23_雪を解いて春を招べ②

 第一遣獣は、紋唱術師自身と性質の近い個体であることが多いという。

 たいてい術師側が未熟なうちに契約するため、戦略性その他を鑑みる余裕がなく、単純に気が合う者同士で組みやすいからだ。


 むろんあくまで通説の一つ。話を聞いた限りでは、リェーチカとユーニには当てはまらない――ユーリィはそう思っていたが、今は考えを改めつつある。


 一見すると彼女らはか弱い。繊細で愛らしく、小さく非力でおとなしい、人畜無害な草食動物。

 ……などと甘く見た結果、容赦なく火の粉を浴びせて叩き落されたのだから。


 スロヴィリーク家の子女は、部族長を務める長男の他、一人は国立校を主席で卒業したのち大国マヌルドへ留学した英才。もう一人も同国の伯爵令嬢と婚約している帝国軍人だから、優秀な人物には違いない。

 いずれも恐ろしく粒揃いだ。リェーチカもやはり、同じ血を引いているのだろう。


 結界内の水位はユーリィの腰元まである。ひとまず螺旋階段に這い上がったころ、遅れてリスも落ちてきた。

 小さな着水音を聞きながら紋唱を行う。……この時点で雨足はかなり弱くなっていた。


湛泥たんでいの紋!」

『ちぃぃッ……!』


 器用に水面を泳ぎ抜けようとする獣に向け、水と地の複属性融合型の攻撃を放つ。いずれも火に対して有利な属性であるうえ、水は幾らでもあるから、効果は充分。

 彼女はリェーチカ側の攻撃の主体だ。早めに無力化しておきたい。

 ユーニの周囲の水だけ濁って泥となり、抵抗するほど沈んでいく。数秒も持たずに小さなリスは影も形も見えなくなった。


(上に残したビョルネンが気になる)


 もはや雨は止んでいる。代わりに舞っているのは白い羽毛。

 恐らく氷の槍で天井の紋章が壊され、ビョルネンも再構築が難しい状況に追い込まれている。


 一刻も早く体勢の立て直しを図らねばならない。出し惜しみする必要はないと判断し、素早く複数の紋章を描く。

 まず一つ。


「――蛟炎こうえんの紋」


 橙色の光ははねのある火炎の蛇へと変化した。螺旋階段の材質は氷、火で融ける。

 なるべく高速で這い上がらせていくと、近づいてくる怪物の気配を察したリェーチカが見下ろしたので、お互い一瞬目が合った。

 ユーリィは声に出さずに呟く。――次は君が墜ちる番だ。


 そして次。


「ビョルネン!」

『おっと……すまない、戻るのが遅れた』

「構わない。だが、これでお互いよくわかったな」


 純白だったオオハクチョウは少し汚れて舞い降りてきた。だいぶリェーチカにやられたらしい。

 相棒の疲労の度合を見つつ、再び騎乗する。

 自分を乗せて飛ぶだけでもかなりの体力を使わせるのだ。このまま戦闘が長時間に及べば彼の負担が大きすぎるので、戦略的にはこれを分散させる必要がある。


「――古伝を語り継ぐ者よ。汝の名は祭文さいもん

 その実は栄枯を記す……?」


 階段の残骸が音を立てて崩れ落ちていく。激しく飛沫を上げる水面の中に、一瞬何かが光った気がして、招言詩が途切れた。

 あのリスかと思ったが、彼女を沈めた泥水には変化はない。


「……竹帛ちくはくの編み手にして、惟神かむながらの森の声無きうたい。顕現すべし、潤色うるみいろ箆鹿へらじかヴァルノーシュ!」


 いくらか暗い銀の光が散る。紋章は溶けたような柔らかい灯りを滲ませて膨らみ、一頭のヘラジカを戦場へ送り込んだ。

 もちろん今の結界内に足場などない。現れるなり大仰な着水音が続き、大量の水飛沫が視界を埋め尽くした。

 先にビョルネンが出ることは決まっていたので特段驚きはしないものの、は少し辟易したようすで適当な氷塊に上がり、ぶるりと身体を震わせる。


 白ハーシ族の遣獣としては重い毛色だ。今は水を吸ってより濃く、天鵞絨ベルベットの艶を滴らせている。

 節くれだった角の上に、飛行するユーリィたちのややくたびれた姿を仰いで、ヴァルノーシュは皮肉っぽく呟いた。


『苦戦しているようだね』

「まだ序盤だ。ここからの戦況は君に懸かっている」

『いやはや荷が重いな……せいぜい頑張ってひっくり返すとしよう』


 地底から轟くような重低音が響く。ヘラジカのたけりに氷塊が揺り動き、突き破るようにして吐き出された深緑が、瞬く間に結界内に広がった。

 ――その中にまた、光る何かが混ざっている。やはり気のせいではない。


 それに……螺旋階段の大半が崩落し、降り注ぐ破片も減っている。

 なのになぜリェーチカはまだ落ちてこない?


「……まさか」


 ビョルネンの首筋を軽く叩く。右を打つときは高度を上げよ、左ならその逆の合図だ。

 湿った風を浴びながらハクチョウが舞い上がる。果たして結界の上層にはほとんど階段は残っておらず、リェーチカの姿はどこにもなかった。

 ただ数か所。結界の内壁にへばりつくようにして、足場よろしく残された氷塊のいくつかの上に、紋章だけが佇んでいる――。


 罠、の文字がユーリィの脳裏に浮かんだその刹那。


 すぐそばの紋章が煌々と輝いた。銀色と桃色と、相容れぬ二つの色が重なって滲む。

 手前の暖色は内部構造をたわませて、姿なきを紡いだ。


{――顕現すべし、雪銀ゆきしらかねの豹サペシュ――}




 ***




 そろそろ隠密紋唱が解ける。

 リェーチカは濁った水の中、氷塊の籠――落水する際に利用した螺旋階段の破片――から抜け出して、泥溜まりへ向かった。


 手探りでユーニを引っ張り出す。彼女は炎の繭に包まれ、その中で冬眠する時のように身体を丸めて、負傷ダメージを最小限に留めていた。


(――輝癒きゆの紋)


 泡沫あぶくに閉じ込めた詠唱が、紋章に触れてぱちんと弾ける。


 ユーリィの第一遣獣はビョルネン。つまり水の術が多用されることを想定し、音声系と防御系を使って、水中で紋唱術を遣う方法を編み出していた。

 仕組みは単純。自分の声を録音し、対応する紋章と一緒に、開放型……つまり内側から破れる形式の防御の術で包めばいい。

 リェーチカ自身がその場で詠唱しなくても時限式で発動される。むろん手動で起爆時間タイミングの調整も可能だ。


 上に置いてきたサペシュの紋章も、同じ理屈で遠隔操作できる。


(ユーニ、動ける?)

〘ああ。いい小休憩になった〙


 リェーチカは頷き、彼女を抱えて一旦浮上する。


「ッはぁ、……」


 見上げた空は結界線に切り取られた円形。そこに浮かぶ黒い点は、三つ。

 一つは結界壁に残した足場を自在に飛び移りながら戦うサペシュ。残り二つは対峙するユーリィと、彼を乗せて飛行中のビョルネン。

 ここまでは良し。問題は……。


『――おや、こんにちは』


 どうしても先んじて対策できない相手。それは今日が初対面となる、ユーリィの第二遣獣。

 水面から浮かんだリェーチカの顔を、ヘラジカがずいと覗き込んでいた。



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