさらに日数がかかると申しておりました。」
「おお...小田原の様子は山中に木霊する轟音から予想はついておったが、まさかここまで返り討ちにする力を秘めておったとは......」
「いえ、それが......徳川軍移動のよき知らせとは裏腹に、本営からの音沙汰が完全に途絶えた故、敵軍撃退と同時に本営が壊滅したのではと風聞にききまする。」
「な、なんと...」
頭を垂れ、氏規は微かにうめきを発した。
悔しきかな。
かの名城小田原の統制を喪失するとはこれまさに一族の恥である。
ましてやここに来て敗北などとは考えたくもない。
氏規の思考は、まずもって彼自身の行動を顧み次への行動を探ることにある。
よって氏規は思考する。
思考して、本当に進むべき道を見出すことこそが彼の使命でもあった。
「我が目的を今一度再考せねば。そう、わしは......」
戦が始まる以前より、氏規はこの戦を諦観していた。
いつなんどき、どういった場にて言えばよかったのか、今になってみると皆目見当がつかぬが、やはり和平すべきであったのだ。氏直殿がなにゆえ勝機の見出せない中にあって貴重な兵力14000を授け小田原から遠く離れたこの地をあの徳川から守るようおおせになったのか。
また、今どこで、誰が、何のために戦っているのか。暗中の霧がごとく答えは見えそうにもなかった。
もしくは降伏し、主家存続のために我にできることがあるのではなかろうか。
北条の強さと、民衆への強い求心力をもとに豊臣はやむなく相模、伊豆の二国はと温情を加えてくれるのではあるまいか。
その中にあって、いまだ北条が力を保ち家を存続させる道があるはず......
しかし。
できるというにはあまりにも遅すぎた、、。
氏規は三増峠下の平地の陣において苦慮するばかりでそこから動く様子はまるでなかった。
気づく様子さえもなかった。
彼らを目下にとどめる三増峠に待ち受ける精強たる兵の存在に。
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