放課後 初秋のまれびと
①まれびと来たる
大陸東部に位置するマヌルド帝国の都、アウレアシノンは高い城壁に囲まれている。
ぐるりと外周を覆う
その二重城壁都市の門前に、一羽の鳥が飛来した。
青空に映える、雲よりも白い翼が美しい曲線を描き、背から尾にかけては薄いブルーグレーの羽毛に覆われている。瞳は緑みがかった銀色で、目尻に淡い茶色の斑化粧。
大陸北部の沿岸帯に生息するカモメの一種だ。つまり、本来はここマヌルドの内陸の都市部で見られる種ではない。
鳥の背からはするりと人影がひとつ降り立った。これまたマヌルド人らしくはない、暗銀色の長い弁髪を風に躍らせている。
どう見ても異国からの旅人を、帝都は容易く受け入れない。拒む法こそないが、明文化されていない規律など、人の心には山ほどある。
一応は彼女が示した紋唱術師認定証を記録して通すものの、彼の眼差しには偏見の色が浮かんでいた――どうせ出稼ぎのハーシ人だろう、何か面倒を起こさなきゃあいいんだが、と。
けれど彼女は気にしない。城壁の中にさえ入れてもらえれば、歓迎の文句など求めない。
「うわぁ……!」
一歩踏み入るなり思わず漏らした感嘆符は、壁の向こうに広がっている夢のような光景に向けた、いくらか戦慄交じりの賛辞である。
ぶちぬきの大通りを行き交う、数え切れないほどの人の群れ。建築法か条例の規定ギリギリであろう、見上げる首が痛くなるほど背の高い建物が林立し、あちらこちらで絶えず色とりどりの紋唱光が瞬いていた。
市場の呼び込み一つとっても音声紋唱を上手く使っている。さすが大陸屈指の紋唱都市だ。
喧騒のただ中で呆けていると、通行人にぶつかられた。「邪魔だ」と咎められて「あ、ごめんなさい」と返しつつ――その人が盗ろうとしていた己の財布に向け、小声で短い詩を唱える。
パチン!――小さな雷撃にスリは獲物を取り落とし、彼女がそれを拾い直す間にどこかへ走り去った。
「はぁ、危なかった。あんまり寄り道しないほうがよさそうだなぁ」
ぽつりと呟いて荷物を背負い直し、目抜き通りを歩いていく。
自由きままな
裏腹に心は逸っていた。かすかな焦りと、不安とを織り交ぜて。
やがて閑静な住宅街に辿り着く。大都市アウレアシノンの中でも端のほうで、とくに移民が多く暮らす区域だという。
その中に佇む一軒の民家は、建物自体はそう大きくはないけれど、見たところよく手入れが行き届いていた。玄関前には明るい色をした花が飾られているし、外壁の塗装が剥げたりもしていない。
穏やかな佇まいに少しホッとしながら、
「……どちら様でしょうか」
「あっ、こんにちは。私はスロヴィリカ……アレクトリア・スロヴィリカといいます」
「少々お待ちくださいませ」
応対したのは真面目そうな顔立ちの初老の女性。
無理もない。家の大きさから考えても使用人は彼女を含めてほんの数人、何かあっても対処はできないだろうから。
……ややあって、次に扉を勢いよく開いたのは見知った青年だった。
「リェーチカ! 来てくれたのか」
「ふふ、久しぶり、ユーリィ。入ってもいい?」
「もちろん。すまない、今日来るとわかっていたら先に言い置いたのに……」
「驚かせたかったの。……っていうのは半分だけホントで、残り半分はお兄ちゃんの都合ってだけなんだけどね。お邪魔します」
ユーリィことイェルレク・ワレンシュキは、くしゃりと頬を綻ばせた。
「その『半分の目論見』は成功したと言っていいよ」
室内もやはりきちんと手入れがなされている。小ぢんまりしてはいるが客間もあって、清潔なクロスが引かれたテーブルに、ハーシ式のティーセットが並べられた。故郷から持ってきたのだろうか。
忙しなく働く使用人たちを横目に、安堵したものかと思案する。ユーリィは慣れない異国暮らしできっと寂しく思っているだろう、と勝手に案じていたけれど、このようすならハーシにいたころとあまり変わらない暮らしをしていそうだ。
ユーリィは最初は向かいに腰を下ろしていたが、少し考えてから「隣に行ってもいいかな」と遠慮がちに尋ねてきた。頷くと自分のカップを手に立ち上がる。
数秒後、ソファの反対側がゆっくり沈む感触を、リェーチカはわざわざ瞑目して味わった。
「……マヌルドの学校は、どう?」
「授業内容はかなり発展的で興味深いよ。留学する価値はある。何より
「ふふ。充実してるんだねえ。で、……ユーリィは、苦労してない?」
「それは、……まあ、していないと言えば嘘になる。でも、そうだな……君の二番目のお兄さんの時よりは、多分いくらかマシだと思う。僕はいざとなったら父の名前を使えるし」
「あーっ、そっか。そうだよね! ……なぁんだぁ」
ふうっと大きく息を吐いたリェーチカを見て、ユーリィは眼を細める。
「心配してくれていたのか。ありがとう」
「……さすがに身内の前例があるからねぇ……絶対やめてね? 失踪するの」
「しないよ。……君を悲しませるようなことは、しない」
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