04_洞窟遺跡は薄暗い①

 静寂の中、あらかた紋章は写し終えたかな、とリェーチカは顔を上げた。

 何気なくふたりの進捗具合を窺うと、ジェニンカはまだスケッチ中。そしてオーヨはもう終わっているのか手を止めて、彼女の横顔を見つめている。

 光源があるとはいえ整備が甘いのか、いつの間にか少し薄暗くなっていて、それぞれの表情はよく見えない。


 間に花の形のランプを置いて、佇む二人の男女。ちょっといい雰囲気に見えないこともない。

 これってもしかしてもしかするのかも……と、その手のことは大好きなリェーチカは真っ先に思った。


 オーヨは控えめで大人しい。とてもジェニンカを自分から誘うなんてできないだろう。

 それでリェーチカに宿題の手伝いを頼まれたのを口実に、ここに彼女を連れてきたのではないかしら――むろんこれは推察というより、八割九分五厘はリェーチカの個人的願望である。


 人一倍恋に憧れているという自覚はある。過疎化著しい田舎に育ち、同世代の男の子が周りにほとんどいなかったので、そういう機会は今までなかった。

 つまり経験の少ないリェーチカにとって、自分の恋愛沙汰を想像するにはまだ照れや恥じらいが勝ってしまう。それより人の色恋を眺めて勝手に外野からキャーキャー言いたいお年頃なのです。


 いやだがしかし、オーヨがジェニンカに惹かれているとしてもおかしくはない。

 彼にとっても彼女は英雄だ。リェーチカが男の子だったら絶対に彼女を好きになっているからきっとオーヨもそうだと思う。思いたい。だってそのほうが楽しい。


「ね……ねえ、私もう写し終わったから、先に次のとこ行ってるね!」

「え? ああ、それじゃあこれあげる。通路は暗いから」

「ありがとっ」


 スズランのランプを受け取りつつ、そっと心の中でオーヨを応援しておく。がんばれ!


 二人きりになったらどんな会話をするのか、ちょっと聞き耳を立ててみたい気持ちもあるにはあるが、リェーチカは下心をぐっと抑えて先に進んだ。お邪魔虫は消えなくては。

 ……でも、あとで感想を聞きたいなぁ。


 ちなみにリェーチカ自身は、首都に来た今もそういう気配はない。というか未だオーヨ以外にまともに話せる男の子がいない。

 なぜって、下手にリェーチカと会話すればユーリィたちのグループに目をつけられるから、みんな彼らを恐れてこちらと距離を置いている。わざわざ近づいてくるのは嫌がらせ目的の人くらいだ。


 いつかは自分も恋をしてみたいけど、今はそれ以前の問題が多すぎる。

 白ハーシのボス軍団に睨まれている『ナマズちゃん』なんて、誰が好きになってくれるだろう。


 うっかり行きの列車でのことを思い出してしまい、ちょっと落ち込みそうになった。

 これはいけない。ふるふると首を振って思考を散らし、今は課題に集中しようと自分に言い聞かせながら、足早に次の部屋へ向かう。

 ――しかし。その入り口の手前で、足がぴたりと止まった。


 中から声がする。それも複数、しかも、困ったことに聞き覚えがある。


「あーダリぃしめんどくせぇ……オレやっぱレポート嫌いだわ~」

「こんなん好きな奴いないっしょー」

「その前に移動が長くて疲れたわ。町も寂れて汚いし……もっと近場に良い場所なかったの?」

「シッ、文句言うなって……ユーリィのご指定だぜ、ここ」

「え……や、やだ、今の聞こえちゃったかしら」


 いちばん聞きたくない名前まで耳に飛び込んできた。嫌な予感が当たってしまった。

 この先の広間にいるのは、あの人たちだ。


 宿題はしなければならない。でも、この先に踏み込む勇気はない。

 これまではジェニンカがいてくれたし、オーヨも一緒だった。だからなんとか耐えられたが、リェーチカ一人で彼らの相手なんてできっこない。

 それに……滅多なことは起こらないと思いたいけれど、ここには先生がいないから、何かあっても誰にも助けを求められない。実際に頼りになるかどうかはさておき、大人の眼がある場所では彼らもそこまで無茶はしないはずだ。


 リェーチカは慌てて背を向けた。すぐ戻って二人に知らせなければ。

 それで彼らが洞窟を出るまで待つか、場所を変えるしかない。といってもこの周辺でレポートに適した史跡が他にあるかどうか知らないけれど。


 けれど、ああ……どうも今日のリェーチカの運勢は最悪の中の最悪らしい。


「……ひゃっ」


 急に暗がりから小さなもの――たぶんコウモリか何かが飛び出して、目の前を飛び去っていった。

 びっくりして思わず小さな悲鳴を上げてしまい、慌てて口を塞いでも遅すぎる。


 彼らの足音がいやに響いて聞こえた。広間の入り口からひょいと覗いた顔が、スズランのランプに照らされながらぐにゃりと歪む。

 それは不愉快なものを見たという表情で、なおかつ、ちょうどいい暇潰しの玩具を見つけた顔だった。


「誰かと思えばナマズちゃーん!」


 男子のひとりが妙に馴れ馴れしく、かつ蔑みの色を混ぜた声で笑う。その背後の空気さえ変わったのがわかる。

 彼らはすぐさま近寄ってきて、硬直しているリェーチカの腕を掴んで引っ張った。

 そのまま広間の中心へと無理やり連れていかれる。腕が痛いやら怖いやら、もう頭は真っ白で、気づけばぼろぼろ泣き出していた。


 涙でどろどろになった顔に、紋唱術で作ったのだろう卵型の光を近づけられる。


「なんだ、君か。それなら近くにジェニンカと赤犬も……。

 まあ同じ列車に乗り合わせた時点で、他の候補を入れても確率はせいぜい三分の一だから、おかしくはないが」


 前に立っているのは当然のようにユーリィだ。彼の眼差しは、こちらに何の興味も価値もないと言わんばかりに冷たく澄んでいる。

 それなら放っておいてくれればいいのに、立っていられずへたり込んだリェーチカに、彼はわざわざ子どもにするみたいに屈んで視線を合わせてきた。


「おいナマズ。君は自分がどうしてこんな眼に遭うのか、わかるか?」

「……ッし、らな……」

「泥臭い水ハーシの分際で首都カルティワに住んでいるからだ。僕の先祖が異民族から守ってきた神聖な土地を、の生臭い足で歩かれると、汚されるようで我慢がならない」


 この透明な眼の色が、嫌いだと思う。

 だって、ユーリィはこんなにひどいやつなのに――その水色だけは、大好きな故郷の湖にそっくりだから。



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