22_雪を解いて春を招べ①
「――我が友は
「我が友は熱闘する!」
二人はほぼ同時に第一遣獣を呼び出した。
戦地に降り立ったビョルネンは、まず両翼を広げて場の空気を掴む。そもそも人を乗せられるほどの大きさの彼を前に、その何倍も小さな体格しかないリスは、傍目にはいかにもか弱そうに映った。
ユーリィには象徴的にも思える光景だ。洗練された巨大な白と、小さく垢抜けない赤茶色は、さながら出逢ったころの自分とリェーチカの力関係そのもののようで。
むろん、決して侮ったり軽んじてはならないことは遣獣たちにも含めてある。とくに面識のあるビョルネンには。
本気で戦うと誓ったのだ。今さらその約束を違えるのは不誠実になるし、この試合に卒業が懸かっているのは自分も同じ。
ユーリィはハクチョウの背に跨った。第一遣獣を鳥類にした一番の理由は、何をおいても他の種にはない飛行能力にある。
コウモリは人を乗せられないし、ムササビは滑空するのみで
――必ず敵より高所に布陣せよ。
用兵の基本。たとえ閉じられた狭い結界だろうと、上空を制した時点で地の利はこちらにある。
『本当にやるのか』
「ああ。本気で倒すつもりだ」
『……わかったよ。"されば
ハクチョウの歌というのは、どうして寂しげに聞こえるのだろうか。
天井がにわかに掻き曇る。紋章を中心に渦巻いた灰鼠の雲が泣き出して、初めは心地よいほどだった雨垂れの旋律は、加速度的に激しさを増していった。
結界の内壁に沿って雨水が蓄積していく。まるで科学室の
見下ろした先で、リェーチカは膝下まで水に浸かりながらも、動じることなく紋唱を行っていた。リスも彼女の肩の上に退避している。
浅葱色の輝きとともに「
水の一部は泡沫に変わり、螺旋階段状に凍りつく。同時に水のまま研ぎ澄まされた氷塊が複数、その切先を天に向ける――足場の確保と上空への攻撃を、一度に両方こなそうというわけか。
「ビョルネン!」
『ご心配なく』
白翼はひらりと舞って氷の槍を躱す。数もそれほど多くはなく、避けるのは存外容易かった。
視界が悪いせいもあるだろう。激しい雨の中、飛行する標的を見上げながら狙うのは不可能に近い。
(……いや、それにしてもぬるすぎるか。狙いは恐らく僕らではないな)
「次はこちらの番だ。――
降りしきる雨粒を氷の
大きさや数を考慮しなければ、ちょうど受けた攻撃をそっくり反転させたような絵面だ。しかも上から下に落とす形だから、たとえ同じ術を使ったとしても、こちらのほうが威力は高くなる。
しかし、……ユーリィはもう一つ紋章を用意していた。ビョルネンの気遣うような視線を振り払いながらそれに触れる。
本気でやりあうと約束した。
他の相手になら迷わず使う手を、リェーチカだからと控えたりすれば、彼女への侮辱になる。
「……
吹き降ろすは冷たく凍えた
ユーリィはただ祈った――頼む、防御してくれ。
地表に広がる雨水の沼は、殺到する氷の弾丸に蜂の巣とばかりに撃ち抜かれていく。絶え間なく上がる水飛沫でろくに見えもしない。
天井の照明が雲に遮られて薄暗い中、二色の紋章は煌々と冷たく光り続けた。
豪雨の続く限り、あるいはユーリィ自身が止めるまでは、非情な絨毯爆撃に終わりはない。
それでも待つ。信じている。
きっと、いや必ず、リェーチカは。
『……来る!』
ひと足早く気づいたビョルネンが短い警告を発した。ユーリィは返答の代わりに、防御の紋唱を描く。
「
「
すでに。
リェーチカはとうの昔に、氷泡の階段を駆け上がってユーリィのところまで肉薄していた。雨音は彼女の気配をも消していたのだ。
放たれた紫電は重く鋭く、鋼の盾が押し返されそうになるが、オオハクチョウの羽搏きがそれを支えた。
種族にもよるが、獣が持ちうる属性はたいてい複数あり、それらは遺伝によって子孫に受け継がれる。とはいえ幾つの力を秘めていても、原則として個々が扱いうるのは単属性のみ。
しかしごく稀に、複数の力を同時に発現させるものがいる。
ビョルネンはその『多属性変種』。つまり彼は水のほかに風もまとうことができるのだ。
攻防は拮抗した。ある種の調和ともいえる均衡を、しかし
『――崩れな"
リェーチカの頭の上から、力強い一声とともに燃え立つ紋章が投げつけられた。
雨の中とはいえ至近距離ならほとんど水の影響もない。業火の種を植えつけられた盾は、にわかに赤熱して紅蓮の花を開かせ、触れた雨水が蒸発して視界が霞んだ。
白い熱気に眩む――いや、それどころか。
「づッ!」
『――うわぁ!? しまっ、……!』
紋章だけではなかったのだ。リスが一緒に飛び移ってきていた。
小さな獣は火炎を纏い、こちらの身体の上を走り回る。熱さに驚いて盾を取りこぼすのと、ハクチョウが
咄嗟に盾の制御を解いて消す。ろくに身動きの取れない空中で、熱した鉄板とまともにぶつかるとまずい。
ビョルネンの叫び声を聞きながら、防御はおろか受け身すらまともに取れずに落下し――体感にして一秒後、ユーリィは濁った水の中に沈んだ。
「ぶはぁッ、……やれやれ、随分やってくれる」
一瞬で形勢逆転だ。リェーチカは未だに螺旋階段の上、今はユーリィが彼女に見下ろされている。
(侮っていたつもりはなかったが……下手をすると本当に負けるな。それもかなり一方的に)
やはり心のどこかで、彼女との争いを避けたいと思っていた。リェーチカのたっての願いだからと対戦を受け入れたけれど、戦闘になればきっと傷つけてしまう、と。
まったく――とんでもない傲りだった。
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