応援コメント

金木犀の小道とビスクドール」への応援コメント

  • タイトルから内田善美という昔の少女漫画家の『星の時計のリデル』という作品を思い出し、順番を飛ばしてこちらから読ませて頂きました。
    その本は、母の実家の本棚にあったのですが、ビスクドールのような美少女の幽霊が、昔お屋敷に生えていたという金木犀を懐かしむシーンがありまして。
    母の実家は、昨年実家終いをして、庭の木も全て切り倒してしまいました。それでも、階段の踊り場に飾ってあった金髪のリモージュが、帰省する母と私たちを見下ろして出迎えてくれたことを、きっと折々に思い出すことでしょう。

    素敵なお話を、ありがとうございました。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    内田善美さんの漫画は今まで読んだことがなかったので調べてみたら、緻密な画風だと思いました。実家終いは感慨深いこともあったと思います。価値観は時代の変遷を受けますが、気になる古書も思い出も道を切り開くきっかけを与えてくれることもあるのでこれからもそっと大切にしてくださいね。*☆ 。.:*☆⭐︎

  • 金木犀に囲われた家……なんてステキ!(*´▽`*)
    近所の庭に金木犀がありますが、いつもお祈りして通ります、神社みたいに。(笑)

    作者からの返信

    コメント。ありがとうございます!

    秋になって金木犀が満開になると、子ども心に金木犀の香りに包まれてふわふわした気分になりました♪♪
    思い出すと、懐かしくて幸せな気持ちになります*☆ 。.:*☆⭐︎


  • 編集済

    光景が目に浮かんできました。
    金木犀の香り、とても好きです。
    散って敷き詰められた様は、綺麗ですね☺️

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!
    子ども心に金木犀が敷き詰められた道は特別な道って感覚でした。
    懐かしい思い出の場所ですが今はどうなってるか……、ふと思い立ってGoogle Mapで調べてみましたが、今風の住宅街に建て替えられているようでした。

  • 金木犀の小道とは、素敵な場所ですね。
    この時期になると花が一斉に咲き誇るので、すごく綺麗でしょうね。
    ビスクドールに込められた思い出話も素敵でした。お母さんが衣装を作ってくれたことは、生涯忘れられないでしょうね。衣装がなくなっても、その時の嬉しかった記憶はずっと消えないと思います。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    秋になるとほんとうに綺麗でそこに住んでいた当時、金木犀が咲く時期を楽しみにしていましたが、中二の四月に引っ越してから一度も訪れていないので、その場所が今はどうなっているかわかりません。どの辺りか場所は覚えているので、いつか訪ねてみることがあるかな?でもきっと変わっているだろうな…。どんな風に変わっているかいつか見たいような気持ちが今でも少しあります。良い思い出がたくさんある場所なので。

    衣装は採寸してもらって出来上がるまでが楽しみでしたね。セーターなどもよく編んでくれました。母は家政科卒なので、理想を追求していたようにも思いますし、お裁縫は好きだったんでしょうね。子育ての頃は楽しかったと今でも伝えてくれます。

  • エッセイ風なお話しでしたが、ほんとにあったことなのでしょうか。お題がきれいに消化されていて驚きです。

    キンモクセイきれいですよね。
    実家の庭にも植わってるんですけど、この時期は朝、気持ちがいいですねよい香りがして。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    一応、小三の頃の思い出の一端をエッセイ風に書きましたが、今日も母と散歩している時に金木犀を見かけて、金木犀で囲まれた家に住んでいた話をしました。中二の四月に引っ越して、その後、数年後に整備された話は聞いているのですが、今はどうなっているでしょう……。その頃家にあったビスクドールはフランス人形でしたが、母は可愛らしいお顔のお人形が好きでしたね。お人形との思い出はよく辿ってみるといろいろあります。ピアノは幼少の頃から習ってました。

    今、住んでいる家にも金木犀が植わっていますが、その金木犀は末娘の記念樹ですし、金木犀は私にとって馴染み深い樹木ですから、記憶の引き出しから取り出して、文章にすることができてよかったです。


  • 編集済

    「記憶の引き出しに詰まっている遠い日の思い出はふとした瞬間に鮮やかに心の中に蘇る」……この作用について夙に不思議に思っていることがありまして、それは鮮やかに甦る記憶が、必ずしも何か大きな出来事についてのものに限らないということです。何気ない日々の営みの一齣ですら、当人の意図せずして刻印されるのはどういった働きなのでしょうか。

    「記憶の引き出し」というのも言い得て妙、私などは思い出を引き出しから取り出してそのまま仕舞い忘れ、竟に散佚してしまうこともあるようです。ワインが空気に触れて酸化を免れないように、いずれにしても思い出された段階で記憶は「そのまま」ではいられない、もう元通りには戻らないのかもしれないと、随想録を書いていて思います。

    それでも「何気無い物や言葉がそんな風に過去の景色の中で思い出とともに静かに記憶に刻まれ、家族や親しい人との心の絆に光を灯す」とは素敵な表現、どこか前向きになれそうな表現ですね。過去の思い出だけでなく今の営みとて軈て、これからも折々に彷彿するような、そういった新たな思い出となって、ご家族やお親しい方達と共有する財産になっていくことでしょう。

    普段、私はこういったことを夜に考えるのですが、中澤さんのお蔭で今日は朝から静謐な気持ちで過ごせそうです。一日の始まり方でその日の思考の「モード」が決まるようですから……有り難うございました。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    確かにそうですね。事実、人は未来には刻一刻と向かっていけるけれど、過去に戻ることはできない。けれど、過去は思い出すことができるのですから、記憶の中では過去を辿ることはできるけれど、刻印された過去の記憶は朧げ……でも文章にするとなんだか嬉しいような懐かしいような気持ちになりますよね。

    私は困ったことに車の運転中などに断片的に考えることが多かったので、詩歌の世界に入り込んで、花や鳥などに断片的な思いを投影できるようになってから、心のバランスが取れるようになりました。

    そして、工藤様の随想録は繊細で端麗な視点で今の時代を捉えていらっしゃるのが印象的で読み始めました。まだ、随想録にはコメントできていないですが、また、そのうち、時間を見つけて書き込ませていただければと思っています。