②異国の庭は賑々し

「約束ね。まあ、今は私もいざとなったら世界じゅう探し回れるからマシだけど。……でも、私はともかく、家族がね。待ってるの、本当につらいから」


 当時のことは今も思い出すだに苦しい。次兄の身に何が起こったのかまったくわからないまま、唐突に別れを告げてきた異国からの手紙が、遺書めいて思えたほどだった。

 何よりただ家で兄たちの帰りを待つだけの己の無力さが、哀しかった。


 だからもしもユーリィがいなくなったら、今度は絶対に探す側になる。

 そして彼の家族がかつてのリェーチカと同じ悲しみを長く抱えないように、一番早く探し出してみせる。どんな手を使っても。

 ……なんて思っていたけれど、どうやら杞憂に済みそうだ。



 しばらくとりとめもない雑談をした。

 ユーリィからはアウレアシノンでの暮らしや学校生活について。リェーチカからは故郷ハーシの首都カルティワに残っている、元クラスメイトたちの近況などを話した。


 ジェニンカは本人が希望していたとおり外務局に就職した。

 新人局員のうちは雑用的な仕事が多いそうだが、いずれは諸外国との文化交流に取り組みたいと意気込んでいる。相変わらず太陽のようにパワフルだ。

 ちなみにオーヨとの仲も順調。リェーチカはたまに会うたび、幸せいっぱいなのろけ話を聞かされている。


 そのオーヨは研究機関に就職した。同じ研究所内の別部署にはセーチャもいて、今では昼食ランチしながら紋唱科学の議論に花を咲かせる仲になったんだそうな。

 ……ってどんな仲? とリェーチカは思うが、当人は楽しげに語っていたので良しとする。


「又聞きだけどヨランシュカさんたちも頑張ってるみたい……あ、それはユーリィのほうが詳しいよね」

「マーニャはたまに手紙をくれるからね。他は筆不精らしいが、彼女と交流のある面々についてはだいたい把握しているつもりだ。

 遣獣たちも相変わらず?」

「うん。実はユーニがお母さんになってねぇ、今うちに赤ちゃんがいるの。もうすっごくかわいいんだよ〜」


 ちなみにその『うち』は首都カルティワの別宅ではなく、モロストボリの実家のことだ。ユーニはなるべく自然に近い環境で子育てをしたいそうなので。

 曰く『街ン中で育ったらクマやらヘビやらの怖さが覚えられん』。

 だからリェーチカは首都と田舎を行き来しながら、仕事の合間に赤ちゃんリスを愛でて癒されている。


 そう、リェーチカも今は社会人であり、いち労働者。具体的には、聖盟祭の奉仕活動ボランティアのときに縁ができた福祉団体の一つに身を置いている。

 ハーシじゅうを駆け回って、各地の町おこしを手伝う仕事だ。


 いずれは独立して、水ハーシ族の居住地全体を対象に、地域格差をなくすための団体を立ち上げたいと思っている。

 今はいわばコネ作り。道路の建設ひとつとっても、自分一人の力だけではどうにもならないし、仲間は多ければ多いほどいい。

 何より部族の垣根を越えて助け合う経験こそ、分断の歴史を繰り返してきたハーシという国に必要なものではないかと思う。


「……そうだ。せっかくマヌルドに来てくれたんだし、少し外を歩かないか? 案内するよ」

「うん、ぜひ」


 ティーカップを空にして、彼の手を取った。



 もう秋だというのに肌がベタつく。アウレアシノンはマヌルド帝国の南西部に位置するので、カルティワと比べてもかなり南の都市だ。

 まだ紅葉が始まっていない緑の並木の下を歩く。風が吹くたび、葉擦れの音が雨垂れやせせらぎに似た音色を奏でるのが、なんだか耳に優しかった。


 やがて小さめの公園に入る。「気分転換をしたいときによく来るんだ」とユーリィ。

 ハーシのそれはたいてい殺風景というか、行事で使われるだけの単なる広場であることも少なくない。けれどもマヌルドの公園は花壇や噴水、子ども向けの遊具なんかが設置されていて、人気ひとけが少なくとも和やかな雰囲気があった。

 きっと雪があまり降らないからだろう。整備の手間がかかる除雪紋唱はひとつも見当たらないから、代わりに花の世話ができるのだ。


 据え置きのベンチは古びているが、いろんな人が紋唱術で手入れをしてきた跡があった。

 どこからか手風琴アコーディオンの音が聞こえる。同じ節を何度も繰り返しているあたり、誰かが練習しているらしい。


「……ね、そろそろ本当のこと話してくれる?」


 園内は閑散としている。たまにすれ違う人たちの顔は、見たところ近隣に暮らす移民。

 たまにハーシ系と思われる風貌の人もいる。

 けれど頭上の木の葉の形も、合間に混じる小鳥のさえずりも、ハーシで見聞きするものとは違っている。


 ここはあくまでもマヌルドなのだ。その巨大な帝都の隅っこにある、ほんのちょっとだけ異国民が安らげる場所。

 ここを気分転換の場に選ぶ理由はそんなところだろう。


「ああ……君にもわかるんだな」

「最近はちょこちょこモロストボリに帰ってるから。ヴェルーシャさんは良い人だけど……私がユーリィの立場だったら、って思ったらね」


 主人と使用人は、同じ人間でありながら越えがたい壁に阻まれている。同時に、何年も一緒に暮らしていれば、半ば家族のようなものだろう。

 何となればマヌルドで二年間暮らすことはユーリィの個人的な都合で、彼らは職務として主人についてきただけ。そんな使用人たちが聞いている所で弱音なんて吐けるわけもない。

 ユーリィは困ったように微笑んで、噴水の前のベンチに腰を下ろした。


「……触ってもいいかな」


 遠慮がちな問いに頷いて手袋を脱ぐ。差し出した手は一回り大きなそれに包まれ、ぎゅっと強く握り込まれた。



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