宇宙少女 - The Emptygirl in love

立談百景

宇宙少女

 あたしの身体にはぽっかりと空いた隙間がある。

 物心が付いた頃からその感覚はずっとあって、その空っぽの隙間は成長するにつれ少しずつ大きくなっていって、次第にあたしは空っぽに飲み込まれて空っぽそのものになるんじゃないかなんて思っていた。

 いつか本で読んで女の身体には隙間があると知って、それがあたしの空っぽの正体なのかも知れなくて、あたしはその空っぽの感じがついに嫌になってしまって人の身体のことを調べて性の知識を得てしまって小学生の頃にクラスメイトに男性器を入れてもらおうとしたけど精通も始まってない小学生の性器は勃起すらしなくて、結局近所の高校生の人に頼んで入れてもらって、確かに入れてもらっているときには隙間が埋まったような感じがあったようななかったような、あるいは快感の中にそれを忘れることができただけかも知れないのだけど、それはその瞬間だけのできごとで、やっぱりあたしの空っぽの隙間は埋まらないままだった。

 やがてあたしは隙間を埋めるために、あるいは忘れるために、手当たり次第に誰にでも身体を開くようになった。

 しかし誰と寝てもどんな性器が入ってもあたしの隙間は簡単には埋まらないくらいに黒く深淵で、やはり埋まらないことが分かるほどに、そこにあるのは空っぽの隙間なのだということを自覚してしまう。

 中学に上がってクラス中の男子と寝て、高校に上がると学校中の男子と寝て、誰が言ったかヤリ捨て便所と噂されたけど、それは噂じゃなくて事実だったろう。

 高校に入った頃には、こんなんじゃダメだと一念発起して唯一のめり込むほど好きだった読書に高じて文芸部に入ったけど、一年生の夏休みまでに文芸部の人間関係を無茶苦茶にするだけして部を壊滅させて終わってしまった。まともな人間関係を築きたいなんて心ではずっと思っていたのに、結局最初に誰かと寝るまで一週間もかからなかった。

 犯罪をおこしたり非行に走るほど特別に行状が悪かったわけでもないし、学校の成績や内申点が悪かったわけでもない。誰かを裏切ったり人を貶めたりもしていない。ただただ男の子とたくさん寝ただけなのに、あたしは周りの女子から嫌われ、男子からは好奇の目で見られ、それでもやはり自分の身体が埋まらないことが嫌で嫌でしかたがなかった。けれど自分の女性器の中に男性器が入ってる間だけは、それをほんの少しだけ忘れられるし、きちんと隙間が埋まった感覚がなくてもそこに何かが入っていて快楽の反射さえあれば、まるで息継ぎのようにとりあえず生きていける気がしたし、生きてさえいれば、きっといつかはこの隙間を埋めてくれる誰かと出会えるのだろうなんて、いつまで経っても埋まらないのに、あたしには何故かそんな確信があった。

 あるいは、あたしというのは本棚みたいなもので、この隙間というやつは埋まっていない書架の一部分のようなものなのかも知れない。なぜならあたしは男と寝るとき以外はジッとしているかごはんを食べているか、そうでなければ本を読んでいたからだ。本を読んでいる間だけは、あるいは本を読むことでその隙間が少し埋まるような気がしていた。それは男性器ほど埋まっている感覚はないけれど、しかし男性器以上に確実に埋まり、男性器ほど刹那的ではないような、そんな心地だった。

 本を読むようになった理由はよく分からない。本を読むことだけは、小さな頃から好きだった。

 とくに好きなのは物語だった。物語を読んでいると、違う人生を体験したような気持ちになれる。もっと単純に、爽快になれる。あるいは悲しくなれる。はたまた怒りに燃える。誰かの苦しみを分かち合える。

 小さな頃は、そんな風に感情を揺り動かされるのが好きだった。しかしいつしか、錆びて朽ちそうになっていたあたしの感情はまだ動くのだと、物語だけがそう教えてくれるているような気がした。

 元来、あたしは友達のできない性格ではなかった。明るいし人懐っこい方だった。しかしその性格も災いしたのかも知れない。あたしのことを知らない人は友達になってくれたけれど、あたしの素性を知った女子はすぐに離れていったし、友達だと思っていた男子は身体目当てなことが多かった。身体目当てでなかった男子とも結局身体の関係を持つので、やはり友達にはなれなかった。

 だから明るい子だと言われていたあたしの感情はいつしか表面的なものになっていったし、その中で物語だけがあたしの感情を肯定してくれていたのだ。

 もはや、あたしの人生はベッドと本棚の中に全て収まってしまった。

 高校を卒業して働き始めてもそれは変わらなかったし、お金を貯めて一人暮らしを始めて手に職が欲しくなって仕事を辞めて専門学校に行き始めてもそれは変わらない。

 働いて男と寝て本を読むか、勉強して男と寝て本を読むか。空っぽで穴の空いた自分に無理やり水を注ぎ続けるように、どうにかこうにか中身を工面しながら、かろうじて生きながらえるばかりがあたしの生活だった。

 つつがなく最低に、起伏のないなだらかな底をゆっくりと滑りながら、生活は空っぽのまま進む。そしてやがてはこのまま三十代になり、四十代になり、五十代六十代になるかは分からないけど、やはりつつがなく最低に人生は終わっていくんだと思っていた。

 ――思っていたのに、あたしはあるひとつの失態を犯してしまう。

 それは注意深く自らに課していた決めごとでもあった。その決めごとを破ってしまった格好だ。きっと無意識的に面倒を避けていたのだろうと思う。

 なのに失敗した。

 気をつけていたのに、あたしはとうとう人の男と寝てしまったのだ。

「殺してやる、絶対にぶっ殺してやるからな!」

 あたしに向かってそう叫んでいるのは専門学校の同級生の椨木ミキで、椨木は本当にあたしのことを殺しかねない状態で、あたしは公園の冷たい土の上で意識も朦朧としていて、その薄ぼんやりとした思考のなかでも、それはダメじゃんと思う。

 あたしは雑餉隈のキャバクラとスナックを足して割ったようなお店でバイトをしていて、そこのボーイの岸田鎮が「いまカノジョいないから」なんて嘯くもんだから酒の席の流れで寝ることになって、それがカノジョにバレてしまったんだけど、そのカノジョというのが専門学校の同級生の椨木ミキだった。

 椨木とは入学当初にいくらか話をしたし、何度かごはんも食べたけど、結局あたしのうわさを聞いたのだろう、いつの間にか話すこともなくなっていた。

 岸田と寝た翌日の学校終わりにあたしは椨木の元気な仲間たちに強引にクルマに乗せられて知らない場所に連れていかれてしまい、ボコボコにリンチされた。

 あたしを殺してしまったらきっと椨木は警察に捕まるだろうし、よしんば捕まらないとしても人を殺すなんて経験をするべきじゃないはずで、あたしなんかのためにそんな辛い思いをするのはやっぱダメじゃんと思う。

 それはあたしじゃなく椨木の仲間もそう思ったのだろう、あたしは椨木の仲間たちから椨木の代わりにボコボコに撲られ蹴られ下着姿にされ手脚をガムテープでぐるぐる巻きにされお腹に「ヤリ捨て便所」と書かれてから冬の公園に放置された。

 それはリンチで、これで精算、けじめはついて、生き残ったら全部チャラ、ということなのだろう。今年は暖冬だし、うまくいけば生き残れるのかも知れない。最後に椨木から顔を目がけて一発ぶん殴られて、ようやくあたしは開放された。開放されたと思った。しかし本当の地獄はそこからで、あたしはガムテープで身動きが取れないうちにごそごそやっていたら公園の近くの土手の辺りに住んでいるはずのホームレスたちがなぜか集団であたしのそばを通りかかって、そのまま当然の流れみたいにレイプされる。ホームレスの汚い性器をとっかえひっかえ、最初は楽しそうにしていたホームレスが途中からちくしょうちくしょうとなぜか泣き始めて、ごめんなごめんなと男性器を前後に動かしていたから、それは本当に地獄みたいな光景だったと思うけど、あたしはと言えば、ああ別に性器さえ繋がってれば身体は気持ちいいみたいな反応をするから性行為はできるし快楽自体には高尚な手続きなんてやっぱ必要ないし多分あたしが求めてるのはこれじゃないのかも知れないな、なんてことをぼんやりと考えていた。

 何本の性器を入れられても、何回もの射精をされても、結局あたしは空っぽのままだ。

 ――失敗したな、生き方。

 安易な方向に走りすぎた。

 いろんな可能性はあっただろうに、隙間を埋めるだなんて言って性行為の快楽に浸り抜け出そうともしてなかった。

 結局あたしの人生なんてこんな風に暗澹の果てへ消えていくのだろう。それは自分が招いた結末だし、それなりには納得しているけど、やはり悔いは残る。

 あたしは人間になりたかった。

 ひとりのまともな人としてありたかった。

 人と人は助け合って生きていくなんて言うけど、あたしは誰のことも助けられないし、誰もあたしのことを助けられないから、やはりあたしは人ではなくヤリ捨て便所なのだ。ホームレスたちにレイプされても悲しいとか気持ち悪いとかそんなことはあんまり思ってなくて、まあ別に性器さえあれば性交渉はできるし身体の反応としてはやっぱり気持ちいいということなんだなと思うし、つまりそれがあたしを「人でなし」にしてしまったのだ。

 どうしてホームレスたちが泣きながら腰を振っているのかは分からない。嬉し涙という感じではないが、それが何かしらの感情であれば、やはり彼らは人間なのだろう。

 ごめんね、便器が相手で。

 ホームレスは相手にしているのが便器だということに気付いたのか、はたまた出すものを出すと涙も性器も涸れたのか、しばらくあたしの身体を良いように使った後、鼻をすすりながらどこかへと帰って行った。

 結局、あたしはうまいこと生き延びてしまった。

 ……別にいいけど、手脚のガムテを外すか、殺して埋めるくらいはしてくれても良かったんじゃないかと思う。これで生きているというのは、案外辛いものだ。そりゃもちろん便器が転がっていたところで物珍しさこそあれ、慈しみは湧かないかのも知れないけれど。

 空は少し白みはじめ、まもなく朝が来る。湿り気が鼻をくすぐり、真夜中よりも身体が冷えていくのが分かる。もしかしたらここで眠ると死ねるのかもしれないし、それが最後でもいいかな、なんて思いながら目をつむる。するとすぐにまどろみ、意識が遠くなっていく。

 遠くの方から、何かが聞こえる。

「イシトビさんは、本が好きなんだね」

 夢うつつの意識の中、耳の奥で響いたのはそんな声だった。惜しむらくは幻聴だったろう、懐かしい声だ。

 折に触れて、あたしはその記憶を反芻することがあった。こんな時にも思い出すなんて、それはあたしにとってやはり掛け替えのない記憶に違いない。

 ――狩塚ゆうか。カリツカさん。ユッカちゃん。中学校で、あたしが最後に関係した同級生だ。

「イシトビさんは、本が好きなんだね」

 それは放課後の図書室、図書委員のカリツカさんがカウンターで当番をしていて、他には誰もいなかった。

「……あたしは図書委員がサボってゲームボーイしてるとは思わなかったな。カリツカさんは本が好きじゃないの?」

 もう何ヶ月も前に同じクラスになったはずの三学期、カリツカさんとはこの時に初めて会話をした。真面目そうな印象の子で美術部か何かに入っていたと思う。

 あたしはクラスの中にも家にも居場所がなくて、学校の中では図書室だけが唯一長居できる場所だったので、特に予定もなく帰りたくない時は図書室の隅で隠れるように本を読んでから下校していた。

 三年生の頃の最後の三学期に、図書委員をしていたのがカリツカさんだった。カリツカさんは週に一度だけカウンター当番をしていて、あたしがそれを知ったのは冬休みが終わってからのことだった。

「私は別に、本はあんまり読まないかな。文章読むのは苦手。同じ文字ならレタリングとかの方が得意。美術部だし。三年の三学期になるまでに委員会に入ったことがないからって図書委員にされたのよ。イシトビさんは休んでたから知らないかもだけど」

「へえ、美術部ってもっと真面目な子の集まりなんだと思ってた」

「あれ、私マジメだけど」

「隠れてゲームしてるじゃん」しかも先生が急に来ても大丈夫なように手元をすぐ隠せるタオルまで装備している。「違反慣れしてる」

「まあね。ばれたか」そう言ってカリツカさんは困ったように笑う。あたしもそれにつられて少し笑った。

 同級生と会話らしい会話をしたのは久しぶりだった。

 しかしそれで不安になって、あたしは貸し出し手続きの済んだ本を受け取ると「ほどほどにね」とすぐに踵を返す。これ以上仲良くなってボロが出ても嫌だったのだ。

 あたしは立ち去るべく出入り口へすっと足を踏み出す。

 しかしその際。

 あたしの背中にカリツカさんの声が跳ねた。

「イシトビさん!」

 大きな声に驚いて、あたし少しおっかなびっくりしながら振り返った。

 このときあたしは、知らず知らずのうちに彼女の不興を買い、怒られるのではないかと思ったのだ。

 しかしそうではなかった。

「これ、何かポーチみたいなの忘れてるよ」

 あたしを呼び止めたのは、彼女の些細な親切心だった。

 カリツカさんはゲームボーイをタオルの下に隠してカウンターに置いて立ち上がり、わざわざ歩み寄ってあたしに忘れ物を渡してくれる。

 そのポーチの中には生理用品と少しの化粧品と、あっても邪魔だからと使わなくなって久しいコンドームが入っていて、そんなものを手に取らせてしまったことに少し胸が痛んだ。

「ありがとう……」

 それを受け取り、あたしはお礼を言う。

「うん。それじゃあ……またね、イシトビさん」

 彼女は何でもないようにそう言ってヒラヒラと手を振り、図書室を出るあたしを見送ってくれた。

 なんのことはない、放課後の同級生との他愛もない挨拶だ。

 ――しかしあたしは、それだけで少し浮き足立ってしまった。

 同級生から「またね」なんて言葉を聞けるとは思っていなかったのだと思う。あたしの前から去る人は、みんな何も言わずに目の前からいなくなるか、残す言葉は「さよなら」ばかりなのだ。

 そしてその言葉は、結果として社交辞令にはならなかった。

 あたしはわりと意識的に毎週木曜日に図書室へ通ったし、そこにはやはりカリツカさんがいて、あたしたちはほんの少しの会話を交わした。

 天気の話から、好きな本の話、好きなゲームの話。服や本の話。芸能人やテレビの話。――学校生活の話題はあまり出なかった。もしかするとカリツカさんは気を遣ってくれていたのかもしれない。

 それが何度続いて、何を話したのか全部は思い出せないけど、ひとつ印象的だった話があった。

「イシトビさんは、運命みたいなことって信じる?」

 ある日のカリツカさんは少し神妙な様子で、そんなことを聞いてきた。あたしはカリツカさんのことを現実主義者のように感じていたので、その質問は意外だった。

「え、どうかな」とあたしは首をかしげる。「運命って何かを何かに定められてるってことでしょ? あんまりあって欲しくないとは思うよ」

「まあそうだよね。――でも例えばさ、例えばなんだけど『この人とはきっと喧嘩別れするな』みたいな予感が、ほとんど確信を得るみたいに、電車に乗ったら駅に着くって分かってるみたいに、こう、なんの前触れもなく突然ばーんって頭の奥で理解するみたいな、そんな感覚って起きたりしない?」

「いや――ごめん、ちょっと言ってる意味が分かんない。……ん? あれ、もしかして喧嘩別れってあたしとのこと言って……」

「違う例えば! 例えばだから、イシトビさんのことじゃない。例えば『この人とはきっと一緒になる』みたいな話でもいまの例えは同じだから」

 必死に否定するカリツカさんに、あたしは少し嬉しくなって笑ってしまった。

「ありがとうカリツカさん」

「お礼言われちゃったよ」

「それでカリツカさんは、そういう確信を得たことがあるの?」

「んーー。あるというかなんというか。確信を得たことに戸惑いがあるから本当に確信なのか分からないというか」

「むずかしい」

「私もそう思う。でももしかして人は時々、展開も伏線も無視して、なんの前触れも脈絡もなく確信を得ることがあるんじゃないかって、そんなことを思ったんだよね」

「へえ……」

 きっとカリツカさんは、そんな風に思うような確信を得てしまったのだろうと思うが、それを話すつもりはなさそうだったので、 あたしも深く掘り下げることはしなかった。

 ――運命的に何かの確信を得る、なんて、これまであたしに起きたことはない。でもそれがあるとして、未来が決まるような確信であれば、それは少し恐ろしいとも言える。できれば甘美な未来を確信したいし、カリツカさんが得た確信も同様に甘美なものであれば良いと思った。

 それからもあたしたちは何でもない話をたくさんしていた。日を追っても話はつきなかったし、その心地よさはずっとあった。

 そしてその時間は今も続いているような感覚さえある。

 最後だって特になんでもなく進学する高校について話して終わったし、あたしたちは図書館以外で話すこともなかったから、結局あたしたちは「さよなら」もせず「またね」のままでお別れしたきりなのだ。

 また会ったら、今度は友だちになれるだろうか。

 なれないかも知れないけど、なれるかも知れないと思うそれだけで、あたしはなんだか自分がまともな人間関係を築けるんだと認められている気がした。……もちろん、当たり前にそれは妄言なのだけど。

 でも許されるなら、また彼女に会いたいと思う。

 あるいはこの美しい思い出を反芻したまま、いまこの場で死ぬことができればどんなに良いだろう。

 しかしあたしはきっと死なないだろう。

 まどろみの奥に光が見える。

 日は昇り、空はもうずいぶんと明るい。やがてこの公園を通る誰かが、身動きの取れないあたしを見て警察や消防に連絡をしてくれるんだろう。あたしを知らない誰かが、あたしのことを助けてくれる。あたしの因果応報からぐるぐる巻のガムテープをほどいてくれるに違いないのだ。

「あの……大丈夫ですか?」

 そして。あたしのまどろみを取り去ったのは、その声だった。

 大方の予想通り、あたしを見つけた通りがかりの誰かが声を掛けてくれたのだ。

 ただ――その声はつい今しがたまどろみの奥で聞いた声と、あまりに似ていた。

 これはどういうことか。あるいはついに、あたしは死んでしまったのかもしれない。最良の夢の内に、あたしは死ぬことができたのかもしれない。

 ……もちろん、そうではなかった。

「警察? 救急? とりあえずガムテープ剥がしますね」

 その声の主は、あたしの身体に巻き付くガムテープをびりびりとほどいてくれているらしかった。

 あたしは目脂や涙が乾いて固く閉ざされたまぶたをこじ開ける。

 日光を背にして、声の主が見えた。

 それは記憶の内に見た姿。


 ――そしておよそ十数年の時を経て、

 あたしはカリツカさんとの再会を果たしてしまった。


 最初、カリツカさんはあたしに気付かなかった。

 殴られて顔は腫れていたし、当時とは髪の色だって違ったから当然だろう。

「あの、ごめんなさい……警察も、救急も、連絡しないでもらえると助かります」

 声だって寒さにやられてガラガラだ。

 一方で、あたしはそれがカリツカさんだとすぐに気がついていた。

 見間違うはずもない。

 喋りこそ大人っぽく落ち着いた調子だったけど、声音はあまり変わらなかったし、その顔立ちもつい今し方、夢に見ていたのだ。

 しかし、あたしはそれを言い出せなかった。

 もしかしたらあの図書館の出来事が彼女にとっても美しい思い出になっていたらどうしようと、厚かましくもそんな風に考えてしまったのだ。

 やがてカリツカさんの手によって、あたしは一晩ぶりに手脚の自由を取り戻した。けれどガチガチに固まり痣だらけになった身体ではうまく立ち上がれず、あたしは顔を下げたまま、冷たい地面に手を付けて、痺れた身体がほどけるのを少し待った。

「これ、着てください」

 見かねた彼女は着ていたコートを脱ぎ、あたしを包んでくれる。彼女の体温が残るそれは、きっと氷を溶かすほど温かかったろう。

 あたしは身体を伸ばすように少し顔を上げ、彼女に礼を告げた。

「ありがとう……」

 このとき、顔を上げたのは迂闊だったと思う。

 何かに気付いたように、カリツカさんの動きが少し停まったように見えた。

 あたしはふたたび俯いたがすでに遅く、彼女はあたしの目の前に膝をつくと、コート越しの肩をそっと、しかし強く握りしめて言った。

「あなた……もしかして、イシトビさん?」

「違います、違います、人違いです」

 あたしは否定してみるが、しかし結局すぐにバレてしまった。

「イシトビさんじゃん!」

「……はい」

「なんでこんな……身体は大丈夫? 寒いよね。とりあえずすぐに救急車を」

「大丈夫! 大丈夫だから、誰も呼ばないで」

「…………」

 あたしの風采は誰がみても明らかに大丈夫ではなかったろう。

 けれどカリツカさんは何か事情があると分かるや、今度は自分の首に巻いていたマフラーをあたしに巻いてくれる。

「……イシトビさん、私のことわかる?」

「……わかるよ。カリツカさん。ごめんね、こんなで」

 こんな再会でごめん。本当にごめんなさい。

「ううん。でも思ったよりしっかりしててよかった。……あの……なんの事情があるかは、たぶん聞いて欲しくないんだろうから、いまはとりあえず聞かないでおくけど。あの、本当に大丈夫? 歩けそう?」

 手を差し出され、あたしはそれを受け取る。

 そしてカリツカさんにもたれるようにして、あたしはどうにか立ち上がることができた。

「歩けるかも」

「そう。歩けなかったら無視して救急車呼ぶつもりだったけど。私の家、すぐそこだからついてきて」

「……うん」

 あたしはカリツカさんに手を引かれ、連れられるままに公園の外へ向かう。途中でホームレスのブルーシートハウスが並ぶ用水路の脇を抜けたが、彼らの姿は見当たらない。少しでも泣いて射精してすっきりしてぐっすり寝ているのならそれでいい。少し歩いて公園を出て人通りの少ない道を行く。それでも何人かの人とはすれ違い、ジロジロと奇異の目で見られたり無視するような素振りで横目で見られたり、やはり僅かながら注目を浴びてしまったけれど取り立てて大騒ぎにはならずに、ほどなくしてカリツカさんの家に辿り着いた。

 カリツカさんの家は庭も塀もあり、大きくはないけれど立派な古い木造の平屋で、趣のある佇まいをしていた。

「どうぞ」

 カラカラと音の鳴る引き戸を開けて、カリツカさんがあたしを招き入れる。あたしはそれに、少し後込みしてしまった。

「あの、大丈夫? 家族の人とかいるんじゃ……」

「へーきへーき。一人暮らしだから。昔おばあちゃんが住んでた家を借りてるの。とりあえず上がって」

「……おじゃまします」

 少し後ろめたさを感じつつも、あたしは上がり框を踏んだ。

 家の中は、外よりは確かに暖かいけれど、それでもまだ寒かった。

「足とか拭かなくていいからとりあえず入って。お風呂はこっち。ひとりで入れそう?」

「たぶん……」

 てきぱきと指示する彼女にぼんやりと返事をしながら、あたしはどうにか手を上げてみる。しかしうまく力が入らず、数秒と保たずにぶらぶらと腕は肩に下がった。

「ごめん、やっぱ無理かも。折れてる感じとかはないしそういう痛みもないけど。血の巡りが悪いのかな」

「まあそうだよね。じゃあお風呂湧かしながらシャワー浴びよう。体、洗ったげる」

「え、悪いよ。自分でなんとかする」

「いいよ、するする。ほっとけないし」

「ありがとう……」

 あたしはそのままカリツカさんに手を引かれ、ぎうぎうと鳴く廊下を渡り、家の奥にあるお風呂場へと連れられた。そして脱衣所でかけてもらったコートを引き剥がされると、全身打ち身だらけ痣だらけでお腹にヤリ捨て便所と書かれたあたしが現れる。

「ごめんね、こんな汚いもの見せちゃって」

「汚くないよ。中に入って椅子に座って。シャワーかけるよ」

 そしてあたしはなすがまま、カリツカさんに身体を洗ってもらう。

 温いお湯で頭から腕から脚から股の間からお尻からお腹からくまなく全身、カリツカさんは大事な銀細工でも磨くように洗ってくれる。お腹の「ヤリ捨て便所」は油性マジックで何度も重ね書きされていたせいでうまく消えなかったけど、途中で彼女が台所からもってきたサラダ油とキッチンペーパーでくるくる擦ると呪いが解けるように綺麗に消えてくれた。

 あたしの身体を洗いながらカリツカさんが言う。

「女の子の身体にこんなことするなんて、信じらんない」

「……まあ、こんなことになったのも自分のせいなんだけどね」

「そうだとしてもダメなことはダメだと思う。よし終わり。身体流すね。お風呂はまだ溜まりきってないけど、溜まってからゆっくり浸かっといで」

 あたしの全身を洗い流してからカリツカさんは出て行き、あたしは浴槽に湯が溜まるのを待ちながら半身浴さながら、ゆっくり浸かってから身体をしっかり温めた。

 浴室を出ると脱衣所の洗濯機の上にカリツカさんの下着と服が置いてある。あたしは無駄にタッパがあって、対してカリツカさんは小柄で可愛い感じだから用意してもらった着替えは少し窮屈だったし身丈も袖もちんちくりんだったけど、ほんのり良い香りがして着心地も良かった。

 洗面所にある鏡を見ると、顔は案外ひどい有様だ。口の端は切れているし、目の横には青たんがある。心なしか顔も少し腫れている気がするし、鼻の頭の皮もむけてる。身体にも擦り傷や打ち身、痣はあるけど、まあ骨とか折れてないっぽいし、思ってたよりは大丈夫そうだ。

 あたしはなんだか、この浴室で全てが洗い流されて、全部がチャラになったような気持ちになった。

 お風呂場を出て廊下に出ると、古い家の香りに混じって、食べ物の良い匂いがした。あたしは小さい頃におばあちゃんの家に泊まったことを思い出した。匂いを辿るようにあたしは廊下を玄関まで戻る。そこから続く廊下は居間と台所へ繋がっているようだ。

 廊下がぎうぎうと鳴くので、カリツカさんはあたしがお風呂から出たことに気づいたみたいだった。

「居間のちゃぶ台に焙じ茶淹れてるから、好きに飲んでて。ご飯用意してるけど、食欲ある?」

「……ありがとう。おなか、ちょっとすいてるかも」

 合わせ味噌のお味噌汁の柔らかく仄甘い誘いがあたしの鼻腔をくすぐる。電子レンジで温められているらしいご飯も、いっちょ前に炊き立てのような香りを立てている。台所と繋がった広めのダイニングと居間の和室は、家の感じからするとなんともハイカラな作りだ。居間とダイニングの間仕切りはガラス戸の襖で、開けっぱなしのそれは広く開放的だった。

 あたしは台所に立つカリツカさんの背を追い越し居間に足を踏み入れ、木製の古いちゃぶ台の上に置かれた焙じ茶に手を伸ばした。急須に淹れられた焙じ茶はあたしがお風呂に浸かる間に少しだけぬるく、飲みやすくなっていた。湯呑みにうつすとふんわりと香ばしくかおり、やおら口を付けると湯呑みからあたしの喉の奥、身体の真ん中の方へじんわりと温もりが流れてきた。

 ほどなくして、ちゃぶ台の上にじゃがいもと玉ねぎのお味噌汁と白いたくあん、白いご飯が並ぶ。お母さんが作ってくれていた朝ごはんみたいだ。一人暮らしを始めた頃、あたしもきちんと朝ごはんを作っていたけど、いつしかコンビニのパンなんかで済ますことが多くなった。

「どうぞ」と促され、あたしは手を合わせてから、お味噌汁に手を付けた。木のお椀が手に馴染む。玉ねぎの甘味がちょうどいい。出汁が濃いめなのだろう、御飯に良く合う。

「おいしい……」とあたしは思わずつぶやいた。

「そうでしょ」とカリツカさん少し嬉しそうに言う。「たくあんがおいしいよ。デパ地下で買ったやつ。奮発したー。そのうち自分で作ってみたいんだけど、漬物はなかなかハードル高いんだよね」

 そう言われて口にしたたくあんも確かにおいしい。お米が少し固めに炊いてあって、よく噛んで食べようという気になる。

「ごちそうさまでした」

 結局あたしは、出された食事を全て平らげてしまった。

「はい、おそまつさま」

 そう言って、カリツカさんはちゃぶ台の上の食器をささっと流しまで持っていき、さっきの焙じ茶の急須に電気ポットのお湯をいれてから戻ってきた。

 身体をきれいにしてもらい、ごはんも食べて満たされたあたしは、ヤリ捨て便所の落書きも消してもらい、どうやら人間になった心地がした。あんなになりたかった人間に、いまここでなれたような気がしたのだ。

 そして人間になったあたしは、途端に彼女に助けられたことが居たたまれなくなった。

「……ありがとう、カリツカさん。お味噌汁、おいしかった」

「あ、そこなんだ、感謝のポイント」

「え? ……あ、そうか。助けてくれてありがとう」

「ふふ、どういたしまして」と、カリツカさんは困ったように笑う「まさかイシトビさんがあんなところにいるなんて、思わなかったよ」

「あたしも……助けてくれたのがカリツカさんで良かった。仕事行くとこだったんでしょ? ごめんね、ごめんなさい」

「大丈夫よ。うちの会社、そこまで厳しい方じゃないから。それよりイシトビさんは大丈夫なの? なんか事情があるんだろうけど、病院には行った方がいいと思う。ついていこうか?」

「……んーん、たぶん平気、ありがとう」

 なんだか久しぶりに人から優しくしてもらったような気がしたし、カリツカさんのその感じは少し懐かしくもあった。

 そういえば、あの時の図書室であたしと話してくれたのも、優しさだったのかもな、なんて思った。

「……何があったのか、聞いてもいい?」

 遠慮がちにそう聞いてくるカリツカさんはやはり優しく、けれどあたしは自分の醜態をこんな優しい子に聞かせるべきではないように思え、返答に窮した。

「…………」

「無理に聞きたいわけじゃないの。ただ差し出がましいかも知れないけどさ、こんな再会をしたのも何かの縁かもしれないし、何か困ってることがあれば相談くらいなら乗れるかもしれないと思っただけ」

 彼女のその優しさに、あたしは全てを話したくなる――けれどまだ話せないかもな、なんて思う。

 しかし、しかし。

 このあたしのことを人間に戻してくれた彼女なら、或いはあたしを、いずれまともな人間にしてくれるのではないかと、そんな期待と打算があったことは否めない。

 ならば少しだけ、その優しさに甘えることを、彼女は許してくれるだろうか。

「ねえ、カリツカさん」

「ん?」

「……また遊びに来てもいい? お礼もしたいし」

 あたしの言葉に、カリツカさんはさっきと同じ少し困ったような笑いを見せる。

「もちろんいいよ」

 躊躇いもなく答えたや彼女は、やはり優しかったと思う。

 その日は連絡先だけ交換してあたしは電車代を借りて家に帰り、それから数日経ち、数週間経ち、数ヶ月経ち、少しずつ、しかしあっという間にあたしたちは打ち解けていった。

 ――もともと馬が合ったのかもしれない。趣味は合わなくとも、あたしたちはまるでいつかの親友のようでさえあった。お互い、苗字が少し堅苦しいきらいもあり、何日もしないうちにあたしはカリツカさんのことをユッカと呼んでいたし、ユッカもあたしのことをアイコとか「あんた」とか、意外と口悪く呼んでいた。『カリツカさん』は親しくなるとこんな風なんだなと思ったけど、あまり感慨深くはなかった。当たり前のように、自然に受け入れられたのだ。

 LINEと電話番号は出会ったあの日のうちに交換していたし、あたしが少し遠慮してても、ユッカの方から連絡をくれることも多かった。誘えば飲みにも付き合ってくれたし、誘われれば買い物にも付き合ったし、誘われなくても彼女の家に遊びに行きたいと言えば、わりといつでも歓迎された。彼女の家に泊まることも何度かあった。

 いつしかユッカはあたしの数少ない友人になった。

 なんとなく、私たちの関係は始まってしまった。理由なんてないし、理由を探る必要もないのかも知れない。

 だからこそあたしは彼女に自分のことを話せる気になったし、彼女もあたしの話を聞いて、まあだいぶ引いてはいたけど、あたしと距離を置くこともしなかった。

 あたしたちは時間を取り戻すように色々なことを話す。

 中学校のときのこと、高校に入ってからのこと、短大のこと、一度就職したけど辞めてキャバクラで働きながら専門学校に行き直してること、あの日の顛末、ユッカの仕事のこと、あたしの将来のこと、好きな献立、居酒屋で必ず頼むメニュー、お互いビール派なこと、プレモルが好きかスーパードライが好きか、最近はコロナビールをよく飲んでいること、休みの日にしてること、あたしの趣味が読書しかないこと、ユッカの趣味がゲームであること。それからいままで嬉しかったこと、悲しかったこと、それから、少しだけ後悔してること……。

 それはある夜のことだった。

 あたしは在学中にどうにかこうにか就職先が決まり、あとは卒業するばかりとなっていて、ユッカがそのお祝いということでご飯に誘ってくれた。彼女とあの公園で会ってから、数ヶ月ほどが経っていた。

 中洲にある鴨料理のお店を出たあたしたちは、那珂川が運ぶほんの僅かな潮の香りと、遠くベイサイドの明かりに気づく。春の博多は湿気の混じった冷たい風が吹く。

 あたしたちは繁華街の路上で客待ちの行列をつくるタクシーには目もくれず、ネオンや街灯に赤ら顔を隠しながら、博多駅まで歩いていくことにした。

「ごちそうさま、ユッカ」

「うん、良いお店だったでしょ」

 同い年のユッカは、特にその日、あたしよりもずっと大人に見えた。中洲にある会員制の鴨料理のお店なんて、あたしは存在さえ知らなかった。お酒も料理も美味しかったけど、少し緊張してしまった。

 派手な服とメイクで行かなくて良かったと思う。ユッカの隣にいて、あたしも少し大人になりたかったのだ。

「どんな生き方してたらああいうお店に行き着くの? 大人かよ」

「大人だよ。……大人でしょ? まあそうは言っても実はそんなにべらぼうな金額のお店じゃないのよ」

「そうなの?」

「ま、私があんたにおごれるくらいのお店だから。クーポンも使ったし」

「クーポン……」

 あんなお店でもクーポンなんてあるのか。

 しっかりしてるし、いずれにしてもやっぱりユッカは大人だなと思う。

 私たちは中洲を抜けて大博通りに出る。広い歩道に橙の街灯は、遠くから聞こえる酔いどれたちの騒ぎを反響させるみたいに、少し金属質に街を照らす。

「……就職おめでとう、アイコ」

 前を向いたまま、ユッカはぽつりとつぶやいた。

「改まってどうしたの? ありがとう」

「あんたは破滅の道を進んでる気がしたからさ、なんか安心した」

「やっぱそう思う? でもあのとき公園でユッカが助けてくれなかったら、わかんなかったかも。あたしはあのとき、ユッカがあたしのことを人間に戻してくれたなと思ったよ」

「なにそれ。あたしシャワー貸してごはん用意しただけじゃん。……人間に戻る前はなんだったの?」

「ヤリ捨て便所だった」

「なるほどね」

 心配を掛けて申し訳ない。あたしも同級生があんな感じで公園にいたら心配すると思うし、やはり破滅的だと思うだろう。

「――ねえ」

 会話に一呼吸いれて、ユッカが少し調子を変えて口を開いた。

「これデリケートなことかも知れないから聞くの控えてたんだけど」

「え、なになに急に改まって」

「嫌なら答えなくていいからね。あの……前にあんたを公園で助けたじゃない?」

「うん、その節はありがとう」

「どーもどーも。それでまあ、なんであんなことになったのかっていう顛末は聞いたんだけど、もっとさ、そもそものとこを聞きたくて」

「そもそも?」

「うん。有り体に言うと、なんで誰とでも寝るの?」

「ああ」

「あたしはさ、こう、きちんとそういう関係の人とじゃなきゃ寝るのはヤだし、わりとそういう考えの方が普通なのかと思ってて……なんていうかセッ……性交渉って人間関係の中でも上の方の行為というか、そういう気持ちなのよ。でもそうでない人も一定数いるし、それはどんな気持ちなのかなって思ってね」

「ああ、なるほど……。いや、うーん、言葉にしても分かってもらえないかも知れないけど……」

 そこであたしは初めて、自分の中にある空っぽの感覚のことを話した。

 この話は誰にもしたことがなくて、別に隠していたわけでも後ろめたく思っていたわけでもないのだけど、やはり無意識的に避けていたのだろう。しかしユッカの前では、それがすっと話せたのだ。

「なるほど、全然意味わかんないわ」とユッカは素直に反応する。「でも行動原理は理解した」

「ほんと?」

「まあ少なくとも欲に駆られてるんじゃないってことは分かったし、あんたがあんたなりに理由を持ってるってのが知れた」

「へえ……」

 話してみると、あたしの生来の蟠りなんて所詮はこんなものかと拍子抜けした。――思えばあの公園での一件以来、空っぽの感覚は近ごろ少し、落ち着いている気がした。ホームレスの性器のいずれかがあたしの隙間を埋めてくれたのだろうか? しかしそんなわけではないだろう。

「あたしもよく分かんないけど、ユッカに助けてもらってからこっち、なんか空っぽの感覚は薄くなったんだよね。なんでかは分からないけど。まあいつか、この隙間がどうにかこうにか埋まってくれたら、あたしの人生はそれで重畳だよ。仕事も決まったし、友達もできたし」

 ようやく真っ当に生きて行けそうな、そんな予感さえあった。

「まあこれであとは、恋人でもできればいっちょ前かな」

「ふうん。恋人ね。どれくらいいないの?」

「どれくらい――お恥ずかしい話なんですけど、あたし今まで、恋仲になった方がいませんの」

「……は? どういうこと?」

「額面通りの意味。恋愛経験なし」

「え、つまりあんた、カレシを作るでもなく隙間を埋めたいとか訳の分かんない理屈を捏ねながら誰でも彼でも寝床に誘ってたわけ?」

「……そうなるね。本当にひどいよね、自分勝手で」

「いやそんなこと……うん、まあひどいと思う」

「だよね。ユッカのそういう悪いものは悪いって言ってくれるとこ好き」

「ありがとう。――恋人がいなかったってのは、なに? あえて作らなかったみたいな話?」

「いや、どうだろう。考えたこともなかったけど、もしかしたら避けてた節はあるかも知れない。無意識的にだろうけど」

「……そっか。なんかごめん、配慮のないこと聞いたかも」

「別にそんなことないよ」

 むしろ言葉に出来て良かったと思う。こう言うことを話せる相手なんて他にいないし、ユッカと友達になれて良かった、とは、面映ゆくて言えなかった。

 しばらく歩き、あたしたちは博多駅に近づく。大きな道の先にそれは煌々とある。

 ユッカは少し気まずそうにしたが、やはり正直な物言いで口を開く。

「まあアイコの生き方が称賛されるものかどうかは分からないし、私は結構ダメじゃんって思ってしまうけど、でもその生き方があんたのそれなら、悪くはないのかもね」

 ありふれた恥の多い生涯のひとつのあたしを、ユッカはそうあって良いものだと言う。

 人は生き方を否定されたくない。それでいいんだよと、言って貰いたい。

 ――しかしそうあるためには、その恥を晒せる相手が必要だ。あたしにとってそれはユッカだったろう。

「ユッカは、人生の後悔とかある?」

 ユッカにとってのあたしは、恥を晒せる相手だろうか。少し気になってそう聞いた。

「私は……」ユッカは少し考えて話し始める。あたしの方ではなく前を向いていたので、表情はうまく読めなかった。「私は……あんまり波風立てずに生きてきた方だと思う。平々凡々、順風満帆、千篇一律、そんなだったし、後悔らしい後悔は……ないかな」

「そっか」

「……ウソ。本当はね、いくつかある」

「あるんだ」

「中学の頃、好きな人に告白できないで、その片想いをまだ引き摺ってることとか」

「…………」

「重たいと思ったでしょ」

「思った」

「でもその片想いの人にはこの間ね、偶然に再会したのよ」

「は! マジで? すごくないそれ、聞いてないし」

「言ってない、ちょっと言えなくて」

「なんだよー、誰だよそいつー、言えないってことは知ってるやつかな。ユッカお世辞抜きにかわいいからなー、そういうときめきが欲しいなあたしも」

「…………」

「どうしたの?」

「あんたが恋愛できなかったの、そういうとこじゃない?」

「え、なにが?」

「あんた多分、恋愛の……体質?みたいなものが、人並み以下なんだと思う」

「お、なんかいま急にディスられた気がするぞ」

「ディスった、ごめん。――いやでも、まあ、そうか、普通は気付かないか」

「今度はなに?」

 ユッカはあたしの問いには答えず、少し早く歩き出してあたしの前に出る。あたしは背中を追いかけるようにして、その半歩後ろに付いていく。

「ねえアイコ……話は変わるんだけど、あんた就職したらうちで一緒に暮らさない?」

「え、なにそれめっちゃ良い提案、暮らす。暮らしまくる」

「即答すぎる」

「いやだって、あたしあの家もユッカもめっちゃ好きだし。知ってると思うけどあたしかなり図々しいから本当に乗っかっちゃうよ」

「……まあそういうと思った。一つだけ条件をつけていい?」

「なに?」

「――あの……」

 ユッカは何かを言い淀んでいた。

 何を言われるのかは分からなかったけど、何か重要なことを言われるのだと思い、あたしはその言葉が出るのを待った。

 そしてその言葉は――あたしに気付かせた。

「私と恋愛をしてよ、アイコ」

 一瞬、どういうことなのか分からなかった。

 でもそれは本当に一瞬で、さすがにバカなあたしも気付く。

「まさか初恋されてたなんて……」

「…………」

「うれしい、なるほど、そりゃそうか」

 ユッカのその告白を、あたしは自然に受け取った。

 だからあたしの返事は決まっている。

 それはもう、あの放課後の図書館で決まっていたことだったのかも知れない。

「――好きだよユッカ、一緒に暮らそう」

 あたしの答えに、ユッカは下を向いて困ったように笑う。

「まあ――そう答えてくれるって知ってたけどね」

 なるほど、そうか。

 そして、あたしは不意に確信する。

 確信を得る。

 いつかユッカが言っていた。

 人は時に、突然に、全ての文脈を飛び越えて、ある種の確信を得ることがある。

 だからユッカがそんな風に言うのは、それがあたしたちにとっては自然だと確信を得たからなんじゃないかと思う。なぜならあたしだってそれは自然なことだと感じたし、あたしたちの結びつきはその自然さこそが丁度良い物理で、きっとなるべくしてそうなっていたのだ。

「あたし、あんまり恋愛のこと知らないから、教えてねユッカ」

「申し訳ないけど、あたしもそんな詳しい方じゃないから」

 なんて言うユッカの顔は嬉しそうだ。

 だからこそ、きっとあたしたちの恋愛は、丁度良い感じになるのではないだろうかと思う。

 きっとユッカが女でも男でも、あるいはあたしが男でも女でも、お互いが男女でも男同士でも、きっとこんな風になっていたのだろう。あたしにとっては、恋愛は男女がするという先入観だけが邪魔をしていたんだと思う。ユッカにはその先入観がなかったということなら、やはりそれはあたしたちにとって丁度良いことだったのだ。

 今日はなんだか面映ゆい。いままで慣れていない心の触れ合いがたくさんある。あたしとユッカがこんな風にお互いを好きと認め合う日がくるなんて、想像だにしていなかった。

 あたしたちはこれからの二人の暮らしのことを少し話ながら、ユッカの家へ帰る。今までのこともこれからのことも話す。ひとつふたつ、三つ四つと話をしていたけれど、家が近づくにつれ、ユッカの口数が減っていくのが分かった。

 やがて家につき、玄関をくぐり、戸を閉めたその途端。

 あたしは、ユッカに真正面から抱きしめられた。

 恋愛のいろはも知らないあたしは、ユッカのその華奢な腕が腰に回って強く締め付けてきて、小さな身体が呼吸で揺れるのを全身で感じて、それは服越しでも分かるほど熱を帯びていて、そうすると急に、あ、これが恋愛の始まりなのかもと思い、緊張して、自分の顔が熱くなるのがわかった。

 この家はユッカのおばあちゃんから貰ったのだという。

 ユッカが小さい頃の話を、あたしはこの家で聞いた。

 そんなことを考えると、少し、この家で二人で暮らすのを躊躇うような気持ちが生まれた。

 だって、たぶん、あたしたちはいまから、セックスをするのだ。

 抱きしめられただけで、ユッカの劣情が伝わる。

 あたしは女同士でどうやってセックスするのかなんて分からない。ユッカは知ってるのだろうか。知っていて欲しいし、知っていて欲しくない気もする。

 どこかでユッカが知った女同士のセックスをこれから目の当たりにして、あたしは冷静でいられるだろうか。――もちろん、いられるだろうと思う。きっとそんなことであたしとユッカの関係が揺らぐことなんてないのだ。最後にはここに収まるはずなのだ。

「…………」

 ユッカは家に帰ってから、一言も声を発さなかった。

 靴を脱ぎ、土間を上がり、薄暗い廊下を抜けて奥の寝室へ向かう。暗いままの居間を横切る時、あたしにはまるでそこが知らない家のように思えた。

 静かな家に古い冷蔵庫の音が震えて聞こえる。廊下の板張りが玄関から届く灯りをじんわりと吸い込み、ぎうぎうと鳴く。

 寝室の扉の前で、ようやくユッカは声を出した。

「……いい?」

 シャワーを浴びたいとか、実は心の準備が出来てないとか、言いたい気持ちはあったけど、ユッカがそんな風に聞いてきて、そう言えばさっきも一緒に住む条件として恋愛をしようなんて言ってきたり、それがユッカの臆病さだったり心の弱さなんだと思うと、あたしはたまらなくなった。身体も心も、この子の弱いとこも強いとこも、全部知りたいと思った。

 だからあたしは、ユッカに手を引かれて寝室へ入る。

 もう何度も入ったことのある寝室だったけど、泊まるときはユッカはベッドで、あたしはその脇に布団を敷いて寝ていた。しかしその布団の用意はないみたいだ。

「今日こそ言おうって、思ってたから」とユッカは言う。

 廊下の電気ばかりが入る暗がりの寝室に、その表情は曖昧にしか見えない。

 ユッカの手汗とあたしの手汗が混じる。どちらからでもなく、あたしたちは手をほどく。そのまま寝室の扉を閉め、部屋の明るみを絶つ。

 あたしは目を見開いていた。遮光カーテンは外の僅かな灯りも閉ざし、何か見えるわけでもない常闇のその部屋で、すると目の前がチカチカと光った気がして、あたしは思わず目を閉じた。しかし目を閉じても変わらずチカチカとするので、ああこれは光視症だと気付きながら、あたしはユッカのことを想った。

「緊張する」と思わず声に出す。

「言わないでよ」と余裕のないユッカが言う。

 あたしとユッカはかなり身長差がある。あたしは無駄にタッパがあるし、ユッカは小さくてかわいい。頭ひとつ半、さっきからユッカが無意識にあたしのシャツの開襟を下にひっぱるのは、緊張のせいだけではないのだろう。

 あたしは少し、お辞儀のように腰を曲げる。

 するとユッカの息づかいを目の前に感じた。

 身長の割りに大きなユッカの両手があたしの顔に触れる。その汗が崩れかけのファンデーションをわずかに溶かす。

 ユッカが更にあたしの顔をぐっと引っ張ると――唇に何かが触れた。

 ひとたび触れ、ふたたび触れ、少し長く、下唇を吸うように、みたび触れる。

 それが口吻なのだと、ようやく気づく。

 これが口吻なのかと、初めて気づく。

 その唇は柔らかく、吐息にすこし酒気が混じる。閉め切った部屋は湿気をはらみ、あたしたちの顔に汗が浮かび、その暑さからあたしたちは一瞬だけ身体を離すも、しかしあたしはすぐさまユッカを引き寄せ、唇を返す。

 ひとたび触れ、ふたたび触れ、砂の城を整えるように、みたび触れる。呼応して、ユッカの唇も返る。

 熱気に押されるように口吻は触れ合いを増す。唇を吸い、唇は吸われ、舌と舌が絡まる。ユッカの舌のざらつきがあたしの上顎の裏に響き、あたしは知ってはいけないことを知ったような気持ちになる。ユッカの八重歯の鋭さに、背筋がすこしぞくりと跳ねる。なめられ、嚙まれ、甘い唾液に身体を溶かされそうになる。

 目の前がチカチカする。

 身体も顔も頭も熱くて、次第に関節がだるくなる。

 ユッカはいまどんな顔をしているだろう。きっと見られたくないんだろうなと思うと、途端にそれが見たくなった。

 あたしはユッカの顔に触れ、彼女が目をつむっていることを知る。眉間のしわ、きゅっとしまる目尻、必死そうな顔のユッカを想像する。汗ばんだ髪の湿り気と、それが貼り付く柔らかな頬に緊張とか興奮とか喜びを感じる。

「ちよっ、顔さわりすぎ」

 あたしがあんまりベタベタと触るので、さすがに嫌がられてしまった。

 しかしその反応にさえあたしの情念は煽られる。

 次第に脚はもつれ、口吻の激しさによろけ――あたしたちはベッドに倒れ込んだ。

 ああ――。

 ――夜は短い。あるいは長い。

 目覚めた部屋の中は薄暗く、カーテンの折り目に当たってこぼれた光が、その足許にしたたるのを見る。

 その夜は一瞬で走り去り、肌寒い朝がもう訪れていた。

 ほんの少しだけ眠っていたみたいだ。

 化粧も落とさず一晩中、依れたファンデーションと目の上で固まるアイプチが朝を告げている。

 ベッドの上にはうつ伏せで眠るユッカがいる。同じように化粧が崩れているけど、顔立ちのきれいなユッカは化粧が崩れてもきれいなままだ。

 あたしはベッドから立ち上がり、少しだけカーテンをあける。レースのカーテンを越えて、しかし陽光が眩しく射し込む。

 カーテンをそのままあたしはベッドに戻り、いまだ目覚めないユッカのそばに腰掛ける。

「…………」

 セックスしたな、と思う。

 あの子とセックスしたんだよなと思う。

 信じられないくらい気持ちよくて、信じられないくらい満ち足りた夜だったと思う。女同士のセックスというのはこんなに気持ちいいものなのだろうか。もしかしたらユッカとだからそう思うのかもしれない。それが身体の相性というもので、あたしたちの相性が良いということなら重畳だ。

 あたしはユッカの背中に指を這わす。

「ん……」

 ユッカが少しもぞつく。

 昨晩、ユッカは背中が弱いことを知った。

 指の隙間、掌の真ん中、肩と首のあいだ、尾てい骨の下。ユッカの弱くて敏感なところをあたしは少し覚えた。きっとまだたくさん知らないところがあるし、いまからそれを知れるというのが、楽しみで仕方なかった。

 ――人を好きになった。と思う。

 ユッカをたまらなく愛おしく思う。

 この子とセックスをしたんだよなと思う。

「……あれ、起きてる」

 目を覚ましたユッカが少し寝ぼけた様子で、顔だけをあたしの方に向ける。

「おはよう、アイコ」

「おはよユッカ」

 あたしたちはお互い少しお酒に焼けた声で、昨日からずっと一緒に居るということを聞かされてるみたいな気になった。

「いま何時? アイコずっと起きてたの?」

「わかんない。太陽はてっぺんじゃないから、まあ、朝かな。午前中。あたしもいま起きたとこ」

「んー。何時かなー、きょうは花粉少ない予報だったから、朝のうちに外に洗濯物干そうと思ってたんだけど」

「…………」

「……なに? 寝起きの顔に幻滅した?」

「愛してるよユッカ」

「え、急になに……えへ、ふふ、やめてよ」

「すごい、めっちゃニヤけた」

「は? ニヤけてないし」

「…………」

「…………え、こんどはなに?」

「…………」

「……あ、そっか。私も、その……あの」

「…………」

「ふふふ、えへへ、そういう感じよ、えふふ」

「やっぱニヤけすぎだわ」

「ニヤけてないし!」

 なんてやりとりをしつつ、あたしも自分で分かるくらいにニヤけている。

 あたしたちは裸のまま起き上がり下着の替えも持たずに浴室へ行ってシャワーをあびる。それぞれ身体を洗っているとユッカが石鹸の泡をつけたままあたしに抱きついてきてヌルヌルしてなんかエロかったけどユッカはどうやらあたしをみてムラムラしたみたいでそのままあたしたちは狭い浴室でお互いの身体を洗いあうという名目で昨晩の続きを始めてユッカがあたしの女性器に触れたところであたしは気付く。

 ――あ、もうあたし、空っぽじゃないわ。

 それはあたしの性器の泡立つ体液の音と共に、あるいはユッカに触られて訪れる性的な絶頂と共に、どこかへ弾けて消えた気がした。

 あたしはこれで、本当に一人前になれたんだと思った。

 ユッカのおかげで、やはりあたしは人間になったのだ。

 ユッカの性欲はあたしよりもすごくて、やがて一緒に暮らし始めてからは毎晩セックス三昧――ということもなく、極々当たり前にふたり暮らしを謳歌していた。

 恋人というのがどんなものなのかはよく分からない。でもあたしがユッカのことを好きで、ユッカもあたしのことが好きで、それを確かめ合うことに躊躇も遠慮もないということは、それが恋愛のひとつの側面なのかもしれない。

 就寝前の口吻と、週に何度かの交わりと、小さな言い争いや仲直り。日常を生きる上でのあれやこれ。

「木のお椀は浸け置かないで」とユッカは言う。

「なんかだめなの?」

「割れやすくなっちゃうからね。そのお椀、気に入ってるから」

 そう言ってユッカは木のお椀をふたつ、布巾でしっかり拭いてから流しの上の棚に逆さに置いて乾かす。

 ユッカは、ちょっとめんどくさいものが好きみたい。

 スマホより手帳、ボールペンより万年筆、麦茶は水道水で水出ししないでお湯から作る。料理は効率重視だけど出汁はできるだけ素材から取る。こだわりが強いというより、ちょっと手を掛けるのが好きなんだと思う。あたしは基本的に面倒くさがりだけど、ユッカがやっているとそういうのも楽しそうに思える。

 あたしはと言えば、一人暮らしの時の家財道具はあんまりなくて、服とかアクセサリーとか化粧道具以外では、唯一あった大きめの本棚を空き部屋に置かせてもらう。

「この本棚で何冊くらいあるの?」と本棚を見たユッカが聞いてくる。本棚はまだそこそこ隙間があって、まだ埋まっていない。

「これで三〇〇冊くらいかな。実家にこれの七〜八倍くらいある。処分されてなければ」

「すご」

「本読む人の中では普通だと思うよ。あたし捨てられない方だし」

「ふうん……まあこの家、二人で暮らすには大きすぎるし、そのうちあんたの蔵書持ってきて、この部屋を図書館にしていいよ」

「ほんと? うれしい」

「私たちの家だからね。決まりごとも、作ってかないと」

「…………」

「どうしたの?」

「決まりごとだって。なんだか恋愛っぽいね」

 なんて言うと、ユッカもちょっとニヤける。

 それからあたしたちは時々、一緒にお風呂にもはいる。

「身体を洗ってもらうのも、なんだか恋愛っぽいね」とあたしは言う。

「そう?」

「うん、恋は分からないけど愛は感じる」

「あんたをあの日つれてきて身体を洗ってた時は……そうね、迷い猫を保護した気分だったわ」

「なるほど、それも愛じゃんね」

「そうかもね」なんて言って、ユッカはまた少し困ったみたいに笑う。それは実際に困っているわけではなく、ユッカのそういう顔癖なんだと次第に知る。

 毎日干される布団や、当番によって変わるごはんの固さやお味噌汁の味、高いところの掃除はあたし、ベッドで誘ってくるのは大体ユッカ、家を出るのはあたしが先、実はあたしの方が朝は強い。ユッカの職場はフレックスで、残業もあるしで帰ってくるのはユッカの方が遅いことも多い。

 二人の生活に、あたしもユッカも次第に慣れていく。

 会社の昼休みに、ユッカの今日のお昼はなんだろうと考える。ユッカが着ていった服を思い出す。あたしは今日どんな下着だったっけ?なんて考える。晩ごはんの献立を考える。冷蔵庫の中身を思い出す。今晩は観たいテレビがないから早めにベッドに行こうかな、と思う。週末は何してるだろうと思う。不意に実家のことを思い出す。お母さんが作ってくれていたご飯があまり思い出せない。いつもおいしいものが並んでたことは憶えていて、愛がないと米は炊けないんだろうな、なんて思う。

 あたしはユッカに会いたくなってLINEを送る。

 『コンビニパン意外にうまい。今朝はお弁当準備できなくてごめんね』

 一拍置いて、ユッカから返事がある。

『全然平気、いつもありがとう。パン屋いきたい』

 『わかる。いま堅いパン食べたい』

『土曜日パンストックいこうか』

 『\\\\ ٩( ‘ω’ )و ////』

『ナガタパンもいきたい』

 『パン屋巡り』

『そんなに食べらんない』

 『朝昼夜で一食ずつ』

『パンの日だ。一食はお米食べたい』

 『愛がないのに米が炊けるか、ってやつね』

『なにそれ?』

 『さっき考えた』

『良い言葉だ』

 『せやろ』

『合い言葉にしていこう』

 『愛がないのに米が炊けるか』

『愛がないのに米が炊けるか』

 既読がついて、続きを送るのをやめる。

 昼休みが終わって午後の仕事を終えて少し買い物をして、ユッカより先に帰ったあたしは夢つくしを炊く。お米をといでユッカが帰ってくる時間に炊き上がるように炊飯器のタイマーを入れるだけ。それから昆布で出汁を取って酒と塩を入れて、かいわれと鶏モモ肉と豆腐を少し入れてお吸い物をつくる。ちゃんと昆布から出汁を取るのはユッカの影響だ。そこまで難しい行程ではないし、しっかりおいしくなる。ミンチ肉が冷凍庫にあったから主菜は簡単餃子にする。包むときにひだを作ると時間がかかるので、餃子だけど小籠包みたいな丸い形でつくる。餃子は餃子の皮で包んであるから餃子なのだ。餃子を包むし、もう一品は常備菜でいいだろう。切り干し大根が今日の分で丁度なくなりそうだ。まずは餃子のタネを仕込もう。あたしは白菜の代わりにキャベツを刻み、さらに万能ネギを刻み、解凍した合い挽き肉と混ぜて塩とごま油と卵と片栗粉と醤油とチューブ生姜を入れてねちねちと揉んで混ぜる。味付けはテキトーだ。そもそも味付けはいらないのかも知れない。あとでタレをつけるし。正直餃子のレシピはよく知らない。餃子を餃子たらしめるのは多分餃子の皮が七割、包み方が一割、調理方法が一割、中の種が一割だと思う。だからこれは餃子だし、ユッカは美味しいと言うから何の問題もないのだ。これを正味十六個作る。つけダレはポン酢とラー油、それからお酢とコショウ。お酢とコショウはテレビで見て我が家では定番化した。お酢の中に大量のコショウを入れるだけなんだけど、これがなんでか美味しいのだ。餃子を包み終え、フライパンに油を引いて、そこに良い感じに並べる。火をかけて少し温まったところに水を入れる。羽は別に付けなくていいと思う。ぼろぼろ落ちるし、あたしはあんまり好きじゃない。そうこうしてるうちにご飯が炊ける。そろそろユッカも帰ってくるはずだ。

 料理を作るのは好きだ。お菓子作りなんかも苦手だけど、嫌いじゃない。色んなものを切って叩いて混ぜて捏ねて一度ぐちゃぐちゃにしてから一つの完成に向かっていく過程が好き。まるで物語みたいな感じがする。

「ただいまー」と、玄関の引き戸の音がしてユッカが帰ってくる。あたしは料理の手を止めて「おかえり」とユッカを出迎える。

 ユッカが着替えてるうちにあたしはちゃぶ台の上に料理を運んでおく。台所から居間は間仕切りがあるだけで、普段はそれを開放してるから、ほとんど一部屋みたいになっている。料理を運ぶには楽でいい。

 部屋着に着替えたユッカが居間に来て、ちょうどご飯が炊けた。

「どのくらいたべる?」

「ありがと、ちょっと多め」

「オッケー、麦茶用意しといて」

「うん」

 ユッカのちょっと多めは結構多いのを知っている。あたしはユッカと二人分のご飯をよそってちゃぶ台に戻る。ちゃぶ台には小さなビールグラスに麦茶が注がれて置いてあった。お酒を飲むのは週末だけと決めているから、普段は麦茶とか緑茶ばかり飲んでいる。

 あたしたちは食卓を囲み、きちんと手を合わせて「いただきます」をする。これは二人とも一緒に暮らす前からの習慣だった。

「帰ってきてごはんがあるの、本当にすごいことだよね」とユッカが言う。

「あたしもそう思う。ユッカの方が料理上手な気がするから、あたしは毎日ユッカのごはんが食べたい」

「そう? 同じくらいだと思う。餃子おいしい」

「ありがとう。レパートリーふやそう」

「じゃあ中華おぼえてよ。餃子じゃないやつ」

「中華はクックドゥでいいじゃん。あたしに作らせたら全部創味シャンタンの味になるよ」

「創味シャンタン好き」

「わかる。じゃあユッカは知らない国の料理おぼえてよ」

「知らない国の料理? ってなに?」

「なんか、中東とか、中欧の料理とか全然知らない感じする」

「知らないものを調べるとこからじゃん」

「たのしくない?」

「じゃあ私が中華やるから、あんたがそれね」

「中華、中東、中欧ときたら、中央アジア、中南米、中米、中央アフリカあたりもやっときたいね」

「ちゅーちゅーうるさい」

「あ、ちゅーする?」

「あとでね。ちゃんとごはん」

「はーい」

 なんでもない会話、しかしここにふたりの生活があって、それがあたしたちの関係なのだと思うと心地よかった。

 夕飯を食べて、お風呂に入って、少しだらけてから床に就く。寝付きの良いユッカの寝息を先に聞いてから、あたしもようやく眠りにつく。

 あたしたちの毎日はこんな感じだ。ひとりで出かけたり、ふたりで出かけたり、あたしが本を読んでるときに、ユッカはテレビでゲームをしていたり。ユッカがあたしの知らないTwitterのアカウントで何かをつぶやいているときに、あたしは楽天で買い物をしていたり。

 純粋に、この生活が楽しかった。

 あたしの荒んでた過去なんてなかったみたいに思えた。

 ユッカの笑顔があって、あたしの笑顔があって、あたしたちの真ん中には餃子とお吸い物と切り干し大根と炊きたての晩ごはんがあって、その次の朝には白くてしょっぱいたくあんと合わせ味噌のお味噌汁とレンジで温めた少し固めのごはんがあって、たとえば時には粗めの大根おろしと焼き魚があって、それがきっと愛なのだと思う。

 やっぱり愛がないのに米が炊けるか、と思う。

 そんな生活が一年続き、二年続き、三年続き、四年五年と続き、あたしたちは三十歳になる。やがては四十歳にもなり、おばさんになりおばあちゃんになるんだろうと思うし、それは永遠に続くような気さえする。色んなことがあり、何もないこともあり、当たり前に生活はある。

 さようなら二十代の日々、なんて思っても二十九歳の昨日と三十歳の今日は何も変わらない。これから変わっていくのかもしれないけど、きっとそれはあたしたちには気付けない速度で、いつか何かの時に気付いてしまうものなのだ。つまりそれは地続きの有り様だ。きっと地続きのあたしたちがこの先にいるのだろう。

 だから後ろにも……つまり過去からも地続きのあたしがいて、そこにはヤリ捨て便所だったあたしもいる。

 ――そしてある冬の日、あたしはなぜか妊娠してしまった。

 最近、体調も乱れがちだし生理は止まってるし何食べても美味しくないし、なんかこれ妊娠したときの症状っぽくてまさかと思って妊娠検査薬なんて使ってしまった結果、そこにはやっぱり陽性を表す一本線が表示されていた。

 男と女がセックスして受精してそれが妊娠なのではと思っていたけど、あたしとユッカは女同士だ。Googleで「女同士 セックス 妊娠」で検索しても特別これといった情報はなくて、あたしは案の定ユッカに浮気を疑われてしまった。

 普段は冷静で物静かなユッカが泣きじゃくる姿を見てあたしは動揺していて、でもあたし以上に動揺していたのはユッカだ。

「信じらんない! 信じらんない!」とユッカは言う。

 居間は薄暗く、ユッカの泣き声が空気に重く消えていく。そろそろ蛍光灯を変えなきゃ、今度こそLEDにしよう、でもまあLEDなら検討して買いたいしとりあえず暗い部屋は嫌だからあたしが明日買ってくるよと昨日ふたりで話していたのに、あたしは妊娠検査薬を買ってしまったので蛍光灯のことはすっかり忘れてしまっていた。

 青く見通しの悪い薄暗がりの部屋に、古い畳が鈍く眠たい光を吸い込んでいる。

「ユッカと付き合うことになってからは、ユッカとしかセックスしてないよ、あたし」なんて、かろうじて言っても、実際に身籠もっているのだからそれはウソにしか聞こえないだろう。

 ユッカは俯き影を落とし、畳の目と会話をしているみたいに言葉をこぼす。

「私としかしてないのに、なんで妊娠すんのよ」

「わかんない……」

「男と寝なきゃ妊娠なんてしないでしょ」

「それはそうなんだけど、実際だれとも寝てないもん」

 ウソをついてないと、どうすれば証明できるのだろう。

 あたしとユッカの出会いを遡れば、あたしがやってきたことのツケが回ってきているとも言える。

「信じらんない! 信じらんない!」とユッカは言う。

 ユッカの哀しみとか憤りが口からこぼれ、少し沈黙があって、何も言い返さないあたしに、ユッカは無感情にこう言った。

「アイコ、誰とでも寝るじゃん」

 ――確かにあたしは誰とでも寝る女だった。

 でもユッカから初めてそう言われて、やっぱりそれがあたしの信頼のなさの根底にあって、それがいまユッカの涙になったのだから、あたしはそれで居たたまれなくなった。

「……なんであんたが泣くのよ」

 自分でも気づかない様子で、それははらはらと落ちて、ぱたぱたと畳を叩いた。

 気付けば、あたしはユッカよりも沢山の涙を流していた。

 本当に久しぶりに涙が流れた。

「ごめんなさい、ユッカ。あたし、ごめんなさい……」

 こんな生き方をしてきてごめんなさい。ひどいことばかりしてきてごめんなさい。ユッカに信じさせられないような人間でごめんなさい。

「なんでよ、なんで謝るの……」

 あたしが言葉足らずなせいで、ユッカはまた泣き始める。

 違う、違うよユッカ。

 好きだよ、愛してるよ。ユッカだけだよ。

 でもそれを口に出すと、きっと今はウソになってしまうから、あたしはやっぱりごめんなさいごめんなさいと謝るしかなくなってしまう。

 そんな気持ちも伝えられないなんて。ああ、この感情が全て伝わればいいのに。

 言語も仕草も態度も、本当のことは何も伝えられない。それは伝わっていると思っているだけだし、伝えられたと思われているだけで、それが伝わったと確認することは一切できないはずだ。私たちは言語で伝えられたこと、仕草で感じ取ったことをただお互い経験的に信じ合いながら、どうにか営んでいるだけなのだ。

 心と心、気持ちと気持ちが直接ふれあうことはできない。だから言語と身体がある。あたしのこの電気的な信号の感情を、ユッカへ直接、電気的な感情として伝えることはできない。そこには口や目、耳、鼻、身体の全部、それらがサランラップのように膜を張っている。

 言葉はなんて不自由なものなんだろう。

 身体はなんて不便な道具なんだろう。

 あれだけ愛し合ってても、愛してると言っても、身体を重ねても、結局あたしたちは一人ずつの孤独でしかないのだ。

 ユッカの哀しみでさえ、あたしはきっとその百分の一も知り得ないのだろう。

 やがて少し落ち着いたユッカは、絞り出すように言う。

「私たち、もう終わりだね」

「…………」

「今すぐ出て行けなんて言わないけどさ、もう一緒には暮らせない……暮らせないよ」

 ユッカの声は波打ち寄せる。

 あたしの声も波打ち返す。

「違う……違うよユッカ」

「何も違わないよ」

「違う。あたし、ユッカ以外の誰とも寝てない」

「誰かと寝ないと妊娠なんてしないでしょ」

 あまりに信じてもらえなかったからだろうか、あたしは咄嗟に、無意識に、大きな声で言い返した。

「ユッカと寝たから妊娠したかもしんないじゃん!」

 それは、自分でも思いがけない言葉だった。

 ユッカはあたしの言葉に少し面食らった表情をする。当のあたしも自分で言ったその言葉が、にわかには信じられなかった。

「いや――そんなわけ、ないでしょ」

 ユッカは迷いながら否定する。

「なんで? なんでそう言い切れるの」

 しかしあたしは勢いのまま言葉を返す。

「そんなの聞いたことない」

「メスだけで子供を産むトカゲだっているもん」

「いや私たち人間だし――ねえ、あんたやっぱり、本当に誰とも寝てないの?」

「だからそう言ってるじゃん……やめてよユッカ、終わりなんて言わないでよ。言わないで……信じて……」

 あたしはユッカの言葉を思い出して悲しみが溢れ、その重みで垂れた首部を両手で支えた。指の隙間を涙が熱を帯び伝う。

 終わりたくなんてない、ユッカと永遠に続いていたい。子供だって、本当にユッカとの子供だったらいいのにと思うけど、あたしだってお腹に子供がいるということがまだ信じられないのだ。

 それが、あんな言葉になって口から飛び出たというのだろうか。

 しかし、あたしは知っている。

 あたしたちには言葉と身体しかなくても――時に脈絡のない確信を得ることがある。根拠も論拠もない。それはその場に於いて、きっと当たり前のことだからだ。たとえ理解を超えていたとしても、それに気付く。あるべきものは、あるべきものとしてある。

「――そうだよね」とユッカが言った。

 あたしは顔を上げてユッカを見る。目こそ真っ赤で、声こそ鼻詰まっているが、ユッカは先ほどまでの狼狽が嘘のように、泰然とした表情をしている。

「あんた、嘘とかつけないもんね。隠しごとも下手だし」

「…………」

「まず、あんたが誰かと寝たとか、そういう話は一旦保留というか……いや、まず忘れよう。……お腹に子供がいるのは確かなの?」

「うん……病院に行ったわけじゃないけど、ちゃんと箱に書いている通りに検査薬を使ったから間違いないと思う」

「妊娠したかもって兆候はいつからあった?」

「正直いつの間にか……って感じなんだけど、先月生理がこなくて、それで気になって色々調べてたら妊娠っぽいと思って。もしかして想像妊娠でもしたのかと思ったけど……」

「そっか……」

 ユッカは一瞬なにかを言い淀むようにしたが、しかし何かを決意した目をして、心は揺らがなかったのだろう、あたしの目を見てしっかりと、自分が聞きたいことを聞いてきた。

「あんたはその子、どうしたい?」

「産みたい」と、あたしは間髪入れずに答えた。

「…………」

「あたし、妊娠がわかったとき、まず真っ先にユッカの顔が浮かんだ。それは罪悪感とかじゃなくて、たぶん、ユッカとの子供なんだと思ったからかも知れない。無茶苦茶言ってるのは分かるけど、なんとなく、たぶん、確信したの。今になって思えば……って話だけど」

 だからあたしは妊娠検査薬を買ってきたんだろうし、ユッカに知らせもした。きっと本当に誰かと寝ていたら、あたしはそんなことしなかったんじゃないかと思う。それに病気じゃなく、妊娠したかもと思ったのは、やっぱりそこに何らかの確信があったからなのかも知れない。

 そしてどうやら、それはユッカにとってもそうだったみたいだ。

「産もう、アイコ。明日、病院に行こう。――私は、命のことをどう考えるかなんて、そんなことは他人からとやかく言われたくない。自分の感情を誤魔化すなんて、いつか破綻することだと思う。だから先にはっきり言うけど、その子が誰の子でも育てるなんて絶対に言わない。命にそんな責任は取れない。でもそれでも、あんたがその子を生んだら、きっと私はあんたと一緒に、その子を愛せると思う」

「…………」

「それは、その子があんたと私の子供だからよ。命だから愛せるんじゃない。私たちの子供だから愛せるの――こんなこと、言わなきゃならないのが嫌だけど、でも言っておかないと、少なくとも私たちはいま、常識とは外れたことを目の前にしているから」

 人は時に、文脈も脈絡もない確信を得ることがある。

 あたしとユッカの関係のそれのように、それがそうあるべき自然なことなのだと、恐らく知るのだ。きっとそれを言い表すなら、それが本来の言葉というべきものなのだろう。通じ合うためのなにか、知らせるための手立て、残すためにあるべき通じ交わすもの。言葉で得た確信ではない。確信に至った気づきこそが本来、言葉たるべきものなのだ。それはあいうえおでもABCでもない、理解すると言うこと、理解させるということ、言語を超えて通じ合うなにか。

 それは、言葉ならざる言葉なのだ。

 あたしたち人間は言葉の膜で覆われていて、肉体や思考がその気づきに抵抗を与える。不自由な進化を遂げたあたしたちは、不自由なりに一生懸命やっている。だから確信を伝えるのも、気づきを与えるのも、あたしたちの場合はまず、言葉や肉体という形あるものなのだろう。

 だから形のない言葉――言葉ならざる言葉に、あたしたちは戸惑う。一度は頭の中にある自分たちの言葉でそれを思考する。だから疑い、理性がそれを嘘だという。あたしとユッカはたまたま、それを嘘だと思わなかっただけなんだろう。

 どこかで外れた理性の箍。確信というのかあるいは盲目か、それもなんだか、恋愛っぽいと思う。愛ではないけど恋は感じる。言葉ならざる言葉で、あたしたちは通じ合うことがある。

「ありがとう、ユッカ」

 鼻をすすりながら、ようやくあたしは安堵する。

 ユッカは少しばつの悪そうな顔をしていた。

「疑ってごめんなさい、アイコ」

「んーん……信じてもらえて、本当に良かった」

「……うん。私も、良かったと思う」

「ねえ、ユッカ」

「うん?」

「愛してるよ」

「…………」

「ニヤけてる」

「ニヤけてないよ」

「愛してる、好きだよ、ユッカだけだよ」

「私も……ぶふ。愛してるよ、アイコ」

「……ふふ。知ってる」

「あんたもニヤけてんじゃん」

「ニヤけるよ」

 なんて言いながら、泣きはらして目を真っ赤にしてニヤけたあたしたちは一緒にお風呂に入り、化粧を落とし、お互いの身体を洗って、薄暗い蛍光灯を明日こそ変えるんだと決意してから眠りについた。

 そして翌日の病院で、やはりあたしは妊娠していると知った。

「先生、女同士で子供ができることなんてあるんですか?」

 と、あたしたちは確認する意味を込めて聞いてみる。

 馬鹿な話だと一蹴されるかと思ったら、しかし先生はあたしとユッカの顔を一度ずつ交互に見て、真面目な調子で教えてくれる。

「普通は起こり得ない。しかし私たちだって知り得ないことが、この世にはいくらでもあるからね。少なくとも今の医学で分かっている範囲では、女性同士の性交渉で妊娠することはないと言えるでしょう。医者として答えられるのはそんな程度です。でも仮に、そうとしか言えない事態があって、そこに状況として証拠があるのなら、それはあり得たのだから、あり得たのでしょう。それはある人にとっては福音のような話かもしれませんね。――しかし人に話しても、きっと嘘だと一蹴されるでしょう」

「先生は嘘だと思いますか?」

「さあ……あり得ないけど、あなたたちは嘘つきに見えない、とだけ答えましょうか。不思議なことですが」

 不思議なこと、という話で結局それは終わってしまった。

 あたしたちは帰りに蛍光灯と日用品を買って帰って部屋の蛍光灯を取り替える。昨晩よりもお互いの顔がよく見える気がして、あたしたちは少し将来が楽しみになった。

 しかし不思議なことは続く。

 お腹の中の子は順調に育ってお腹も大きくなってきて、エコーにも映るようになる。エコーに映る我が子の姿は、確かに赤ちゃんの形をしていて感動した。しかしあたしとユッカは感動していたのだけど、エコーを撮ってくれた看護師は、少し訝しんでいた。

「どうしたんですか?」

「うーん……少し写りが悪いというか」

 エコーの画面にうつる赤ちゃんは、真っ暗な袋の中に時々輪郭だけがフワッと見えて、古い映画に出てくるホログラム表現のように曖昧な形をしている。

「え、でもちゃんと見えますよ」

「見えるんだけどねえ……」

 そう言って先生は、エコー写真のサンプルとして用意しているものを取り出して見せてくれる。その写真にはよりはっきりと、立体的な形として赤ちゃんが写っていた。

「へえ、すごい。いまってこんなにはっきりと形が分かるんですね。こんなにはっきり写るのは生後どれくらいですか?」

「この写真は15週目以降のものなんだけど……イシトビさんと同じくらい」

「…………」

 真っ黒な赤ちゃんなんているのか、と思った。しかしその後もいろんな検査をしたけれど特に問題は見当たらず、赤ちゃんが黒く見えること以外は順調そのものだ。

 やがて、あたしたちのことはもはや周知のこととなった。会社の人も家族も友達もあたしたちが一緒に暮らしていることも子供を産むことを知っている。周りに自分たちのことを話すのは少し躊躇いもあったし、あたしたちのことをとやかく言う人もいて、イヤな思いをすることも少なくなかったけど、思ったよりは気にならなかった。それはあたしたちが一緒にいることに迷いや悩みがなかったからだろう。共にあるということ、それが自然であると言うこと。その確信はつまり何ものにも侵されないものだったのだと思う。

 ただひとつ意外というか不思議だったのは、あたしとユッカの間に子供ができたということを、嘘だと断じる人がいなかったことだ。半信半疑ではあるが、全く嘘という風にも取られなかった。職場の同僚も数少ない友人も、お互いの実の両親もそうだった。

「そういうことも、あるのかも知れないね」と、あたしのお母さんは言う。家を出てからというもの、ほとんど連絡なんてしていなかった実家の母は、それでもやはりあたしのお母さんだ。あたしみたいな人間を、しかし母親として育ててくれたお母さんのことをあたしは尊敬している。感謝している。

 あたしはお母さんみたいになれるだろうか。

「アイコは手の掛かる子だったけど、手の掛かる分、やっぱりかわいかったわよ」なんて微笑んでくれるお母さんに、やはりあたしもこうありたいと思う。お父さんだってそうだ。いまは県外で暮らしているお兄ちゃんもそう。あたしは勝手に破綻してしまったけど、それでも家族との繋がりがあたしを生かしてくれたのだろうと思う。

 ユッカのお母さんもユッカとあたしを受け入れてくれる。

「この歳になってもうひとり娘ができるなんてねえ」と、嘘だろと思うくらい前向きだ。

「赤ちゃんは女の子かしらね」

「それがよく分からないんですよ。エコーの映りが悪いみたいで」

「あらそう? 女の子でも男の子でも楽しみね」

 そう言って、顔をほころばせるお母さんの顔はユッカと瓜二つだ。以前、写真だけ見せてもらったユッカのお姉さんも弟も、なぜかお父さんもみんな顔がそっくりで、こんなに遺伝子が強いならうちの子もユッカと同じ顔になるんだろうなと思うと、なんだかおかしかった。

「私はもっと、みんなが反対したり、イヤなことを言ってくるんだと思ってたよ」

 実家からの帰り道、ユッカがそんな風にぽつりと漏らした。

 あたしもそう思っていたし、そうならなかったのは世の中が思ったよりも優しいのか、やっぱりこれが多くの人にとって当たり前と感じられてしまったからなのかは分からない。どちらにしてもあたしたちは幸いと言えるだろう。

 あたしたちのちょっとした懸念はあっけなく飛んでいき、それから少ししてあたしは産休に入り、ユッカも前より仕事から帰るのが早くなってくる。

「我が子は元気にやってるかな?」

 そう言って着替えもせずにあたしの丸いおなかをユッカはなでる。

「かなり元気だよ。おなか蹴ってくるの痛いくらい」

「育ってるなー。そろそろ名前も考えないと」

「そうだねー。いくつか考えてはいるんだけど」

「ほんと? 私も考えてた」

「じゃあもう少し煮詰まったら発表会ね」

「お、コンペじゃん。弊社にて受注賜らせて頂いたあかつきには最高のミルクとおむつ替えの機会をご提供いたします」

「各社同じこと提案してるよそれは」

 そんな話をしながらも、ユッカはずっとあたしのおなかをなでていた。

 それからさらにしばらく経ち、あたしは少し動くのが億劫になってきて、そこそこに家事をこなしながらも家で持て余す時間が増えてきたし、それじゃあと本ばかり読んでいるのも生産性がなく、何かをしようと考えた。

「どうしよっかなー」

 なんて、あたしはユッカに相談してみる。

「編み物とか縫い物は? あんたが今から覚えるつもりならミシンでも買おうか」

「あー、たしかにいずれは必要になるよね。小学校とか、いまは縫い物の用事がすごく多いんだってね」

「そうみたいね」

「でもなー、あたし家庭科の通知表は2なんだよね。料理はできるんだけど縫い物が絶望的で」

「ああ、国語は5って言ってたね」

「国語と体育だけ5」

「へー。じゃあなんか、書き物でもしてみたら?」

「書き物?」

「うん。物語とか詩とか、日記とかでもいいかもね。あんだけ本読んでたら案外書けるかもよ?」

 なるほど、それは結構な名案かも知れない。そういえば高校で文芸部に入ったのも、部誌作りに興味があったからだ。

 翌日、ユッカが仕事に行っている間に早速あたしは居間のちゃぶ台の上にノートパソコンを広げてみる。

 とりあえずあんまり自分のことは書きたくないから日記はやめておく。詩や短歌はもう少し基礎がないとめちゃくちゃ難しいだろうから追々やってみるとして、それじゃあやはり、あたしは物語を書いてみようと思った。もちろん物語だって書くのはめちゃくちゃ難しいだろうと思う。本を読む脳と書く脳はやはり違う筋力で動いていると思う。しかしいまのあたしに書けるものがあるならば、やはりそれは物語ではないだろうか。

 言われてみれば、元々書いてみたかったのかも知れない。どうしてこれまで書こうと思わなかったのかはよく分からないけど、たぶんそれはあたしが生産的な人間じゃなかったからだろう。

 とは言え、物語だって書くのは難しい。何を書いて良いか分からず、まずあたしは最近読んだ本を思い返してみる。

 谷崎潤一郎、安部公房あたりを少し前にまとめて読んだ。働き始めてから小林多喜二も読んだ。ラノベはあんまり読まないけど川上稔と竹宮ゆゆこは読んだ。渡辺浩弐はラノベに入るのかな? 池袋ウエストゲートパークはドラマから入ったけど石田衣良の原作も好き。芥川賞はここ数年の候補作をまとめて読んだ。羽田圭介のスクラップ・アンド・ビルドが好きだった。講談社ノベルスのいつかの密室本企画も絨毯読みした。佐藤友哉のクリスマス・テロルのクライマックスが良かったから他のも読もうと思う。その流れでサリンジャーを読み返したけどやっぱりよく分かんなかった。でも柴田元幸が新訳したナイン・ストーリーズは、野崎孝版と比べて洒脱な感じがしてこっちも好きになった。フラニーとゾーイーも新訳して欲しい。リチャード・バックのかもめのジョナサンは思い出したように何度も読んでる。このあいだ幻の最終章を追加した新版も読んだけど、そっちも良かった。綿矢りさはデビュー作と最新作を読んだ。フィッツジェラルドの華麗なるギャッツビーは流麗な文体がとても好み。平岡あみの詩集が好きだったけど三冊しか出てなかった。平山夢明も読んだ。吉村萬壱も読んだ。海野十三も読んだ。

 なんとなく読んでる本の傾向は偏ってる気がしないでもない。少し前は江國香織とか恩田睦とか三浦しをんとか女流作家を絨毯爆撃するみたいに読んでいたし、なんとなく気になって古いケータイ小説をざざっと漁ってたこともあった。

 読む本にこだわりは特になく、とりあえず気になったらいろいろ読んでみるという感じで、流行ってたものは知ってても今の流行り物はあんまり知らない。

 しかしあたしが読みたいものは、あたしが書きたいものとは違うだろう。あたしが書けるものとも違う気がする。

 ――あたしは結局すぐには物語を書くことができなかった。やはりまだ書いてみたいことが思いつかなかったのだ。

 自分が生み出せる物語がどんなものなのか興味はつきないが、物語は生み出してこそ初めて物語になる。自分で生み出さなければ、自分の物語を読むことはできないのだ。

 その日は何も書き出せないまま、あたしはノートパソコンを閉じた。気付けばお昼を過ぎ、そろそろ検診へ向かう時間だ。

 バスに乗って病院へ向かい、その間もあたしは物語について考えている。下を向き上を向き気もそぞろに、自分の中からどうにか物語を生み出そうとする。

 物語が書ける予感だけはある。しかしその取っかかりになるもの、あるいは種のようなものが、まだ見つからない。

 病院の待合室でも何かひらめきがないか、スマホの画面とにらめっこして昔のLINEとかSNSの投稿とか写真を遡ってるうちに、呼び出しのアナウンスがあり、あたしは顔を上げた。

 その時、あたしの前を横切る妊婦と目が合った。

「あ」

「あ」

 そしてその見知った顔に、お互い声が出た。

 ――その妊婦は、椨木ミキだった。後ろには岸田マモルの姿もあった。

「…………」

「…………」

 目が合ったまま、わずかな沈黙があった。

 あたしは何か声を掛けるべきか口を開こうとした。

 しかし次の瞬間、あたしが声を発する間もなく椨木ミキは白目をむいてゆっくりと、砂の城が瓦解するように背後に卒倒した。

 それをどうにか支えたのは岸田マモルだ。

 あたしも手を伸ばしたが、このお腹では動くに動けない。「誰か!」と叫ぶだけで精一杯だった。

 やがてすぐに看護師さんがきていくらか椨木ミキに声を掛けていたが反応はなく、またほどなくバタバタと運ばれてきたキャスター付きのベッドに乗せられて、バタバタとどこかへ運ばれていった。

 残った看護師さんから状況を聞かれたが、あたしは知り合いであることを明かさなかった。そちらの方が椨木ミキにとっても都合が良いだろうと思ったし、下手に出くわしてまた失神されても困ると思ったのだ。

 あたしは椨木ミキのお腹の子供が大丈夫なのか心配になった。椨木ミキのことも、少しは心配だ。大事なければいいと思う。

 それからあたしも診察を終えて、病院を出た。

 病院の外は少し肌寒い。少し雲が出たみたいだ。間もなく秋も終わり、冬がくる。お腹の子も順調に育っているみたいだ。

「待ちなよ」

 バス停へ向かおうと歩き出した時、病院前で誰かに声をかけられた。

 声の方へ振り返ると、そこにいたのは椨木ミキだった。岸田マモルの姿は見えなかったが、椨木が思ったよりも元気そうで少し安心した。

 多少の気まずさもあったけど、あたしは「ひさしぶり」と、どうにか返事をした。

 椨木ミキは少し考え込むようにこちらを見て、一度目を逸らして、また目を見てから「少し、話せる?」と聞いてきた。

 あたしは一呼吸置いて返事をして、椨木ミキと一緒にバス停まで歩き始めた。岸田マモルは先に帰ったみたいだ。

 椨木ミキはあたしに何を言いたいのだろうか。しかししばらく何も言ってこなかったので、あたしはいたたまれなくなり、自分から話しかけることにした。

「お腹の子、大丈夫だった?」

「……うん、大丈夫だった」

「そう、よかった。倒れたりするの心配だもんね」

「まあね」

「……いまどこに住んでんの? 前もこの辺に住んでたよね」

「ほとんど変わってない。いまもこの辺に住んでる」

「へえ。じゃあ病院は歩いて来れるんだ」

「うん……」

「…………」

「…………」

「……ねえ、なんか話があるんでしょ?」

「…………」

「ないならまあ、いいけど」

「……あのさ」

「うん」

「あの時のこと――怒ってる?」

「……え、どうだろ。わかんない」

「そう……」

「うん」

「私はね、怒ってるよ」

「え?」

「お前がマモルと寝たこと、まだ怒ってる」

「げ、マジか、ウケる」

「だからお前にしたことを反省したりしない」

「……なるほど」

「…………」

「うん、それでいいんじゃないかな。そもそもはあたしが悪かったんだし。さすがにそろそろ許して欲しいけど、いつ許されるかはこっちが決めていいことじゃないから」

「……違うじゃん」

「なにが?」

「お前も怒ってろよ、あんなことされたんだから」

「あんなことって?」

「その……集団でリンチして……」

 集団でリンチして手足の自由を奪って真冬の公園に全裸で放置してホームレスの慰みものにしたこと。なんて、とても口には出せなかったのか、椨木ミキは口をつぐんだ。

「……まあ最初はやりすぎじゃない?って思った気もするけど……」それにあたしはあの日、ユッカに会って身体を洗って貰ってシャワーを浴びたから、その時点で全部チャラかなって気持ちだった。「考えれば考えるほど、やっぱあたしが悪いし」

「だから! それが違うっていってんの!」

 あたしの何かが気に入らなかったのだろう、椨木ミキは叫ぶように泣き出してしまった。

 あたしはうろたえてとりあえず椨木ミキをバス停のベンチに座らせて、彼女が息も絶え絶え嗚咽混じりに話す断片的な言葉を繋いでみる。

 つまりあの夜から、あたしへの復讐はやりすぎだったとずっと思っていたらしい。最初こそ殺すほど憎かったが、次第にひどいことをしてしまったのではと考えるようになり、ずっと悩んでいた。だからあたしがあの復讐のことを恨んでいるだろうと思い、それに対してあたしが岸田マモルと寝たことに怒り続けることで、つまり諸悪の根源はあたしだと思うことで、あの復讐が正当化されるような気になっていた。怒りが対等であれば精神の平衡が保てたのだろう。それでようやく少しずつ少しずつ心の中の痼りを小さく小さくしていたのに、あたしと再会してしまった。あたしの妊娠した姿を見て、もちろんそんなはずはないけど、あの夜のリンチのことと関連付けてしまって目の前が真っ暗になってしまった。

「……うう、なんでだよ、畜生、畜生、平然としやがって!」

 あたしは、あのリンチについて、復讐にしたって最悪だとは思うけど、納得している。あれは然るべきことだったと考えている。

 でもスッキリしてるのはあたしだけだ。椨木ミキはリンチじゃスッキリしなかったらしい。というかリンチしたことでより一層モヤモヤしてしまっているようだ。あたしに反省の態度がないのかも知れない。なんでもないような顔をしてるのが悪かったのかも知れない。

 あたしは彼女を苦しませるつもりはなかった。困らせたとか怒らせたとかはあると思っていたし、それだって申し訳ないと思っていたからリンチだって最終的には受け入れたけど、こんな永劫に続きそうな苦しみを与えるなんて、想像もできなかった。

「もう嫌だ! あんたがあのあとどうなったとか、想像するだけで胃に穴が開きそうだった。男を寝取られたくらいで感情的になって凶暴になってしまった自分も怖かった。マモルのことは好きだし結婚もしたけど、お互いどこかであの時の罪滅ぼしみたいに子供を作って結婚してしまったんじゃないかって思うこともあった。でも家庭があればそれで少しは忘れられるかもと思ったけど、やっぱりあんたのことが頭をチラつく時があるのよ。もう忘れたい。忘れたい! なのに今日、目の前に現れた!」

 癇癪を起こしたように椨木ミキはまくしたてる。

 あたしはしかし、椨木ミキの気持ちを慮ることはできないだろう。それは複雑な感情だ。言葉では伝わらない。しかし椨木ミキは元来、良い子なのだと思う。優しく思いやりがあり、人の気持ちが分かる子なのだ。だから堪えられない。こんなに悩ませてしまい、狂わせてしまったのは他でもないあたしだ。

 椨木ミキだけが、苦しみに足を取られてしまった。勝手に苦しんでいるんじゃない。あたしがその苦しみの種を植え付けたのだ。

「あたしが悪いんだよ、椨木。人の男と寝たあたしが悪いし、人の男と平気で寝てたあたしが悪いんだ。あの時にあたしみたいな女を誘った岸田も、少し悪いと思う。でも椨木は何も悪くないんだから、泣かなくていいんだよ」

 なんて声をかけてみるが、こんな言葉は上っ面だ。気持ちを理解したつもりの反省イメクラだ。あたしの真意をひとつも伝えられていない。それで少しでも椨木ミキの気持ちが晴れてくれるならいいと思うけど、結局はイメクラだから、それは疑似的な何かでしかないだろう。

 地続きのあたしはこんなところにもいる。あたしの振る舞いでまた誰かが泣いてしまう。

 あたしは椨木ミキの感情を宥めることはできない。しかし椨木ミキはこの感情を生涯にわたって背負わねばいけないというのなら、それは辛すぎると思った。あたしが彼女を憎んでいたら、彼女は救われたのだろうか。けれどそれだって、きっと憎悪の上塗りで苦しみを誤魔化すにすぎないし、自分の感情に嘘をつくのも難しい。

 どうすれば良いか分からず、少しでも彼女の救いになれればと逡巡するがやはり何も思い浮かばず、あたしは何の意図もなく、思考の向こうからふっと飛んできた言葉をするりと口に出した。

「――ねえ椨木、あたしたち、友達になろうか」

「は?」

 あたしの言葉に、椨木ミキは何を言っているのか分からないという顔をしていた。もちろんあたしだって、何を言っているのか自分でも分かっていない。――この感覚は、お腹の子がいるとユッカに伝えたとき、不意にユッカとの子だと口をついて出たのと似ていた。

 椨木と友達になるなんて、全くの的外れだろう。

 しかし強いて何か理由があるのなら、それはつまりあたしと椨木ミキの関係は今を以ても何でもないということだ。

 元クラスメイト、男の本命と浮気相手、せいぜいそれくらいだ。

 そんな相手に人生を掻き乱されるなんて、そんなことはあっちゃいけない。けれど今さら無関係になれるはずもない。

 あたしからの思わぬ申し出に、椨木ミキは「無理でしょ」と言った。

「無理に決まってんじゃん。わたし、あんたにあんなことしたんだよ……あんたにはあんなことされた……こんなのもう友達になんてなれない。ぐちゃぐちゃなんだよ、わたしたちの関係は」

「そうだと思う。でもぐちゃぐちゃになってから最後には帳尻を合わせて良い感じになるものだって多いし、ぐちゃぐちゃに見えても本当は正しい流れだってこともあるよ。お菓子とか料理とかさ、正しく作っていても案外混ぜたり捏ねたり切ったり叩いたり、無茶苦茶なことやってるんだよ。それが正しい流れなのか気付いてるかどうかってだけ。もしかしたら、あたしたちだってそうだったのかもしれないよ」

「…………」

 椨木ミキはしばし黙り込んだが、しかしほどなくして何かを思い出したように、ぽつりぽつりと話し始めた。

「……あんたと同じ学校だったとき、あんたはあんまり良い噂を聞かない女だった。別クラスの男子なんかとはほとんど寝てたし、粉かけてた男と寝られたって子もたくさんいた。なんでか成績が良かったり先生ウケがいいのも、マクラやってんだって、身体で授業料払ってるとか奨学金の借金ボディとか言われてた」

「……ん? なんかいま怖い話されてる?」

「そうだよ……あんたと話が出来る子なんて一人か二人しかいなかったと思うし、正直ムカつくとかイケ好かないとか、最初こそみんなそういう感想だったけどさ、それでもイジメっぽいことなんかは起きず、みんなあんたのことは少し引いて見てた。なんでかわかる?」

「いや……わかんない」

「あのね、だから――怖いんだよ、あんた。全部飲み込んでいきそうな力がある。あんたに誘われた男は全員あんたと夜を過ごす。得体も知れない、底知れない、それでもしっかり生きている。あんただって周りにどう思われてるかとか、一切知らなかったわけじゃないでしょ? でも誰とも群れない、一人なのに、ただ当たり前のようにそこにいる。あんたは何も持ってない空っぽみたいで、その実、全部を持ってるような感じさえあった」

「…………」

「バカなこと言うかもだけど、誰かがね、あんたのことを宇宙だって、そう言ってた。ブラックホールだ、いやラブホールだブラックラブホールだってふざけてたやつもいるけど、ブラックホールじゃないよね。ブラックホールさえもあんたはその内に秘めてるって、そういう意味なんだ。あんたが誰彼かまわず男と寝てた時、それは宇宙が広がってるんだって思った。……だからあたしは、マモルがあんたと寝たって知ったとき、この宇宙に投げ出されると思った。あんたっていう宇宙の中で苦しんで死ぬのはごめんだと思った。マモルを危険な目に遭わせやがってと思った。だからマモルを救い出してこの宇宙をなくさないと大変なことになると思ったんだ。――でもやっぱり、当たり前だけど、あんたは人間だった。殴ったら痛がったし、血も出た。あの時の私の頭は混乱しておかしくなってた。宇宙だなんて、そんなの例え話なのにね。だからあんたにしたことはやりすぎだったと思う。最低最悪だった。あんたに復讐されて殺されても不思議はないと思った。――謝りはしないけどさ」

 椨木ミキの独白は、整然としていたと思う。

 それは心が平静ということだ。

 あたしが何も言わないでいると、椨木ミキは言葉を締めるように言った。

「でも本当に、あんた、宇宙なのかもね」

 秋口の肌寒い風が脚を掠め、あたしたちは沈黙し、なんとなく風の流れてきた方を向いた。道の向こうからはバスが見えた。

「もう行かなきゃ」とあたしは身体を持ち上げるように立ち上がる。

 お腹も大きくなり、慣れはしたけども、日常生活に障ることも少なからず増えてきた。

「椨木んとこの子は、いまどれくらい?」

「……うちはいま臨月」

「お、もうすぐなんじゃん、楽しみだね。うちはもうすぐ九ヶ月だよ」

「そう……」

 あたしは鞄の中から取り出した手帳を一枚破ると、そこに椨木へのメモを走り書きした。

「これLINEのID。気が向いたら友だち登録しといてよ。椨木から連絡あるまで、こっちから連絡はしないからさ。じゃあ、またね」

 バスが停まり、あたしはそれに乗り込む。椨木はお腹の子を慈しむように抱えて、あたしの方を見なかった。

「またね」

 と、彼女の声が背中に聞こえた気がしたけれど、気のせいだったかも知れない。

 あたしはバスに乗り、家に帰る。車窓を眺める道すがら、なんとなく書きたい物語の輪郭が見えた気がした。

 心配をかけると思い、ユッカには椨木ミキとのことを話さなかった。……こういう隠し事はよくないのかもしれないけど、ユッカはきっと椨木ミキのこと良く思わないだろうから、これでいいと思う。

 あたしは次の日、早速ノートパソコンを広げた。文字さえ打てれば何でも良かったので、あたしはパソコンでもスマホでもいつでも書けるようにEvernoteの無料アカウントを作り、そこに執筆をはじめた。

 まず決めたのは物語のタイトルだ。『塔』とファイル名を打ち込む。書き出しの文章はなんとなく頭の中にあるのでそれをそのまま文字に起こしてゆく。

『私の親友はひとりで塔を建てている。私はそれを時々、塔の下から見上げている。塔はたくさんのガラクタを積み上げられて作られているから、とてももろく、今にも崩れそうなのに、しかし儚げな均衡を揺らしながらも直立し、天へ刺さろうとしていた。』

 あらすじはこうだ。

 主人公の女の子は親友の塔が組み上がっていくのをいつも下から眺めている。しかし女の子は親友に構ってもらえず、嫉妬心めいた感情から、塔を蹴って壊してしまう。それでも親友は塔を建て続ける。何度壊しても塔は再び天へと向かって伸びていく。それはやがて太陽へ届くのだ。それを見て、少女は自らの感情が嫉妬ではなく恐怖に近いのではないかと知る。親友の塔が太陽へ届くまでにとても時間がかかってしまったので、彼女たちの町は荒れてなくなり、人類のほとんどは消えてしまっていた。親友はそれを塔から戻って知ることになる。実は住人が全て町から居なくなっても、少女だけは親友を待っていた。親友を待ちながら、少女はたまらなく老いてしまっていた。そして自らの死に際、親友がいずれ帰ることを祈り、できるだけ長く残る方法で伝言を遺した。それでも親友が帰ってきたのは、そのずっとずっとあとだった。

 ――えらいもので、書き始めると二日もあれば五千字程度の物語を書き終えていた。普通はどれほどの速さで書くものなのか寡聞にして分からないが、まずまずと言ったところだろう。

「へー、書いたんだ。読ませてよ」と、あたしが最初の物語を書き終えたのを見て、ユッカがせがんでくる。試しに読んでもらうと、その感想は「なかなか面白い」とのことだった。

「小説って書けるもんなんだね」とユッカが言う。「あんたがどんな話を書くのか、結構興味があったんだよね。そっかー、なるほどねー」

 その短い物語を、ユッカはもう一度読み返していた。

 もしかしたら、あたしの思考や感情を覗こうとしているのかもしれない。なるほど、そうならばきっと、物語はそれを伝えるための手段なのだろう。それが本当に伝わるかどうかは、はたして書き手の技量なのかも知れないけれど。

 そしてあたしはその後、臨月を迎えるまでにいくつかの物語を書いた。

『塔』は、親友の帰りを待つ女の子の話。

『やさしさの地平面』は、ブラックホールが女の子に恋をする話。

『電子レンジはひらかない』は、どうやっても開かない電子レンジを開けて、中に閉じ込められた大事な人を助け出す話。

『シーマスター』は、クルマと時計と天気予報の話。

『ループウェイサービス』は、終点のないロープウェイに乗ることに執心する女の子の話。

『まくろいあの子』は、父親と娘の話。

 タイトルはこんな感じだ。全部で六つの物語は、どれもこれもとりとめのない話だったけど、ユッカは好きだと言ってくれる。あたしはこれを他の誰かに読ませるつもりもないし、それこそ、ユッカにだって読んでもらわなくてもよかった。手慰みといえばそれまでで、それ以上のものではないのだ。

「えー、面白いのにもったいない」なんてユッカは言う。「いま小説をネットで公開してる人とかたくさんいるし、やってみたら?」

「いやー、いいかな別に。読んでくれた人がどんな感想を持つのか気にならないって言ったら嘘になるけど、そういうつもりで書いたわけじゃないし」

「小説って読んでもらうために書くもんだと思ってた」

「どうかな。各々の事情で生み出されてるとは思うよ」

「へえ、アイコのはどんな事情?」

「…………」

 どんなだろう?

 そしてふと考える。ひとはなぜ物語を書くのだろう。

 伝えたいことや表現したいひらめきを残しておきたいという願いがそこにはあるのだろうか。あるいはお金のためにやむを得ず物語を生み出してる人もいるだろう。別に書きたくないのに才能があるから書かされてる人もいるだろう。

 誰が誰のために、もしくは何のために書いてるかは、誰かさんのそれぞれだ。

 芸術のため、自己表現のため、お金のため、承認欲求のため、特定の誰かのため、不特定の誰かのため、自分のため、不特定の自分のため。

 どんなにちっぽけでも理由があり、何らかの必要に駆られて、物語は生み出される。

 そうならば、あたしはどんな理由で物語を生み出すのだろう。どんな必要がそこにあるのだろう。理由なんて無いと言うのは簡単だけど、その言い分は生み出された物語に真摯でないし、思考を止めているだけだと思う。

 だがきっと、理由はあってもそれが分からないままの物語はあるだろう。あるいは生み出された理由を、生み出してから知ることだって大いにあり得る。

 あたしはあたしの中にある言葉を探ってみる。はたまた気持ちを探ってみる。ふくらんだお腹をじんわりと意識する。この子がいると分かったとき、それをユッカに話したとき、あたしの言葉が全くユッカに届かなかったことを思い出す。

 言葉は不自由だ。全ての気持ちを伝えきれない。気持ちや感情はきっと情報量が多く、とても立体的なものだと思う。楽しいも苦しいも、いままでの人生の経験とか考えやなんかが複雑に折り重なって綾をなし層をなし生まれている。対して言葉はもっと平面的だ。その情報量は少ないか、もしくは表層的なのだろう。その言葉を受け取った人が初めて、その平面を頭の中で擬似的な立体として再現しているに過ぎない。だから言葉だけでは、気持ちが全て伝わらないのだ。

 つまりこれは、あたしの思考が言葉に沿う以上は、自分自身にさえ感情を伝えられるように言葉を残すのが難しいと言うことだ。あたしたちの思考は言語の膜に覆われてしまっているから、発生した感情も言語で覆ってしまう。それを外に出すのは大変なことだ。

 感情を正しく伝えるにはきっと、本当は、もっと多くの過程を経る必要があるのだろう。感情をあらゆる角度から見せていく必要があるのだろう。

 そしてその方法のひとつが、たぶん、物語だ。

 伝えたいと願うこと、誰ともなく伝わればと強く思い生み出されるもの。あるいはそれは祈りと言われるものなのかも知れない。

 きっとあたしが書ける物語は、祈りなんて言えるほど美しくはないだろう。それでもあたしの考えてることの一端でも立体的に伝わるなら、これ以上のことはない。それが表現したいという欲求のひとつの姿なのかもしれない。

 時に、ほんの僅かな気持ちを伝えるのに、千の言葉を尽くさねばならないことがある。言葉はそれほど不自由なものなのだ。

 しかし、つまりは。

 言葉が不自由だからこそ、自由な物語は生まれる。

 言葉ならざる言葉を表す言葉こそが物語なのではないか。

 なんてことを思う。

「たくさんある物語のうちのいくつかが、私のそばで生まれたなんてのは、なんだか感慨深いわ」

 ユッカの言葉はあたしにとって、つまりは書く意味のようなものに思えた。

「あたしの物語から、何か伝わってくる?」

「言葉にはできないけど何かが伝わってくるよ。あんたという人間を作り出したろう、何かがね」

「そっか。……ならよかった」

「私はほとんど本なんて読まないけどさ、たくさんの本に触れた人が見ている世界って、触れてない人のそれより多少は大きいものなのかな」

「どうだろう。別にたいして変わんないと思うよ。本を読んでるせいで狭くなってる人だっているもん」

「そんなものかな。本をたくさん読む人は、なんだか立派な気がするからさ」

「そう? あたし立派?」

「んーーーー」

「嘘でも立派っていってよ。……でもたぶんさ、何冊の本を読んだとか、毎日何冊読んでいるとか、そういうのはかなりどうでもいいことだし、取るに足らないことだよ。そんなの読んでれば増えていく、ただの累積でしかないんだし。本当に自分の見聞を広げられる時は一冊でも無限に広がるし、広がらない時は百冊読んでも広がらないと思う。だから本当に好きな本や大切な本が何冊かあればいい。仮に一冊しか本を読んだことがなくても、その一冊が大切な物になったのなら、それは得難いことだと思うよ。別に本じゃなくてもさ、きっと一遍の物語でも詩の一章節でも、たったひとつの言葉でもいいんだよ。物語でもレシピ本でもビジネス書でも、雑誌でもゴシップ誌でもいい、絵本でも漫画でもいい。あるいはインターネットの小説でもいい。電子書籍でも紙の本でもいい。買った本でも借りた本でもいい。居酒屋のトイレに貼ってある格言とか小言でもいい。TwitterとかFacebookに投稿されたITベンチャーの社長の一言だっていいよ。……あたしは、まあ大切な本がたまたま多かっただけなんだと思うけど、関係ないよ。何かを読むか読まないかは全く、人生にとって、やっぱり取るに足らないことなんじゃないかな。でもそれでいいよね。各々独りの人生って、取るに足らないことの連続なんだと思うし。その取るに足らないことの中にある、各々にだけ掛け替えのない何かのひとつが本や物語、あるいは言葉であるのなら、それはやっぱり、得難いものを得たということなんだよ」

「ふうん。なるほど、それは、そうなのかもね」

「そうだよ、多分ね」

「そうだね」

「そうとも」

 ユッカはまた困ったみたいに笑うと、パソコンの画面に映るあたしの書いた物語を優しく撫でるように眺めていた。

 ――それからほどなくしてあたしは妊娠後期の症状に苦しめられ、日に日にそれをしのぐと、あっという間に出産予定日を迎えた。

 えらいもので陣痛は出産予定日にきっちりとやってきて、陣痛ってどんな感じなのかなと思っていたけど、始まったら始まったですぐに陣痛だと分かるくらい、それは体験したことのない痛みだった。身体を内側から開かれようとする感覚、内臓を蹴飛ばされて揺り動かされて、外界への欲求不満がお腹の中で膨らんでいる。

 さて、その時のことはあんまり苦しくて、たくさんは憶えていない。

 しかしこの出産は、あたしの一生涯に少なからず影を落とすものとなった。

 陣痛が始まり病院に電話してユッカに電話してしばらくすると断続的な陣痛がきてその間隔が短くなってきてタクシーを呼んで病院に行って、この陣痛はまだ序の口だったらしくしばらく病室のベッドの上で陣痛と付き合っていたらどんどんどんどん痛みがまして、腰とかお尻とかをマッサージされながら子宮口が開くのを待っていたらしばらくして破水して分娩室に入って、それからはとにかく痛くて苦しくて、あらかじめ習って練習していた呼吸法は名前さえ思い出せなくて、とにかく息を吐くのが大事だということだけなんとか思い出したし助産師の人もなんか横で言っていたけど骨を直接掴んで拡げたらこんな風に痛むんじゃないかと思うくらい痛くて痛くて、握力で肉を千切ろうとするような痛みもこんな感じなのかと思って、あまりの痛みに結局は呼吸を忘れそうになって、しかし痛みが呼吸を思い出させて、いつの間にか来ていたユッカの声も遠くなるほどだったけど、それはあたしがいきむ度に叫んで耳が遠くなっていたからで、二時間はそうしていただろう、そしてふっと、一瞬、身体から何かが引きずり出されるような感覚があり、――ふにゃあと、産声が聞こえた。


 しかしその刹那、分娩室の中は「  」になった。


 それはきっと、あるいは脳神経の微細な信号の瞬きだったろう。

 しかし「  」という状態を、あたしたちは知覚した。

 そして知覚したと感じたときには、そこは元の分娩室に戻っていた。

 それは嵐のようでもあったし、つむじ風のようでもあった。はたまた凪の水面のようでもあったし、深淵の闇のようでもあった。

 何かが起こったことだけは分かっていて、全員が何かを確かめるようにあたりを見渡していた。あるいは自らの存在を探していたのか、いままでそこにいた人々を探していたのか。

 そしてただひとり、その場から消えていた人が居る。

 ――産声を上げたはずのあたしたちの子供は、まるではじめからここにはいなかったかのように、消えていた。消えていたのだ。

 その場にいた全員が、何も理解できないまま呆然としていた。

 子供を取り上げてくれた先生も、助産師さんたちも、外にいたあたしたちの家族も、立ち会いのユッカも、あたしも、産まれたはずの子がただいなくなったということだけを知った。

 産声の響かない病院は、とても静かだった。

 それからしばらくのことは、世界が無味乾燥としていて、あまり記憶にない。あたしはあまりのことに随分と混乱していて、出産直後にそのまま気絶したと、一晩経ってから衰弱していた様子のユッカから聞いた。

 先生たちからは色々と説明を受けたが、あちらもあちらで随分と混乱しているみたいだった。

 結果として、事務手続きの上では、あたしたちの子供は死産ということになった。

 死産の届け出に必要な書類には子供の名前を書く欄はなくて、そこには父と母の名を書けと言う。しかし法律の上では母親のあたししか名前を書くことはできなくて、自分の名前を書いたとき、言い知れない感情が身体中に震えをもたらした。

 病院からの書類については、本当は悪いことなのだけど、先生がうまくやってくれたらしい。火葬場についてもうまく計らってくれて、先生には感謝している。

「性別は、どっちだったと思う?」

 入院中、書類に記すため先生はあたしにそう聞いた。あたしは一呼吸を置いて「女の子です」と答えた。

 それは、きっと可愛い女の子だったろうと思う。

 あたしとユッカの、愛しい愛しい玉のような子だったろうと思う。

 けれどそこにその子はいない。

 あたしたちの深い悲しみや絶望感を誰が理解してくれるかは分からない。気落ちするあたしのことを、ユッカは抱きしめてくれる。あたしもユッカのことを強く抱きしめ返す。その回数は以前よりも増えた気がするけれど、それは抱きしめて欲しいということの裏返しなのかも知れない。

「生きていこうね」とユッカは言う。

「もちろんだよ」とあたしは返す。

 あたしたちには、あたしたちの生活がある。

 ユッカの笑顔が消えて、あたしの笑顔が消えても、あたしたちのちゃぶ台には朝になると白くてしょっぱいたくあんと合わせ味噌のお味噌汁とレンジで温めた少し固めのごはんがあって、たとえば時には粗めの大根おろしと焼き魚があって、それがきっと愛なのだと思う。やっぱり愛がなければ米は炊けないから、あたしたちの悲しみの真ん中にもそれはある。

 悲しみを背負って生きていくのはしんどいけれど、生きていかねばしかたがない。

 あたしたちは一日一日を乗り越えるように、今までの生活を取り戻していく。一日一日、ひと月ふた月、そしてやがて一年が経とうとしていた。さすがにあたしたちはすっかり元の生活をしていたし、悲しみに足を取られそうになることもあったけど、それなりに楽しく過ごせていたと思う。あたしも仕事には早々に復帰して、準備していたたくさんの子育ての用品は、子供が生まれる知り合いに譲り渡すか、メルカリを使って処分した。あたしたちの子供について、残ったのはエコー写真を挟んだ母子手帳と、妊娠中に撮った二人の写真くらいのものだ。

「どこにいっちゃったんだろうね、うちの子は」

「……不思議だよね」

「ねえ」

「なに?」

「誕生日のお祝い、してあげよっか」

「ああ――そうだよね。してあげないとね」

 あたしたちはあの子の誕生日に、ケーキと花を買って帰る。

 手続き上は死んでしまったことになったけど、あたしたちは自分たちの子供が死んだなんて思っていなかった。もちろんあたしたちの前からは消えてしまったし、それは悲しみを癒すための詭弁的な発想でしかないのかも知れないけれど、それでも産声をはっきり聞いて、死んでいるなんて思えなかったのだ。

 あの子の誕生日のお祝いは、それからあたしたちの毎年の通例の行事となった。

 あたしたちはそれからも二人で暮らしていたし、遊んでいたし、セックスもしていた。それで子供ができることはなかったし、あたしにはなんとなく、もうあたしとユッカの間に子供が出来ることはないだろうと感じていた。

 なぜならあたしの中からは、あの空っぽの感覚が一切合切なくなっていたのだ。空っぽの感覚もそれが満ち足りたという感覚も、そもそも初めからそんなものは無かったかのように、消え去ってしまった。

 ――あの子がそうだったのだろうかと、ふと思う。

 あたしが生んだあの子こそが、あたしの生来の蟠りそのものだったのだろうか。空っぽの感覚がなくなり、喪失感こそあったけど、それは空っぽの感覚とは違っていたし、次第に埋まっているような気がする。生活がそれを埋めているのだと思う。

 そしてそんな悲しみを少し踏み越えた頃、あたしはまた偶然に彼女との再会を果たした。

「よ、椨木。久しぶり」

 偶然にひとりで出掛けていたある日曜の午後、子供を連れて公園のベンチで休憩していたらしい椨木に気付き、声を掛けたのはあたしの方だ。

 産婦人科での再会以降、椨木はあたしをLINEの友達に登録してくれていたし、あたしも登録を返していたのだけど、結局一度もやりとりはしていなかった。

 椨木は少し驚きなんとなく嫌そうな顔をしたけど、前に会った時ほど嫌がってはいないようで「久しぶり」と、きちんと返事してくれた。

 椨木の腕の中には丸々とした赤ちゃんが赤い頬をふるふると、健やかそうに寝息を立てている。どうやらあの時の心配もなく、子供は無事に産まれたようで、あたしはなんとなく安堵した。

 椨木が嫌がる様子もなかったので、あたしは話し掛けながら、椨木の横に腰を下ろした。

「可愛い子だね。女の子?」

「うん。……ミワって言うの」

「へえ、ミワちゃん。良い名前。なんか椨木、お母さんって感じになったね。あたし椨木の怖い顔しか知らないからさ」

「やめてよ。本当はこっちの方が私だし。ていうか前も気になってたんだけど、椨木じゃなくて今は岸田だから」

「あ、そうか。……椨木じゃダメ?」

「まあいいけど。あんたんとこの子供は元気?」

「あー……それが……」

 あたしは椨木に出産のあらましを話した。椨木は神妙な面持ちでそれを聞いていたけど、最後に「そう……残念だったね」とだけ相づちを打ってくれた。

「でもそんなに悲嘆はしていないよ」とあたしは言ってみる。「悲しいし寂しいけど、そうも言ってられないから」

「ふうん。まあ後ろ向きになるよりは、嘘でもそう言える方が良いかもね」

「そうでしょ? ……ねえ椨木さ、時々でいいから、ミワちゃんの写真おくってよ。ちょうど同い年くらいの子がどんな風に成長していくのか、見てみたいし」

「インスタのアカウント教えるから勝手に見てよ。成長記録とってんの」

「えー。あたしインスタやってないし。映えるもんないからさ」

「やんなよ。映えねーやつは見てるだけで映えた気持ちになれんのがインスタの良いとこだから」

「そこまで映えにこだわりもしないけどさ」なんて言いながらあたしはiPhoneを取り出して早速Instagramのアプリをダウンロードしてアカウントを作ってみる。

「アカウントつくった」

「はや」

「椨木のインスタ、なんて検索したら出る?」

「貸して」

 と言われて椨木はあたしのiPhoneを奪い取って、さくさくと自分のアカウントを登録してから返してくれた。

「なんかいっぱい登録あるけど」

「使い分けてんの」

「いやアカウント五つは多いわ」

「うるせーな、こちとら闇を抱えてんのよ」

 闇のアカウントを登録してくれるなよ。

「末尾にbabyって付いてるアカウントが子供用のやつ。基本的に知り合いにしか公開してない」

「へー。あ、ミワちゃんめっちゃかわいいじゃん。このロンパースめっちゃいい」

「トイザらスにあったやつ。かわいくてさー、そんなに長いこと着れないから枚数もいらないのに、やっぱ買っちゃうんだよね」

「あー、それは分かる気がする」

 うちも産まれる前からかわいいものたくさん揃えてたしな。

「癒されるわ。子供可愛いなー」

「…………」

「気まずそうにしないでよ」

「いや気まずいでしょ、そんな」

「まあ……確かにこれが他人のことだと気まずいと思ってるよねあたしも」

 例えばいまはすくすくと育っているミワちゃんが、去年の椨木の失神でどうにかなっていたということであれば、あたしも気まずかったろう。

「でもそうやって気まずくしてくれる人がいるとさ、なんか少し、なんていうか、うん、許された気持ちになるよ」

「許される……って、何に?」

「お天道様に」

「悪いことしてないじゃん」

「そうなんだけどね」

 それはまあ、つまり生まれてすみませんということなんだけど、それを言うともっと気まずくなりそうなので、あたしはヘラヘラ笑って誤魔化しておいた。

「じゃあ、そろそろ行こうかな」と、あたしは話を切り上げてベンチから立つ。「インスタ、いいね押しまくるから」

「なんだよそれ、キモい」

「まあね。ミワちゃん、また会わせてくれる?」

「え、なんかそう言われるとヤだな」

「会わせてよー」

「いいよ。また連絡して……私からも、連絡するし」

「ほんと? ラッキー」

「うん。あの……いつでも連絡くれていいから」

「うん? わかった、ありがとう。じゃあまたね」

「――またね」

 なんてヘラヘラ笑いながら、あたしは椨木と分かれて公園を後にした。

 ……別れ際が変な感じだったけど、もしかしたら椨木なりに気を遣ってくれていたのかも知れない。

 あたしは家に帰りながら、少しうなだれてしまい、なんだか足が重たかった。

 あたしだってなんとなく平気そうに話せはしたけど、しかし内実、やはり悲しみに落ちていきそうだったのだ。あたしだって椨木とミワちゃんみたいに、自分の子供と公園で散歩したり日向ぼっこをしたいと思っていた。インスタに子供の写真をアップしてみんなにいいねして欲しいと思っていた。

 なんであたしはそれが出来ないんだろうという悲しみがあった。なんで椨木にはそれが出来るんだろうという理不尽な嫉妬もあったし、けれど普通に椨木と話せることに喜びもあった。可愛いミワちゃんに慈しみがあった。椨木の落ち着いた表情に安堵した。ユッカに会いたくて寂しくなった。消えた我が子のことを思い、胸が張り裂けそうになった。

 様々な感情が綯い交ぜになる。

 頭の中がぐちゃぐちゃになる。

 そしてあたしはその言い知れない感情を、ああ、初めて物語にしなくてはならないと思った。

 かつてあたしの感情は物語だけが肯定してくれていた。けれど違う。あたしの心はこんなにも動き、飛び跳ね、のたうち回り、歓喜に踊り、愛しさに揺れるのだ。

 生活が隙間を埋めただなんて、そんなものは埋まって欲しいという願いが見せた幻惑の楔に過ぎない。幻惑でもいいけれど、しかしこんなに容易く心の隙間に蹴躓いてしまうなら、やはり自らの手で楔を打ち込まなければならないだろう。

 隙間の形を理解しなくちゃ、埋められるものも埋まらない。

 あたしこそが感情で、しかしそんなものはあたし自身にも分からない気持ちで、そうであれば、やはりそれは物語にしなくちゃならないのだ。

 あの子が目の前から消えて数年後、あたしは再び物語を書き始めた。

 それは女の子の物語だ。人の形はしているけれど、中身が空っぽな女の子の話。

 あるいは、これはあたしのことを書こうとしているのかも知れない。

 これを祈りとするのなら、それはどんな祈りだろう。

 あたしをあたし自身が肯定するためのものだろうか。生まれたあの子に弔うものだろうか。それは何も分からないが、しかし、書かねばならないという強い意志があった。

 その物語を書くのに、一年ほどかかった。

 これはユッカにも書くのを秘密にしていたし、読ませるつもりもなかった。あたしがあたしのためだけに書いた物語だ。

 少しだけ題の名付けに迷い、しかしいつかの椨木の言葉を思い出して、それを引用することにした。

 そして書き上げたのは「宇宙少女」という物語だ。

 あたしは書き上げた物語を推敲もせず書き直すこともせず、まして一度も読み返すことなく、ただなんとなく形にだけはしておきたかったので、コンビニでプリントアウトして封筒に入れて本棚の奥に隠すようにしまい込んだ。

 あたしはそこに何を書いたのか今ひとつ思い出せない。しかしあたしの感情は形となり、思いは数千の言葉となり、いまはっきりとした輪郭を自ら知覚した。

 そしてそれ以降、あたしは物語を書くことはなかった。

 あたしは取り戻した感情を、もはや書き留めておく必要がなかったからだ。

 ――そして、まだまだあたしたちの生活は続いていく。

 いままで通りに、悲しみや楽しさ、苦しさや怒りをつつがなく踏み越えて、あたしたちは生きる。

 あたしは物語を書かなくなったけど変わらずに本は読んでいたし、それは空っぽの感覚がなくなっても変わらない。本を読むと満たされる気持ちになるのは、あの空っぽの感覚が埋まっていくのとは違うものだったと知った。

 ユッカはずっとあたしのことを好きでいてくれたし、むしろ年を増すごとにその愛情は深まっているようでさえあった。

 そして、やがて、いつしか、あっという間に十年が経ち、二十年が経ち――そして数十年が経ち、あたしたちはおばあちゃんになった。

 二人で過ごした家も手直し手直し住んでいたけど、さすがにそろそろ限界だったので、あたしたちは家を手放すことに決めた。

「さみしいね」とユッカは言う。「二人でずっと暮らしてきたからね」

「二人の生活のほとんどがここにあったんだよね」

「うちの中、空っぽになっちゃった」

 あたしたちには、もうあたしたち以外の家族がいない。辛うじて甥っ子や姪っ子はいるけれど、もう随分と疎遠だ。あたしたちは結局、そのほとんどの時間をあたしたちだけで生きてきた。

 多くの荷物も家財も処分してがらんとした家の中は、それでもまだあたしたちの生活を感じる。あたしたちは本当に大事ないくつかのもの、たとえば二人の最小限の食器とか、数枚の写真とか、昔のスマホとか、あとは何冊かの本なんかだけを残した。

「ねえユッカ」

「なに、アイコ?」

「二人だけの家族で生きて、二人だけの家族で死んでいくのって、なんだか恋愛みたいね」

「ふふ。だったら私たち、大恋愛だね」

 しわしわの顔でユッカが笑う。

 あたしたちはこれから老人たちが集まる楽しげな施設に入り、ふたりで腰がまがりきって歩けなくなって物が食べられなくなるまで生きていく。同時には死ねないから、たぶんどちらかが先に死ぬだろう。できればあたしより一秒でも長く、ユッカが生きてくれていれば嬉しい。――きっとユッカも同じように思っているだろう。

「それじゃあ行こうか、ユッカ」

「うん。……いや待ってアイコ、あのね、謝らないといけないことがあって」

「え、急にやめてよ。もう老い先短いんだから」

「それは私もだけど」

「それでなに、謝りたいことって」

「あの、これ」そう言うとユッカは、持っていた鞄の中から一冊の封筒を取り出した。「ごめん、勝手に読んじゃった」

「……それなんだっけ」

「あんたが読んで欲しくなさそうに本棚の奥に隠してた物語。荷物の処分の時に見つけて読んじゃった」

「…………」うわヤバい。マジで恥ずかしいんだけど。「他のは良いんだけど、それだけは読んで欲しくなかったな」

「良いじゃん。他のは読んでたんだから。――面白かったよ、これ」

「そりゃどうも」

「それでね、アイコ。ひとつだけ思ったこと、言ってもいい? 感想とかではないんだけど」

「なに?」

「あの……消えた私たちの子供なんだけどさ」

「……うん」

「こんなこと言うと怒られても仕方ないんだけど、でもどうしても言わなきゃならないかもと思って」

「どうしたの? 随分と持って回るね。言ってみてよ」

「えっと。つまりね、あの……」

 ユッカはやはり言うべきか言わざるべきか、まだ逡巡しているようだったけど、しかし、意を決した様子でこう続けた。

「私たちの子供って、宇宙、だったんじゃない?」

 ――――――――ああ。

 人は時に脈絡もなく確信を得ることがある。

 しかしそれは運命と呼べるような甘美なものなんかじゃないはずだ。

 あたしとユッカは確信を得て二人になったけど、それを運命的には感じていなかった。

 強いて言うなら、それは自然な成り行きだったし、あたしたちはそれが自然な成り行きであることに気づいた――確信したのだ。

 人は食べることや子孫を残すことに自然さを感じる。そこに理由を見いだしたがるのは人の性情だけど、そうでなくてもそれは自然なことだ。自然ってのは、起こっているということだ。生まれてからずっと行われてきた営みそのものだ。

 だからあたしたちが得た確信は、それと同じようなものだ。

「――なるほど、考えてもみなかった」

「でしょ?」

 あたしたちはふたりで出会い、恋愛をはじめ、子供を作った。あの子はどこかに消えてしまったのだけど、それでもまだ死んだわけじゃないのだと、どこかで感じていた。

「あたしたちは宇宙を生んで、生まれてきた宇宙はまだどこかに生きている」

「うん」

「そうかも知れない」

「うん、うん」

 もちろんそれは、やはりあたしたちが死ぬ間際に気持ちを整理するために出した処世的な結論でしかないのかも知れない。

 それでも、しかしそれでも。

 その祈りのような結論に、人生最後のひとときを甘えることくらい許されてもいいんじゃないかと思う。あたしたちの子供はおそらく、ユッカと同じ顔をしているのだろう。少し面倒なことが好きで、働き者で、好きな人のことを本気で好きで泣いてしまう、ちょっと臆病でちょっと性欲の強い女の子なのだと思う。少しくらいはあたしにも似ていて欲しい。ヤリ捨て便所にはなってほしくないし、宇宙は怖いなんて言われるかも知れないけど、家に書架を置くくらいには本好きであってくれたら、いつかどこかのその時に、素晴らしい本を手渡してあげたいと思う。

「元気でやっていてほしいね」

「うん。きっと元気だよ」

 お互い顔も見合わせず、そんな確認をする。

 あたしたちは、言葉ならざる言葉を交わす。

 そしてあたしたちは手を繋いで、愛しい家を後にした。

 ――さて。

 それから十数年後、国際宇宙局からある発表がなされ、世界中を賑わせることになる。

 いわく「生まれたばかりの外宇宙が発見された」のだという。

 外宇宙の誕生が、外宇宙の存在を証明したのだと言う。

 その宇宙は、およそ六十歳から八十歳ほどらしい。

 人類にとっては一生に近い時間だが、宇宙にとっては産声を上げたその瞬間のようなものだろう。

 しかしあたしたちがその発表を聞くには、もう随分と耳が遠くなってしまっていたのだけれど。

 あたしは朦朧とした思考の中、先に寝静まったユッカの手を自らの震える手で握る。そして、それでは消え去るように、宇宙の産声に包まれながら健やかな眠りに落ちていった。

 あたしは改めて空っぽになり、案外、それも悪くはないと思うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

宇宙少女 - The Emptygirl in love 立談百景 @Tachibanashi_100

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ