05_洞窟遺跡は薄暗い②
あまりにも理不尽な言いぐさだった。
両親は何年も前から首都で暮らしているし、現族長の長兄も職務のために定期的に訪れる。他の水ハーシ族もわずかながら仕事のためなどで滞在している。
ユーリィは『君たち』、つまりリェーチカを代表にして、水ハーシ全員を罵ったのだ。
白ハーシが全員こうではないとジェニンカは言うし、彼女自身がそれを証明している。
けれど親友はこうも言っていた――将来ユーリィが自民族の代表になる、と。
彼の父親は白ハーシの族長で、国政の要たる『民族議会』の長でもある。今のこの国における白ハーシ族のリーダーは国そのものの代表と言っても過言ではない。
ユーリィは長男らしいから、いずれ父親の後を継ぐだろう。
こんな人が国で一番偉くなったら、今でさえ豊かとは言いがたい水ハーシの里の将来は、どうなってしまうのだろうか。
心労がたたって父は一度身体を壊した。それで職務を分担するために長兄が後を継いだが、このままでは兄もいつか潰れてしまう。
里を離れている他の兄たちも無関心なわけではなく、それぞれ外国で頑張っているらしい。けれど、それでどれくらいこの国が変わるのかなんて、リェーチカにはさっぱり想像もつかない。
目の前にある冷たい氷色の瞳だけが、はっきり見える現実だった。
兄たちに倣って紋唱術師になれば、何か手助けができると思って進学した。
それが間違いだったのかもしれない。ユーリィたちから余計な怒りを買って、ますます自分たちの立場を悪くするだけ。
「でも……、待ってる、だけじゃ……嫌だったんだもん……ッ」
最初に紋唱術を覚えたのは二番目の兄。彼は神童とまで呼ばれた遣い手で、外国にある大陸で一番大きな学校に留学までした。
三番目の兄も、次兄に手ほどきされる形でこの道を進み、人生を変える特別な旅をした。
けれど二人ともリェーチカには教えてくれなかった。経済的な理由からだとずっと思っていたけれど、きっと違う。
次兄は留学を終えたあとに一度失踪している。彼を連れ戻してほしいと他ならぬリェーチカが頼み、三兄が旅に出た。
彼らが戻るまでリェーチカはずっと家で長兄と待った。
学歴も技術も何も持たない無力な少女は、待つことしかできなかった。
「――ちょっとあんたたちッ、リェーチカに何してるのよ!?」
ほとんど這いつくばるようにして泣きじゃくっていたけれど、ふいに洞窟内に響き渡ったその声に、思わず顔を上げる。
入口のところに光るスズランが見えた。ジェニンカとオーヨが来てしまったのだ。
助かったと安堵したものか、それともふたりを巻き込んでしまったと後悔したものか。
答えを出す暇もなくジェニンカがやってくる。それに気付いたユーリィもさっと立ち上がったので、ようやくリェーチカはあの美しくて残酷な色から解放された。
ジェニンカはいつものようにリェーチカとユーリィの間に割り込む。
彼女と一緒にきたオーヨは、隣にきて屈んでくれた。
大丈夫かい、と優しくかけてくれた声が震えている。こんな状況、彼だって怖いに違いない。
「何も」
「じゃあなんでこんなに泣いてるの!? まさか……とうとう手を上げたんじゃないでしょうね」
「まさか。彼女が勝手に泣き出したんだ」
「どうだか……。リェーチカ、オーヨ、とにかく行きましょ。
――ユーリィ、いい加減にしないとあんたのお父上に言いつけてやるからね」
「好きにすればいい。もっとも、父に君の話を聞いている暇はないと思うが」
ジェニンカの啖呵はあまり効いていないようで、とりまき連中に至ってはくすくす笑っていた。
三人は逃げるようにして部屋を出る。
通路を小走りで進みながら、彼らが追いかけてこないかと不安になったが、さすがにそこまではしてこないようだ。だからといって安心なんてできないけれど。
そうして次の部屋に辿りつきはしたが、もはやとても落ち着いて調べものができる状態ではなかった。
リェーチカはまず涙を止めなければいけない。泣きながらスケッチしたらノートをぐちゃぐちゃにしてしまうし、手が震えていてはペンを握れない。
ジェニンカはまだ怒っていたし、オーヨはオーヨでリェーチカにつられて泣きそうになっていた。
「あ~……ッもう、最悪、なんでこんなとこまできて……!」
「ごめん、おれがここを選んだせいで」
「オーヨのせいじゃないわよ!
……リェーチカ、ほんとに何もされてない? 大丈夫? さすがに叩いたりはしてないんだろうけど、それでもどこか触られたとかない?」
「……うで、掴まれたけど、それだけ……」
「それだって暴力よ。……ほんとごめんね、わたしが謝っても仕方ないけど……」
「ううん」
同じ白ハーシ族であっても、ユーリィやとりまきは別の人間だ。彼らのしたことでジェニンカが申し訳なく思う必要なんてない。
リェーチカはそう思うけれど、涙で声が詰まって上手く言えず、首を振るしかできなかった。
そうして三人が冷静さを取り戻すのに、何分くらいかかったのだろう。
陽の射さない洞窟内では時間の感覚もあやふやだ。時計の紋唱術というものも存在するので、これはオーヨの担当だった。
座学は得意だが実技には自信なさげな彼の指が、ちょっとたどたどしく紋章を描いているのを、リェーチカはまだ腫れぼったい眼で見つめる。
緑色の光はそのまま蔦の形になった。それがぐにゃりと動いて時を知らせる。
「だいぶ経っちゃったね……もうあの人たち、いないかな」
「よっぽどダラダラしてなきゃ終わってるでしょ。わたしたちも早く済ませて宿に行きましょ」
「……まさかとは思うけど、宿まで一緒じゃないよね……?」
「う……うわぁ、その可能性には気づきたくなかったぁぁ……!」
恐ろしい想像に悲鳴を上げるリェーチカ、自分で言って絶望するオーヨ。そんな二人を見てげんなりと肩を落とすジェニンカであった。
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