21_沸闘を寿ぎてのち東風の立つ

 他の男は、マーニャを痛めつけるだけで終わりだ。そんな無責任な輩のために嘆くな。


 エマニア・ヨランシュカは特別な女。その血や涙にさえも価値がある。

 どうせ拭うのならギュークがこの手で泣かせるほうがいい。彼女の悲鳴も、哀嘆や痛哭も、罵倒や憎悪ですら。

 自分以外が熾したのなら、それが誰であろうと腹立たしいのだから。どんなに荒い感情だろうと、その責ごと、彼女のすべてが欲しい。


 それがギュークの恋。燃え盛る炎が如く、粗暴で荒々しい情動。

 一見どうしようもなく破壊的なだけの欲求は、同時にどんな闇や影をも蹴散らして、マーニャの姿をその心に煌々と照らしている。玉座か祭壇のように。


『調子に乗らないでいただけますかしら!?』


 キレたロシェリタが茨の鞭を振り回した。回避しながら防御の紋章を描くが、ギリギリ一本だけ脛を掠める。

 鋭い痛みに「い゛ッ――」一瞬視界が白んだが、奥歯を軋むほどに噛み締めて、なんとか膝の力を保った。


 こんなところで倒れてたまるか。まだだ、まだ試合は終わっちゃいない。

 確実に勝利を掴むまでは気を抜くな。


「っ……ナルバ、サルタラパ、そいつ押さえとけ……!」

『あいよ』


 ふらふらしながらマーニャの元へ。

 転びそうになっては、遣獣たちが遠目から支えてくれる。隆起する岩の杖や、抱き起こすようなつむじ風の力を借りながら、倒れそうな身体を引きずった。


 ひどくのろのろと時間が過ぎる。なかなか辿り着けずに焦りが募るが、マーニャは動かない。

 ふと中間試験を思い出した。あのときナマズちゃんは諦めたフリをしてギュークを油断させ、近づいてきたところを反撃してきたが――今は状況がまったく異なる。


 そんな生温い攻撃はしていない。むしろ同じ過ちを繰り返さないよう、今回はやり返す気力など残らないように徹底的にやったのだ、むしろ早急に治療を要する状態だろう。

 それにマーニャは、ナマズちゃんと違う。その状態で無理をするような性格じゃあない。

 土壇場で泥臭く粘るのではなく、事前準備を念入りにするタイプだ。計画性が高いからこそ、己の想定や用意が足りなかったと悟れば、負債を最小限に抑えるためにすみやかに退く女。


 いつしか玉藻色の双眸がぼんやり虚ろに開かれていた。濡れた髪や服があちこち貼り付いて、さながら水死体のような風体で、恨めしげにギュークを見つめている。


 とうとう回ってきたロシェリタの麻痺毒が、あと一歩のところで膝を折らせた。それでも両腕を使って這い進む。

 幸い教師の中止命令もない。


「はーッ……くそ、ダリぃ……。でも、……これで、……ッ」

「……あんたの勝ち、って? ……冗談じゃないわよ」

「んだよ……思ったよか、平気そうだな。ッけどよ、へっ……諦めな」


 震える指でマーニャの手袋を掴んだ。抵抗しようとする気配はあるものの、どうやらまともに動かせるのは左手だけのようで、わずかにギュークに軍配が上がる。

 拒もうとする腕を抑えつけたら両手が塞がったので、紅樺色の革に噛みついた。


「ちょっとっ……、もう。……ねえ……どうして、あんなこと言ったのよ」

はひが?」

「試合が……始まる、直前に……。言っておくけど、……あたしを、あんな言葉で動揺させようなんて、百年早いんだから……」

「あー……。ンなんじゃねえよ、言葉どおりだっつの」


 両方の手袋を脱がし終え、露わになった白い手を眺めて思う。今ここで一生消えないほど深い傷を残せたらいいのに。

 残念ながらそんな力はもう残っていない。毒のせいか、視界がチカチカと白光交じりに霞んできて、早いとこ治療が必要なのはこちらも同じ。

 だから『記念』はまたの機会にとっておくことにして、歯を立てるのは止めておいた。


「……おまえが好きだ」

「バカ。……それを先に言いなさいよ」


 ――鉦が鳴る。

 高らかに、今まで聞いたどの音よりも美しく。

 ギュークにとっては自身の勝利を讃える祝福の音色だ。それくらい思い上がってもいいだろう、今だけは。



 ***



 ギュークとマーニャが運び出されていく。遣獣たちが後を追う。

 激しい試合展開から一転、静まり返った中で原状回復が為される結界を見つめ、リェーチカはゆっくり息を吸った。


 先の六組の試合、すべてが終わった。これで残るは自分とユーリィのみ。

 今からの試合によって、これからの人生が決まる。……けれど不思議とそこまで緊張はしていない。


 日記を開くような心地で自分の手のひらを見た。

 紋唱用の手袋は、編入祝いに両親が買ってくれたもの。材質や選び方は三兄が、都内の衣料品店のおすすめは次兄が教えてくれたっけ。

 そもそも学校に通うことを提案してくれたのは長兄。つまり今ここにいるリェーチカのすべては、家族全員の想いに支えられてきた。


 隣を見れば友人たちと目が合って、彼らは静かに頷いてくれる。


「行ってきます」


 二人の手を順に握ってから立ち上がった。

 背筋をぐっと伸ばし、遥か前を見据えて歩き出す。

 視界の端で銀色がちらついた。真冬の朝みたいに白く清いその人もまた、リェーチカと同じ方角を向いて、揃えるような歩調で運命の決戦場ステージを目指している。


 鉦に導かれて封印の線を超える。しんと静まった床にはまだ何の色もなく、天井から降り注ぐ紋唱照明の煌めきだけが散らばって美しい。

 複数の光線に晒されて八方に伸びた影が花形を為している。その中心に佇む人を、改めて眩しく見上げた。


 ユーリィもまた、じっとこちらを見つめていた。


 言葉はない。けれど、彼が何を思うのかは、なんとなくわかるような気がする。

 たぶんリェーチカも同じことを考えているから。


 半ばこちらの都合と希望に付き合わせてしまう形になってしまって、ほんの少しの申し訳なさを感じている。

 同時に――おかしな話だが、なんだか嬉しい。こうして向かい合って立っていることが。

 結界に遮断されて余計な音がひとつもしないこの場所で、いってしまえば、自分たちは二人だけで互いの未来を掴もうとしている。


 だから思うのだ。――この学校で、最後に運命を預ける相手がこの人で、よかった。


 緊張していないのはそのせいだろう。きっと、どんな結果になっても受け入れられる。

 ユーリィとともに選んだ道ならば。

 その先がどこに続いていたって、どんな困難に満ちていたとしても、リェーチカは迷わず歩いていける。愛する獣たちと一緒に。


(さあ、行こう)



 試合開始を告げる鉦が、鳴った。



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