25_祝福の鐘

 伝えたいことがたくさんある。だから無数の術に乗せて、そのすべてを余さず届けたい。


 ――私はもう、あなたを怖がったりしない。

 本当は優しいって知ってるから。


 ――私はもう、傷ついたりしない。

 そんなにヤワじゃないよ。たまに痛い思いをしたって、そこで挫けて終わりにはしない。

 何度だって立ち上がれるんだ。


 ――私は。水ハーシ族わたしたちは、いつまでもやられっぱなしの弱者のままじゃない。

 口さがない他所の人たちの悪意から故郷を守って、自分自身を誇りたいから、戦うことを恐れない。これからもっと強くなるよ。

 私は、そのための希望になる。


(だから……だからね)


 ――私は、ユーリィ、あなたから逃げない。逃げたくない。


 彼がもたらした痛みや悲しみに壊されたりしない。今までも、これからも、すべてを受け止めながら立っていられる。

 この戦いはその証明なのだ。

 だから――伝えたい。


 ユーリィも恐れなくていい。傷つけるかもしれないという憂慮で、自らを戒めたりたりしなくていい。

 好意を伝えるときですら、『すまない』なんて謝罪を添える必要は、もうない。


「……冰矢ひょうしの紋!」

聳鉛しょうえんの紋ッ、融嵐ゆうらんの紋!」


 罵詈雑言に似た氷の雨を、鋼鉄の意思で受け止める。

 燃え滾る想いが自らの防壁すらも熔かしてしまうから、無防備になるのは覚悟の上で、ありったけの情熱を注ぎ返す。


雪陵せつりょうの紋……ッ」


 そびえ立った雪山が、迸る熱を受けて優しく溶け崩れていく――……。




 二人の激闘を、観衆は固唾を呑んで見守っていた。

 民族議長の息子と議員の娘、あるいは白ハーシと水ハーシの部族長家の子女同士が、自分たちで望んで設けた決闘の場だ。どこからか漏れた噂を聞きつけて、この試験の担当者でない教員や他所のクラスの生徒までもが覗きに来ている。

 その中で決断を下さねばならない担当教諭の心境はいかほどのものだったろうか。


 鉦が鳴り響いたとき、会場じゅうがざわついた。

 ――雌雄は決していなかったからだ。二人ともまだ両脚で立っていて、手袋も着けたまま。


『規定の交戦時間を超えたため、本試合は引き分けとします』


 無情にも思える通告アナウンス。けれども直後にリェーチカが膝を折ったのは、失意や悲嘆からではない。

 向かいでユーリィもよろめき、そばの岩壁に手を衝いて、なんとか姿勢を保っていた。


 紋唱術師同士の対人戦闘は極めて高い集中力を要する。それを規定時間いっぱいまで続けていたものだから、お互いすでに心身ともに限界だった。

 辛うじて体勢を保っていた緊張の糸が、急激な脱力感に置き換わっていく。

 周りの音もろくに入ってこない。ただ自身の心音がうるさいほど耳の中にこだまして、身体じゅう、まだ冷めない血潮が渓流のように止め処なく行き交っていた。


 夢から醒めるように辺りの生成物が消えていく。水も、炎も、岩や樹も。

 もはや立ち上がれないリェーチカに、よろよろ歩み寄ってきたサペシュが寄り添った。途中で拾ったユーニも一緒だ。


 何か言おうにも叫び続けていた喉からはもう声が出なくて、渇ききった口から息だけ何度も溢しながら、ふたりを抱き締める。二種類の湿った毛皮の感触がたまらなく愛しい。


 ――お疲れ様。ありがとう。


 やがて雨でも降り出したみたいに、ぱらぱらという音がリェーチカの鼓膜を打ち始めた。もしかしたらもっと前から鳴っていたのかもしれないけれど。

 観客席から届いた、拍手の音。わざわざ先生が結界を解いてくれたらしい。

 つられて顔を上げたら同じように呆けているユーリィと目が合う。なんだかくすぐったい状況に、思わずへらりと笑いかけると、彼もまた緩やかに破顔した。


 そうして喝采が鳴りやまないうちに、二人は救護スペースへと運び出されていった。




 ***




 ――春。時計台の鐘が歌っている。

 郊外や一部地区ではまだ残雪が融けきっていないけれど、都心はすっかり石畳の街並みを取り戻している。

 主だった街路が白い花に覆われ、露に濡れた若葉がみずみずしく輝く中、ハーシ連邦国立紋唱学校・首都本校の講堂では卒業式が執り行われていた。


 卒業生代表としてユーリィが壇上で原稿を読み上げている。いつも通りの堂々とした声音で語るのは、これから社会に出ていく自分たちは紋唱術師としてどうあるべきか、という内容だ。

 曰く……紋唱術は神より授かった叡智であり、術師はそれを正しく使う義務がある。長くも短かった学園生活で学んできたのは、単なる技術や知識ではなく、先人たちが伝えてきた紋唱術師の精神そのものである、云々。


 代表挨拶が拍手で締めくくられたあとは、全員が一人ずつ登壇して術師認定証と卒業証書を受け取っていく。

 リェーチカの番になると、授与役の先生は少し感慨深そうに「本当に一年半で卒業するとは思いませんでした」と呟きながら、石板タブレット状の認定証を握らせてくれた。たしかな重みと感触に、思わずこちらは背筋を伸ばす。


「ありがとうございます」




 式が終わってもみんなすぐには帰らない。中にはすでに就職先が決定しているとか、今後なかなか会えなくなることがわかっている人もいるし、単純に学生として顔を合わせる最後の機会を惜しんでもいるのだろう。

 リェーチカは例によって手製のお菓子を持ってきていたが、あっという間に完売した。


「ポランカおまえ食いすぎ」

「だってこれが最後じゃん。それにさ~、やっぱみんなと会わなくなんの寂しいんだもん」

「大袈裟ね、会おうと思えばいつだって会えるでしょ。セーチャの就職先も都内だし」

「……ユーリィを除いて、だけどな」


 四人のそんな会話を小耳に挟んで、リェーチカとジェニンカは顔を見合わせる。


 そう、ユーリィは本人のたっての希望で、マヌルド帝国の国立紋唱学術院に留学することになった。だから今もその関係で職員室に行っている。

 期間は二年。その間は恐らく、長期休暇くらいしかハーシには帰ってこられない。

 でもって出立は三日後だというし、準備がいろいろあるだろうから、たぶん彼とは今日くらいしかゆっくり会って話せる時間はない。


 ジェニンカが頷く。彼女の隣で、オーヨも優しい瞬きを返す。

 二人の励ますような気遣いにリェーチカも頷いて、休憩室状態の教室をあとにした。



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