オチ

 有志発表が開催されることになってからは、有志のみんなと時間割の調整をしたり、小篠君と大海君がバーテンダー以外のネタも作りたいと言ったので手伝ったり、天宮さんとおいしいスイーツの店に行ったり、二学期が始まったり、体育祭をやったり、本当に色々あった。

 色々あったが、文化祭までの一か月はあっという間に過ぎ去っていった。


「いよいよか……」


 有葉たちのパントマイムショーが行われている体育館の舞台袖で僕はペットボトルの中のオレンジジュースでのどを潤す。しかし、すぐに口の中がカラカラになってしまい、一口、また一口と口をつけてしまう。

 すると、パイプ椅子に座った大海君が言う。


「お前は発表しないのに、なんでそんなに緊張してんだよ」

「そりゃそうだけど……」


 僕は袖から椅子が並べられた観客席を見る。…………空いた椅子がない満員状態だ。それも、超と呼ぶべきほどの。


「入口の方まで立ち見している人もいるんだ、自分のことじゃなくたって緊張するよ……」

「氷室くんは大船に乗ったつもりでいてよ」


 小篠君はのんきな顔でじゃがバターを食べている。一年C組が売っているやつだ。


「昨日だってうまくいったんだからさ、今日もやってみせるよ」


 昨日の学内だけで行われた一日目のステージでも彼らは舞台に立って漫才を披露した。本当は一般の人たちもやってくる二日目にだけ出る予定だったけど、進行上の都合で時間が中途半端に開いてしまったので、急遽出ることになったのだ。

 そっちではミスらしいミスもなく、見てくれていた学生たちから好評を得たみたいだけど、今日は一般の人もたくさんいるから昨日と同じように行くとは限らない。


「今日も二人の漫才を見て笑いに来た人ばかりじゃないんだから、笑いが全然なくたって動揺しないようにね……」


 すべてがそうだとは言わないけど、漫才の後かつ大トリの天宮さんの演奏を目当てに来た人がたくさんいるだろう。

 ダダ滑りする可能性だって普通にあり得る。二人はその恐怖がわからないからそんな態度でいられるんだ……!

 もっとも僕だって観客の立場でしかダダ滑りしたときの空気を知らないけども……。


「大丈夫だって、雅の言った通り泥船? に乗ったつもりでいろよ」

「大船だよ……。泥船じゃ沈んじゃうじゃん……」


 ああ、心配だ……。

 そんなことを話している間に、パントマイムショーはもうそろそろ終わりになるころだった。

 大海君は立ち上がって小篠君の肩を叩く。


「おら、そろそろ俺たちの出番だぜ」

「うん」


 小篠君はじゃがバターのゴミを舞台袖に置いてあるゴミ箱に入れて、大海君の横に立つ。その瞬間、客席からは拍手が聞こえてくる。パントマイムショーが終わったのだ。

 すると、体育館内に放送の声が響く。


『以上、有志によるパントマイムショーでした! 続きまして、こちらも有志の発表になります。

 幼馴染の二人が―――』


 放送の紹介が流れる中、二人が僕を見て言う。


「氷室くん。僕たちに色々教えてくれてありがとう」

「お前のお陰で、俺たちはこの舞台に立てる。ずっとお前にはきつく当たっちまったけど……」

「もういいよ。僕だってこの数か月楽しかったから」

「…………ありがとよ、氷室」

『それでは、珠玉の漫才をお楽しみください!』

「じゃ、行ってくるぜ!」


 紹介が終わって、二人は舞台袖から飛び出していく。


「はい、どーもー!」

「僕が小篠で、こちらが大海になります。よろしくお願いします」


 二人の、だけど二人だけではない舞台が始まった。とても堂々としていて、少しの緊張も恐怖も二人からは感じられない。

 …………本当に、大船に乗ったつもりで大丈夫みたいだな。

 僕は大海君が座っていたパイプ椅子に深く座る。

 あー、終わった。これで僕の役割は終わりだ。夏から始まった僕たちの苦難は、すべてこの時この場所で昇華されたんだ。

 そう思ったらなんかどっと疲れたな……。


「お疲れだね」

「…………天宮さん」


 気が付けば天宮さんが隣に立っていた。次の出番だからスタンバイしている……だけじゃないだろう。


「すごいね……ちゃんと漫才をやっているんだ」

「大海君に何か言われた?」

「うん。ステージで漫才やるから見てほしいって」

「そう言うだけのことはできているでしょ?」

「うん、できてる」


 天宮さんがステージに向かってほほ笑む。

 良かった。彼女が笑顔になれる舞台が作れて。たとえそれが僕に向けられたものじゃなかったとしても、笑顔でいられるならそれがいい。


「これも全部氷室くんのお陰だね」

「…………僕は基礎的なことを教えただけだよ。あとは二人が頑張ったんだ」


 それに二人だけじゃない。有志のみんなで協力し合って、それぞれの腕を磨いたからこそ、こうして成功を修めたんだ。だから、みんなが称賛されるべきだ。

 そう思っていると、天宮さんは首を横に振る。


「そうじゃないよ。今日こうして小篠君と大海君が舞台に立てたこと。みんなが舞台に立てたこと。それと私がこれから立てること。それは全部氷室くんが教頭先生に掛け合ってくれたお陰でしょ?」

「…………過程はそうだけど、結果を出したのはあの二人や君じゃないか」

「ホント、謙虚だなぁ。もっと自信もっていいのに。

 いつだって、氷室くんは私に勇気をくれたよ。小篠君だって、大海君だってそうだと思うよ」

「だといいんだけどね……」


 僕はステージ上の二人を見やる。

 笑い声が聞こえる中、照明に照らされながら生き生きとした表情で漫才を続けている。今や体育館は二人の独壇場だ。

 そんな二人が僕から勇気をもらっていたとしたら、それはなんと誇らしいことだろう。


「二人はもともと結構勝負度胸があるからなぁ」

「そうなの? 小篠君は確かにあんまり動じないけど、大海君もそうなのかな?」

「もともとスポーツマンだし、緊張する場面でもそれを楽しめるタイプなんだろうね」

「へえ~。知らなかったなぁ」

「…………大海君に興味あるの?」


 若干トゲのある言い方になってしまった。だけど、僕としては気が気でない。何しろ、憧れのこの娘が大海君に興味があるとしたら、それは彼女に思慕の念を抱く大海君と両想いということなのだから。

 彼女がなんて言うのかドギマギしていると、困ったように彼女は言う。


「う~ん、まあちょっとね」


 なんか濁された。そりゃ第三者である僕に説明することでもないかもしれないけど……。


「あ、終わったみたいだよ」


 彼女の言う通り、ステージでは拍手が鳴り響く中で二人が頭を下げていた。半分くらい聞けてなかったけど、ちゃんと好評で終われたみたいだ。


「さぁーて、次は私の番だ!」


 小さくガッツポーズして自身を奮い立てている天宮さん。

 可愛いな、ちくしょう。どうして彼女の興味は僕に向いてないんだ。

 放送が流れ、ついにトリであることが観客に知らされる。


「私がこの学校でやる最後のライブ! ちゃんと見ててね!」


 そう言って、彼女は光輝くステージへと駆け出して行った。

 僕は暗い照明しかない舞台袖で、ただ彼女の背中を眺めていた。




 学校内に『夕焼け小焼け』が流れ始める。文化祭の全行程が終了した合図だ。

 僕はねぎらいの言葉が飛び交うクラスを抜け出して、体育館の椅子の片づけをしていた小篠君と大海君と合流する。


「お疲れ」

「おう」

「お疲れ様~。クラスはどうだった?」

「特に問題なし」


 そう言って僕も椅子の片付けに参加する。


「そんなに椅子持って大丈夫か? 少し持つぞ」

「このぐらいなら大丈夫。

 大海君は自分のクラスにいなくていいの?」

「大丈夫だろ。たぶんな」


 彼はあっけらかんと言い放つ。…………そう言われるとちょっと心配になってくるな。自分のクラスのことでもないのに。


「それよりよ、お前ずっと袖にいたんだろ? 天宮さん、俺たちの漫才見てくれていたか?」

「見ていたよ。ちゃんと漫才ができているとも言っていた」

「そっかぁ。そうなのかぁ」


 にやにやと笑う大海君。せっかくの男前が台無しな顔だ。

 しかし、すぐそのにやけ面をしまって真面目な顔になる。


「だけど、勝負はこれからだよな……」

「…………?」


 勝負とは?

 僕が首をかしげていると、小篠君がスッと僕に近寄ってきて、耳元にささやく。


「この後、天宮さんに告白するんだってさ」

「なっ!?」


 思わず叫びそうになるのをこらえる。

 幸い、大海君がこちらを見ていなかったので危なかった。見られていたら不審に思われていただろう。

 それにしても告白だって? いや、おかしくはない。文化祭終わりというテンションが上がりきっている状態だ、非日常感が大海君を大胆にしているんだろう。

 聞くところによると、そういうイベント事ではカップル成立の確率が高い。イベントの高揚感が後押しするとか、イベントをこなしてお互いの良いところに目覚めたとか、同じイベントを体感したというシンパシーで距離が縮まるとか、確率が上がる理由は色々あるらしい。

 …………聞いた話でしかないのが悲しいところだ。

 僕は小声で小篠君に言う。


「で、でも天宮さん九月で転校しちゃうんだぜ?」

「らしいね。だから竜吾としては本気みたいだよ」

「…………そりゃそうか」


 転校することを知っていればチャンスはもうないからやってしまえ、と考えるのも変じゃないか。

 そっか。そうだよな。天宮さん、転校しちゃうんだよな。僕もしておくべきなんだろうか、告白。…………いや、駄目だな。同じことを考える人はたくさんいるだろうし、何より大海君がするんだとしたら、僕に勝ち目はないもんな。

 わざわざ心を砕いてまでフられにいく必要はないのだ。せめて、彼女がもしかすると僕のことを気に入ってくれていたかもしれないというわずかな希望を持ったまま別れたい。

 …………ああ、椅子がやたら重く感じる。


「まー、いくら竜吾でも今回ばかりは厳しいと思うけどなぁ」


 小篠君の言葉がやたら耳に残ったまま、僕はズルズルと椅子を引きずるのであった。




 文化祭後の本格的な後片付けは来週になってからだ。

 体育館の椅子を一通り片付け終わった後、僕は二人に別れを告げて、そのまま『聖域』へと向かった。

 窓から差し込む日がだいぶ傾いている。僕の今の心境にぴったりの夕暮れ具合だ。

 どかっと階段の最下段に腰を下ろす。


「…………はあ」


 今日ですべて終わった。小篠君と大海君に漫才を教えるのも、有志発表の開催のために身を粉にするのも、そして……僕自身の恋も。

 収穫がなかったとは言わない。漫才を教えるのは楽しかったし、有志のみんなと仲良くなれた。今度みんなで遊びに行く約束をした。あまり友達がいなかった僕の高校生活は、多少はよくなると言える。だけど、心にぽっかりと穴が開くことは間違いないだろう。

 僕はじーっと、ただ前だけ見ていた。沈む日と共に暗くなる廊下をただ見ていた。

 …………どのくらい時間が経っただろう。もしかすると下校時間はとっくに過ぎてしまったかもしれない。すっかり日が暮れてしまい、階段につけられた蛍光灯が廊下に影を作る。


「…………そろそろ、帰るか」


 この時間にノコノコと正門から出ようとしたら先生に怒られるかもしれないな……。

 そう思っていると、廊下にもう一つ影が生まれた。見覚えのあるシルエットだ。

 これは……。驚いて後ろを振り向く。そこには―――


「やっと見つけたよ、氷室くん……!」


 肩を喘がせ荒い呼吸をする天宮さんが踊り場に立っていた。


「…………天宮さん」

「もー! 帰っちゃったかと思った! クラスのみんなに聞いても大海君に聞いても小篠君に聞いても、友達みんなに聞いても、だーれもどこに行ったか知らないんだもん!」


 頬を膨らませながら階段を降りて僕の隣にやってくる。


「…………一人になりたかったんだよ」


 ようやく言葉を絞り出した僕に天宮さんは言う。


「じゃないとここには来ないもんね。もう、最初からここに来ればよかった」

「僕を探していたの?」

「そう。…………文化祭が終わってからずっと、そう」

「大海君や、他のみんなはもういいの? 告白かなんかされたんじゃない?」


 こんな時間にここに来たってことは、たぶんそれらをさばいてきたはずだ。

 そう思って聞くと、彼女はにひひと意地の悪い笑みを浮かべる。


「他の人たちのことが気になるんだ?」

「…………別に」


 嘘だ。尋常ではなくらい気になっている。


「いろんな人から一緒にいたい、好きだって言ってもらったよ。だけど、みんなの気持ちは嬉しいけど、断っちゃった。本気じゃないのに受け入れちゃったら、それが一番の裏切りだと思うから……。

 って、なんで私がいろんな人から告白されたって知ってるの?」

「小篠君から大海君が告白するってことは聞いていたし、他の人たちも文化祭にかこつけて告白するだろうと考えたからね」

「…………氷室くんは、文化祭にかこつけて好きな人に告白しないの?」

「何を馬鹿なことを……」


 冗談きついなと思って笑い飛ばそうと彼女を見ると、その顔は真剣そのものだった。


「…………しない。こんなところでうずくまっている僕に、そんなことをする資格はないんだ」


 好きな人に告白できる者は幸せである。人を愛せる余地があり、自分の心をさらけ出せる勇気があり、フられても耐えられる心があるから。恋が成就した人間がそれ以上の幸せ者なことは言うまでもないけど……。

 天宮さんは声量を抑えながら、だけど朗々と言う。


「私は、文化祭にかこつけて告白するよ」

「? どういう意味?」

「氷室くん、立って」


 促されるままに立ち上がる。天宮さんもゆっくりと立ち上がる。


「………………」

「………………」


 立ったはいいがお互い何も言わない。

 …………彼女の手が震えている。心なしか、肩も同じように見える。立たせておいて、どうしたと言うんだろう。


「あの―――」

「ッ!」


 何をするのかと話しかけた瞬間、僕は温かくて柔らかいものに包まれる。


「…………天宮さん?」

「氷室くん……」


 その正体は天宮さんそのものだった。彼女が僕の背中に手を回して強く抱きしめているのだ。

 バッと彼女が顔を上げる。それまでうつむいて見えなかった彼女の顔は赤く、緊張しているように見えた。そして、かすかに震えている唇が動く。


「氷室くん、中学生の時からずっと、ずぅーっと! 氷室くんのことが好き!

 誰かのために怒れて、頭が良くて、でも自信を持ててない君のことが好き。

 転校しても、ネットでアイドルになっても、登録者五十万人超えても、ずっと君のことが好き!」


 漫才の準備手伝ったら好きな子に告白されちゃった!?

 そんな都合のいい話があるか、いい加減にしろ!

 どうもありがとうございました。

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漫才ティーチャー・恋愛ビギナー 永久部暦 @Koyomi_T

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