第8話 すみよんでーす

「う、ううん」


 葉が揺れる音で目が覚める。木の下で寝かされていたようで、木陰に差し込む光が目に痛い。

 痛覚は元に戻しているのだが、傷が完全に修復しきったので痛みはまるでない。頭痛もレティシアのヒールで解消した。

 ゆっくりと体を起こす。

 動きに伴い、血で張り付いた服がバリバリと一部剥がれる。穴だらけになっているし、残った部分も赤黒く染まっていてせっかくのブレザーが台無しだなこれ。

 卒業式だからとクリーニングしてから着たのだけど、完全に使い物にならなくなっちゃったよ。ズボンも王狼に弾き飛ばされた衝撃で破けているうえに胴体から流れ落ちた血で染まっているので、洗濯しても厳しそうだ。

 

 みんなはどこに行ったんだろう?

 前を向き……なんだこいつ……。

 あぐらをかいた白と灰色の毛をした動物がくっちゃくっちゃと口をもごもごさせている。

 長い尻尾は白黒の縞模様で、黒ぶちにオレンジ色の目が不気味に輝いていた。

 鼻周りも黒くて他が白地だから、余計にオレンジが映えている。

 これ、見たことがある。なんだっけ、ワオキツネザルだったか。記憶が定かじゃないので、間違っているかもしれない。

 

『すみよんでーす』

「お前かよ!」

『約束通り、いけぞえさーんに会いにきましたー』

「もういいよ、帰ってくれて」


 あぐらをかいたまま挨拶をして、腕をあげようとさえしないこととかはもういい。

 ち、畜生。

 動物園の動物たちを前にしてブツブツと悩み事を呟いていた悲しい過去を持つ俺にとって、ワオキツネザルはお友達なのだ。

 あいつらさ、手を伸ばすと小さな手で指を握ってくるんだぞ。

 超能力のことで悩む俺の相手をしてくれた日々は忘れていない。

 すみよん、よ。姿がキツネザルだったことが幸いだったな。俺はお友達の姿をしているお前を殴ることなんてできないよ。

 

 ぎゅ。

 するすると前脚をついて歩いてきたキツネザルが、座る俺の膝に乗り指を掴んできた。

 

「お、おお……」

『いけぞえさーん。ちょろいんデスねー』

「こ、こいつ!」

『顔真っ赤でーす』


 「帰った、帰った」と手を振ると、キツネザルことすみよんが俺の膝から降り、右手を自分の頭の上に乗せる。

 なんだよ。じーっとこちらを見つめて尻尾をパタリとしないでくれるか?

 煽られてるってのに、許してしまいそうになるだろうが。

 

「どこから来たのかとか、そういうのもどうでもいい。帰った帰った」

『いいんですかー。ワタシ、いけぞえさーんに大事なことを伝えに来たんでーす。王狼を倒したご褒美でーす』

「大事なこと?」

『そうでーす。いけぞえさーんをここに呼んだのはすみよんでーす』


 ほうほう。

 てことは、俺が無意識に転移したわけじゃなかったのか。でも、結果的に二人を残し、自分だけ逃げてしまった事実は変わらない。

 

「それが本当なら……」

『ほんとでーす。すみよんはいけぞえさーんを救うために協力したのでーす』

「裏がありそうだな……」

『もちろんでーす。世の中はギブアンドテイクでーす。いけぞえさーんがハッピー、すみよんもハッピー』

「俺は別にハッピーでも何でもないんだがな」

『そうですかー? 一緒にいた人間を生還させたいんじゃないんですかー? すみよんなら、あの時、あの場所にいけぞえさーんを帰すことができまーす』


 な、何だと……。

 俺を釣るために嘘を並びたてているのだとしか思えない。

 ふざけた口調のままだし、こいつの言葉には何ら信頼を置くことができないからな。

 でも、もし、あの時、あの場所に帰ることができたのなら。

 俺はどうする? 一緒に二人と滅ぶ……いや、違う。彼らを救うんだ。

 今度こそ。

 だが、今の俺には力が足りない。俺の転移能力は他人に及ばせることができないんだから。

 ならば、隕石を念動力の糸で絡めとり静止させる? それとも逸らすか?

 隕石の莫大なエネルギーを念動力の糸で受け止めることは、王狼の前脚なんて比じゃないほどの力が必要だ。衝撃波の流れを変えることが精一杯の力では大海に一滴に水を投じるほどの変化しかもたらさないだろう。


「何を本気にしてんだか。そんな話を信じられるわけがないだろう」

『そうですかー。行ってみますか? あの時、あの場所に。大丈夫でーす。すぐに引き戻しますー』

「え?」

『もちろんリスクもありまーす。一年短くなりますー。では、行きまーす』


 すみよんがパタリと縞々の尻尾を振り上げる。

 次の瞬間、転移した時のように視界が切り替わる。


「きゃ」

「え、影?」


 こ、ここは。

 今井! 梓! 

 制服姿の二人が俺のすぐ目の前にいる。彼らは戸惑ったように声をあげた。

 生きている、まだ二人は生きている!

 しかし、この重圧は……。

 隕石が太陽光を遮り影をつくった。


『ここまででーす』


 すみよんの声が頭の中に響き、木陰の下に引き戻された。

 

「ほ、本当に戻った……」


 ワナワナと体を震わせ、両手を地面につける。

 全身から汗が吹き出し、ガタガタと歯を揺らす。

 やはり、あの隕石……アレに比べれば王狼の圧なんて赤子同然だ。

 やばい、あれはやばい。人の手で何とかなるものじゃない。

 頭を抱え、全身の震えが止まらなかった。第六感が告げていた。「確実な死」というものを。

 あれを。俺がどうにかできるのか?

 

『信じてくれましたかー?』

「……ギブアンドテイクといったな。すみよん。お前の求めるものは何だ?」

『すみよんの元まで来てくださーい。そして、破壊してください。暴走を。オネガイ……です』

「暴走?」

『うん。ワタシでは破壊することができないの。魔法も武器も通らない。この世界に無いあなたの力ならば、僅かでも可能性があるわ。だけど、今はまだあなたの力が足りない』

「俺は隕石を止めなきゃならない。あれを。あれを何とかするには力をつけないと」


 暴走している何かを破壊することがすみよんの願いか。きっとドラゴンとかとんでもない化け物なんだろうな……。

 破壊なのか倒すのか分からんが、相当な力が必要に違いない。

 ふ、ふふふ。望むところだ。隕石を破壊する前の予行練習に丁度いいじゃないか。

 すみよんはあぐらをかきフサフサの縞模様の尻尾をくるりと体に巻きつける。


『ギブアンドテイクでーす。力の暴走は王狼くらいの魔物をぽんぽん生み出しまーす。いい経験になりまーす。ギブですギブでーす』

「それ、ギブなのかよ……まあいい。すみよんの願い、受け取った。その『暴走』とやらを俺が破壊したら、戻してくれ。あの場所に」

『もちろんでーす。制限時間がありまーす。すみよんの本体が崩壊するまで、あと2年と110日でーす』

「本体?」

『この動物はたまたま近くにいたから協力してもらいましたー。いけぞえさーんの前に姿を現すと言った手前でーす』

「メガネザルを操っているのか?」

『そんなところでーす。では、しばらく切断しまーす』

「ちょ、待て」

『お願い……助けて……』


 メガネザルが忽然と姿を消し、俺の手が虚しく空を切る。

 すみよんのいた場所にはスマートウォッチの本体部分のようなものが残されていた。

 腕時計なら腕に巻くための装具がついているのだけど、これは取り外されていて長方形の本体のみとなっている。

 指先で触れると、電源が入り文字盤には「あと830日」とだけ表示された。もう一度、指先でタッチすると表示が消える。

 

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