小さな少年

若葉色

小さな少年

あれはいつのことだったのでしょうか

きっともう何十年も前のことでしょう


暑い暑い夏の日のこと

日差しの強い朝のこと

私は一人、建っていた

女学生達が歩いてゆく

きゃらきゃらと笑って

兵隊さんも歩いてゆく

和やかに笑み交わして

きらきらした光の中を


―おはようございます

幼く小さな少年でした

銀色をした少年でした

―おはようございます

私はそう、返しました

―君は迷子なのですか

私はそう、問いました

顔を歪めた少年でした

―いいえ、違いますよ

―ではなぜそんな顔を

もう一度、問いました

もの言わぬ少年でした


がらがらがらがらがら

ばきばきばきばきばき

ぐしゃぐしゃぐしゃっ

ぶすぶすぶすぶすぶす

ごうごうごうごうごう


熱い熱い夏の火のこと

炸裂光の強い朝のこと

私は一人、崩れていた

女学生達が歩いてゆく

焼けた皮を引き摺って

兵隊さんも歩いてゆく

水をくれと泣きながら

光るガラスの破片の中


―本当にごめんなさい

少年の声が聞こえます

姿の見えない少年の声

―君がやったのですか

私はそう、問いました

息も絶え絶えでしたが

―君は何者なのですか

私はなおも問いました

少年の姿は見えません

―僕は小さな少年リトルボーイです

少年の声が聞こえます

―僕は、原子爆弾です

―人を殺すための爆弾

祖国アメリカを勝たせる道具

敵国にほんを負かせる兵器

少年の声が震えました

―こんなこと嫌なのに


ぱらぱらぱらぱらぱら

ばしゃばしゃばしゃっ

ぶすぶすぶすぶすぶす

しゅうしゅうしゅうう

ぱらぱらぱらぱらぱら


黒い黒い夏の雨のこと

真っ黒で暗い朝のこと

私は一人、潰れていた

女学生達が上を向いた

黒い雨に呆けたように

兵隊さんも上を向いた

黒い雨に手を伸ばして

暗い色した雨粒の中で


少年の泣き声が響いた

悲しそうな苦しそうな

辛そうな泣き声でした

少年の姿は見えません

私ももう、動けません

遠くなってゆく泣き声

それに被せるような声


ああああああああああ

うううううううううう

水を水を水を水を水を

痛い痛い痛い痛い痛い

助けて助けて助けてえ



―ねぇ君ももう小さな少年じゃないね

―そうですね、すっかりお爺さんです


暑い暑い夏の日の今日

日差しの強い八月六日

私はここに建っている

でも実は一人じゃない

崩れた体に染み込んだ

あの少年と一緒にいる


―ねぇ産業奨励館さん

―何だい、小さな少年

―僕迷子だったのかも

―どうしてそう思うの

―…分からないけれど

―もう迷子じゃないよ

―え、どういうこと?

―私がいるじゃないか


少年はぽかんとします

そしてはにかみました


もし、今、この会話が聞こえている人

耳を澄ませてくれる人がいるのならば

どうか私の願いを聞いてくれませんか


どうか、原爆しょうねんを落とさないでください

迷子になる少年少女が現れないように

焼けた皮を引き摺らなくて済むように

水を求めて彷徨う誰かが現れぬように

もう、寂しい黒い雨が降らないように

どうか、原爆しょうねんを落とさないでください




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小さな少年 若葉色 @cosmes4221

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ