07_トラブルのはじまり

 絵に描いたような山奥だ。右を見ても左を見ても樹と岩しか見当たらない。


 ユーリィのグループの面々は、白ハーシ族の中でも上流階級と呼べる集団である。全員が首都育ちではないが、例外なく都市部の出身だ。

 こうした自然豊かな場所を訪れることは今までほとんどなかった。


 紋唱術師につきものの遣獣も、都市では専門店での購入が主流だ。

 本来なら術師自ら山河に分け入って探すものだが、今やそうした遣獣業者は国際的規模の組合を持つので、わざわざ旅をせずとも店に行けば大陸じゅうの動物と会える。生息地の限られた貴重な獣も、金をかければ労せず手に入れられるのだ。

 そもそも学生が遠出をするのは難しい。卒業時に学校から与えられる認定証がないと受けられない公共サービスや、足を踏み入れることすら認められない場所もある。


 しかし、ヒヨッコとはいえ一人の紋唱術師としては、自分の力を試してみたいと思うもの。


「僕は獣を探しに行く。君たちは好きにするといい」


 ユーリィが手袋を直しながらそう言うと、取り巻きたちはこう答えた。


「あたしも一緒に探していいかしら?」

「あ、うちも~」

「俺も」

「全員じゃねえかよ。ならオレも行くかね」


 誰ひとり迷っていない。しいていえば最後に答えた男子だけは周りに合わせた体のようだが、それにしても全員が即答とは。

 べつに今さら驚くようなことでもないが、ユーリィは珍しくちょっと苦笑に近い表情を浮かべた。


「……なるほど金魚のフンだな」

「あ、もしかしてひとりで行きたかったの?」

「いや、構わない。何かあったとき誰かがいたほうが助かることもある。ただ野生の獣は警戒心が強いというから、あまり騒がないように気をつけてくれ」

「了解」


 五人は連れ立って、獣探しに出かけた。



 やみくもに歩き回っても野生の獣には出会えない。

 向こうは鋭い嗅覚や聴覚ですばやく人間の気配を察し、こちらが気づくより先に逃げるか隠れてしまう。


 それがこの人数ならなおさらなので、五人は紋唱術でいろいろな補助を試みた。

 臭いを消すもの。音を小さくするもの。周りの生物の気配を感知するもの。

 いろんな術があるが、みんなまだ勉強中のヒヨッコだ。すべてを満足に扱えるとは到底言いがたく、教本で読んだだけでうろ覚えだったり、間違えていたものもあったかもしれない。


 それでも五人で手分けすれば案外なんとかなり、何匹かの小動物を見つけた。


 しかしそれで満足するユーリィではない。

 一般人と違って、部族長の嫡男としての見栄えを考えなければならないのだ。アナグマやモモンガでは恰好がつかない。もっと迫力のある大型動物でなければ。

 下手をすればワレンシュキ家の威厳に関わるのだから、妥協は許されない。


 それと彼らにはもうひとつ、特別で明確な基準があった――契約する獣は『白いもの』でなければならないのだ。


 白ハーシ族は、白という色を何よりも愛するゆえに、その民族名となった。

 民族衣装は、正装は無染の生成りに白糸の刺繍を施したもので、略式でも淡い色しか入れない。祀る神もシロクマを初めとする白い姿のものばかり。

 彼らがすでに手持ちとしている遣獣もみなおおよそ白いもので、多少の斑点や縞くらいは許しても、茶色だの黒だのを加えることはありえない。


 そうして彷徨っていると、誰かがあっと小さく声を上げた。


「……ユーリィ、あそこに何かいる」

「あれは……ユキヒョウか? 珍しいな」

「ふわふわしててかわいい……」


 マーニャがうっとりとした声を出す。相手は肉食獣だが、かなり離れていて危険がないせいか、いささか緊張感がなかった。


 名にヒョウとつくとおり斑点模様はあるが、おおよそ灰白色の毛皮だ。彼らの条件は満たしている。

 岩壁の頂に一頭だけで佇む姿はどこか孤独で、なおかつ気高い印象もあった。まだ若い個体のようだが体格もいいし、なによりユキヒョウ自体の希少性が極めて高いことから、街の遣獣屋でも滅多にお目にかかれない。


 あれなら未来の族長にも相応しいだろう、とその場の全員が思った。

 しかしユーリィは首を振る。


「難易度が高すぎるな。今の僕らには無理だろう」

「え? でも協力してやればー」

「そうしたら誰があれと契約するんだ」

「そんなのユーリィに決まってるじゃない、ギュークとかじゃ似合わないもの」

「……あ?」


 不名誉な流れで唐突に名前を挙げられた男子がマーニャを睨んだが、彼女はユーリィを見つめていたので気づいていなかった。


「遣獣屋の檻にいるのとは違うんだ。自分の力で捕まえないと、野生動物は契約には応じない。

 ……たしかにあれは魅力的だが、今は諦めるべきだろう」


 ユーリィは冷静にそう言ってユキヒョウに背を向けた。


 いつもなら全員が彼に従う。

 ……そのはずだった。


「なんでだよ」

 ――そんな不満げな声が上がることなんて、今までなかった。


 さっき機嫌を損ねたギュークという男子だ。

 いや、実のところ彼はもっと前からずっと不機嫌だった。それに誰も気づいていなかったか、あるいは知っていて黙っていた。

 ハーシ民族共通の伝統である、髪の編み込みをイライラと掻きむしりながら、ギュークは苛立ちもあらわな声で続ける。


「日和ってんなよ。ユーリィ、おまえがやらねぇんなら、あれはオレひとりで捕まえてやる」

「無茶を言うな。君の手に負える相手じゃあない」

「勝手に決めつけんな」


 そのまま肩をいからせて四人に背を向けるギュークに、マーニャあたりは呼び止めようとしたけれど、開いた口からはろくな言葉が出なかった。

 ちょっと、とか、待ちなさいよ、などでは、彼の怒りは収まらない。

 かといって何が理由でギュークがキレているのか、彼女にはわからなかった。


 四人はぽかんとしてしばらく見送ってしまったが、やがてユーリィがハッとして言った。


「……追いかけよう。急がないと見失う」


 残り三人も頷く。

 人探しの術は高度すぎてまだ扱えない。だからギュークの姿が樹々に隠される前に追いつかなければ、完全にはぐれてしまう。

 不慣れな山の中でそれは避けたい。


「もう、なんなのよあいつ……そんなにレポートが嫌だったのかしら」

「そーじゃないと思うけどね〜」

「なにポランカ、あなた何か知ってるの?」


 マーニャの問いかけに、友人はにやりと笑っただけだった。



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