第五章

『一週間後、視聴覚室にて漫才を披露。教頭を含めた五名の教師の協議の上、有志発表を廃止するかどうか決定する』


 …………教頭が出した条件はこうだった。

 教頭が作ったであろうそのプリントを見て小篠君は苦笑する。


「一週間か……。短いような長いような……」

「上等じゃねえか、やってやろうじゃねえの」

「………………」


 それぞれのリアクションを見せてくれたが、僕の関心はそっちではない。


「どうしたの?」

「いや、この一文……『教頭を含めた五名の教師の協議の上』というのが気になって」


 その場で良し悪しを決めるのではなく、協議が入るというのが少し怪しく感じる。教頭以外が納得していても、協議という名の教頭の一存で全部ひっくり返されてしまわないだろうか。

 そもそも五名の教師が誰なのか、どういう人選なのか、それもわからない。教頭に同調する人たちだけで固められるといくら頑張っても廃止を強行されかねない。

 …………考えすぎか? 昨日の教頭を信じるしかないのか?


「…………おふっ!」


 考えてしまってつい無口になっていると、背中に強い衝撃を感じた。


「なーに黙り込んでんだよ。俺たちが教頭たちを笑わせりゃいいんだろ。お前が考えることじゃねえよ」

「背中を急に叩くな。息が止まるかと思った……」


 まだ背中が少し痛い。あざになってないといいなぁ……。


「じゃ、今日も練習しようぜ。時間はもうねえぞ!」

「はいはい。じゃあ、今日もよろしくね、氷室くん」

「う、うむ……」


 二人はネタの練習を始める。ネタの大筋、台本はできている。僕も読んだけど、悪くないんじゃないかとは思う。後はそれをうまく披露できるかどうかなんだけど……。


「一回人に見てもらいたいよなぁ……」

「人に見てもらう?」

「プロの漫才師だと、劇場で新ネタを試してみてマイナーチェンジしていくことが多いんだよ。ここはウケるけどこれは駄目だ、というのはやっぱりお客さんの反応を見ると判断しやすいからだろうね」


 特定の漫才師の追っかけをしていると、同じネタを見る機会は結構ある。だけど、見るたびにネタの中身はもちろん間や身振り手振りに変化を加えていることがわかる。時には時事ネタや地元ネタなんかいれたりして、そうするとライブ感が一気に生まれて見ている側としてはこれ以上なく楽しい。

 そうやって色々変化を加えるのは、変化を加えることでもっとウケさせることができるからだろう。変化を加えるためには、やっぱり人前で披露して試してみるしかない。

 どうすればウケるのか、どうしたらお客さんは引いてしまうのか。実践こそが最高の練習となる……というのは、前に言ったベストセラーの本にも書いてあったことだ。


「だから何人かに見てもらうと改善点が見つけやすいと思うけど、どうする?」

「それならやってみっか」

「僕も見てもらった方がいいと思うけど、誰に見てもらうのがいいかな?」

「そうだね……。あまり漫才を見たことのない人がいいかもしれない」

「なら有葉たちを呼んでみるか」


 アルファたちに連絡を取ったところ、ちょうど暇していたから来てくれるとのことだった。その言葉通りに、数分後には僕たちのいる教室へとやってきた。


「おーっす、なんか楽しそうなことしているみたいじゃねえか!」

「お、来た、来た。そっちはどうなんだよ」

「一応教頭以外の先生方に説得はしたぜ。あとは……正直、お前らに頼るしかない」


 小篠君と大海君が教頭に挑戦することは、有志発表のみんなには知られている。で、それだと僕たちの負担が大きすぎるということでみんなも教頭に審査してもらえるように頼みに行ったそうだが、そんな時間はないとにべもなく断られたそうだ。

 僕たちにすべてを任せなければならないことに気を使ってか、アルファは言う。


「俺たちにできることならなんだって協力するぜ」


 それはありがたい。なら言葉通り力を貸してもらおう。


「じゃあ、これから小篠君と大海君が漫才を披露するから、見ていてほしい。見終わった後で感想を言ってくれるとありがたいけど、とりあえずはただ見てくれればいいから」

「オッケー、任せろ!」


 アルファら四人はそれぞれ好きな場所に座る。座り方も様々だ。


「いつでもやってくれていいぞ!!」

「わざわざ出向いてやったんだ、笑わせてくれよな」


 野次にも似た声援が飛ぶ。

 それを受けて、二人は黒板の前に立って一礼、さっそく漫才を始める。

 入りは上々。バーテンダーになりたいというくだりで笑い声が漏れた。…………特別面白いところじゃないと思うんだけどなんで?

 で、コンビニの入店音・元店長のくだりで少しウケる。

 さて、ここからは同じテンポのやり取りが続く場面だ。どんな反応になるだろうか。

 バーデンダーに扮する大海君が客に扮する小篠君に言う。


「何にしましょう?」

「そうだなぁ。何かおすすめとかあります? おまかせとか」

「おまかせですか? では」


 シェイカーを振るジェスチャーの後、小篠君に差し出す。小篠君はそれを飲むふり。


「なんてカクテルですかこれ? あまり味がしませんが」

「水です」


 ハハハ、とまた少しだけウケる。

 小篠君が大海君の肩を軽くたたく。


「水じゃお金取れないよ」

「でも、ミネラルウォーターだぜ」

「シェイカー使ってるんだから、ちゃんと混ぜて提供しなよ」

「しょうがないな……」

「じゃあ、もう一度お酒出して」


 再びコントパートに戻る。


「えー、じゃあ次のください」

「はい」


 差し出されたものを飲む小篠君。


「これは?」

「水道水とミネラルウォーターを混ぜたカクテルです」

「また!?」

「ノンアルカクテルです」


 やはりややウケ。


「待って、待って。ダメじゃん、結局水だし。ちゃんとアルコール入ったの出して」

「アルコールのな、わかった、わかった」

「今度はちゃんとやってよ」


 三度コントパートに。

 エアシェイカーをさっきより激しく振って、心なしか丁寧に見えないグラスに注いでいる。


「どうぞ」

「変わった色ですね、すごく澄み切った透明な……これはなんてカクテルですか?」


 手元のグラスを透かして、一気に口に含む(仕草)。

 すると大海君がしれっとした顔で言う。


「ランプに入っているアルコールです」

「ブホッ! ゲホッ、ゲホッ、100%なのはリンゴジュースだけでいいの! 誰がアルコール100%にしろって言った!? 水、水をください」

「アルコール入ってなくていいんですか?」

「今は真水じゃん! お得意のミネラルウォーターを出せばいいんだよ」


 素になった小篠君が呆れる。


「さっきからお水出したり、アルコールそのまま出したり、それじゃ怒られるよ」

「客に?」

「全世界のバーテンダーに。とりあえずなんか適当にカクテル出しなさい。カシスオレンジとか飲みやすいらしいよ」

「じゃあ出してみるわ」


 と、このお酒を出さないくだりが終わって今度は軽食のくだりと続き、最後にオチとあいさつをして終わり。


「そうだな。俺、学校の先生目指すわ」

「いい加減にしなさい。ありがとうございました」


 アルファらが拍手する。彼らは楽しんでくれただろうか?


「どうだった?」

「面白かったけどな~」


 面白かったと笑ってはいるけど、どこか納得してなさそうな感じ。何が引っかかっているんだろう。


「けど、何か納得していないことがある?」

「まあ……そうだな。言っていいのかそういうの?」


 アルファが二人の顔を見る。どんな顔をしているのかと思ったら、二人とも真剣な顔で頷いている。だからか、アルファは真面目に感想を言い始めた。


「面白いは面白いけど、お酒の代わりに水を出すパートあるだろ。あれちょいちょい素に……えっと、つまりバーから現実に戻ってくるけど、なんか俺的にはそこがなんかノれないなと思った」

「あー、俺もそう思ったわ」


 ベータが便乗して言う。


「なんつーか、いきなり現実に戻されるから、笑っていいのかこれ? って感じちゃった。

 そこのパートは全部作り物の世界で通しちゃっていいんじゃないの?」

「なるほど……」


 ベータの言うことは一理ある。だけど、それが正しいとも限らない。

 アルファやベータのように一気にコントパートのまま畳みかけた方が面白いと思う人がいる一方で、さっきみたいにショートコント的にバーと素を行き来するリズムが面白いと思う人たちもいるはず。

 だから難しいんだけど……。こればかりは正解がない。自分が面白いと思う方を貫き通すことが大事になってくる。

 とりあえずそれは一つの意見として受け取って、他に感じたことはあるか聞いていく。

 一通り意見が交わされた後、アルファが言う。


「俺たちだけの意見や反応だと作りづらいか? だったら他の有志の連中も呼んでみる?」

「呼んでもらえるならありがたいよ」

「待って。有葉くんたちの意見を取り入れる時間が欲しい」

「そりゃそうか」


 アルファはうんうんとうなずいて、それから僕に言う。


「じゃあさ、大海と小篠が意見をまとめている間、俺たちのも見てくれよ。俺たちも自分たちがどれだけうまくやれているのか知りたいし」


 アルファたちの……? そう言えば彼らが有志発表で何をするのか知らないな。何をするんだろう。


「みんなは何をする予定なんだい?」

「演劇だな。と言っても大道具は凝らないで声も出さないけどな」

「ああ、パントマイムってやつね」

「でもよ、有葉。まだ全員で合わせられてないぜ」

「じゃあここで合わせてながら練習すればいいだろ!」

「道具を持ってこないといけないな、すぐに持ってこよう」


 とんとん拍子で事が進んでいき、結局僕は彼らのパントマイムを見ることになってしまった。その間も小篠君と大海君はアルファらの意見を取り入れるか、それとも今の味を残すか議論を重ねた。

 そして次の日も、そのまた次の日も、アルファのつてで見に来てくれた有志たちの前で漫才を披露し、反応を見て改良を加えていった。


「いい加減にしなさい。ありがとうございました」


 そして運命の日、二人は教頭に見せる前に最終調整として有志のみんなの前で漫才を終えた。毎日代わる代わる見に来てくれていた有志のみんなは、今日はほとんど集結していた。


「頑張れよ!」

「教頭に見せてやってくれ!」


 口々に温かい声援が飛ぶ。彼ら全員の期待を込めて、二人はこれから戦うんだ。

 それにしても……天宮さんは来なかったな。彼女にも話は伝わっているはずだから、もしかすると来てくれないかと思ったけど、やっぱり忙しいみたいだ。

 寂しいは寂しいが、他の有志のみんなの応援が天宮さんに劣るわけじゃない。胸を張って教頭の元へ向かおう。


「そろそろ時間だ。行こう」

「おう!」

「うん」


 教室から出て、視聴覚室へ。視聴覚室の扉は普段と変わらないはずなのにとても物々しい城門のように見えた。

 ここを開けたら、とうとう始まってしまう。あるいは終わりか……。


「黙ってねえでさっさと入れ」


 物思いにふけっているというのに、僕をどけてさっさと中に入っていく大海君。僕の隣をすり抜けるように小篠君も入っていく。…………こういう時、豪胆だったらありがたいよな。

 二人の後に続いて中に入ると、教卓には教頭が立っていた。他には最前列の席に四人の大人が座っている。見たことのある人もいれば、そうではない人もいる。

 それぞれ誰なんだろうかと思っていると、教頭が言う。


「逃げずに来たようだな」

「逃げるわけねえだろ」

「竜吾、ちゃんと敬語使おうよ」

「尊敬できない人間に敬語なんて使う必要ねえ」


 そんな横柄な物言いでも教頭は涼しい顔を変えない。


「ではルールを説明する。と言っても、通達した通り君たちは我々五人に漫才を見せればいい。その後は我々で協議し、有志発表の有無を決定する」

「他の方々はどういった基準で選ばれたんですか?」

「生徒会顧問の東雲先生、国語科の浅香先生、用務員の相田さん、物理で三年の学年主任の石川先生だ。今回の審査をするにあたって様々な立場の人たちに来てもらった」


 説明されるたび、先生方は一人ずつ会釈したりうなずいたりする。

 それで公平な審査ができるのか少し疑問に思うけど、今からゴネてもどうにもならないか。


「さて、他に疑問はあるかね?」

「もうねえよ。さっさと始めさせろ」

「では準備ができ次第始めたまえ」


 教頭はそう言って教卓から離れ、東雲先生の隣に座る。

 大海君は小篠君と僕の方を向いて言う。


「お前ら準備はいいか!」

「大丈夫」

「…………二人がいいならいいんだけど」


 僕がやるわけじゃないし。


「よし、じゃあ行くか」

「うん。氷室くん、行ってくるね」

「…………気の利いたことは言えないけど、一生懸命に、真剣にやればきっと大丈夫」


 本当に気の利いたことが言えない。実際に僕が漫才をやるわけじゃないし、指導したといってもたいしたことはしていない。だから、僕が絞り出せたのは月並みな気休めの言葉だけだった。

 我ながら情けない……。

 戦場に赴く二人の顔は、良い意味での緊張はしているけれど、臆してはいないようだ。野球をやっていた時にも同じ顔で試合に臨んでいたのだろうか。

 彼らは教頭らの前に立つ。そして、ゆっくりと息を吸って口を開いた。


「小篠です」

「大海です」

「「よろしくお願いします」」


 声が上ずることなく、顔がこわばることなく、良い滑り出し。それからバーテンダーになりたい、というフリが入ってコントパートに。

 …………その時点で自分が立ったままだったことに気が付いて、音を立てないように近くの席に座る。

 コンビニの入店音のくだりで国語の浅香先生と用務員の相田さんが少し笑う。つかみはまあまあと言ったところか。

 それで、水やアルコール原液を提供するくだり。ここは単調なやり取りだから好みが出そうだけど、浅香先生と相田さんは笑っていた。この二人のツボが浅いのか、それとも他の三人の好みじゃなかったのか、それがわからないな……。

 で、その後は客が軽食を頼むと、バーテンダーが背脂とんこつラーメンを持ってくるという馬鹿馬鹿しいボケ。しかも作り置きしているせいで麺が伸びちゃっているという内容に、ようやく東雲先生と石川先生も少し笑う。

 よしよし。一回笑えるとこの後も笑いやすくなる。笑いは人から人へ伝染して大きな笑いを生むんだ。

 そして、場が温まったところで終盤へ突入していく。

 とんこつラーメンの出汁を取っていた鍋が原因で出火、火の手がそこまで迫っているという状況で、大海君がグラスの中の飲み物をぶちまけて火を消そうとする。


「これでどうだ!」

「火にお酒は危険ですよ!」

「ミネラルウォーターです」

「あ、そっか。でも焼け石に水だよ!」

「ではこちらも!」


 もう片方の手でグラスの中をぶちまける。


「うわ、勢いが増した!」

「やべ、こっちアルコールランプの方だった」


 序盤で出した水やアルコールがここで回収される、という構図に教頭以外の面々が笑う。

 そして、クライマックスへ。


「このままじゃまずい、外に逃げましょう!」

「最初からそうしましょう!」


 二人して上手の方へ逃げる。逃げる途中に、大海君がコンビニ入店音の声真似をする。


「うわ、雰囲気台無し!」


 小篠君がツッコんで、そのまま二人はセンターへ戻ってくる。


「待って、待って。全然バーテンダーできてないじゃん」

「俺、バーテンダー向いてなさそうだな。消防士目指すわ」

「いい加減にしなさい。どうもありがとうございました」


 深々とお辞儀をする二人。拍手の音が二人の耳に届いていることだろう。

 教頭は拍手していた手を止め、立ち上がる。


「ご苦労だった。学生なのにバーテンダーのネタなのはどうかと思うが、悪くなかった」


 最初から最後まで笑うことはなかったが、教頭は評価をしてくれているみたいだ。言い方が上から目線なのが気に食わないけど。


「説明した通り、これから協議によって有志発表の有無を決める。君たちがこれ以上することはない、すぐさま退出するように」

「うす」

「はい、失礼します」


 大海君は不服そうに、小篠君は苦笑いをしながら僕の方へやってくる。


「戻ろうよ、氷室くん」

「うん……」


 今回の挑戦はうまくいったのだろうか。それとも、失敗だったか。

 すでに投げられた賽の出目が気になるが、僕は二人に連れられて視聴覚室を後にする。


「なあ、俺たちうまくやれたよな?」


 廊下で大海君が僕に尋ねる。


「教頭はあんな顔のままだったけど、他の先生は笑っていたよな? だから大丈夫だよな?」

「…………わからない」


 僕は漫才で人を笑わせることこそ本気である証拠という考えで教頭に審査の機会を認めさせた。だけど、教頭の審査基準は明確じゃない。だから、僕にはわからないと言わざるを得なかった。


「大丈夫だよ。僕たち真剣にやったもの」

「そうだな。最後までトチることなくやったもんな」


 そうだ、彼らは真剣に最後までやった。だから大丈夫だと、そう思うことにしよう。僕たちにできることはもうない。うまくいったと信じるしかないんだ。


「そろそろお昼時だねー。お腹減ったなぁ」

「昼飯何も持ってきてねえや。雅、お前今日もパンいくつか持ってきてるだろ? 一つくれよ」

「やだ」

「やだって、お前たかが一つ俺にくれてもくれなくてもたいして変わらねえだろうが! 飯食った直後にすぐ次の飯のこと考える食欲の塊なんだから!」

「失礼な。さすがに直後には考えないよ。おやつなら考えるけど……。

 あ、天宮さんだ。ねえ聞いてよ天宮さん、竜吾が酷いんだよ~!」


 え、天宮さん? どこどこ?

 硬直している大海君の後ろから顔を出すと、ギターケースを背負って小篠君と楽し気に話をする天宮さんの姿があった。


「だってさ、昔から僕が食べたくて注文したものを勝手に取って食べるんだよ。酷いよね?」

「え~、でも人の食べているものっておいしそうに見えるじゃない?」

「だったら自分で注文すればいいでしょ!」

「そんなにたくさんは食べられないよ」


 …………なんか会話が弾んでいるな。

 ちょっとうらやましいけど、弾んでいる会話に入っていくのはなかなか難しい。 大海君は固まったままだし、このまま成り行きを見守るしかないのか?

 と、思っていると天宮さんが苦笑して言う。


「話の途中だけど、私ちょっと行かないといけないところあるんだ。ごめんね」

「そうなの? 引き留めちゃって悪かったね」

「いいの、いいの。また駅前のお店行こうね」

「うん、また行こうね! ほら竜吾、固まってないで早く教室戻るよ」

「お、おう」


 また駅前のお店行こうねと言ったか? なに、つまり小篠君と天宮さんって仲がいいのか?

 まあ、小篠君はクラスでも女子とよく話をしているから、それも不思議じゃないけども……。


「氷室くん」

「えっ? あ、はい、なんでしょう?」


 突然天宮さんに話しかけられて敬語になってしまう。もう行ったかと思った……。


「どうしたの? いきなり敬語になんかなって」

「あ、その、考え事をね……」

「どんなこと?」


 …………どんなことと言われても、君のことだよとはズバリ言いづらい。恥ずかしいし。

 だけど、小篠君と天宮さんの仲がいいのは、ちょっと気にかかる。道を歩けば少女に間違えられる小篠君も肉体的な性別で言えば男性なわけで……。

 だから気にかかるのだけど、交友関係を第三者から勘繰られたらいい気はしないだろう。

 いや、でも僕も小篠君とはそれなりの関係なわけだし、知り合い同士がやたら仲良かったら、それは気になっても仕方ないよな? なら聞くのも……変ではない、そのはずだ。


「あの、小篠君と親しいのかなーなんて」

「親しいと言うか、他の友達と一緒に遊びに行ったりはするかなぁ」


 あっけらかんとそう言われて、僕はすさまじい敗北感を味わった。

 我が生涯において、おなごとどこかでかけたことあらず。だけど、小篠君は女子を侍らせてお出かけしているのか……。

 心に吹雪が吹き荒れる中、天宮さんの話は続く。


「小篠君ってスイーツのお店詳しいから案内してもらってるんだ」

「…………そっか」

「もー、今度連れて行ってあげるから元気出して」

「それは真でござるか、姫!?」

「なんで時代劇調なのかわからないけど、もし氷室くんさえよければ」


 わーい! やったぞ、天宮さんと一緒にお出かけだ!

 夢にまで見た、女子とのお出かけが苦節十七年、ようやくできるんだな……。ああ、涙が出そうだ。これまでの人生で、これほど嬉しいことがあっただろうか。今日この日を僕は一生忘れないだろう。記念日にしたっていい。世界が、世界がこんなに輝いて見えるなんて……。


「あのー、感動してもらっているところ悪いけど、私の話を聞いてもらっていいかな?」

「なんなりと」

「そのさ、そのお店に連れて行ってあげる代わりと言ってはなんだけどさ……」

「はい」

「その……」


 …………なんだか彼女の様子が変だ。いつもの明朗さは鳴りを潜め、落ち着きなくキョロキョロと周りを見ている。

 いつの間にか大海君と小篠君がいなくなっているし、廊下に人はいない。

 …………いや、人がいるのにテンションがあがったあまり今の言動をしたと思うとすごく恥ずかしいので、いないのはいいことなんだけどね。

 僕も周りを確認していると、天宮さんは小さな声で言う。


「その……『頑張れ』って言ってもらえない?」

「…………?」


 …………なんで? そのぐらい言うのは別にいくらだって言えるけど、なんでそんなに恥ずかしそうというか、周りを気にしているんだろう。

 とりあえず言ってあげるか。


「天宮さん、頑張って!」

「…………ありがとう、頑張るね。じゃあ、私そろそろ行くね!」

「うん。またね」

「またね!」


 彼女が何を頑張ろうとしているのかわからないけど、笑顔を見られるならなんだっていいや。

 笑顔のまま彼女は意気揚々と僕たちが今まで歩いてきた方へ歩いて行った。

 ギターケースを背負っているということは、どこかで演奏するんだろうけど、視聴覚室は今教頭たちがいるからなぁ。

 …………どこへ行くんだろう? ほかに演奏できるところあったかな?

 その疑問は僕の腹の虫が鳴くまで頭から離れなかった。




 焼けた鉄板の上にいる一時間と好きな子といる一時間は違う……みたいなことを言ったのはアインシュタインだっただろうか。その言葉通り結果を知らされるまでの時間は鉄板の上にいるが如し。

 昼食後、結果がどうなるのか気が気でない中、せめて気を紛らわすために有志の出し物の練習を手伝ったり話を聞いたりしていた。


「氷室君、今やったパターンと、さっきのパターン、どっちの方が良かった?」

「もともと演劇部にいたんだけど、方針についていけなくてさー」

「氷室君ってなんで漫才が好きになったの?」


 時計の針は普段の何倍もゆっくりと進んでいったけど、その時がついに来た。


『二年C組大海竜吾、二年D組小篠雅、二年D組氷室透夜……以上三名は数学研究室に来るように』


 校内放送で呼び出され、僕たちは数学研究室へ。

 西日が差す数学研究室内で教頭と対峙する。冷房が効いているはずなのに汗が出る。すごく嫌な汗だ。


「………………」


 教頭は僕たちが来てからずっと黙っている。結果が出ているなら早く言ってくれ。合格なら合格で早く知らせてほしいし、そうでないならさっさと希望を断ち切ってほしい。

 この緊張感は高校受験の合格発表を思い出す。あの日は早く来すぎて発表されるまで凍えて待っていたっけ。


「あのよ―――」

「では、有志発表の存続について知らせよう」


 しびれを切らした大海君を制するように教頭が口を開く。


「結論から言えば―――」


 教頭としては、僕たちを待たすつもりなんてなかっただろう。だけど、その間は続きが気になるドラマが特番のために一週休みになったかのようなもどかしい気持ちにさせた。

 早く、早く言ってくれ……!


「―――有志発表は、開催することにした」


 …………! ついに、ついに言ったよな?


「あの、今なんと……」


 聞き間違いじゃなかっただろうか。あまりにも待ち遠しすぎて幻聴が聞こえたとかそんなじゃないよな?


「聞こえなかったか? 有志発表をやってもいいと言っているんだ」

「よしっ!」


 小篠君と大海君がハイタッチする。僕はハイタッチする相手がいないので、小さく拳を握りしめていた。

 しかし、その喜びに水を差すように教頭が言う。


「だが、一つ条件がある」

「…………この期に及んでまだ何か条件を出すんですか?」


 約束と違うじゃないか。まだ何かやらせようと言うなら、それは重大な契約違反だ。

 うんざりとした気持ちが言い方に出ていたのがわかったが、教頭は顔色一つ変えずに一枚のプリントを取り出す。


「条件と言ってもたいしたことではない。だから大海、拳を下ろせ。気に入らないことがあるからと暴れるのは子供と変わらん」

「どれどれ……」


 渡されたプリントを見る。小篠君と大海君も横からのぞき込む。

 プリントにはタイムラインとそれぞれの時間に行われる催し物が書かれている。これが体育館のスケジュール表というわけか。

 演劇部や軽音部などすでに予定が決まっている箇所があるが、空いた時間も半分ぐらいはある。


「この空いた時間に有志の出し物を書いていけ、ということですか?」

「その通りだ。君たちで話し合っていつ誰がやるのか決め、速やかに記載し提出しろ。学外からも人は来る。そのことを踏まえて時間割を決めるんだな」


 このぐらいなら確かにたいしたことじゃない。みんなで話し合って決めればいい話だ。

 この教頭にしてはあっさりとした追加注文に拍子抜けしたのか、大海君は口をへの字にして言う。


「ホントにこんだけかよ……」

「不服そうだな。もっと条件を増やしてほしいのか?」

「イイエ、オコトワリシマス」

「竜吾、ロボットみたいな言い方になってるよ」


 ともあれこれで教頭との戦いに決着がついた。あとは教室に凱旋してこのプリントを埋めるだけだ。

 数学研究室から失礼しようとすると、教頭が呼び止めた。


「待て、氷室。君にはまだ話がある。君は残れ」


 話? 教頭が僕になんの話があると言うのだろう。

 思い当たると言えば、進路の話だ。まだ二者面談をやってないからそれをせっつかれるのかな……。


「わかりました。二人は順番決めておいて」

「おう」

「氷室くんはいつぐらいがいいとかある?」

「二人がやるんだから二人の好きでいいよ」

「わかった~」


 プリントを持った二人が出ていってから、僕は教頭に向き直る。


「それで、話とはなんでしょうか」

「君への講評をしていなかったからな」

「…………講評?」


 講評というのは、説明をしながら何かの批評をすることだよな? ということはつまり、小篠君と大海君の漫才についてのことだろうか。


「漫才の講評なら僕だけにじゃなくて、二人がいたときにすればよかったのでは?」

「漫才の講評ではない、君自身への講評だ」


 …………僕自身の講評だって? どういうことだろう。


「ただし、突然君についての講評をしては意味が分からないだろうから、先にあの二人の漫才について他の先生方の反応も含めて話そう。

 あの漫才は、他の先生方には好評だったが、私はそうは思わなかった」


 偉そうに教頭は言うが、あの時笑っていなかったからそういう感想になったことは意外ではない。


「誤解がないように言っておくが、悪くはなかった。ミスらしいミスはなく、練習をかなり重ねたことは見て取れた。

 だが、一つ問題があった」

「何が問題だったんですか?」

「面白くなかった。私はあの漫才を見てもまったく笑えなかった。だから、私は君たちが真剣にやっていないのだと判断した」

「はっ?」


 それはおかしい。理屈が通らない。練習を重ねたことが見て取れたなら、努力をしていることがわかったなら、真剣にやっているとそう判断ができるはずだ。

 またも詭弁で僕や小篠君、大海君の努力を否定しようと言うのか。それが、それが教育者のすることなのか?


「睨んでいるところ悪いが、これは君が言ったことだ。『漫才を見て面白いと思えたら真剣にやっていると認めろ』とな。

 わざわざ私のもとに赴き、一蹴されてもおかしくない状況で条件を出してきた君の勇気を称え、私は今回の審査を行うことにした。

 その審査の結果、彼らの漫才は条件を満たさなかった。だから、真剣にやっていないと判断したのだ」


 …………確かに、僕がそう言ったんだ。その上で見せた漫才が面白くなかったんだったら、真剣ではないと判断されても文句は言えない。

 ババ抜きをやろうと言った奴がたとえポーカーで好成績を残してもババ抜きで勝てていないのであれば何の意味もないという話だ。

 だけど、それならわからないことがでてくる。


「だったら、なぜ有志発表を認めてくれたんですか?」

「君以外にも私に直談判をしに来た生徒がいたからだ。その生徒は、部活動に負けないぐらい自分の活動は本気でやっていると主張し、君と同じように審査を持ちかけてきたよ」


 僕以外にもそういう人がいたのか。そういう人がいてくれたことが今回の結果につながったのであれば、お礼を言っておきたい。


「誰なんですか、その人は」

「天宮だ」


 なんだって? 天宮さんがそんなことを……。


「演奏を聞いて判断しろ、という話だったため、君たちの漫才の後に彼女を呼んで我々五人の前で演奏してもらった。そこで彼女もまた多くの努力を重ねてきたことがわかった。それは魂の乗った良い演奏だった……」

「当然でしょう。天宮さんが今回の文化祭にかける想いは……」

「そういうことだろうな。天宮の演奏は部活動に勝るとも劣らない……いや、それ以上のものだった。だから、私も認めることにしたのだ」


 教頭は『有志発表は部活と比べて稚拙だから廃止する』と言っていた。だけど、天宮さんの演奏によって有志発表が稚拙ではないと認めたから、有志発表を開催することを決定したんだ。

 僕の言葉に従って漫才を真剣にやっていなかったと判断したように、教頭は教頭の言葉に従ったのだ。

 他人に発言の責任を取らせる代わりに、自分も同じように責任を取るこの人は僕が思うよりずっとフェアな人なのかもしれない。

 僕がそう考えていると、教頭は言う。


「さて、漫才の講評については説明した。今度は君の講評だな。

 今回の有志発表の開催については、君のしたことは大きい」

「と言うと?」

「一例をあげると、有葉らと私の元へ来て直談判をし、啖呵を切ったことだ。暴言を吐いたとも言えるがな」

「…………それについては申し訳ない気持ちもありますけど」


 後悔はしてないけど、それはそれとして謝らないといけないとは思っている。


「しかし、その啖呵によって有志たちは団結したのではないか?

 君の熱が有葉を通して有志達に伝わって、先生方を説得し状況を変えようとした」

「なんでそのことを知っているんですか?」

「先生方にやたら有志発表をやらせてもいいんじゃないかと言われたから、理由を聞いてみたら生徒たちに懇願されたとの話があった。

 天宮が私に直談判しに来たのも、君の啖呵に影響されたとそういう話だった」

「………………」


 天宮さんが僕に影響されて……か。僕なんかの影響を与えてしまって少し申し訳ない気持ちがあるけれど、それ以上に嬉しい気持ちがあった。それは彼女が僕のことを意識してくれているということだから。

 教頭が講評を続ける。


「目に見える影響となったのは小篠・大海の漫才や、天宮の演奏、他の有志の懇願だが、君が起こした行動が巡り巡って有志発表の開催につながった。

 このことから表立って動くのは向いていないかもしれないが、表立つ人が動きやすいように水面下で場を整える……氷室透夜はそういうことが得意な人間なんだと私は考えた。

 将来的にそういう仕事を志してはどうだ?」

「それが講評ですか」

「うむ」


 教頭のしたかった話というのはこのことか。


「君がまだ進路希望調査を出していないと担任の宮部先生が嘆いていたのでな。もし今もまだ進路に困っているようだったら参考になるだろう」

「頭の隅にはおいておきます。まだ、進路なんて考えるつもりはないので」

「それもまた君の自由だ。だが、考えるつもりになったら、いつでも相談しに来たまえ。私のできる限りの助言はしよう」

「…………意外なこと言いますね。もっと冷たい先生だと思っていました」


 ここ数日の教頭のイメージは頭の固い、屁理屈ばかり言う詭弁野郎という感じだ。その前はいつも冷たい表情で生徒を見ている、怖い先生。

 僕の正直な気持ちを聞いて、教頭はフッと笑う。


「言っただろう。理想の教師でありたいと」


 なるほど。確かに……盾突いてきた学生の行動を冷静に分析し、進路についてアドバイスしてくれる、本当はいい先生なのかもしれない。

 僕は一礼して、数学研究室を後にした。

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